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仁義なき自閉症
アメリカ・エイ・ビー・エイ
日本の母が自閉症と闘った十章

森隆子


約 85226

序章 診断からアメリカへ跳ぶまで
一章 これがABA
二章 言葉を紡ぐカード
三章 スペシャル・ダイエット
四章 処方箋薬
五章 ABAのトラブル対処法
六章 てんかんの発作
七章 ジャックの行動の再評価
八章 スペシャル・オリンピック
九章 「自閉症やアスペルガー症候群の子供を育てるのに役立つ1001の素晴らしい知恵」
十章 ABAと異なる見解の本

 

 

序章 診断からアメリカへ跳ぶまで

今年17歳になる長男ジャックが、自閉症と診断されたのは、彼が3歳になる1ヶ月前、2001年7月半ばだ。診断を下したのは、東京都といってもほとんど千葉県に近い駅周辺にある、民家と棟続きになったこじんまりとしたA神経内科だ。生まれて2ヶ月の次男ルークは自宅で母に見てもらい、4歳年下のアメリカ人の夫ジムと、当時38歳の私の二人が、医師の声に耳を傾けた。古風なデザインの木枠の窓から射し込む西日が、診察服を着たA医師の背中に反射し、木陰のような薄暗がりだった部屋が忘れられない。神経内科を訪れる患者の心境を配慮すると、やわらかな太陽光線が溢れる診察室の風景が、真実だったのだろうが、診断の内容が余りに衝撃的だったため、記憶が部屋の色を塗り替えてしまったのかもしれない。
「ジャック君はautismですね」
「お子さんは2歳11ヶ月になるそうですね?失礼ですが、知能程度は1歳児程度であると診断します」
A医師は穏やかな声で、両親の血が凍りつくような宣告を言い放つ。親たちとの面接の前に、別室で行われた簡単な知能テストの結果を示しながら、医師は自分の主張を裏付ける説明を続ける。絵本を見ながら最も簡単な質問に答えられなかった、動物や植物、食べ物の名前が何一つわからなかった、一刻もじっとして座っていられないから、多動症が疑われる。ふと見上げると、ジムの頬を太い涙線がいく筋も滴っている。知り合って8年、夫の涙を見るのは初めてだった私は、とてつもなく不吉な事が起こる予感がして怯えた。
A医師は恐慌に陥った私たち夫婦を慰めるような優しい声音で、
「大丈夫ですよ。絶望することはありません。アメリカには自閉症なのに大学教授になった女性もいます。それに…ジャック君はハーフだから、顔がずば抜けて可愛い。くっきりとした二重まぶた、ピンク色の受け口で。こんな可愛い顔の子は、将来にも希望がありますよ」
それって一体、どう言う意味ですか?私は口の中で声にならない声を発した。一重瞼の母親に似ず、色白で典型的なハーフの目鼻立ち、 アイドルにも苦もなくなれそうな、整った息子の顔立ちと、自閉症はどんな関係があるのですか? どうやって自宅へ辿り着いたか、記憶は定かではない。家に着くなり、夫は宣言した。
「アメリカへ帰るぞ。日本では自閉症治療が確立していない。だから医者もハーフは顔が綺麗だからいいよね、なんて訳のわからないことを言うんだ。自閉症の治療はとにかく早期介入だ。アメリカの方が自閉症治療が進んでいる。とにかく、できる限りのことをやってみよう」
私は泣いていたので何と返事をしたのか記憶にない。夫は自分自身をも力付けるように言う。
「俺たちがしっかりしなくてはならないんだ。ジャックは、俺たちの息子だから。自閉症は途轍もない試練だけれど、この子を、自閉症の闇から引っ張り出すんだ」

ジャックは約3年前に正常分娩で出産し、私が自宅で仕事をしていたので、生まれて数ヶ月経つと、一日4時間だが、ベビーシッターを頼んでいた。 ベビーシッターさんも、なかなかいい人が見つからず、何人も入れ代わった。最初に来た出産経験のない若い太り気味の女性は、保母さん経験者という触れ込みだったが、子供の扱いが乱暴だった。何回か見兼ねて注意を促した。
「乳幼児ですから、もう少し優しく抱いて下さい」
何を言っても、彼女は脂肪のシワが寄った首を心持ち傾けるだけで、ドアの外を吹く風のように泰然としていた。「あたし、慣れてますから平気です」
数時間も彼女と子供を二人きりにするのが不安になって、別の人を派遣会社に依頼した。
最後に付いた、成人した男の子がいる年輩の女性は、穏やかな人柄で、保育園に入る直前まで、ジャックの面倒を見てくれた。その頃一歳前後のジャックは、身体の大きい夫のジムが大好きで、彼に抱き取られると、「きゃっ、きゃっ」と声を上げて喜んだ。ジャックの喜び方は、母親に抱かれる時と比較にならなかった。子供が夫にばかり懐くのを見て淋しがる私を、
「男の子はね、成長すると結局、母親が一番好きですよ」と繰り返して慰めてくれた。近所に住んで、子育てを手伝ってくれていたうちの母親は、「ありゃ、20代の息子さんがマザコンなんだよ。男の子なんてさ、結婚したら嫁さんの言いなりさ。あの人はいい人だけどね」
と、なかなかに辛辣だった。
ハーフは顔が可愛いとは、日本やアジアでは頻繁に言われ、モデルやタレントの活躍は珍しくないが、アジア受けするハーフの外見は、アメリカではほとんど役に立たない。私とジャックを見比べて、何人ものアメリカ人は、白人の優越感を隠さず、大げさな歓声を上げた。
「まあ、ジャック君はお母さんそっくり!」
私は夫にぼやく。
「私たちはちっとも似てないよ。私がジャックみたいな外見だったら、学生時代にも、きっと人気者だったろうと思う。ジャックの顔の方がずうっと可愛い。あああ、私もジャックみたいに大きくて可愛い瞳が欲しかった」
夫は頷く。
「確かに二人は似てないよ。でも、アメリカ人は人種差別だから、どちらの顔も、アジア系で一括りにするんだよな」
そうか、私は現実を慮って落胆する。慰め半分かもしれないが、日本では医者も思わず褒めてしまう、ジャックの美しい容貌も、アメリカでは単なるアジアの顔。近年の飽食がたたって体型は崩れているものの、色白、細い鼻梁、二重瞼の丸い目、血の色が透けるような薄い唇が平均のアメリカ人に混じると、アジア系の顔、特に男は、見劣りがするし、受けない。私は歯噛みをする。
「あー、ジャックも日本に住んでいたら、言葉は不自由でも、無口なモデルくらい簡単に、うまくいけばジャニーズだって、なれたかもしれないのになあ」

7年前に夫婦で起業したスケートボード部品を卸す会社が順調で、ジムの出身地であるオハイオ州に3年前、中古の一軒家を購入していた。4ベッドルーム、庭付きだが深い風呂はなく、オハイオ州ではごく平均的な家だ。ジャックは一歳で日米両国のパスポートを取得し、年に何回か家族揃ってアメリカで休暇を過ごす習慣だった。ベビーシッターの手を離れ、二歳になる直前の春から、近所にある東京都の保育園に通わせていたが、入園すると、直ぐに他の子供たちから風邪に感染し、二、三回中耳炎にもかかったので、アメリカの家にいる間、州都コロンバスの耳鼻専門病院で耳の手術をして、耳の中にチューブを入れた。チューブを入れてからは、中耳炎を患ったことはない。 耳にチューブを入れる手術をしたのは、ジャックが二歳半過ぎの時だったが、その頃家の修理に来た大工さんが、
「この年頃の男の子の、耳の病気には気をつけろよ」
と、しんみりした声音で呟き、ジャックのように頻繁に中耳の炎症を呈していた、彼の妹の息子が、後に自閉症であると判明し、親戚一同ショックを受けたと話した。
「どうしてだか、俺も理由はわからないが、耳の病気と、自閉症は深い関係があるらしいよ」
私は彼からの、極めて重要なメッセージを聞き逃した。
「だから、私たちはジャックの耳にチューブを入れるつもりなの。チューブを入れたら中耳炎の心配はないそうだから、きっと大丈夫」
私たちは、その時彼が、近い将来を予想しているとは、夢にも思わなかった。

私はアメリカの大学院で夫と知り合い、海外で暮らすことに抵抗はかったので、「ジャックの治療はアメリカで」という夫の意見に、直ぐに同意した。むしろ生まれてからこれまでの日々、自分は日本で、自の居どころを探し続け、遂に見出せなかったような気もしていた。あの日は、我が子が自閉症と診断を受けた衝撃で思考力を失い、自己喪失を嘆いただけなのかもしれないが。私はアメリカに住んで合計十七年になるが、最近はアメリカでも、自分の在り処を見失なってしまった気がする。自分のような長期滞在者で、同じような科白を吐く日本人女性を、こちらで何人も見かけた。
「わたしも、わたしも、日本へ、自分の国へ帰りさえすれば、何もかもきっとうまく行くのよ。日本へ帰ったら、もう、外国人じゃないもの」
私たちは知っている。日本人社会は、故郷を足蹴にした女を、絶対に赦さない現実を。そして戦慄しながら自問する。私たちこそは、祖国と海外の狭間で、自分の本当の帰る場所とすれ違ってしまったのではないか、と。
我が子が自閉症と診断されたあの日。歩道を歩いていても、両眼から壊れた蛇口のように涙が流れ、通行人が何事かと見つめるのも、気にも留めなかった。とにかく一日でも早く、アメリカへ逃げよう。そう念じながら、一つ、一つ雑事を片付けて行った。ああ、そうだった、二ヶ月前に生まれたばかりの次男のルークは、まだパスポートを持っていないじゃないか。
生後二ヶ月の次男を連れて、なぜこの時期に、日本を発つ決断をすることになった理由は、無事出産を終えるまで、ジャックの診察を先延ばしにしていたからだ。半年以上前から長男の様子が気になっていた。ほとんど言葉をしゃべらない。ある日、保育園でジャックと同じクラスの三歳の女の子が、
「携帯電話でママに連絡してよ」
と、肩をそびやかして先生に命令しているのを聞いて、まるで電気ゴテで触れられたように肌が粟立った。ジャックとまるで違う。ジャックは携帯どころか電話の意味もわかってないんじゃないか。この差は一体、何なんだろうか?
同年齢の子供に比べて発達の遅れがあるのではと、当時通っていた東京都の保育園の先生方に、妊娠六ヶ月のお腹を抱えて相談に行った。50代だろうか、白髪混じりのショートヘアをきれいに撫でつけた園長先生も、食べ物の混ざった匂いがする、くすんだ青色のスモックエプロンを着た、化粧っ気のない担任の保母さんも、曖昧な笑いを浮かべながらだが、両手をブンブン振り回して励ましてくれた。
「大丈夫、大丈夫。ほら、お母さんが妊娠中で、動揺するとお腹の赤ちゃんに触るでしょ。ジャック君はまだ3歳にもなってないから、これからですよ。ともかくお母さんが身二つになってから、病院へ行けばいいわ。それまでは無事出産することだけを、お考えになって。いい先生をご紹介しますよ」
保育園の先生方は、長男に発達障害があると診断されると母親が動揺し、生まれて来る赤ん坊に影響があるだろうと、心配してくれたのだ。やれやれ、懸念通りになってしまった。
診断を聞いた翌日、私は保育園へ挨拶に行った。
「先生方にご紹介いただいた、A神経内科に行って参りました。そこで、ジャックは自閉症だという診断を受けました」
息を呑む先生たちに、私は追い討ちをかけるように念を押す。
「来週から、急遽アメリカへ行くことになったので、ジャックは、今日で保育園を止めさせていただきます。短い間ですが、ジャック共々お世話になりました」
相変わらず壊れた水道管のような涙を頬に伝わらせて、私は丁寧に頭を下げて挨拶した。先生方はどよめき、同情に言葉もないようだった。東京都の保育園は入園競争も激しく、あっさり止めさせてしまう若夫婦の軽率さを、園長先生は危うんだ。
「本当に良くお考えになったんですか?そんな、まあ、来週からアメリカへ行ってしまうなんて 。決断されるのは、もっとじっくり考えた方がいいですよ」
園長先生は浅はかな私たちを思い留まらせようと、何度も繰り返した。私たちを慰めるつもりなのか、
「ジャック君のようなお子さんは、各園に、必ず一人か、二人いらっしゃいますよ。そうですね、最近では百人に一人でしょうかね」
と、おっしゃった。動転しながらも、そんなに自閉症の人数が増えているのか、うちだけじゃないんだな、と思ったことを記憶する。担任の先生も言った。
「ジャック君は軽いです。重い子は、一歳や一歳半から気が付きます。私たちは、彼が三歳近くまでわからなかったから」
夫と私の決意は固く、私たちは黙した石地蔵のように、聞く耳を持たず、退園の手続きを取った。
パスポート取得のため、有楽町の交通局へ電話で問い合わせると、本人出頭で署名と写真が必要だと言う。私は電話口で泣き腫らした目をこすり、日暮れ近くの選挙カーに乗ったウグイス嬢ように、ありったけの声を出して叫んだ。
「産まれて二ヶ月なんです。署名なんて出来ません。首もすわってないし、出産後病院から退院後は外に出したこともないんです。こんなに暑くて湿気が強くて、大気汚染の東京の真ん中に出るのは無理です。交通局まで連れて行けません。戸籍も出生証明もありますから、母親が代理じゃだめですか」
役所の回答は型通りで、中年女の声で事務的に、肉屋が牛刀で肉塊を断つように冷たく言い放つ。
「署名は大人が代筆可能です。写真は本人出頭が規則なので。絶対に本人がその場で写真を取らないと、パスポートは差し上げられません」
そう言われてはなす術もなく、当時住んでいた東京都江戸川区の自宅前から、有楽町までタクシーで往復することにした。不景気に長距離が出て嬉しさを禁じ得ない運転手は、揉手をしながら芝居のセリフを吐くような声音で同情した。
「全く、役所っていうところは、血も涙もないね。こんな母親のお腹から出て来たばかりの子供を、東京の真ん中まで引っ張り出してさ。写真なら家で写せばいいじゃないか。自分で署名も出来ない子供を出頭させるなんて、道理に叶わねえや。待ってる間はメーターを倒しませんからね。お帰りもよろしく頼みますよ」
交通局に着くと、手続きは容易だった。私が署名を済ませると、職員は一度も私と視線を合わせず、私の両腕に抱かれた生後二ヶ月の乳児の顔写真を撮影した。診断から11日後、最速で頼んだルークのパスポートが届いた。翌日、私たち一家はノースウエスト機で成田空港を発った。近所に住んでいた当時68歳の母が、同じ年の父を残して取り敢えず同行してくれた。当時私はグリーンカードを持っていたし、ジャックは日米両国の市民権を持っていたが、母は旅行者ビザだけなので、それから度々日本へ帰国する必要があった。

自閉症を「その人の生涯に渡る、他者とのコミュニケーションの能力上の発達障害であり、社会で道理的に振る舞うことに困難を覚える」と定義した人がいる。 「Autism A Practical Guide for Parents」(自閉症 両親への実践的なガイド) 作者の Alan Yau氏だ。アラン ヤウ氏は教師として20年以上自閉症の子供に関わり、Autism Speaks という、親たちを支えるウエブサイトを運営している。アラン氏は「数多くの治療法がある。どれが自分の子供に向いているか、時間を取ってじっくり考えてみよう。その子のことを一番理解しているのは、結局は親だけなのだから」と、提言する。私はアメリカで良いと言われる数々の治療法を、可能な限り情報を集め、自分達で試みた。私たちがやったこと、うまく行ったような気がしたこと、思うような結果が得られず焦燥に駆られた時のこと、その時はわからなかったが、ずっと後になって気が付いたいくつかの事実を、10項目にまとめてみた。こちらの親たちの間で人気が高く、まだ日本語に翻訳されてない本の要約も入れた。実際に自分の子供に効果があった例、うちの子には適さなかった具体例を書き出したら、自分にとって曖昧だった物事が明らかになったような気がする。アメリカの行政の自閉症への関わり方が、日本の役所とどのように違っているか、想像できないような巨額のお金が動いていることも、書いて見たら認識できた。うちの子が試した10項目の一部でも、私と同じように自閉症の子供を抱えて苦闘する、日本のお母さん、お父さんたちに、もし、知ってもらうことができるのならば、これ以上、嬉しい事はないと思う。

 

 

一章 これがABA

アメリカの家へ到着して、荷物をほどく暇も惜しんで最初にとった行動は、診断書の取得だ。自閉症児のための特別な学校への入学手続きも、政府の補助を申請するにも「この子は自閉症だ」という診断書がいる。ネットで探索して予約を取り、近所のM医院を夫一緒にジャックを連れて訪れた。
アメリカに住んで10年が過ぎるまで、全く気が付かなったのは恥ずかしい限りだが、日本で私たちは「病院=hospital」と習った。アメリカ人がhospitalと言う時は、巨大なビルの総合病院、大学病院を指す。そして大抵、病院は手術を伴う。「病院へ行った」と軽く言ったつもりが、「ええっ、そんなにお悪いんですか」と、深刻な反応が帰って来る理由が、長い間理解出来なかった。日本語で「医者に行く」に当たる英語は「I have Dr’s appointment」もしくは「I go to the Dr’s office」または、単に「I see the Dr」になる。でも、医者の勤務先だから病院と呼ぶんでしょ?と、訊いても「Dr.’s office とhospital は、全然違うんだ」そうだ。M医院はもちろんhospitalではなく、see the Dr、または単なるクリニックになる。
瀟洒な貸しビルの中にあるM医院の前には、巨大なメルセデスが銀色の鯉のような車体を横たえている。受付カウンターには年輩の女性秘書が二人、一人は乱れたストレートの黒髪を時折かきあげ、感じの良い声で電話の受け答えをしながら、目の前のコンピュータに一心に入力している。彼女の前には、飲みかけのダイエットペプシの缶が置かれ、ペプシの横には、半分かじられたポップタートという甘い携帯食品が置いてある。日本のカロリーメイト近い、彼女の軽食か、昼食なのだろうか。
もう一人の女性は、茶色の天然パーマがあたった髪で、車椅子に座っている。車椅子は電動式で、右側のタイヤの脇に小さなランプが緑色に点滅するのが見える。運動不足なのだろう、かなり太り気味だが、平等の権利意識が高いアメリカでは、障害者の方が就業チャンスに恵まれているらしい。彼女の勤務先は医院であり、障害者を雇うことで、医療補助の申請が容易になるのだろう。彼女の前にはプラスチックのカップに入ったコーヒーが見える。用件を告げると車椅子の秘書は、ボソボソと聴きとり難い声で返事をしてから、ゆっくりとタイヤを回しながら移動し、カウンター後ろのドアの中へ消えた。 間も無く現れたM医師は四十台後半か、香水の香りが強く、付けまつ毛やアイライナーで厚化粧、オレンジ色のロングドレスを着た、飛び切り派手な大柄な女性。豊満過ぎる肉体を、ヒラヒラしたフリルが幾重にも包んでいる。開口一番、
「あら、どうして子供を連れて来たの?初回は子供なしでと、言ったはずよ」
と、咎めるように私たちを見つめる。夫が遠慮がちに反論した。
「この子が自閉症だという診断書を書いてもらいたいんです。これから、政府の補助金を申請するためにも、その他のいろいろな手続きを進めるにしても、子供の容体を証明する書面が必要なんです、だから、僕たちには先生のお力が必要なんです。この子の、息子ジャックの診断なので、彼を連れて来ました。本人を診ないで、どうやって診断書を書くんですか?」
M医師はオレンジ色のフリルの袖をパサリと鳴らした。
「何事にも段階があるのよ。まあ、いいわ。隣のお子様用待合室で、お母さんと遊んでいてね。子供の好きなオモチャがたくさんあるから」
お子様用待合室を(=kid’s room)見ると、子供の喜びそうな贅沢なおもちゃで溢れている。次第に明らかになったのは、お金に対するM医師の測り知れない情熱だ。まずはショックを受けて呆然としている親を宥めて、取り敢えずは金を吸い出し、その後うまく行けば政府から直接、途方もない大金を引き出そうとする、まるで猛禽類が獲物に目を付け、爪を磨ぎ始める音を聞くようだった。
初回は親と一時間の面接。息子の様子について親から話を聞くだけ。その日の終わりにアンケート用紙を渡されて、親はアンケートに答える。アンケート用紙とは、ネットで「AUTISM SPEAKS」 へ行ってプリントアウトすれば、誰でも出来る自己診断テスト「Modified Checklist for Autism in Toddlers Revised」略称=M-CHAT-R トレードマーク付き、と同じだった。二回目の面接はアンケート用紙を見ながらM医師の質問に答える。三回目にやっと二十分だけジャックを面接し、どうにか「中程度の自閉症である」と、診断書をもらった。一回の面接の費用は三百三十ドル。三回合計は約千ドル。自己テストとどこが違うのか全くわからない。日本を発つ前に、最初にジャックを自閉症と診断した東京A神経内科からも診断書をもらっていたが、面接に基づいて作成された診断書の費用は一万円だった。アメリカの医療はとにかく金だ、と垣間見た最初の経験だった。

アメリカに到着して、診断書取得と同時に取りかかったことは、ジャックの学校探しだ。公立の特殊学級は、自閉症もダウン症も聴覚障害者も、すべて一緒にまとめてしまうのは、日本の特殊学級の状況に似ている。これだけ自閉症の子供が激増しているのだから、自閉症専門の学校を探した。最近出来た半数が自閉症、半数が普通の子供で、自閉症の子供は同じクラスで勉強しながら、普通の子供から学べるという、自閉症のための特別な学校の幼稚部を選んだ。当時、ジャックは三歳だったので、この学校で勉強しながら回復を目指し、小学校は普通学級へと、望んでいたのである。ジャックが現在も通う「オークストーン・アカデミー」は、当時開校してわずか一年、生徒数は二十数人で校舎すらなく、教会の一室を間借りしていた。十二年後、ビルは四棟に増え、幼稚部から高校、温水プール、体育館まで備えてある。生徒数は四百人を超える。「オークストーン」とは「樫の木」という意味だが、これは単純に、自分たち専用のビルを構えて開校した際の通りの名前が「オークストーン」だったからだ。この学校が目指すところは、幼稚園から高校まで教育し、高校を卒業した生徒を、さらに社会に結び付けることだ。企業と提携を結んで生徒の就職先を探し、在学中に製パンやケーキ作り、オーガニック・ファームで農業に従事させる企画もある。
診断書をもらった後、 フランクリン群(群とは日本の区のようなもの)BDDに連絡を取り、「自閉症の子供がいる家庭への援助リスト」に載せてもらった。この援助へ認可が降りると、ABAからスピーチ・セラピー、行動療法(OT)、学校の学費から、医療費用まで、請求書を役所へ回せる。私たちが援助金の支給を申請したのは群政府で、組織の名前は、Franklin County Board of Developmental Disabilities、通称BDD だ。以前は、Franklin County Board of Mentally Retarded Developmental Disabilities、通称MRDD が正式名称だったが、Mentally Retarded、 知的障害 という言葉は差別用語であり、余り望ましくないので、数年前に名称をBDDに変更した。個人に医療補助を支給するのも、学校や病院に資金提供するのも、福祉関係の予算の割り振りは、すべてBDDの役目だ。
申請後すぐに、フランクリン群のBDDから担当者(ケース・マネージャー)が、ジャックの担当に任命され、三ヶ月に一度、約一時間、私たちの家で話し合いをする。ジャックのセラピーの進捗状況をチェックし、本当にこの家庭に援助が必要かどうか、不正受給はないかも点検する。担当者は過去五人以上代わったが、二代目担当者の男性は、BDD を退職してすぐに「オークストーン・アカデミー」に就職し、経理担当になった。彼の姿は、今でもジャックの学校へ行くと頻繁に見かけるが、何やら数字の書いてある紙を手にして、いつも校長を追いかけ回している。これは推測だが、BDDを退職して病院や学校に就職した人々が、福祉予算を新しい就職先に引っ張る窓口になるところは、日本で癒着と呼ばれる現状に似ている。
日本でもアメリカでも、生まれた子が自閉症だと判明すると、遺伝を考慮して、第二子の妊娠を見合わせる人が多いという。うちの近所でも、長男ボブが五歳の時に高機能自閉症であると診断を受けた家は、母親が大金を払って中国へ飛び、中国の孤児院から次男のジョージを養子として迎えた。通常、中国からの養子は女の子がほとんどだが、その子は顔に軽いミツクチの障害があるので、生みの親に捨てられたらしい。ジョージはうちの下の子ルークと同い年、同じ小学校へ通ったが、とても優秀で、小学校を首席で卒業した。これは余談だが、ジョージは中国の孤児院で一緒に暮らした女の子と、アメリカで再会した。その女の子は、ジョージの家から通りを隔てた家へ、養女として引き取られていたからだ。二人は再会を喜んだが、互いに恋愛感情はなく、どちらもアメリカ人を追いかけているようだ。アメリカは中国語ブームで、ルークも中学校で第二外国語として中国語を取っているが、二人の中国からの養子にとって、中国は封じ込めたい過去であり、中国語にもまるで興味が無いそうだ。

アメリカに到着した時、弟のルークは生後わずか二ヶ月であった。自閉症は遺伝的要素があると言われている。Baby Siblings Research Consortium, BSRC (=乳幼児兄弟姉妹研究連合) は2011年に、兄弟姉妹の誰かが既に自閉症である三歳児のうち、21%が発達の遅れ、もしくは自閉症の症状を示していると発表した。彼らの研究発表は、The Journal of the American Academy of Child and Adolescent Psychiatry (= 子供及び青年期における精神医学アメリカン・アカデミー雑誌) に掲載されている。BSRC は、自閉症の子供の年少の弟や妹たちこそ、早期介入、早い時期の教育が必要であると勧めている。
約五人に一人の割合で、自閉症の子供の弟や妹 は、自閉症の診断をされるのである。一人でもショックなのに、二人、三人とは、無慈悲でむごい試練である。ジャックの学校でも、兄弟が二人共、時には三人全員が、自閉症であるという子供たちを数多く見て来た。ルークの発育は、他者とのコミュニケーションや言葉が、同年齢の子供と比べて遅れが目立ち、彼が一定の年齢に達するまで、私たちは心配でならなかった。彼も自閉症だったら、私はどうしたらいいんだろう?私の心に浮かんだのは、強く自己を否定する感情だった。自分の遺伝子を次の世代へ伝えることが、人間としての最も基本的な使命であるのなら、一人どころか二人もの障害者を生んだ自分は、間違いなく社会にマイナス要因を与えるのだ。湧き上がって来る不安感情を、抑えることが出来なかった。そのように思い悩みながら車を運転したので、危うく接触事故を起こすことが数度あった。
そんな時、ジャックを訪問していたフランクリン群のBDDから担当者が、救済の手を差し伸べてくれた。BDDには二歳から小学生まで数百人を受け入れる保育施設が備わっていて、低所得者層で親が保育園費用を払えない子供や、発達に障害のある子供たちの世話をしている。兄弟が自閉症で、自閉症が疑われる子供たちを無料で受け入れ、発達の手助けをしてくれるのだ。上記のBSRCは、自閉症の子供の年少の弟や妹たちこそ、早期介入、早い時期の教育が必要であると主張している。兄弟への早期介入を、地元オハイオ州で実践してくれていたのだ。自閉症本人の子供だけでなく、その親、兄弟たちまでもまとめて面倒を見ようという、アメリカ政府の懐の深さに、私は頭を垂れるしかなかった。
ルークはキンダーガーデン入学直前まで、BDDの保育園へ通った。キンダーガーデンは日本では幼稚園と訳されるが、小学校一年生のことだ。キンダーの後、小学校は一年から五年で終了する。六、七、八年が中学校になる。高校は九年からで十二年が最終学年だ。キンダーガーデンを含めた六年間を同じ建物に通い、同じ職員室で勤務する教師の下で勉強する。
私はBDDの保育園以上に、子供たちに温かい場所を他に知らない。アメリカの保育園や小学校は、積極的に親のボランティアによる手助けを求めるので、私はあらゆる遠足について行った。保育園側は、子供たちが新しい環境で何をするかわからないので、一人でも多く大人の監視が必要だ。そして親たちは、自分の子供がどのように扱われるか、つぶさに目撃することが出来るのだ。教育学部の学位を持った先生方の、子供たちへの世話は、何と大らかで温かかったことか。移動中、先生たちと会話を交わし仲良くなることも出来た。少人数学級で、先生一人に対して、生徒は五、六人。BDD 保育園には、食堂、医師が常勤する医務室、歯科が備わっている。BDD は政府機関なので、歯科医はオハイオ州立大学の歯学部から派遣されている。アメリカの歯科費用が高額で悪名高いのは周知のところだが、在学中は歯科医は無料、卒業後に歯科費用が飛躍的に跳ね上がる現実を考慮して、卒業生に限り、兄弟も一緒に一回三十ドルで歯科検診をしてくれる。ルークは卒業して八年経ったが、未だに半年に一度、歯科検診を促すハガキがジャックとルーク宛に届き、定期的に低額で歯科治療を受けている。ルークはそこで水泳も習った。ペットショップが、ニシキヘビや大トカゲを何匹も連れて来て、子供たちに触らせてくれる。廊下には幾つもの棚が設置してあり、子供たちは種から植物を育てる。児童心理学者が常勤している。ルークが四歳の時、心理学者と両親の面接があった。
「この子は自閉症ではありません。自閉症を示す兆候は何一つ見られません」
彼女が断言してくれた時、私の心に浮かんだのは、たった一つの感情だった。
「ああ、一人は大丈夫だった。これで、ジャックの治療に集中して、ジャックを治してやれる」

私たちはジャックが自閉症であるという診断書をもらうと、直ちにABA治療を自宅で開始する準備に取り掛かった。2001年当時、「ABAは、過去半世紀以上の広範囲に渡る研究の結果、自閉症及び広汎性発達障害の治療に当たり、最も効果的な介入であると証明されている」p89「Facing Autism」と、評価が定まっていた。ABAとはApplied Behavior Analysisの略称であり、自閉症治療に当たり、唯一効果的な行動矯正療法と言われていた。
ABAに対する高い評価を、2013年出版の本から見つけたので、以下に引用する。Essential First Steps for Parents of Children with Autism (自閉症の子供を持つ両親のきわめて重要な第一歩) 作者はLara Delmolino, Ph.D. Sandra L. Harris, Ph.D. Woodbine House 2013 共にラトガース大学教授で、ダグラス発達障害センターのディレクター、エグゼクティブ・ディレクターを務める。p22
「ABA は、三歳から五歳の自閉症スペクトラムであると診断された子供たちに、経験的に記録された、最も効果的な治療法である。経験的に記録されたとは、単なるまた聞きではなく、この治療法は効果があると、確実な方法で証明された実績があるという意味である」

ABAを取り上げるに当たり、「Facing Autism」という本を紹介したい。作者はLynn Hamilton。2000年に発行された。 「Facing Autism」とは、三歳で自閉症と診断された著者の長男ライアンが、主としてABAセラピー、食事療法、科学療法に取り組んだ結果、二年後には普通学級に問題なく通学出来るまで回復するが、その治療過程を詳しく記述した本である。この本は一時期「わが子を何とかして治したい」と、切望する親たちの注意を引き、闇の先に見えたサーチライトの仄かな光に手を伸ばすように、親たちは我先に買い求めた。私の場合は、本の評判を聴いた夫の叔母が購入し、家に発送してくれたし、ジャックが通う自閉症治療のための学校「オークストーン・アカデミー」でも、学校の駐車場に停車した車の中に置かれた、見慣れた本のカバーを、いく度か見かけた。
この本はいったい何部数売れたのか。ネットで探索したが販売部数は掴めず、出版元のWATERBROOK PRESS社 へメールで問い合わせたが、「発行部数は知的所有権である」と、回答はもらえなかった。著者のハミルトン氏は牧師夫人で、全編を通して「息子の回復は神のお陰」の主張が貫かれている。WATERBROOK PRESS社の出版物を見ると、キリスト教、聖書関係の書物が圧倒的に多い。「Facing Autism」の最近のアマゾンレビューを見ると、「この本はすべては神のお力だと、最初から最後まで一貫して神を賛美しているので、タイトルを「自閉症と我が神」に変更したらどうか」と、揶揄する口調の評を見つけた。

ハミルトン氏は「Facing Autism」の中で繰り返し、Catherine Maurice 著の「Let me hear your voice」を読むように勧めているが、これは「わが子よ、声を聞かせて」の題でNHK出版から千九百九十四年に発刊されている。日本語訳の作者名はキャサリン・モリス、訳者は山村宜子。モリス氏には二人の自閉症の娘がいたが、UCLAのローバス博士が考案したローバス・セラピー、 またの呼び名をABA 療法を積極的に施行、数年後に二人共普通学級に通うレベルまで回復した。
私は「わが子よ、声を聞かせて」の英語版も読んだが、「Facing Autism」の方が情報が新しく具体的で、実践的に有用であったと思う。ハミルトン氏は著作の中で「私の息子が劇的な回復を見せたのは、大部分がABAのお陰であると言える」と、述べ、長いページ数を使ってABAについて説明しているので、ABAとは何か、具体的に知りたい方にはこの本をお勧めする。
ハミルトン氏は「最も重要な点は子供が五歳になる前に、ABAを開始することだ」と主張する。ローバス博士は彼の研究で、四歳以下の子供の記録を選んで使用した。早期治療を遂行する第一の理由は、年齢を重ねる程、正常な子供との差は大きくなり、追いつくのが困難になるからだ。第二の理由は、子供が幼年であればある程、その子の脳は未発達であり、若い脳は矯正されながら発達することが可能だからだ。言い換えれば、二つのニューロンを繋ぐ幼い子どもの脳内シナプスは、未だ発達途上なのだ。繰り返しの、集中的早期介入は、脳内パターンをも変える可能性がある。成長を完成した脳は、矯正治療も難しい。
普通の子供は、目を覚ましている時間、ありとあらゆること、目に見えるすべてを、小鳥がくちばしで餌をついばむことを学ぶように、自然に学ぼうとする。自閉症の子供は自発的に学ぶことをしないので、誰かが側にいて、学習することを教えてやる必要がある。それがABAだ。 その時間は、短い時間では役に立たず、一週間に最低、35時間から40時間が必要である。「Facing Autism」p90
私はローバス博士と似たような意見を、日本の医師によって書かれた本にも発見した。「自閉症の関係障害臨床ーー母と子のあいだを治療する」著者の小林隆児氏は、東海大学教授で、東海大学医学部付属病院精神科児童外来に勤務する医師である。小林医師は、同書の序文でこう述べる。
「ここで私たちが自閉症治療論を論じる際の主たる対象を、当面乳幼児期の子供たちに限定しているのは、乳幼児期においては自閉的といわれる子どもでは治療介入により比較的容易に彼らの自閉性が改善していくことをこれまでの多くの臨床実践の蓄積から確かな手応えとして感じ取ってきたからです」
小林隆児医師は、同書の終章近くでこうも述べている。
「発達途上の子どもが治療によってもたされた現時点での結果は、「発達」途上のある表現型でしかないからです。「発達」はつねに一時たりとも停止することなく不断に変化し続けている営みです。したがって、ここで「治る」か「治らない」か、を論じるさいには、最も基本に据えなければならない観点は、発達の筋道として自閉症においてはどのような問題が中心になっているのかを取り上げることです。もし発達の筋道として問題となることが、治療介入によっって修正され、望ましい発達の筋道が展開され、自閉症の行動特徴が消退していけば、その時点で自閉症と診断する必然性と必要性はなくなるでしょう」
私は小林医師の言葉を、繰り返し、繰り返し読んだ。アメリカでも日本でも、心ある医師たちは知っている。幼い子供の脳は日々発達している、発達しながら矯正を続ければ、いつしか自閉症が消滅するんだ。子供が自閉症と診断されて打ちひしがれた親を、これ以上、元気付け、励ます言葉が他にあるだろうか?私とジムは迷うことなく、ABAによる早期介入に踏み切った。

「Facing Autism」 は2000年に出版されたので、ABAに関しては読むべき価値があるが、残念ながら情報の一部は古い。例えば、第ハ章「生物医学的介入」の章では、セクレティンというホルモンの注入が、自閉症治療法の歴史上最も重要な発見という、自閉症研究協会会長、バーナード・リムランド博士のコメントを引用している。「Facing Autism」は、「セクレティン注入後、ライアンの言語能力は飛躍的に上昇した」と述べ、8ページに渡ってセクレティンの効果を口説いている。現代では複数の大学医学部が「セクレティンに自閉症の治療効果は見られない」と、発表している。私がこの本を読んだ時点で、セクレティンは自閉症治療に有効ではないと一般的であったので、自分の息子には使わなかった。

ABAについて、実際の例を上げながら、もう少し詳しく話したいと思う。ABAとは、一対一でセラピスト(=治療士)が部屋の中で子供と向かい合って座り、きちんと座ること、真っ直ぐ姿勢を正して立つことから始まって、泣き止むこと、口を閉じること等、最も基本的な動作を教える行動療法である。通常、部屋に学校サイズの机が一台椅子が二台置かれる。 セラピストと子供は、机をはさんで向かい合って座る。机の上には絵本が置かれている。セラピストは子どもに告げる。
「本に触れなさい」
子どもは無視して在らぬ方向を向いている。セラピストはもう一度告げる。
「本に触れなさい」
子どもは反応しない。セラピストは五回「本に触れなさい」を繰り返した後、子どもの手を取り、手伝って本に触れさせる。触れた瞬間、
「良く出来ました!」
と、子どもは褒められる。子どもは治療士の助けを借りてだが、望ましい行動をしたので、「ごほうび」が与えられる。「ごほうび」とは、その子が喜ぶこと、飲み物、小さなお菓子、スナック、お気に入りの玩具などだ。私は子供の虫歯が心配だったので、ご褒美としてジャックにお菓子を使ったのはわずかの間で、もっぱらおもちゃやゲームやお絵描きタイムを使った。このパターンを繰り返して、最終的には口頭で指示されると、直ぐに本に手を触れるようになる。
机の脇には、一冊の分厚い、黒いビニールカバーのABA記録ファイルが置かれている。細かく見出しが付いたこのファイルに、一回、一回のセラピーの成功と失敗の結果が記録される。セラピストの出欠も記録される。各セラピストの携帯番号とメールアドレスも記してある。何回目の指示の後、ジャックが指示に従ったか。その際のご褒美が何だったかも書いてある。コンサルタントが指導を行う時はこのファイルを参照する。用紙の原本はコンサルタントが持って来る。我が家はコピーを取る。フランクリン群のBDDから担当者(ケース・マネージャー)が、三ヶ月に一度、私たちの家を訪れる際は、必ずこのファイルを点検する。
セラピーを 長時間続けると、治療士も子どもも疲労困憊してしまうので、一時間に十分程度の休憩を入れる。休憩時間はファイルに記録される。休憩中には、家の周辺の住宅街を歩いたり、近所の公園や小学校の庭で遊ばせることもある。
時にはトランポリンでジャンプさせる。トランポリンは身体のバランスを保ち、精神を安定させる効果があり、自閉症の子供の精神を安定させる効果があると聞いたので、トイザラスで安価な製品を屋内用に購入した。室内用トランポリンは壊れず、かなり長持ちしたが、子供が成長すると、サイズが小さ過ぎた。数年後に、引っ越しをする人から直径三メートルの器械を譲り受けて庭に設置した。庭に置いたトランポリンの良さは、大気の香りを自分の鼻でかぎ、風の気配を身体に感じること、ジャンプしながら鳥や虫の声を聞くことにある。飛び上がり、両脚を降ろすことによって、体の中の血液が降下して、心も鎮まるようだ。たとえ二十分でもトランポリンで飛び跳ねると、両脚はジョギングをした様に疲労するのもいい。日中は暑いので、夕方に飛ばせることが多いが、夕闇を帯びた風が頬に、両腕や両脚に心地良く触れる。
トランポリンは、とかく近所紛争の火種であり、自宅の庭にトランポリンがあると、家屋の火災保険の掛け金が高くなる。我が家の庭は、先代オーナーが飼い犬のために設置した柵で囲われているので、近所の子供たちがアクセス出来ないと査定され、保険金に影響はなかった。何故、庭に置かれたトランポリンで、保険の掛け金が上昇するのか?近所の子供が無断でトランポリンを使うと、怪我をする可能性が発生する。我が子が怪我をすると、親は訴える。トランポリンが怪我の直接原因だと見なされると、そこは「責任は他者に有り」の訴訟社会アメリカ、家主が責任を問われ、訴訟に敗北する可能性が予測されるのである。トランポリンから落ちて骨折したらどうなるか?怪我はなくても「慢性的な頭痛」の責任を問われたら?損害賠償をカバーする上限は高く、最低でも三千万円、一億、二億までカバーする保険も珍しくない。

ABAの話に戻そう。 どの街にも10人から30人の児童心理学の博士号を持つ博士が事務所を構えている。医者や大学教授として病院や大学に勤務しながら、子供を指導する人もいる。我が子が自閉症と診断された親たちは、治療を求めて駆け回るので、心理学者の需要は高く、飛び抜けていい稼ぎが期待出来る。博士号取得者の数は限られているので、児童心理学者は数年の実務経験があるコンサルタントを雇って、自分の代理として派遣する。コンサルタントがABAのプログラムを組み、子供一人に付き、三人から四人のセラピスト(=治療士)の指導を行う。 子供を中心に、コンサルタント、セラピストのグループを「チーム」と呼び、月に一度「チーム・ミーティング」を開き、常に全員が同じレベルを保つことを心がける。すべてのメンバーが全く同じことを教えるのが基本だ。数人が違ったやり方で行動を指導すると、子供を混乱させるからだ。
コンサルタントは、月に一、二回、セラピストの個別指導も行う。これは一時間から二時間、コンサルタントがセラピストの行動療法に同席し、実際のやり方を指導する。子供が命令を拒否した際の対処方法、パニックの際の鎮静の仕方等も、その都度、状況に応じて適切なアドバイスが与えられる。同じセラピストでも、何年も経験がある人と、初心者では作業のレベルに差が認められるからだ。
しかし、他のお母さんたちと話し合い、複数の意見をまとめると、経験豊富なセラピストは、「余り好ましくない」という結論が出た。また、どんなに性格が良い子よりも、単純に身体が強く健康な子が、何より役目を果たしていると、意見の一致を見た。病気をされて休まれるのが、結局は最も困るからだ。ある母親は、二年置きにコンサルタントを含めた「チーム総入れ替え」を、実践していた。総入れ替えをする理由は、
「母親に指図しないで欲しいから。長い人は、仕切りたがるので、やり難いから」
フランクリン群のBDDが資金を出すABA プログラムは、「Parent Directed=両親主導プログラム」と群が規定し、自閉症の子供の親たちが、チームの人事も含めすべての権限を持つと、定められている。自分の子供への援助なのだから、誰がボスかわからない、その結果生じるストレスを避けられるように、考案された。親たちには実に有難いプログラムである。
セラピストの仕事は、特別な技術はいらない、この上なく単純な作業だ。はっきり言って、英語力すら、それ程必要ではない。どんなに手軽な作業でも、週に四十時間の何分の一かを担当すると、必然的に勤務時間は長くなる。勤務時間が長くなりなると、時間に比例して態度がでかくなるのだ。中にはあちこちの家庭を転々として、手を抜くことだけが得意になった、「派遣くずれ」」に近いセラピストもいる。そんな使い込まれた「熟練者」に比べると、大学新入生たちの、何と素朴で素直なことか。彼らの「フレッシュ」な態度は、同じことの繰り返しで停滞したセラピーに、何度、新鮮な風を吹き込んだことか。ABAで何より大切なのは、常時、親が賢明な番犬シェパードのように、目を光らせている必要があるのだ。

私の体験から言えば、ジャックは常に、多くの人から関心を持たれること、人々の視線が自分に集中し、彼について考えてくれること、を好んだので、「チーム・ミーティング」や、コンサルタントの同席をとても喜んだ。ABAも、一対一で彼に向かい合って相手をしてもらえるので、嫌がって困ることはなかった。むしろ、彼はいつも、セラピストが来るのを待っていたように思う。自分専用のセラピストが我が家に現れると、「ここは僕が仕切りますから」とでも言うように、セラピストの手を取って二階のABAルームへ上がって行った。子供に四十時間のセラピーは可哀想、という声も聞いたが、専用のベビー・シッターが付きっきりで面倒をみて、絶えず話しかけてくれるので、親としては感謝の気持ちでいっぱいだった。私一人では、とてもあのように行き届いた世話はできなかったと思う。
平日は学校へ行くので、ABAが行われるのは夕方四時から八時だ。六時から七時は夕食を取る。セラピストは自分の夕食を持参している。土曜、日曜日は朝十時から午後三時で一人、三時から夜八時がもう一人のセラピストが担当する。
ジャックの通う学校「オークストーン・アカデミー」のクラスメイトの母親で、アメリカ人弁護士の奥さんは、
「アタシにも、プライベート・ライフがあるのよ。週に40時間も、他人が家の中にいるなんて、アタシは絶対に耐えられないわ」
と宣言して、ジャックと同じ年の自分の息子には、ABAをやらなかった。この女性は「オークストーン・アカデミー」で開かれた初めての父兄会で、
「うちの上の子は二人共、夫同様、天才児(=ギフテッド)と呼ばれる程、勉強が出来るのに、末の子が自閉症なんて、全く困ってしまうわ。アタシの社交生活は、これからどうなるのでしょう」
と、発言してひんしゅくを買った。同席していた中年男性は、
「俺は中西部生まれの田舎モンだからさ、自分の社交生活なんて、生まれてから一度も考えたこともないね。ましてや自閉症の息子を、これから育てていかなくちゃならないんだぜ」
と、吐き捨てるように言ったものだ。
「私や下の子にも生活がありますからねえ」
と言った、別のクラスメイトの母親もいた。それでも、私と夫は、ジャックがこれから自閉症と闘わなくてはならない危機に直面して、彼を治してあげようとしか、考えられなかった。自分の生活など、本当に、どうでもよかったのだ。

常に他人の気配がする家は、確かに気の休まる時がないが、それでも、誰かが、少しの間も傍を離れず付き添ってジャックの世話をしてくれることは、感謝に耐えなかった。こちらにコネも何もない私たちは、生計のため、既に日本人を対象に不動産屋の仕事を始めていたし、私は食料品の買い出しにも行けた。但し、一日の途中でセラピストが入れ替わる時は、家族の誰かが同席する必要があった。交通渋滞などで後から来る人が遅れる場合、前の人がジャックを一人置いて、帰れなくなってしまうからだ。そして、学生たちは頻繁に約束時間に遅れ、病気で休み、渋滞に巻き込まれ、交通事故による道路遮断で迂回し、夏や冬に長期休暇を取ることも多かった。リン・ハミルトンも息子の治療について彼女の著作の中で述べている。
「イエス、家族全体に、ストレスだった。私たちのライフスタイルは変化した」p100
長時間、他人が家の中にいる生活で、一番困ったのは夫婦の性生活である。ABAのために専用の一室を用意し、セラピーは主としてそこで行われたが、学生もジャックも、トイレに行く、水を飲む、スナックを食べる、散歩に行く、トレッドミル(=ランニングマシーン)で走る…私たち夫婦に、プライバシーなんて、皆無だった。元々、私と夫は朝や昼間にセックスをすることが多かった。ずっと自営業で、夜型の彼と朝方の私は、生活体系が全く合わないのだ。彼が寝る前に求められると、私はその後、眠れなくなってしまう。しかし、いかなる理由があろうと、私は絶対に、他人が動き回る家の中でセックスをするのは嫌だった。寝室に固く鍵をかけても、嫌なものは嫌だ。そこで一考、セラピストのスケジュールを常にチェックして、誰かが朝十時に現れるとすると、慌ただしく九時半に愛し合うのである。夫曰く。
「アメリカ人の夫婦は、セックスをするんだぜ。日本人の中年層がセックスレスなのは、風俗があんなに繁盛してるからに決まってるだろ」
夫の友人は豪語する。
「僕が望んだ時に、妻がベッドに横たわらないと、妻にはすぐにも家から出て行ってもらうよ」
ジャックも今年で十六歳。ABAを始めて十三年も経つと、私たちもすっかり慣れてリラックスし、ABA室のドアが閉まり、しばらく誰も出て来そうもないと確認すると、息を殺して愛し合うことも時々ある。
アメリカ人の夫婦は中年になってもセックスをする。日本とは違うのだ。コーネル大学医学部教授であるDr. Harry Fisch は、アメリカ人の五十一%のカップルは一週間に一からニ回のセックスをし、六%は毎日行うと、Dr. OZ ショー、Today ショー、及び彼の著作で発表した。彼によると、三十台の夫婦は週二回、五十代から六十代の夫婦でも最低週一回はセックスを交わすそうだ。
ジャックのセラピストを五年間勤めたアイミちゃんは、アメリカ生まれ、アメリカ育ちの日本人二世。外見は日本人だが、日系アメリカ人と呼んだ方がふさわしいだろう。アイミちゃんの母親は英語を話すが、友人の大多数は日本人だ。ある日、アイミちゃんが、勢い込んで私に報告に来た。
「母の親友の日本人の奥さんに聞いたんですけど…」
その奥さんは五十代前半、高校生の女の子がいる。夫は永住権を持つ日本人だ。
「男と女が一緒に暮らすにあたって、一番大切なのは食べ物ですって!」
私は眉を上げて答えた。
「ふううん、日本人はそういうことを言う人が多いけれど、私は違うと思うなあ」
アイミちゃんは、私が言下に退けることが腑に落ちないようだ。
「えーっ、食べ物じゃなかったら何でしょうか?もっと、何か、目に見えない、精神的なこととかですか?」
「そうね。多分、精神的なことでしょうね」
私は、大した問題じゃないのよ、とでも言うように、大人の余裕の微笑を浮かべ、素っ気なく話しを終えたが、胸の内で絶叫していた。
「違うんだって。食べ物は、ファーストフードでも、ドライブスルーでも、誰でも容易に買えるじゃない。この街のどこに売春宿があるの?売春組織があるのかないのか、存在すら誰も知らない。アメリカには、日本みたいに誰でも入れるソープランドも、風俗営業もないんだよ。だから、男と女の間で一番大切なのは、エス・イー・エックスなんだよう!」
うちの夫にこの話をしたら、
「ふうむ、いかにもセックスレスの日本人主婦が言いそうな意見だ。夫婦間に大切なのが食べ物だってさ、ハ、ハ、ハ」
夫は一人でいつまでも笑っていた。
その後も私はー事あるごとに、アメリカ人男性に「夫婦もしくはカップルが一緒に暮らすにあたって、一番大切なのは食べ物ですか?日本ではそうなんですが」の質問をしているが、全員がニヤニヤと笑いながら「フード?僕はそうじゃないなあ。日本とアメリカはずいぶん違うんだねえ」と、明確でない回答を得ている。

私たちは、一時期、ジャックのABA部屋にビデオカメラを設置していた。ジャックは幼くて、自分の言葉で話すことは出来ないので、学生による幼児虐待の可能性を恐れたのだ。虐待等、悪質なケースはなかった。オハイオ州の田舎の学生は、農家の庭で遊ぶくちばしが黄色で羽が白いアヒルのように、善良で、垢抜けてなく、生真面目に働く。皆、アルバイトを二つも三つも掛け持ちして、学費や生活費を稼いでいる。卒業後は学費返済のため、就職してもバイトを継続する。陰湿なイジメはなかったが、ビデオは多くの新たな発見をしてくれた。若いのに更年期のように肥えた女子生徒は、スナック菓子の大袋を持参して、セラピーの間中、むさぼり食っていた。うちはキッチン以外の場所では食べさせない習慣なのに、スナックの粉が部屋中に飛び散り、不衛生だった。ジャックが袋菓子を欲しがると、ご褒美として、親の許可もなく与えていたのだ。そのうちに、ジャックは特別ダイエットを開始したので、それをきっかけにやめてもらった。二十歳の男子学生は、セラピーをしないで、椅子に座って寝ていた。ジャックも彼と一緒に居眠りをしている。注意をすると、
「自閉症の何もしゃべらない子と、向き合っているのは苦痛だから」
と、言い訳した。それが仕事だろうが。
ABAプログラムで、実際の働きをするのはセラピストだ。セラピストを探して雇うのは、両親の役目だ。セラピスト(=治療士)はどこで見つけるのか?私たちは近所の大学へ行き、教育学部、心理学部の学生掲示板に張り紙をして、セラピストの募集をした。A4サイズの紙にジャックの写真、彼の年齢、ABAのセラピストを探していると説明し、連絡先を入れた。連絡先は紙の下に切り込みを入れて、手で千切れるように工夫した。時給は十ドル支払った。十ドルは手渡しだったので、所得税がかからず、二千一年当時では悪い時給ではなかった。後に十二ドルに引き上げたが、政府から資金が出るようになってからは、税引き前で十五ドル六十セントが支払われた。
オハイオ州には約二百七十万人の子供が居住 している。百人に一人が自閉症だとすると、オハイオ州だけでざっと見積もって二万七千人の自閉症患者がいる計算になる。現在の治療する側の人員は絶対的に足りないのだ。私たちが住んでいる住宅街は、百八十軒の家が集まって一区画を構築しているが、少なくともこのうち四軒の家に自閉症の子供がいると、うちを担当するBDDのケース・マネージャーが、教えてくれた。
セラピストを指導する、コンサルタント探しは難しい。子供を想うコンサルタントを見つけ、一定期間確保することは困難を極め、親は隠忍自重するしかなかった。児童心理学者の絶対的不足にも関わらず、治療が必要な子供の数は激増している。学者は収入源を失いたくないので、一人でも多くの子供を抱え込もうとする。自分本人は数年に一度、家庭を訪問して子供の顔を見ることすらしないのが現状でも、政府から年間数万ドルの医療補助を受ける子供は、彼らの収入源になるのだから。心理学者からの最初の質問はいつも同じだ。
「お子さんの年間受給額はお幾らですか?」
金額は直ちに予算として 頭に入り、全額を自分の事務所で使い切ろうと試みる。
政府からの援助を勝ち取った子供の数を、一人でも多くさばくために、夏の海岸で綿アメやアイスキャンディを買うように容易な方法は、経験のないコンサルタントを雇って子供に振り当て、扱う件数をこなすことだ。結果は、程度の低いコンサルタントが急増することになる。
ある年のジャックの担当心理学者は、訪問直前の電話で約束をキャンセルした。代理を送るから問題はないと言い訳した。博士の代理としてやって来たうら若い女性は、うちへ現れるなり、無責任に放言した。
「アタシはドクター・モリソンの下で、学生時代三年間、セラピストをしていたの。二年前に卒業したから、彼女とはずっと会ってなかったわ。昨日の夜、突然、ドクター・モリソンから電話をもらって、今度から昇格させるから、コンサルタントをやってくれって頼まれたの。アタシは経験もないし、何をしていいか全くわからないけど、今日からコンサルタントだから、よろしくね」
私たちは呆れ果て、担当博士を変更する手続きを取った。

このアメリカ式自閉症の治療方式は、小さなピラミッドを思い浮かべてもらうと理解し易い。頂点に博士号を持った児童心理学者の小グループがいる。二段目がコンサルタントのグループだ。コンサルタントの資格は曖昧で不明瞭だ。経験、もしくは頂点の博士グループからの口利きが功を奏す。最下層がセラピストだ。セラピストは学生、主婦が多く、自閉症の子供やその家族と毎日のように接触がある。家族と衝突を起こす確率が高く、結果として頻繁に馘首される。入れ替わりが激しく不安定なのだ。
賃金形態を観察すると、当然ながら支払われる金銭額は、上へ行く程高くなる。二段目がシステムから引き出した資金は、大部分を一段目が搾取する。通常、博士の事務所が「指導、アドバイス料」として役所へ請求書を送り、コンサルタントは働いた分の時間賃金を、事務所から支払われる。「年間指導料額」は、役所の予算が決定する。結果として、予算内ならばコンサルタントが家庭訪問をした回数以上の「指導料」が、博士の事務所へ支払われても大目に見られる。働いてない時間も、報告書作成や、書類調査の名目で出来高賃金に含まれるのだ。大甘な出来高賃金制度も、度が過ぎると足元を掬われる。ある年の「年間指導料時間」は、一家庭当たり「半年で九十時間」が設定さていた。ところが、どうも九十時間も働いていないようだ。そこで、各家庭へ調査が回った。
「本当に、半年で九十時間とは、毎月十五時間、コンサルタントは各家庭に指導に来ているのか?」
来ていない。チームミーティングは、せいぜい二ヶ月か三ヶ月に一回で、一回当たり三時間、コンサルタントによる個別指導も、二ヶ月か三ヶ月に一回。調査を受けたすべての家庭が、十五時間のコンサルタントは受けていないと証言した。さすがに残りの時間がすべて報告書作成とは、事務所も説明がつかず、九十時間は減額された。
ピラミッドの最下層の淵に、ジャラジャラと付着しているのが、治療サービスを受ける子供と家族だ。例外として、政府から何の援助も貰っていない子供達は、ピラミッドに貼りつくことも叶わないし、自腹ゆえ資金力も限定される。彼らはピラミッドの周辺を、誘蛾灯に引き寄せられる昆虫のように飛び回っている。時々自己資金を投入し、治療ピラミッドから恩恵を吸い出す。
政府から医療補助を受け取るには、並外れた量の書類審査を受け、お金が降りるま最低でも一年は待たなくてはならない。私たちは一年半待った。お金が出るまで治療開始を待ってはいられない。自閉症には早期治療が有効で、特にABAは一刻を争うのだから。アメリカへ到着して一ヶ月後にABAを開始したが、最初の一年半は自腹を切った。「オークストーン・アカデミー」は私立だったので、学費は月に九百三十ドル。ABAに毎月二千ドル、円環算で合計月約三十万円として年間三百六十万円、一年半で約五百五十万円を使った。預金残高はゼロに近くなり、来月から請求書がすべて役所へ回ると聞いた日の安堵は忘れられない。私の息子は一年に三万四千ドルの援助を受け取っている。これは家族に直接支払われるのではない。家族の予備収入になっては望ましくないからだ。自閉症の治療にかかった費用の請求書が役所へ回るのである。その上限が三万四千ドルなのだ。

ABAという治療法を実行するにあたり、望ましくない行動の矯正とはどうするのだろうか?同じような命令が、再び与えられる。
「本に触れなさい」
子供は癇癪を起こし、本を机からはたき落とす。何度でも、何時でも。セラピスト は、
「本に触れなさい」
を穏やかな声で繰り返し、丁寧な動作で本を拾い上げ、子供の手を本に載せてやる。子子供の手が本に留まった瞬間、
「良く出来ました!」
の賞賛と、ご褒美。これの繰り返しだ。子供が癇癪を起こすこともある。セラピストを打ったり、引っ掻いたりすることもある。パニックを起こすこともある。
ABAは週に何時間行う必要があるのだろうか?一般的に言われているのが、「最低四十時間」という数字だ。ローバス博士が、1987年にUCLA 心理学部で発表した研究結果がある。ローバス博士は自閉症スペクトラムにある子供たちを、三つのグループに分けた。三つのグループの子供は、一人一人の年齢、言葉、遊び方、友達との接し方、自助努力、自己啓発のあらゆる面において、極めて近いレベルにした。この実験にあたり、第一グループの十九人は、平均して一週間に40時間のABA行動療法を受けた。第二グループの19人の子供は、一週間に十時間もしくは10時間未満の行動療法を受けた。第三グループの二十一人は、一切の治療を受けなかった。
第一グループの十九人には劇的な変化が見出された。集中的行動療法後、十九人のうち九人は普通学級で学べる知能が認められ、知能指数(=IQ)は平均以上と診断された。このグループの知能指数は、驚くべきことに平均三十七点上昇した。彼ら九人は、それぞれが通学する学校で「普通の子供とまるで見分けがつかない」と、評価された。このグループ十九人のうち、残りの八人は、ある程度の発達上の遅れが見られ、言葉の遅れを補うクラスを推薦された。言い換えれば、彼ら八人は失語症と呼ばれる言葉だけに限定された遅れを指摘された。十九人のうち残る二人だけが、治療前と同じく、依然として著しい知能の遅れが認められ、知的障害及び自閉症のための特殊学級へ通うことを勧められた。
次に、第一グループと同じようにABA行動療法を受け、但し時間は四十時間でなく、十時間以下という短い治療を受けたグループの十九人の子供には、どんな結果が現れただろうか?第二グループでは、一人の子供も普通学級で学ぶレベルまでは、回復しなかった。第二グループ十九人のうち、八人が知能の遅れではなく、単なる失語症というレベルまで症状が良くなった。残る十一人は変わらず、知的障害または自閉症と診断された。
第三の全く治療を受けなかったグループでは、どうだったか?たった一人が回復し、十人が失語症、残る十人は自閉症もしくは知的障害のままだった。明らかに、ABA行動療法を限定された短い時間だけ受けた子供たちは、一定の長時間(週に三十五時間から四十時間)を受けた子供たちのような結果を出せなかった。「Facing Autism」p90
ローバス博士は、最初の研究発表から五年後の千九百九十三年、回復を見せた九人の子供たちの「その後」を、発表した。一人の子供は、小学校一年生では普通学級に通っていたが、後に特殊学級に移動した。しかし、小学校一年生では特殊学級に置かれた子供は、後に普通学級に移っていた。結果として、第一グループ十九人のうち、千九百八十七年当時と同人数の九人が、自閉症の診断を失い、社会で普通に機能している。彼らは学校で、行動と知性の双方において、普通の子供とまるで見分けがつかないと、判断された。
ローバス博士の1993年の研究発表よると、早期介入を実行し、良く訓練を受けたABAセラピストが取り組み、一貫した治療を充分な時間を費やして(これは彼の主張する一週間に35時間から40時間を意味する) 施しても、全員ではなく、半分より少し下の割合で、子供たちは正常と呼べるレベルまで回復を示した。これが、アメリカで有名になった「ABAの成功率は48%、自閉症の48%は治る」伝説の原点であろう。私は何回、このささやきを聞いたことだろう。「早期介入すれば、48%の自閉症の子供は回復する」
しかし、うちの息子の通う自閉症治療のための学校でも、スピーチセラピーに通った介護機関でも、スペシャル・オリンピックでも、私は数百人、もしくは千人以上の自閉症の子供たちを見てきたが、成功した48 %など、目にしたことはなかった。十年間、息子が処方箋をもらっていた担当小児精神科医のドクターDは、
「私は完全に回復した子供を、一人だけ見たことがある」
と、面接中に証言したが、彼は一体、精神科医として七十歳で引退するまでに、何千人、何万人の子供たちを診察したのだろうか?
Yahooで、Autism Spectrum Disordersのホームページへ行くと、以前としてローバス博士の1987 年と1993
年の研究成果を引用し、ABA による自閉症からの回復率は、四十から五十%と、断言している。そこで、私はジャックを担当する、ABAコンサルタントに質問した。
「四十八%は誇張でしょう?私の周囲は皆、ABAをやってるけれど、回復した人なんて見たこともない」
彼は、これはあくまで私見だが、と前置きしてから、慎重に言葉を選んで話した。
「成功率は一割だ。十%の子供が、自閉症の診断を失う」
診断を失う(=lose diagnosis) とは、一時この子を自閉症と認めた診断は間違いだった、この子におかしいところはどこにもない、という親たちの夢、を表現する言葉だ。四十八%でも、十%でも、治療を始める前に、自分の子供が成功例の中に含まれることを、願わない親が存在するだろうか?

 

 

二章 言葉を紡ぐカード

ローバス博士は、ABA集中的行動療法の八十%の目的は、幼い子供が意味のある言葉を発達させることだ、と表明している。極めて単純な動作から入り、徐々に言葉を話すことに繋いで行くに当たって、私たちは「言葉のカード」を使用した。このカードは、「Language Builder Picture Cards」 という名で知られ、1995年に発売されてから、話したくない子供から言葉を引き出し、特に小学校入学前の自閉症やダウン症の、特殊学級に通う子供に言葉を教える際に有効だ、という評価が定まっている。たかがカードとは思えない定価150 ドル、ネットで買うといくらか安いが、それでも結構な値段で売られている。「言葉のカード」とは、350枚の写真カードで、動物、食べ物、乗り物、洋服、家具、オモチャ、日常品、形、色の項目に分かれ、すべて名詞である。写真は非常に鮮明で、物体の特徴を明白に表現している。長く使えるように一枚、一枚がニス塗りで加工してある。
残念ながらこのカードは、買い与えるだけではほとんど役に立たず、ABAセラピストが机上に置き、様々な使い方をしなくてはならない。人手が必要なのだ。第一段階は、受身的な使い方だ。数枚のカードを机の上に置く。
「リンゴを見せて」
「本をください」
子供が正しいカードを渡すと、ご褒美がもらえる。こうやって子供は物の名前を覚える。第二段階は、自分の言葉で、表現することだ。セラピストは一枚のカードを机の上に置く。
「これは何ですか?」
「リンゴ」
このように質問して応答させる、というパターンを踏む。子供は第一段階で認識し記憶した名前を、音声を発して表明することが出来るようになる。
もう少し進むと、グループ分けという作業も出来る。これはやや難易度が高い。例えば、食べ物のカードと、オモチャのカードを数枚ずつ混ぜて
「食べ物を選びなさい」または「食べ物のグループを作りなさい」
と、命令する。食べ物だけを選び出すと、ご褒美がもらえる。 グループの中に食べ物が二枚、一枚は縫いぐるみの熊のカードが混じっていると、
「これは何ですか?」
という質問が繰り返される。
ジャックは3歳2ヶ月の秋からカードを使い始め、半年も経たずに、350枚すべての名称を覚えた。自閉症の子供はパズルや、カードを覚えることが得意だ。ジャックは特に「形」のカードは大好きだった。余りに「形」を喜ぶので、ある時期、私は幼稚園のお弁当のハムやチーズのサンドイッチをすべてクッキー型を使って、星形やハート形に繰り抜いていた。ジャックも幼い頃は偏食だったが、クッキー型で繰り抜いたものは、野菜を挟んでも気づかず喜んで食べた。6歳を過ぎる頃から何でも食べるようになったので、私は型抜きの手間から解放された。
アマゾンのレビューを見ると「Language Builder Picture Cards」に、13人のうち10人が5つ星、2人が4つ星、1人が3つ星を与えている。5つ星を与えた1人は、「効果は5つ星だけど、値段は星2つ、高価過ぎる」という評価だ。レビューを与えた人は全員が、ABAのセラピーの実行と並行してカードを活用していた。言語形成、別の言い方をすれば、子供の口から言語を引き出そうと試みる際に、カードは効果的に使用された。ABAに必須のカード、と評価を書いている人が多かった。そのうちの一人は、自分はABAのコンサルタントで、カードは自分がABA 行動療法を施行するにあたり必須であり、過去20セット以上を、指導に行った家庭に推薦し、彼らに購入させて活用した、とある。余りに手放しでカードを礼賛するので、カード会社からの回し者か?という印象を私は受けた。

ジャックはカードの名称をすべて覚えてから1年後、写真を見ながら、
「僕はピザが食べたい」
と、文章を話すようになった。ジャックが4歳を過ぎた秋のある日、ABA を始めて1年と少し経った頃、彼は、いつものようにキッチンに立っている私の側に来ると、私の右手を引っ張って冷蔵庫の前まで連れて行った。
「ママ、僕はアイスクリームが欲しい」
彼が、天から言葉の精が降りたように、一語、一語、明確に、自分の欲求を話した瞬間の感激は、今日も忘れない。ABAが奇跡を起こした。ジャックは完全に回復して普通学級へ進学出来る、夫も私もそのように信じたのだから。きちんと座ること、真っ直ぐ姿勢を正して立つこと、パニックを起こさない等の、基本的な一般動作を教えるABA 行動療法を、言葉を話す訓練へと繋ぐ役割を果たしたのは「言葉のカード」であったと、私は今も確信している。
ジャックの言葉はそこで停滞した。カードを使って「xx が欲しい」を言うことは、出来るようになったが、そこから先へは、遅々として進まずだった。カード治療の最終章は、「カードの写真を見ながら物語を作る」だったが、「xx が欲しい」以外の文章を全く使わないので、物語の作成など、叶わぬ話だった。「xx が欲しい」と言うのも稀で、彼は相変わらず無言だった。あるコンサルタントは、カードを指先でもてあそびながら嘆息した。
「ジャック君は、何百種類ものカードをすべて暗記して、写真を出すと即座に、こんなに正確に名前が言えるのに、どうして文章は出て来ないのかしらねえ。単語と文章の間には、私たちの目見えない、深い谷間があるのかしら」
私も彼女に同意して、言葉の世界を思い浮かべてみる。単語と文章の間に、垂直に近い角度にそびえた狭い渓谷があり、鳥も降りない、植物も生えない、切り立った岩壁の間を、氾濫する河川がどうどうと流れている。
ジャックはそのうち、カードにもすっかり飽きてしまった。元々このカードの対象年齢は、小学校入学以前の子供と説明書きにもあり、年齢を重ねる毎に使用頻度も減った。やがては部屋の隅に押しやられ、引っ越しの際にどこかに紛れてしまった。

ABAを開始して1年後、「xx が欲しい」と、短い文章を話したのが、彼が四歳になって2が月の秋。4歳から五歳にかけてが、親たちが、ジャックの回復に一番望みを持った頃だろうか?長い文章を話すことはなかったが、自分についての短い、基本的ながら不可欠の説明、「僕の名前はジャックです」「僕は5歳です」と、言うようになった。残念ながらその時点で、ジャックはそれ以上の言葉を話さなかった。相変わらず、週に40時間のABAは続けていたし、週に一度、専門家によるスピバス博士の研究発表では、ABAを2年やれば、完全に回復し、普通の子と全く区別がつかなくなっているはずだった。ジャックは誰から見ても、はっきりと自閉症とわかる特徴を残していた。3年が過ぎる頃には、ABAも週に20時間から30時間に減っていた。人材は常に入れ代わった。セラピストを確保することは簡単ではなかったし、いいな、と思った学生も、卒業と共に去って行った。私と夫は話し合い、ジャックを無理して普通学級ではなく、現在行っている「オークストーン・アカデミー」 を継続させようと、決めた。私と夫は囁きあった。 結局、ABA とは、勿体ぶったベビーシッターだったんじゃないだろうか?

 

 

三章 スペシャル・ダイエット

自閉症を治療するにあたって、食事療法、特に「グルテンとケイシンを避ける」特別ダイエットについて、体験を混じえてお話ししたい。日本でも最近は話題に昇るグルテン・フリー、ケイシン・フリー・ダイエットとは、グルテンと呼ばれるタンパク質(主として小麦、大麦、オートまたはカラス麦、ライ麦、その他数種類に含まれる)を、避けるダイエットである。ケイシンは主として、乳製品、牛乳やチーズに含まれ、日本語ではカゼインと訳されることもある。何故このダイエットが適用されたかというと、自閉症の人は、グルテンやケイシンを消化するのが困難だというデータがあるからだ。グルテンもケイシンも、消化不良を起こす、ある種のアミノ酸混合物を含んでいる。この種のアミノ酸はペプチドと呼ばれる。問題は、このペプチドが腸内を出て、血流に入ることである。「漏れやすい消化器官=leaky gut」という言葉は、腸の壁が腸内に留まるべきペプチドを血液に流してしまう状態を現すために用いられる。自閉症の子供の四十三%が、この「漏れやすい消化器官」を持つと、Dr. P.D’Eufemia は発表した。
グルテンやケイシンを食べた後、腸内から漏れたペプチドが、「opioid receptors=アヘン 受容体」と呼ばれる、脳内のある特定の位置で、反応を起こす。アヘン受容体と呼ばれる理由は、脳のこの部分で、モルヒネ等のアヘン物質が作用するからである。脳内のアヘン受容体で作用する脳内ケミカルは、endorphins=エンドルフィンズ と呼ばれる。 Dr. Karl Reichelt 及び Paul Shattock によると、ペプチドが腸内を出て、血液によって脳に運ばれると、ヘロインやモルヒネのような作用効果を引き起こす。Dr. William Shaw によると、このアヘン受容体は、人体の行動、 認識能力、感情、痛みを感じる境界点、騒音への過敏さ、にまで、甚だしく影響する。このペプチドは、聞くことと話すことを統合する脳の側頭葉にまで影響を与えるのだ。
自閉症の子供が「漏れやすい消化器官」を持つとは、乳製品や小麦粉からのタンパク質、つまりグルテンやカゼインが、腸内の壁を通じて血液に吸収されることだ。このペプチドが血流に入ると、身体の免疫システムが動き出す。その人にアレルギー反応があると、一分以内、どんなに遅くても二時間以内に、吐き気、下痢、皮膚の炎症、頭痛、鼻水等の症状が現れる。
自閉症の子供は食べ物に敏感で、食物アレルギー反応を示すことが多い。グルテンとケイシングループの食べ物は、アレルギー反応を最も引き起こし易い、二大食品群であり、さらにアヘン作用を起こすのはこの二つだけだ。食べ物アレルギーの専門家であるDr. James Bralyは、腸内は第二の脳と呼ぶべき重大な器官である、と述べる。腸は脳内に影響を与えるだけでなく、両者は相互作用するのである。
「Facing Autism」で自閉症から回復したライアンに、母のリン・ハミルトン氏は、食物アレルギーのテストを受けさせた。最初のテストはELISA(=Enzyme Linked Immunosorbent Assay) テスト。和訳は、エライザ診断、または酵素免疫溶解含有量分析検査になる。このテストの結果、ライアンには実に十五種類の食物に過敏反応を示した。この中には、小麦、大麦、ライ麦、オートまたはカラス麦、チーズ、牛乳が含まれる。母のハミルトン氏は、これらの食べ物を、ライアンの食事から除外することに決めた。
エライザ検査から間もなく、ライアンはペプチドの量を知るための尿検査、グルテンとケイシンに対する抗体レベルを調べる血液検査をした。予測したように、ライアンのグルテンとケイシンへの抗体レベルは驚くべき程高かった。通常の抗体レベルが、ゼロから百であるに対し、ライアンの数値はグルテンに対して3710、ケイシンに対して3371と出た。テストの結果は、ライアンの、グルテンとケイシンに対する免疫抗体が高いと証明された。この時点でライアンの両親は、直ちに息子がスペシャル・ダイエットを始めることを希望したが、彼の主治医は、その前にセルリアック病の検査を勧めた。グルテン・ケイシン抜きの食事療法を一旦始めた後では、セルリアック病の検査が困難になるからだ。
セリアック病とは、小麦、大麦、ライ麦などに含まれるタンパク質の一種であるグルテンに対する免疫反応が引き金になって起こる自己免疫疾患である。小腸内の上皮細胞には絨毛、微絨毛と呼ばれる小突起があり栄養吸収をする。セリアック病患者がグルテンを摂取すると、ヒトの消化酵素では分解出来ないグルテン分子の一部がペプチド鎖のまま取り込まれ、これに対する免疫反応がきっかけになり、自己の免疫系が小腸の上皮を組織攻撃して、炎症を起こし栄養吸収が出来なくなり、食事の量に関わらず栄養失調に陥る。
ライアンはセリアック病の疑いはなかったので、ハミルトン氏はグルテン・フリー、ケイシン・フリーダイエットに踏み切った。私たちはジャックにも、食物アレルギーの尿検査、血液検査を受けさせたが、特にアレルギーは見られなかった。しかしハミルトン氏は著書の中で言っている。食物アレルギーテストは完璧ではない。テスト結果が陰性でも、その食物が安全とは限らないのだ。p121 自閉症の子供にいいとされる、数多くのスペシャル・ダイエットがある。しかし、グルテン・フリー、ケイシン・フリーダイエットが最も知られており、主流であろう。はっきり言うと、これ以外の食事療法は聞いたことがなかった。グルテン・フリーから始めてみると良いだろう、と私は判断した。
そこで私たちも、ジャックにこのダイエットを始めることにした。私たちは、いいと言われることは何でも、ジャックに試したかったのだ。日本人の私にとって、このダイエットはそれ程難しくなかった。和食中心に、ご飯を食べさせればいいのだから。グルテン・フリー、ケイシン・フリーダイエットはアメリカでは一般的で、自然食品の店に行けば、必ず大きなコーナーがあったし、スーパーにも専用の棚があった。値段も少し高い程度だった。
このダイエットで注目すべき特徴は、オーガニック(=有機栽培)の食品を推薦している点だ。Dr. Sidney Baker は次のように語っている。p130
「あなたが他に考えるべきことがたくさんある場合、フレンチ・フライ、ベーグル、チョコレート・ミルク、プレッツェル、トウインキー、ダイエット・コーラしか食べない、子供の頑固な食生活を変えようとは、思いませんか?そして、一度この壁を乗り越えると、子供の睡眠、行動、注意力、「感受性」に目覚ましい変化が見られ、思い切って食生活を変えた努力が報われるのです」
グルテン・フリー、ケイシン・フリー・ダイエットの側面には、ファスト・フードと冷凍食品に頼り過ぎる、アメリカ人の崩壊に近い食卓を、もっと健康的に、化学調味料を使わない昔に戻った内容に、改善しようという意図が読める。「これは、きっと、いいわ」ファストフードを嫌い、健康食品が好きな私は、早速乗って見ることにした。主食のパンに関しては選択肢が多々あった。ライス、タピオカ、ジャガイモ、コーン、大豆で作られたパンを、容易に見つけて、購入することが出来た。ジャックは嫌がらずに食べた。これら雑穀素材のパンは、小麦粉のパンより一割から二割高値で、ツナギとなるグルテンが入っていないせいか、ボロボロと食べる傍から崩れて床にこぼれ落ち、掃除が大変だった。
果物、野菜、肉、魚、卵はすべて、グルテンとケイシンを含まず、エクストラバージンオイルを振りかけ、フライパンやオーブンで香ばしく焼けば美味しく食べられる。豆やナッツ類も食べられるが、冷凍食品のチキンナゲットやフィッシュ・スティックは、衣に小麦粉、時として牛乳も使われているから、食べてはいけない。
ケイシンを除外する食生活のためには、あらゆる乳製品、牛乳、生クリーム、アイスクリーム、クリームチーズ、サワークリーム、カッテージチーズ、ヨーグルト、フローズンヨーグルトを、避ける必要がある。私は牛乳の代わりに豆乳や、最近人気があるアーモンドミルクを使った。アーモンドミルクは、牛乳より五十%多くのカルシウムを含み、カロリーは四十%ミルクより低く、甘くて口当たりが良い。チーズに関しては、そこは日本人、水切りした豆腐を使用した。鶏肉やターキーの挽肉に、卵を混ぜ、豆腐をつなぎみしたハンバーガーを、ジャックは嬉しそうに食べた。スパゲティの代わりに、日本蕎麦や、米粉で作った麺も使った。但し蕎麦は、小麦粉が混ざっているので、蕎麦百%の十割蕎麦を購入した。友人から米麹を買って、味噌も手作りして、味付けの基本にした。非常に手間がかかり、その分、母親としての自己満足に浸れた。
このダイエットは、とにかく厳密に実行されなければならない。日本でも東洋経社、安倍司氏の「食品の裏側」という本がベストセラーになったが、私もこの時期、あらゆる食品の裏ラベルを読むことに熱中した。日本人の基本調味料、醤油に関しては、グルテン・フリー醤油が普通のスーパーで売られている。子供の大好きなホットドッグやベーコンは、ナイトライトという化学調味を除去すべきとあったので、ナイトライト無添加食品を選んだ。スーパーの棚に数十種類もある肉加工品の中でも、ナイトライト無添加品は一、二種類しか見当たらず、値段もひときわ高かった。これらの食品は、保存料を添加してないので痛みやすく、ラップで小分けして冷凍し、食べる度に解凍して調理した。スナック菓子については、小麦粉を使わないポテトチップス、トルティーヤチップス、ポップコーン、ライスクラッカー等を、ジャックは好んで食べた。ジャックはカリカリとした食感が好きなのだ。日本のカルビー社の、揚げてないグリーンピーススティックは、カロリーも低く、ジャックは大好きだった。
毎日の食事作りで参考にしたのは、昭文社刊「驚くべきパワーの秘密 三浦家の元気な食卓」三浦敬三、三浦雄一郎、三浦豪太作である。敬三氏は百歳現役スキーヤー、雄一郎氏は七十歳エベレスト登頂成功、豪太氏はオリンピックモーグル二回出場と、各人が驚くべき業績を上げ、彼らの長寿で健康を実現する食事の摂り方は、とても勉強になった。本の全般を通して、グルテンの使用は、醤油、ソウメン以外に見出せず、敬三さんの食事に関しては、ケイシンの使用は皆無である。三浦家の食事とは、鶏肉、煮魚、煮干し、海藻類、納豆やキムチの発酵食品、あずき、豆、キノコ、胡麻、きな粉、ひじき…これらは日本人が長い間食べ続けて来た伝統食材で、すべて、グルテン・フリー、ケイシン・フリーではないか?
三浦家の食事の、私流の実践方法を、書き出してみた。敬三さんは「私のご飯はすべて発芽玄米、しかも発芽器を使って玄米を自分で発芽させています」と、本の中でおっしゃっていたが、発芽器がなくても玄米の発芽は自分で出来る。その方法は、こちらで薬学部の博士号を持った日本女性Kさんから教えてもらった。農薬が怖いのでうちはアーカンソー州のオーガニック・ブラウン・ライスを使っているが、玄米をカップ一杯、タッパーウエアのような密封容器に入れる。Kさんは水と教えたけれど、私はポットから米と大体同量の熱湯を注ぎ、蓋をして二十四時間置く。たったこれだけで、目には見えないけれど、ちゃんと発芽するのだ。一日経ったら水を捨て、冷蔵庫で一週間は保存出来る。これで白米と同様、普通の炊飯器で炊ける。私はクックパッドに、takako6262 という名でアカウントを持っていてるが、クックパッド・ユーザーの一人、tamayura62 さんが「うちの健康発芽玄米」を試してくれた。四十度のお湯を取り替えて三日後、玄米から本当に芽が出ましたと、二千十一年五月一日、玄米から出た芽の写真を、彼女のページに掲載してくれた。
敬三さんは鶏を丸ごと圧力鍋で炊き、骨も皮もすべて食べるそうだ。骨や皮を食べることで、カルシウムや関節を丈夫にするグルコサミンなど、からだを作る様々な栄養を取ることができるからだそうだ。私は圧力鍋を持っていないし、うちの家族は骨なんか、絶対に気味悪がって食べないだろう。そこで、家族皆が大好きなローストチキンを食べた後、残った骨や皮を、捨てないでジブロックバッグに入れて冷凍することにした。鶏一匹では足りないので、三匹分くらい骨が貯まったら、玉ねぎ、ニンニク、生姜、昆布、シナモンスティックと一緒にスロークッカーに入れる。水をヒタヒタに注ぐ。通常より長い24時間、低音でゆっくりと調理する。骨も皮も崩れるほど柔らかくなっている。これをすべてミキサーにかけ、タッパーに小分けにして再度冷凍する。食べる際は、電子レンジで解凍し、大きな骨は茶漉しを通して取り除き、あらゆる料理に、この「鶏の骨エキス」を加える。初めて作った時は、鶏の匂いが鼻に付いたが、シナモンスティックを入れてからは、匂いも気にならなくなった。
三浦敬三さんは「煮干しの粉」も手作りして、おかずにたっぷり振りかけて食べているそうだ。彼のやり方は根気がいる。
「小型ミキサーに煮干しを適当な量入れて、スイッチを入れて粉砕。ところが煮干しというものは、一回や二回ではムラなく粉状に粉砕できないのです。粉砕したものを一度取り出して、粉末状になったものは容器へ入れ、粗い部分はミキサーに戻してまた粉砕。これを何度も繰り返して作っています。結構地味な作業…」
うちには幸い、業務用強力ミキサーがあり、一回で粉々に粉砕出来る。完成した「煮干しの粉」は、おかずに少しづつ振りかけている。量が多いと、うちの家族は「魚臭い」と、騒ぎ出すので、あくまで少しづつ、満遍なく、あらゆる料理に混入する。
飲み物に関して言えば、ジャックはコーラやペプシ等、ソフトドリンクを飲んだことがない。水か、私が煮出しするジンジャー・ピーチ・ティーを毎日飲む。

グルテン・フリー・ダイエットを始めて半年が過ぎた。いくら工夫を重ねても、ジャックが食べられる食品は限定され、彼は次第に痩せ始めた。ひいき目に見ても、彼の態度や睡眠、感受性に、さしたる変化は見られなかった。食べることが大好きな彼が、ボロボロ崩れるホットドッグパンにウンザリしているのか、食卓に坐ってもどこか悲しそうな表情だった。当時近所に住んでいた、私の母が疑問を投げかけた。
「グルテン・フリー、ケイシン・フリーって、一体、子供の身体にどんないい事があるんだろうねえ」
私は何者かの大きな手で頭を殴られたような気がした。ジャックは特に食物アレルギーもないのに、「皆がいいと言ってるから、いいみたい」だけの理由で、私は彼に、特別なダイエットを強いたのではなかったか?もう一度、グルテンを除去すると自閉症にどんな好影響があるか、を読み返した。「グルテンのもたらすペプチドが腸に炎症を起こし、身体に影響を与える」とは、セリアック病患者の腸に、グルテンが与える影響と、一語一句、同じことを言っているではないか?これは、ハンバーガー、ピザ、パンケーキ、鷄の唐揚げ、タコス、デザートのチーズケーキ、チョコチップクッキー、ファスト・フードが食生活を支配し、小麦粉が大好きなアメリカ人の、食生活への警告を、自閉症にこじつけただけではないか?
どんな微量の小麦粉や乳製品ですら、食卓からカットして半年後、私はジャックに再びサンドイッチを与えた。一定期間、グルテンやケイシンを排除した後、突然小麦粉製品を食べると、子供の態度はリン・ハミルトンが著作で言うように「とてつもなく制御し難くなる」ことは全くなかった。何事もなかったように、ジャックは旺盛な食欲でサンドイッチを平らげると、満足そうに大きな音を立てて、ゲップをした。

グルテン・フリー、ケイシン・フリーダイエットを、半年間、徹底的に本の指示に従って実行したが、我が家では、自閉症の息子に目立った改善は見られなかった。しかし依然として、「このダイエットで自閉症を完治することは期待出来ないが、子供の行動、感受性に目覚ましい効果がある」、という意見がアメリカでは主流であって、試してみる価値はあるかもしれない。米が主食の日本人にとって、何点かに気を付ければ、それ程難しい食事療法ではない。むしろ、小麦粉礼賛のアメリカ人より、日本人にはずっと取り組みやすい食事法ではないだろうか。その後、うちはグルテン、ケイシン・フリー・ダイエットは特にやっていないが、三浦家の食事、特に三浦敬三さんの発芽玄米、鶏の骨エキス、煮干し粉は、過去十年以上続けている。また、このダイエットを実行したことがキッカケで、食品の裏ラベルを注意深く読む習慣がついたし、添加物を注意して排除するようになったことは、とても良かった。

 

 

四章 処方箋薬

ジャックが6歳になった頃から、小児精神科医のところで、感情や行動を落ち着ける薬を処方してもらうようになった。子供の行動のため処方箋薬投与は、こちらでは一般的で、自閉症ではない普通の子供たちも、学校で集中出来るように使うことがある。うちの下の子ルークは、自閉症ではない普通の子供だが、中学へ入学して間もなく、担任の若い女の先生から「とにかく授業中に落ち着きがない、他の子に比べて集中度が低いから、心を落ち着ける薬をもらってはどうか」と、親を動転させないように気をつけているのか遠回しだが、断固とした口調で、処方箋薬の投薬を勧められた。
「薬は余り好きではないので、これから通学前にトランポリンでジャンプさせて、心を沈静にさせます」
と、伝えて処方箋は勘弁してもらった。ルークも中学校に慣れたのか、成績も少し上昇して、処方箋を勧められたのは一度切りだが、学校が子供に薬を勧めるなんて、私が通った日本の学校では有り得ない話だった。
ジャックが過去に試した数々の処方薬と、彼の反応を説明したい。どの薬にも6歳から17歳向けと書いてある。老人性痴呆には、心臓病その他の副作用の可能性あるから、与えないようにと、注意書きがある。これは何を意味するのか、ドクター・デューベン引退後にジャックの担当になった、パキスタン出身の新しい医者に聞いてみた。彼の答えは、実にアッサリしていた。深い意味はないそうである。老人は心臓が弱く、太り過ぎも心配なので、すべての精神安定剤には、老人性痴呆には与えないよう、注意書きを付ける習慣になっているだけである。大部分の精神安定剤は食欲増進という副作用を伴う。恐らく、精神安定剤を飲んで心臓を病み、訴訟を起こした老人が過去にいたのだろう。
最初に飲んだ処方箋薬はRitalin 、またの名は Methylphenidate だった。Ritalin はADHD の薬として認定され、近所の奥さんの話では、学校の授業に集中出来ない子供や、学習障害のある子供が良く使う処方箋薬だそうだ。眠くなる、ボンヤリしてしまう、などの副作用がある。これは一ヶ月位い服用したが、何処といって変化は感じられなかった。 Ritalin が効かなかったので、担当医はもう少し強い薬に代えることにした。
次に試したのが、精神分裂病、鬱病薬として比較的名前が知られた、Risperdal (または=Risperidone 同じ薬)自閉症の行動抑制にも使われる。副作用として食欲増大による体重増加が挙げられている。最近ワシントン州シアトルで、Risperdal を服用して男性なのに胸が大きくなってしまったと訴訟になっている。一部和解金が決定し、Risperdal 使用者の人数を考えると、訴訟総額は、22億円に達するそうだ。Risperdal はジャックに合わなかった。学校で先生の言うことを聞かない、感情能力に問題がある、突然泣き出すなどの問題行動が相次ぎ、遂には学校専属の看護婦が乗り出して来た。彼女は、ジャックを担当する小児精神科医、ドクター・デューベンのクリニックまで、私たちに同行したいと言う。ドクターとの約束の時間に、クリニックに現れた看護婦の名前はエイミー。年齢はは四十台半ば。中年のアメリカ女性には珍しく、職業柄健康に注意しているのか、細身だ。服装にも気を配り、小洒落たスカーフを首に巻いている。足元はベージュ色のショートブーツだ。看護婦(=ナース)エイミーは、ドクターの顔を見るや、まくし立てた。
「私はオークストーンの創立当時から勤務する、ナースマネージャーのエイミーです。ジャック君のことは、恐らくは先生、あなたよりずうっと長く、彼が幼い頃から知っていますわ」
この人も化粧が濃い。エイミーは、マスカラをたっぷり塗った目元、唇からはみ出すようなオレンジ色のルージュを塗った口元で、サーカスのピエロのような笑いを浮かべる。「ドクター、Risperdal は、今の薬はジャック君に合わないですわ」
ムーミンパパに似たドクターは、眉を益々下げるだけで何も言わない。返答を考えているのだろうか。
「オークストーンの担任の先生たちも、困っています。ジャック君は、素直でいい子だったのに、最近は一つの行動から次に移る際に泣いてばかり」
ムーミンパパは、そこで反論する。
「Risperdal は、ジャックのような症状を持ったお子さんにいいと、評価があるんですがね。私としても、もう少し様子を見て…」
エイミーは、グイグイと膝を進める。
「そこですわ。私はナース経験二十四年です。Risperdal の効果も存じております。うちの学校でも使っている子はたくさんいます。だけど、私は気づいたんです。この薬は、人によって効果が違うんです」
ムーミンパパは鷹揚に頷いた。
「そうですね。そういうことはあり得るでしょうね」
エイミーの声はオペラ歌手のように高くなった。
「私には、わかります。Risperdal は彼に合いません。合わない薬を使用するのは彼にマイナスですわ」
ムーミンパパは別に気を悪くしたようでもなく、アッサリ引き下がった。
「そうですね。今はどんな処方箋薬が彼に合うか、試している段階ですから、別の薬に行って見ましょうか」
クリニックを出ると、エイミーは私の手を固く握った。
「お母様、私はナースマネージャーとして、常にオークストーンの子供たちの将来を考えていますのよ」
私は彼女の思い遣りに胸が熱くなり、そっと彼女の手を握り返すと、感謝をこめて頭を下げた。
「ありがとうございます。あなたのような方が学校にいて下さって、親もとても心強いですわ」
エイミーは力強く、 彼女の薄い胸を叩いた。
「そうですとも!これからもジャック君を、誠心誠意、見守って行きますから、ご安心下さい」
それからわずか二週間後、エイミーの転職を告げる手紙が、親たち一人一人の元へ届けられた。エイミーは子供を専門に治療する大病院へ転職が決まったのだ。この病院は、百数十年前に設立され、州全体で数十箇所に支店がある大規模な病院だ。元々が子供専門病院だったが、大手保険会社が大金を払い、宣伝効果を上げようと自社の名前を提供したので、病院にも箔が付いた。通常、学校職員は転職が決まっても父兄に手紙等書かない。彼女の手紙には、エイミーの胸の高まり、ナースとしてステップアップするから、みんな、しっかり見て! という誇らしさとエゴが溢れていた。
「オークストーンの子供たちのことは、これからも遠くから見守って行きます。オークストーンのことは忘れません、永遠に!」
と、結ばれた手紙を、私は即座にシュレッダーにかけた。オークストーンと子供専門病院は、自閉症教育のあり方で、対立している。どちらも自分たちのやり方が正しいと信じているが、職場としてどちらが優れているかというと、当然、子供専門病院だ。歴史ある大病院と、設立してわずか数年の新興私立校では、雀とジェット機位いの差がある。エイミーはオークストーンの校長と同じ教会へ通い、ナースの資格は持っていたが、パートの職しかなかったそうだ。オークストーンが拡大すると共に、設立メンバーとして役員に加わり、キャリアを積み、カンガルーが後ろ足で砂を蹴るように、転職する。この裏切り者め…私は彼女の鷺のように痩せた後姿を睨みつけた。
ジャックが次に試したのは Guanfacine だった。中枢神経系を鎮める効果があり、高血圧やADHDに使われる。この薬は悪くなかったようで、ジャックは落ち着き取り戻した。ところが一年もすると、身体が薬に慣れてしまったのか、自分の右の掌を見つめながら、五本の指を広げ、顔を、頭を、やがては全身を震わせながら叫び出すという、自閉症に典型的な態度が頻繁になった。
薬の量を増やすか、別の処方箋を試すか?ドクターDは後者を選択した。次に試したのが、Abilify。 説明書きを見ると、躁鬱病、精神分裂病、自閉症に使用される。自殺願望を高める、とも書いてある。一体、自殺願望を高める精神安定剤とは何なのか、私は理解出来なかった。ジャックは Abilify に拒絶反応を示した。食べることが大好きな子が、食後すぐに吐いてしまうのだ。ジャックは一日に五回吐き、体重が減り始めた。これではいけないと、私はドクターDに電話して、二日後Abilify を止めさせた。この時点で、私は処方箋薬にウンザリしていた。自閉症の原因がわからないのに、次々と処方箋薬を与えて何になるのだろう。しばらくの間、薬なしで様子を見たらどうか。次の一ヶ月間、私はジャックから一切の薬を絶つことに決めた。一日、二日は良かった。やがて身体の中から薬の痕跡が消えると、ジャックの様子が激変したのだ。とにかく全身の震えが止まらない。ガクガクと膝を震わせ、両腕、両肩、首を揺らす。喉の奥から耐えず奇声を上げる。大げさでなく、女の子に悪霊が取り憑いた「エクソシスト」 の映画を観ているようで、私たちは震え上がった。あのようにビリビリと振動するジャックを見たのは、私たちも始めてだった。食べ物を吐くことはなかったが、食欲が急激に衰えた。一週間後、私たちはドクター・デューベンのクリニックを再度訪れ、再び薬の処方を懇願した。
ドクター・デューベンは Zypreza (= Olanzapine) を、処方した。この薬は複数の名前を持つが、 Guanfacine 全く同じ成分だ。薬の説明書きを見ると、精神分裂、躁鬱病に役立ち、不安定な精神状態を和らげる、とある。さらに、Zyprezaを服用する人から、妄想や幻覚症状を減少し、その人が、自分自身について明確に、肯定的に考えることを可能にする。たやすく興奮しなくなり、日常生活に積極的に取り組むようになる。Zyprezaは精神にバランスをもたらす成分を、人の脳内で再生する。自閉症や精神を病む人々には役立つが、老化現象を迎える老人には、副作用の恐れがあるので、使用を避けること、と、他の精神安定剤にも共通の注意書きがある。Zypreza を与えると、ジャックは間もなく落ち着きを取り戻し、異常な震えも治まった。ジャックの身体が成長するのに合わせて、少しづつZyprezaの服用量を増やした。ここ数年、ジャックは比較的安定していようだ。

 

 

五章 ABAのトラブル対処法

「ママ、僕はアイスクリームが欲しい」
ジャックが、言葉の妖精が舞い降りたかのように、自分の欲求を、自の言葉で伝える第一声を発してから、二年が過ぎた。ジャックの言葉はそこから先に進まず、ABAも停滞期に入ったように見えた。第一章で、どんなに性格がいい子よりも、体が健康で丈夫なセラピストの方が有難いし、役に立つと書いたが、たとえ数人体制とはいえ、週に35時間から40時間ジャックのために働いてくれる人を見つけ、彼らを一定期間途切れることなく長続きさせるのは、至難の技だった。ABAを実行するにおいて、最大の難関は、コンサルタント、セラピスト両方の、人材確保であると言えば、アメリカでABAを行うどの親も、たちどころに同意するだろう。学生たちは忙しい。夏休み、クリスマス、試験勉強、風邪、インフルエンザ、デート、我が家との約束をキャンセルする言い訳は、ジャングルで樹木を収集するように無尽蔵だ。

ある病院からの派遣で、短期間うちで勤務したコンサルタントは、常識では考えられない程、けしからん女だった。ヘザーという色褪せた金髪パーマの女性コンサルタントは三十台前半、病院から派遣されているにも関わらず、ヘビースモーカーだった。真冬の昆虫のように肉薄の身体を、薄緑色のタンクトップに肌が透けて見える同色の長袖シャツを重ね、常にたしなめる口調で、畳み掛けるようなかすれ声で話した。私たちの前では吸わなかったが、車の窓から煙りが吹き出していたのだろう。洋服にタバコの香りが染み付き、「あの人のタバコ臭が部屋に漂うから、同じ部屋にいるのが耐えられない」と、他の学生セラピストから苦情が相次いだ。私はタバコ優遇社会、東京都出身なので、自分の傍らでタバコを吹かされても別に気にならなかったし、洋服についた残り香など、ねえ、ちょっと、うるさ過ぎやしませんか、と内心呆れていたが、アメリカ人のタバコへの排斥は、とどまるところを知らない。
ヘザーの上司に当たる某 病院に勤務する児童心理学者は、たった一度だけ、ジャックを診に我が家へやって来た。三十台前半の小太りでブルネットの女性だ。二ヶ月に一度、自閉症のための学会がバルセロナであるので、来週出席する準備で忙しいという。アメリカの病院に勤務する心理学者が、何故二ヶ月に一度スペインへ旅行する必要があるのだろうか。学会開催地は、旅行目的で選択されるようだ。これから普通学級へやれるかどうかと尋ねると、自信に満ちた態度で返答して母親を安心させた。「大丈夫よ。この子はある程度でも言葉が話せるわ。うちの病院の方針は、今まであやふやに覚えた言葉を叩き潰して、新たに築き上げることなの。始めの数ヶ月は言葉が後退するように見えるでしょう。一旦壊して、力強く再構築するのよ。うちの病院 の方針は、子供たちを普通学級に溶け込ませることなの。ジャックは必ず普通学級でやって行けるわ」
しかしヘザーには、隙あれば私たちを困らせてやろう、という願望があった。私が所用のために席を外したある日、ヘザーは学生セラピストに根掘り葉掘り質問をした。何故そのような必要があるのか?彼女は派遣という不安定な立場なので、政府から資金補助を受けている家庭の金銭受容に、わずかでも疑惑があれば、徹底して糾弾し、役所の心証を良くして自分の評価を上げたいのだ。彼女の直接の勤務先は、某病院と契約を交わした人材派遣会社だが、大元の資金供給先は役所だ。役所への点数稼ぎは自分の立場の強化につながり、職の安定をもたらす。そんなある日、学生セラピスト一人が何気なく、ジャックに他の人が付く日は、自分は弟のルークのベビーシッターをしている、別会計で。と、話し始めるとヘザーは飛び上がった。
「ちょいと、聞き捨てならないわね。障害のあるジャック君へ政府から出る補助金を使って、正常な子どものベビーシッターをさせているんですって?」
若い学生アルバイトはヘザーの迫力に押され、咄嗟に返答出来ないでいると、ヘザーは声の音調を高めに切り替えた。
「そのような行為は、不正よ!公金横領よ!医療補助不正って言葉はこんな際に使われるんだからね」
ヘザーはその日のミーティングを早々に切り上げ、勤務先へ戻る時間も惜しみ、乗用車に乗り込むと、恐らくはタバコを深々と一服しながらであろう、携帯電話で上司へ連絡した。家族による医療費の不適切な使用疑惑を発見、と報告したのである。某病院の医師は、ヘザーの言葉を重大事項であると受け止め、発言の裏付けも取らずに、たちどころに役所へ通報した。
私たちに援助費用を提供しているのは群政府で、組織の名前は、Franklin County Board of Developmental Disabilities、通称BDDだ。個人に医療補助を支給するのも、学校や病院に資金提供するのも、福祉関係の予算の割り振りは、すべて彼らの仕事であり、BDDによる一年間の総支出は、二千十四年度の公式発表による予算総額を見ると、三億一千七百万三十九万七千ドル。歳入項目の七十五.十二%は税金、十二.六%が諸々の手数料から発生した財源だ。オハイオ州には総計八十八の群(=county) があり、その一つであるFranklin County の一年の予算がこの数字なのだ。私は山崎豊子氏の「運命の人」に感銘を受け、山崎氏が執筆に当たって参考にした澤地久枝氏の「密約ー外務省機密漏洩事件」をも、興味を持って熱心に読み進めたが、澤地氏による「沖縄返還協定の、日本政府による一括決済金額、三億二千万ドル」に匹敵する金額が、オハイオ州88群の中の、たった一群の福祉関係の年間予算なのだ。大病院 といえども、役所の覚えをめでたくして、予算の振り当てを増やしたい。自分達の取り分を多くしたいのである。彼らの自己評価を上げるために利用されるのが、末端でお金を受け取る身障者の家族なのだ。アメリカの福祉とは、豊富な予算を奪い合い、いかにしてある場所から多く引き出すか、という一面を示す一例であるといえよう。
BDDからの、真夏のビールを耳に注ぎ込まれるような問い合わせに、動転した私たちは州都コロンバスのBDD本部まで出向き、責任者に会って、病院側は両親に一度も事情を聞かない、説明も求めない、派遣コンサルタントの一方的な思い込みであり、全く根拠のない言いがかりである、と釈明した。幸い役所はとても好意的だった。
「BDDの医療補助はね、困っている両親の手助けをしたい、というのが主旨なの。このように扱われる種類の問題ではなかったわ。些細なことを取り上げ、言い掛かりを付けて、補助を両親の手から毟り取ることを、私たちは絶対に望まないのよ」
白髪が混じった黒いボブヘア、地味なジャガード織のスーツ、五十代に見える福祉課の責任者は、慈愛と思いやりのこもった視線で、私たちに目を向けた。福祉行政が内包する様々な問題を嘆くかのように、シワが刻まれたダークな色の指で握った青ボールペンで、カチカチと机を叩いた。
「彼らも、障害のある子供のために働いているなら、もっと、両親の立場を慮るべきだった」
ベビーシッターに関しては、別会計にして小切手帳に記録が残っていたので、医療補助不正使用の疑いも晴れた。役所から医療補助を貰うのに、どれほど苦労しただろうか。 ジャックの既に持っていた言葉を、自分たちの方針で叩き潰した某」病院の心理学者は、失われた言葉の再構築など夢にも思い出さず、それきり梨の礫だ。せっかくあった言葉を壊されて、つまらないイザコザが原因で放り出されたら、うちの子はこれからどうすればいいのか?ジャックの言葉を壊した責任は、どうしてくれるのか?
腹に据え兼ねたのでヘザーには辞めてもらった。嫌な経験をしたのは私たちだけではないらしく、苦情が病院に頻発してもたらされたのだろう、ヘザーはその後、職を失い、数ヶ月後Facebook に「私はABAの経験五年のコンサルタント。有名病院で勤務経験あり。自閉症のお子様を持つご家庭に、是非熟練者のお手伝いを。いつでもご相談になります」と、広告を出しているのを夫が見つけた。

ヘザーは問題コンサルタントだったが、私たちは、数多くの問題行動の、モンスター・セラピストにも遭遇した。キャシーもその一人。ABAを始めた最初の数年間、私たちは、三人から四人のチーム・メンバーから、一人のチーム・リーダー を選んでいた。リーダーを設けた方が指示もし易いし、チームミーティングも潤滑に進むような気がしたからだ。リーダーは責任があるから、少しだけ高い時給を払った。キャシーはふわりとカールした明るい金髪のショートカット、澄んだ青い瞳、可愛らしい童顔。某州立大学の教育学部の修士課程にいた。少し気になったのは、ミニスカートに大きく胸もとが開いた薄地のタンクトップ、水着に近い姿でいつも現れたことくらいか。もう一つ気になった点は、自分の学歴や環境を自慢することだ。
「教育学部のクラスに来る人は、とても優秀で美形なんです。特に私がいる修士課程は、27人全員が、本当に男も、女もうっとりする程、美しいんですよ」
その話を聞いていたジムが首をひねった。
「あの口振りは、自分も美貌の持ち主だと確信しているんだな。ありゃ、平均だ。あの程度で自分の顔が綺麗だと絶賛する女は、自己愛が強いから注意しろよ」
彼女はとにかく、ジャックに懸命に話し掛ける子だった。セラピーの前も、休憩時間も、まるで自分の女友達に話すように、ジャックに向かって取り止めのない会話を投げていた。私がそのことを感謝すると、キャシーはにかんだように、頬に血をのぼらせて言った。
「私はおしゃべりだから。とにかく話すことが好きなんです。私のおしゃべりが役に立つこともあるんですね。嬉しいな」
その彼女が、チームリーダーになった途端、激変した。 彼女はすべてを仕切りだしたのだ。「キャシーの方針」という一覧表を作り、ABA記録ファイルの第一ページに貼った。巻頭にキャシーは手書きで記した。「これはキャシーの方針なので、全員が従うこと」前述したが、フランクリン群のBDDが資金を出すABA プログラムは、「Parent Directed=両親主導プログラム」と規定され、親たちがすべての権限を持つ。私がキャシーにやんわり注意すると、突然、彼女は切れた。
「私がチーム・リーダーよ。全員が、私の言うことを聞いてもらわないと困るのよ!」私は、フランクリン群のBDDの担当者からもらった、両親主導と明記された書類を示した。
「私たちの子供のことは、私たちが責任を持つべきなの。チーム・リーダーは、もちろんチームの中で大事な責任があるけれど」
キャシーは鼻白んだ。薄いタンクトップの前を掻き合わせ、アメリカ人にしては貧弱な胸元を見せつけようとする。
「今さらそんな紙を見せられても困るわ。私、リーダーとして私の能力発揮に制限されるくらいなら、いっそ、辞めさせてもらうわ。もちろん、仲間三人も一緒にね」
私は押し黙った。キャシーの他に彼女の姉と従姉妹も、チームの一員として一緒に務めていたのだ。もう一人、彼女の親友も来週から来ることになっていた。折悪しくも、夏休みが始まったばかりだった。四人一緒に辞められたら、長い夏休みを、どうしたらいいんだろう?キャシーは引き留められると予測しているのか、柔らかい頬に自身の力を信じたような頬笑みをにじませている。
「おたくが困らなければのお話ですけれど…」
私は一歩引き下がることにした。
「わかったわ。少し考えさせて」
と言って会話を打ち切った。これはアメリカで非常に良くある経験なのだが、アメリカ人は英語の発音が完璧ではない外国人を信用しない。キャシーは私では役に立たないと思ったのだろう、私を飛び越えて夫のジムに訴えた。自分のリーダーとしての役割りを果たすために、もっと自分の権利を認めて欲しいと。彼女の権利要求は、キャシー以上に自分の社会的、道徳的正当性を重んじる典型的アメリカ人であるジムの、顎の下にある逆さの鱗を直撃した。
「あ、そう。これは両親が管理するプログラムだから、権利が欲しかったら他所へ行ってくれる?」
「私が辞めたら、四人一緒に辞めるわよ。それが、ジャック君にとっていいことなのかしら」
キャシーはまたしても胸元を広げ、不敵に言い放つ。このような白人女の他人を考慮しないエゴイズムこそ、ジムが蛇やサソリのように嫌悪し、日本人女性と結婚した一因でもある。
「それではどうぞ、ご自由に。さようなら」
私が引き留める間もなく、キャシーは姉と従姉妹を連れて、その日から来なくなった。来週から来るという彼女の親友にも期待は出来ないだろう。私は心中愉快だと思いながらも、ジムをたしなめた。
「ちょっとお、夏休み前に、セラピストがたった一人になっちゃったじゃない。私は彼女が権利ウンヌンを言い出すまでは、キャシーとうまく行ってたのよ。話し好きで、口数が多く、ジャックが自分の本物の友人みたいに話しかけてくれたのに。これからどうするのよ」
「残った一人に友人を紹介してもらえよ。あー、やだやだ、あの女。自分を何だと思っているんだろう?だから俺はアメリカ女の傲慢さには耐えられないんだ。ルーク(当時三歳)にも、将来結婚する時は、アジア人を選ぶように、良く言っておこう」
キャシーが去った後、私は暫し後悔した。あんなにジャックに懸命に話しかけてくれた、いい子だったのに。もっと、別のやり方があったのかもしれない。ところが、たった一人残ったアリスに助けを求めることによって、キャシーの隠れた悪意に満ちた一面が出現したのだ。キャシー達四人がいなくなった経緯をアリスに説明し、三ヶ月近学校に行かない夏休み中、最低もう三人は必要だから友人を紹介してくれと、私は頼み込んだ。アリスは祖母がインディアンだったので、四分の一アメリカ・インディアンの血が入っている。背が高くモデルのようにホッソリとスタイルが良い。彫りの深い顔立ちに肌は浅黒く、物静かで知的だった。アリスはしばらく考え込んでいたが、口を開いた。
「タカコが嫌って先月辞めさせた私の友達、ミッキーは仕事を探しているんだけれど、彼女はダメかな?」
「ミッキー?彼女のこと別に嫌ってないし、私が辞めさせたんじゃないよ。あの子、もうすぐ結婚するから結婚準備で、自分で辞めたんでしょ?」
「ええっ、そういうことになってたの?ミッキーの結婚は来年だし、結婚前はお金がいるんだ」
「あら、だってキャシーが、ミッキーの結婚は来月に迫っているし、場所もニューヨークで、もうすぐ引っ越すから、彼女はとてもジャックのABA を続けられないって、言ってたわよ」
「その話、とんでもなくおかしいよ。ミッキーは結婚後も住所は同じだと思う。彼氏が彼女の部屋に転がり込んだんだもの。彼氏は大学院生だから、当分は引っ越さないと思うわ」
私は何を言われているのか、まるきり理解出来なかった。アリスが眉を曇らせて話を続けた。
「どうやら、私たち全員、キャシーに騙されたようだね。ねえ、タカコ、あなたは私のことを嫌っているから辞めた方がいいって、私もキャシーから言われてたんだ。私は奨学金以外の収入がない貧乏学生だし、このバイトを失いたくないから、無視してたんだ。それに今だから言うけど、昨日キャシーから電話があって、全員で一緒に止めようって、誘われたんだよ」
「なんですって!キャシーはあんたまで連れて行くつもりだったの?」
「はっきり言うと、あの子がいなくなると、私は嬉しいから、もちろん、断ったけどね。そうしたら、私はタカコに嫌われてるから苛められるわよって、しつこく言われたけどさ」
「なあに、それ。私は一度もあなたの悪口なんかキャシーに言ってないわ」
キャシーはどこまで作り話をしたのだろう。アメリカにも、虚言癖の女がいるのだろうか。
「あと、ミッキーの前に辞めたサニーだけれど、彼女のことはどう思っていた?」
「どうって、別に。あの子は子供が嫌いだって、キャシーが言ってたのよ。それに自分から来なくなったでしょ」
「違うよ。サニーのことをタカコが嫌ってるから辞めた方がいいって、キャシーがサニーに忠告をしてたよ。日本人は気難しいからって言われて、私たちそんなものかなって思っていたんだ」
「それじゃあ、ミッキーもサニーも、私が彼女たちを毛嫌いしてるから、辞めてしまったの?」
「そういうことみたいだね」
「ねえ、ここで私たち二人が憶測するより、ミッキーとサニーを呼んで話し合わない?私が昼食をご馳走するわ」
私は年に何回か、自分の息子のために働く人達が集まるチーム・ミーティングの後に昼ごはんを出していた。最近のアメリカ人は食べ物の好みが難しく、ある人は菜食、ある人はベーガン(卵も、チーズもミルクもダメな厳しい菜食)、ある人は赤い肉(=red meat、牛肉、羊、時に豚肉)がダメ、ある人は魚好きと誠におもてなしが難しく、大抵はパンとデザートを用意して、大皿に肉や魚介や野菜の数種類の具を並べ、好きな物を選んでもらうサンドイッチ献立が多かった。
その翌日、サンドイッチを囲む昼食会で明らかになったのは、ジャックの背後にある年間予算を狙った、キャシーの卑劣な企みだった。サニーが最初に発言した。
「そういえばあの子、貧しい家庭の出身みたいです。あの子の住んでいる場所は、コロンバスでも特別に貧しい地域だったと思う。確か、大学も奨学金で行ったらしいし。フランクリン群BDDのケースマネージャーが、ジャックのセラピーが適切に行われているか、ABAファイルを点検に来た時、あの子、ジャックがもらう年間予算について何回も繰り返し聞いてたわ」
アリスも身を乗り出した。
「そう、そう。私も覚えてるよ。何で、こんな時にお金のことを聞くんだろうって、疑問に思ったもの」
そこへ、ミッキーが爆弾発言をした。
「わかった。キャシーは、ジャックの年間予算を自分たち一族で自由にしようと思ったんだよ。私はいずれ結婚するし、そんなに嫌われてまでここで働きたくないって思ったから、彼女に言いくるめられちゃったけど。悔しい、私たちを取り除いて、キャシーの姉や身内に私たちの仕事を取られるなんて。ちくしょー、あの女、今度、夜道で会ったら覚えてろよ」
ミッキーは拳を握りしめ、気炎を上げる。私は余りの話に涙が出そうだった。
「信じられないよ。私は、ジャックのために働いてくれる人は、大切にしたいと、ずっと思っていたのに。私は、ここにいる誰のことも、アリスも、キャシーも、ミッキーも、サニーのことも、一度も悪口なんて言ったことないよ。キャシーがあんなことをした理由が、ジャックの年間予算を、自分たちの身内で独占したいからだなんて。あの子は子供のことを一体何だと思っているの?お金のことしか頭にないの?」
サニーが私の話を引き取った。
「キャシーは、某州立大学の教育学部修士過程にいるんだよね。あんな子が、来年か再来年には確実に教師になるんだね。最近の教師の質の低下が、話題になるのも無理もないよね」
三人が去った後も、私の身体中の血液が、怒りで沸騰していた。ジャックが自閉症と診断されて、ABAを始めることになって、資金繰りで破産寸前になって、やっと政府からお金が出るようになって……その予算を全部自分の仲間で使おうとした小娘が出て来た?自分が気に入らないと、他のメンバーまで引き連れて止める?私はブルブル震える手で携帯電話を握りしめた。来週から来る予定だったキャシーの親友の電話番号を、ジャックのABA用部屋に置いてある、ABA記録ファイルのアドレスページから見つけ、携帯のキーボードを指で押す。
「ハアイ、あなた、キャシーの友達でしょ?私、あなたが来週から務める予定の、ジャックの母親だけど」
すでにキャシーから話が伝わっているのか、相手が息を飲む気配がする。
「あの、その話は流れたってキャシーから…」
ふん、相手は気が弱そうね。私は声に威嚇を持たせる。外国人だから、発音がわかりにくくならないように、一語、一語、はっきりと言う。渡米して16年、ネイティブとは違うアクセントに、何回、顔をしかめられたことか、屈辱の時を思い起こして、自分をふるい立てる。
「キャシーに言っといてよ。あの程度の仕事しか出来ない、能力の低いセラピストはうちはいらないって」
アメリカ人は何より、自分の能力を気にするのだ。相手に言い返す隙を与えず、私はトドメを刺す。
「キャシーは、ずいぶん金に困っているようだね。透け透けで扇情的なドレスがお似合いだから、ストリートに立つように言っときな!」
言うや否や電話を切る。人生経験のない若い女は、決して沈黙を守ることは出来ない。私のセリフは間違いなくキャシーに伝わるはずだ。彼女は経済的苦境を親友に知られ、勤務先で服のセンスを笑い物にされた、と親友から知らされる。本人に直接言うより、二重の屈辱だ。

アリス、ミッキー、サニーが良くやってくれて、長い夏休みを乗り切ることが出来た。キャシーで懲りたので、それ以降、二度とチーム・リーダーを任命することは止めて、全員を平等に扱ったことは言うまでもない。ジャックはメンバーが代わっても、別に気に留めないようだった。時々、何年か前に務めていたセラピストが我が家を訪問することがあった。
「この人は誰?」
質問すると、必ず正しい名前を答えたが、その人は「通り過ぎて行った過去」と認識するのか、執着を示すことは稀だった。その後、約2年間の空白期間を経て、私はジャックのために児童心理学者とコンサルタントを見つけ出し、過去8年間は同じコンサルタントが我が家を担当している。
夏休み中にジャックは六歳を迎えた。キンダーガーデンが始まるのは9月初めだ。前述したが、キンダーガーデンは和訳すると幼稚園だが、実際のところ小学校1年生と同じである。小学校はその後5年間しか通わないし、キンダーガーデンを含めた6年間を同じ建物に通い、同じ職員室で勤務する教師の下で勉強するからだ。Nationwide Children’s病院 の児童心理学者が、コンサルタントとの諍いが原因で去って以来、ジャックのスピーチは伸び悩んでいた。キャシーが去った後、長時間勤務したアリスが嘆いた。
「自閉症の治療をする病院が、彼が既に持っていた言葉を取り除くなんて、何を考えているんだろう?道理も何もないじゃない」
しかし、親の目からすれば、「取り除いた」と、児童心理学者やコンサルタントが豪語する程、彼らが実質的な役割を果たしたとは思えなかった。心理学者が一回、コンサルタントが二、三回訪問しただけで、ジャックの言葉を「一度、ゼロにする」だけの影響力があったと思えない。ジャックは言葉を失ったわけではない。速度がゆっくりなだけだ。そして言葉を学ぶ速度の遅さは、生まれた時からだった。某病院 が「子供は普通学級へ」の方針を推進する理由は、「オークストーン・アカデミー」他、数々の新しく設立された「自閉症を治療する学校または専門機関」の存在を不快に思うからだ。某病院 としては、子供は公立学校へ通い、治療は「彼らの病院へ」が、望ましい治療体系なのだ。
あの夏、私とジムはジャックを普通学級へやる夢を諦めた。ジャックはアルファベットを手書きできれいに書いた。実際、ジムの叔父さんは、ジャックが彼に書いた手紙を読んで感想を述べた。
「ジャックの手紙の文字は、普通高校で優等生の、ジャックの従姉妹が書いた字よりずっと上手で読みやすい」
ジャックは足し算が出来た。しかし、引き算になると混乱した。学習よりも、言葉によるコミュニケーションに依然として著しい遅れが見られた。自分の名前は言えたが、毎年変化する年齢を訊かれると、時々しか正しい答えを言えなかった。何より、ジャックははっきりと自閉症の症状を見せていた。
コンサルタントのヘザーが去って以来、ジャックは児童心理学者を探しあぐねていた。既に三回、ピラミッドの頂点にいる心理学者を変更していた。何人か当たってみたが、自閉症の子供の数は増え続け、学者たちは手一杯だった。心理学者が見つかるまで、アリスが過去の資料を見ながら、独自のABAをやっていた。それで何の問題もなかった。私はコンサルタントや心理学者のアドバイスを、いつも細心の注意払って聞いていたが、誰もが同じようなアドバイスしか、しなかった気がする。
「ジャックは睡眠が足りないんじゃないかな?」
「外は寒いから家の中にいた方がいい」
「運動が足りないんじゃないかな?」
「食事はちゃんと取っていますか?」
心理学者やコンサルタント存在は、BDDからお金を引き出す名目であって、実際の仕事は学生にも充分に実行可能なのではないだろうか? 毎日のABAを指導する人すら見つけられないのに、ジャックがすっかり馴染んだ「オークストーン・アカデミー」を離れて、公立の普通学級へ彼を送り込む勇気がわかなかった。「Facing Autism」によると、早期介入を実行し、良く訓練を受けたABAセラピストが取り組み、一貫した治療を充分な時間を費やせば、全員ではなくても、半分より少し下の割合で、子供たちは正常と呼べるレベルまで回復を示するそうだ。早期介入すれば、48%の自閉症の子供は回復する「ABAの48%伝説」とは、何だったのだろうか?
私たちは、 Facing Autism に書いてあることはすべてやった。本の中には、著者の知り合いの子供で、ジルという名前の四歳の女の子話がある。ジルは白血病と診断された。その子の親は全知を尽くして治療に取り組んだ。誰が治療を止めることを出来ただろうか?抗ガン剤の服用により、ジルの髪に毛は抜け落ち、身体は膨れ上がった。経済的にも、精神的にも、家族は困窮し、非常なストレスだったが、ジルは1993年以降、癌の痕跡は見られず、完治したという。リン・ハミルトンは口説く。
「子供たちの肉体を打つ病には、あらゆる手段を尽くすのに、何故、自閉症には、たとえ全く痛みを伴わない治療ですら、躊躇するのか?自閉症が神経を病む病気だからなのか」
しかし、私は実感する。自閉症は依然として原因不明なのだ。治療法も確立されていないのだ。親が正しいと信じて全力で取り組んだ治療が、間違っていたらどうすればいいのか?結局、うちの子は治らない52%の中にいたのか。私は挫折感に打ちひしがれ、Facing Autism の本を、 古新聞や古雑誌を処分する、リサイクルの赤いプラスチックの箱に放り込んだ。

 

 

六章 てんかんの発作

この章ではジャックのてんかんについて話したいと思う。Autism Speaks のホームページ によると、三分の一以上の自閉症患者はてんかんを患う。この二つはどちらも脳内の機能的問題なので、自閉症を起こす脳内環境と、てんかんを引き起こす環境に関係があると考えられている。自閉症と関連性がある脳内の「正常でない状態」が、てんかんの発作の一因である「正常でない状態」と共通性がある、と専門家は述べている。自閉症の子供がてんかんを起こす可能性が高いとは、逆にてんかん症状を持つ子供が、後に自閉症と判明する潜在的資質があるとも言える。自閉症の子供の親たちは、子供がてんかんの発作を起こす場合を、常に想定して注意しなくてはならない。
ジャックにてんかんの症状があると察知されたのは、彼が12歳の誕生日を過ぎ、木々が秋色を深めた頃だ。その当時、東京に住む父が末期ガンだというので、私はルークを連れて、わずか一週間だが、見舞いを兼ねて帰国していた。父は「俺の初孫だ」と、ジャックを可愛がってくれたが、ルークが日本を訪問した二年後に亡くなっている。
私とルークの日本訪問中、ジャックは夫と二人で好物の冷凍ピザで夕食を済ませ、夫に手伝ってもらってシャワーを浴びた。濡れた身体にバスタオルを巻き、ドライヤーで髪の毛を乾かしてる時だ。ジャックは二、三回激しく瞬きをして、わずかに立ち眩みのような表情を見せた。ジャックのこの時の発作は、倒れる、気絶する、まして昏倒、失禁のような強い状態ではなかった。むしろ、気がつかないでそのままにしてしまうような、単なる表情の変化に近いものだったらしい。夫はジャックの異常を見逃さなかった。人一倍心配性のジムは、子供が十歳を過ぎたらてんかんを起こす可能性が大きくなると、常々心配していたからだ。
ジムはジャックをNationwide Children’s病院の神経科へ連れて行った。昔、自閉症の治療部門と揉めた病院だが、何と言っても巨大病院、各部署で互いに連絡は取らないようだ。EEG (electroencephalogram)、脳波図を検査してもらうためだ。Facing Autism のライアンは脳波図を調べるために鎮静剤を与えられたが、病院はジャックに薬を調合しなかった。看護婦さん二人がジャックを抱き上げると、たちまち寝袋に似た袋に入れた。袋の上から何重にもベルトを巻かれ、ミイラのように全く身動き出来ないように固定されてしまった。この、暴れる子供を診察するために開発された特殊寝袋は、神経科だけでなく、BDDの保育園の中にある歯医者でも、何度も繰り返し使われたが、ジャックは年齢と共に落ち着きを見せ、十五歳を過ぎてからはミイラの寝袋は必要なくなった。
身動き出来なくなったジャックの頭に、十数本のコードが接続される。コードの先端にあるセメントに似た凝固剤で、頭のあちこちにコードを固定される。コードの片側はコンピュータに接続され、脳波の動きがスクリーンに現れる。白衣を着た男性が二時間以上、脳波図を観察しただろうか。途中、トイレに連れて行きたいと頼んだが、却下される。検査の終了を知らされた時、ジャックが寝袋を尿で汚さずに済んで、私は安堵のため息をついた。白衣の男は恐らくテクニシャン(=技術者)で、彼が取ったデータを見て、医者が診断するのだろう。その日は約三時間で解放され、後日結果が電話で知らされる。
「ジャックの脳波には異常が見られます。てんかんの発作を抑える薬を処方しますから、処方箋を取りに来て下さい」
病院を再訪して受付を済ませ、しばらく待つと小部屋に通された。医者は小部屋に顔を見せず、マリーと名のるナース・マネージャーが説明をした。その後、何度となく病院を訪れたが、面接を担当するのは常にマリーで、遂に医者の顔を目にすることはなかった。ナース・マネージャー、マリーは、五十台か?化粧気のない顔、薄茶色の肩までの髪、ナースとは思えないダブついた身体つきだが、アメリカのナースとしては別に珍しい体型ではない。マリーは医者の代弁者としての自負があるのか、幾分エラそうに肩を揺らしてから、話し始めた。
「ジャック君の脳波には、てんかんの患者に共通する異常が見られます。処方された薬を定期的に服用して下さいね。薬には発作を抑える効果があるので、絶対に飲み忘れてはいけませんよ。この薬を飲んでいれば、てんかんの発作が起きることはありません。発作はジャック君の身体、特に脳に衝撃を与えます。身体にたいへんな負担になるので、絶対に発作を起こさせてはなりません」
薬の名前は、DIVALPROEX SODIUM 125 MG CAPという。午前中の朝食時に四錠、夕食と一緒に四錠飲めば、発作を抑えられる。夕方の四錠は、二年後五錠に増量された。処方箋には、「この薬品はてんかんの発作に使用される。躁鬱病が伴う精神や気分の不安を落ち着かせる。脳内のある種の自然物質のバランスを回復する効果がある」とある。さらに使用方法として、「血液の中に薬の一定量を保つために、一日の同じ時間に決められた量を服用するように。特に癲癇の治療に使われる場合、医者に相談しないで薬の服用を止めないこと。突然止めることによって、病状が悪化する場合がある。薬を止める場合は、徐々に量を減らして行くこと」と書いてある。
その日からほぼ四年、ジャックは朝晩、DIVALPROEX SODIUM 125 MG CAP を飲み続けている。最初の診断から約一年が過ぎた。薬が血液中でそろそろ一定量に達したので、これ以上の発作は起こらないだろうと想定し、薬の量を減らす準備として、初回同様の脳波検査が執行された。脳波に未だ異常ありと診断結果が出て、薬の量は変わらなかった。 脳波検査は毎年行われ、最適な量の薬が患者に与えられるよう、病院は怠りなく注意を払っている。
最近の日本では、てんかん患者による交通事故の報道を耳にする。てんかんの発作を起こした運転手が、発作ゆえに運転判断を誤ったというニュースを聞いて、私は疑問に思った。この人たちは、発作を抑える薬を飲んでいないのだろうか?ネットで検索したところ、シンク出版のホームページから以下を引用したい。
二千十一年四月、栃木県鹿沼市でクレーン車を運転中にてんかんの発作で意識を失い、小学生六人が死亡した事故の刑事裁判で、二千十一年十二月十九日宇都宮地裁は、「発作の予兆がありながら運転した過失は特に悪質で重大」と指摘し、元運転手の被告(二十六)に対し求刑通り自動車運転過失致死罪の法定刑上限である懲役七年を言い渡しました。(中略)遺族側は、被告が過去にてんかん発作が原因の五件を含む十二件の交通事故を起こし、事故前夜には抗てんかん薬の服用を怠り、発作を起こしやすい状態だったことを認識しながら運転した過失があり、勤務先と母親も監督責任を怠ったと主張(後略)。遺族は損害賠償を求めて民事訴訟を起こしているそうだ。

ジャックはてんかんの薬を飲み忘れたことがないので、抗てんかん薬の服用を怠り、12件の交通事故を起こした後も運転に固執した運転手の態度は、常識の範囲を超えている。彼がどうして、免許取り消し処分にならなかったのか、疑問に思った。
ノーベル賞受賞作家の大江健三郎さんの息子さんが、てんかんの発作を伴う自閉症患者であるとは、良く知られた事実である。大江氏のご長男の光君は、ジャックと同じ病気なので、大江氏の「ゆるやかな絆」を、深い共感持って読んだ。「ゆるやかな絆」の中にある、
「しかし光は、言葉によって物語ることができない。とくに言葉の物語には、過去、現在、未来、という時の流れが組み入れられねばならないが、光にはそれができないから」という大江氏の文章は、「Language Builder Picture Cards」 、言葉を引き出すカードの助けを借りて、一定数の単語を使ってコミュニケーションが可能になったものの、過去、現在、未来の観念を理解できず、物語を作ることはどうしても叶わなかった、ジャックを身近で見て来た母親としては、胸に迫るところがあった。
大江氏の本は以前に何冊か読んでいた。私にとってはやや難解だが、疑いなく著者の高い知性をうかがわせる内容で、数々の小説家が「好きな作家」として第一に挙げる理由が納得出来る。私は三十年前に、明治大学で日本文学を専攻したが、同じクラスの文学仲間も、「大江健三郎っていいよね」という人の方が、当時デビューしたばかりの「村上龍が好き」という学生より、尊敬されていたような気がする。
「ゆるやかな絆」には、難しい、解りにくい表現は皆無で、奥様の手による、繊細で柔らかい色使いの水彩画の挿し絵がうつくしい補佐役を果たし、読んでいて楽しく、知的で、ずっと手元に置いて読み返したい本である。しかし、気になる箇所があった。本の中にしばしば、光君がてんかんの発作を起こす場面が出て来る。以下は「ゆるやかな絆」から引用したい。
「光に、われわれの経験の積みかさねた受けとめにしたがえば、中程度の発作がおこった。(中略) 中程度の発作の場合、すこし厄介なことになるのは、その直後に失禁する場合である」
「光が一応のところ健康でーーー軽いものにしても発作はしばしば起り、そのたびにわが家は、こういう表現を用いてよければ、新鮮な緊張にとらえられるけれどーーー」
この文章を読んで、私は驚倒した。ジャックがてんかんであると診断した病院の神経科は、「発作はジャックの身体、特に脳に衝撃を与え、患者の身体にたいへんな負担になるので、絶対に発作を起こさせてはならない、それには、抗てんかん薬の服用を忘れないように」と、言ったではないか。「ゆるやかな絆」には、光君がどんな薬を服用しているのかは出てこない。大江氏の文章からは、失禁を伴うような大きな発作が日常的に起きていることが伺われる。これは一体どういうことだろう?ジャックは軽い瞬きに似た発作らしき状態が、一度起こっただけである。そこで私は大胆にも、ノーベル賞作家である大江氏に手紙を書いたのである。出版社へ宛てて手紙を送付したのは、二年前のことだ。

「ゆるやかな絆」を読んで深い感銘を受けたました。光さんとよく似た症状の自閉症の息子をアメリカで育てる五十歳の母です。日本で起業した会社が軌道に乗り、マスコミで夫婦起業家として報道されたこともありましたが、会社を妹に頼み、診断の12日後に東京を引き払って、米国へ移住しました。私たちをアメリカへ駆り立てたのは「早期介入すれば自閉症は治る。アメリカの方が治療法が進んでいる」と、聞いたからです。当時、唯一の確立した治療である、ABAセラピーを施しました。私たちにとっては莫大ともいえるお金を使いました。結果としてどうなったか?一年後にジャックは文章を話し始め、奇跡的な回復を見せました。しかし、その後ゆっくりと後退し、現在、過去、未来という時の流れを理解せず、物語を話すことができません。時折、そんなことをして何になったのか、という思いが心に浮かびますが、「お母さんは、あの時あれしかできなかった」と言う他ありません。
私が「ゆるやかな絆」を読んだのは大江さんが本を書かれた二十年後ですので、当時と状況は変わっていると思います。その場合は、読者の余計なお節介としてお読み捨て下さい。本の第一章に「中程度の発作が起こった」と書かれています。少し前に「長男にてんかんの発作が現れたことを家内から国際電話で報告され」と書かれていますので、これはてんかんの発作のことでしょう。うちの息子ジャックがてんかんの軽い発作を起こしたのは、彼が12歳の時でした。病院で脳波を測定した結果、てんかんだと判明しました。その後DIVALPROEX sodium 125 MG CAP という治療薬を処方され、朝晩飲ませています。服用後に血液検査をして、血液中に発作を抑えるに足りる量の薬が留まっているか調べます。検査は半年毎に実施され、子供の成長に合わせて薬の量増やします。病院は薬局と密接に連絡を取り、絶対に薬が途切れないよう親を指導します。ジャックがてんかんの発作を起こしたのは最初の一度だけでした。
「軽いものにしても発作はしばしば起り」の本文が気になりました。繰り返しになりますが、本が書かれたのは20年以上前なので、現在は専門医から適切なアドバイスを受けられていると信じます。世界的な作家である大江さんと、専業主婦の私は、立場はまるで違いますが、子供を思う気持ちは同じです。私も夫も、絶対に息子より先に死ねないと、痛感しています。光さんとご家族が幸福に暮らせるように、アメリカから祈っております。

期待したわけではないが、当然、返事は届かなかった。ごめんなさい、余計なお節介だったのかもしれませんね。大江氏は有名作家なので、読者からの手紙やメールが数多く届き、見知らぬ人からの手紙に、いちいち返事など書かないのだろう。 障害のある子供の母親として、それぞれの家にはそれぞれの子供の育て方や事情があり、友人でもない他人から口出しされることが、どんなに不快かというのも、私には察せられる。この文章を書くに当たって、「てんかんと交通事故」についてネットで探索した。真っ先に上がるのが鹿島市のクレーン車の事故、京都市祇園の軽ワゴン車暴走事故、「てんかんと事故」のページの下の方には、「大江健三郎 静かな生活」が上がっている。私が気になったことなど、とうの昔に誰かが気が付き、応じかねる程の問い合わせが、大江さんを繰り返し煩わせていたのかもしれない。
「光さんは、どうして、てんかんの発作を抑える薬を飲まないのですか?」と。

 

 

七章 ジャックの行動の再評価

ジャックが十六歳を向かえる今年の夏、フランクリン群BDDから、今後も継続して補助金を受け取るために、ジャックの再評価を提出するように要請された。BDDのケースマネージャーから依頼があり、コンサルタントを通じて児童心理学者に、ジャックの状態を評価してもらうことになった。心理学者と面接をして評価してもらう前に、コンサルタントから質問事項が何冊も送られて来て、両親のどちらかが、数百の質問に答える必要があった。この質問票がジャックの発達状態を、実に適切に表現しているので、ここでご紹介する。
Vineland-II Adaptive Behavior Scales Survey Interview Form AGS Publishing 出版 質問項目の前に、対象年齢が表記してある。回答欄は四通りであり、回答番号が2 の場合、答えは「いつも」を意味する。番号が1 では、「時々 」。番号が3では、「ネバー、皆無」。回答番号が4の場合は、「不明、答えられない」、を意味する。ジャックは、3歳レベルの質問は、すべて2「いつも」が答えだった。例えば、「問われた際に氏名が言えるか?」の問いには、「いつも言える」が答えだった。また、「一般的な色、赤、青、緑、黄色、オレンジ、紫、茶色、黒を識別し、名前を言えるか?」の質問の答えも、「いつも言える」だった。ところが、4、5歳レベルの質問には、「時々できる」や、「わからない、不明」の回答が増える。「文法上正確に、彼や彼女を使い分けられるか?」の質問には、私は「時々」と答えた。「テレビや絵本を要約して伝えられるか?」の質問には、「一度もない」、と答えるしかなかった。これが七歳以上のレベルの質問には、ほとんどの回答が「ネバー、一度もない」だった。「一つの事項について、二通りの説明ができるか?例えば、一冊の本について、これは良い本だ、とも言えるし、この本は読んで興奮するし、興味深い、とも言えるか?」また「一つの話題について、複数の洗練された会話ができるか?」これらの質問には「一度もない」と答えるしかなかった。「一つの話題について、十分以上の会話ができるか?その話題について、十分以上説明し、感想を述べることができるか?」の、質問にも「一度もない」と答えるしかなかった。「今後六ヶ月間に取り組む、現実的な目標と、目標達成の手段について具体的に話せるか?」の問いにも、「できない、今までできなかったし、今後も難しいだろう」と、答えた。
次に私が手に取ったのは、 同じ出版社の、Vineland-II Adaptive Behavior Scales だが、Second Edition (二版) で、前記のSurvey Interview Form ではなく、Teacher Rating Form だった。質問項目の前に、対象年齢が表記してあるのは同じだが、回答欄は三通り、回答番号が2 の場合、答えは「いつもできる」。回答番号が1 では、「時々できつ 」。番号が0では、「ネバー、皆無、全くできない」を意味する。三歳から七歳を対象の質問には、ほとんどの答えが「いつもできる」だ。「選択肢を与えられると、自分の欲求を、指差しやジェスチャーで示すことできるか?」の質問には、「いつもできる」と答えた。「少なくとも五十の単語を知っているか?」の問いにも、回答は「常に知っている」で、2番になる。質問の対象年齢が、八歳から十二歳と大きく飛ぶと、ほとんどの質問の答えが「ノー」になる。「自分の経験について簡単に、説明し描写ができるか?」「物事を定義によって分類できるか?例えば、虎や象は動物で、チューリップや薔薇は花というグループと、いうように」のような複雑な質問には、答えられなかった。「変化する動詞の過去形を、文法的に正しく使い分けられるか?」「自分の意見や知識をはさんで、状況の説明ができるか?例えば、彼が怒ったのは、彼女の発言が無礼だったから、というように」このような質問への答えも、「一度もない」になった。
次の資料はBASC-2 Behavior Assessment System for Children, Second Edition. 対象年齢は十二歳から二十一歳。出版はPEARSON社。 回答欄は四通りに分かれていて、回答がNでは、「ネバー、皆無」、回答ががSでは、「時々」。回答表示がO(=often しばしば)の場合は「しばしば」、回答がAでは「いつも」を意味する。質問は七十六通りあるが、このテストは、子供に問題行動がないか、チェックするのが目的のようで、ほとんどの答えがノー、皆無だった。質問は例えば、盗癖があるか?アルコールを飲むか?動物に残虐行為を働くか?自殺をほのめかすか?等で、ジャックに当てはまる事項はほとんどなく、答えはすべて「否」だ。
最後は、SRS Profile Sheet Parent Report 男性用 WPS (=Western Psychological Services)社 出版 訳すと、ウエスタン心理サービス社 の両親のレポートになる。これはコンサルタントが間違って二部送って来たので、一部を記入して返送し、もう一部は我が家でいただいてしまうことにした。WPSの質問票は、四枚綴りになっていて、質問数は65。ページの右端の袋とじ部分をビリビリと切り裂くと、質問はすべて複写になっていて、複写の下に点数が書いてある。質問に答えるだけで、自動的にスコアシートが作成できるようになっている。回答は四つに分かれている。1は、当てはまらない、2は、時々当てはまる、3は、しばしば当てはまる、4は、非常にしばしば、またはいつも当てはまる。
質問の例を上げると、質問1。「一人でいる時より、社交的な場で落ち着きがないか?」私は、1. 「当てはまらない」、と回答したが、複写の下の得点を見ると0(=自閉症度 ゼロ)になっている。点数が低いほど、自閉症の症状が見られないと判断されるが、回答の基準は曖昧である。私が「当てはまらない」と回答した理由は、ジャックが周囲に興味がないからだ。質問が期待する答えの意図は、「自閉症の子供は一人でいることを好み、社交の場では落ち着きがない」であろう。コンサルタントは私とは違う意見で、「周囲に人がいると落ち着きがない」と、答えるかもしれない。質問32。「身の回りを清潔にしているか?」私は4、「いつも当てはまる」、と回答し、得点は0だが、これは母親が、彼の身の回りを清潔にしてやっているからである。質問42。「騒音、手触り、匂いに過剰に反応するか?」私は、1、「当てはまらない」と回答した。複写の下にある得点は0だが、これは、ジャックが別に大して気にしないのであって、騒音を気にかけないと言って、自閉的ではない、とは言えないと思う。
第一ページには、SRS Total Score Results という表があり、スコアが何点なら、獲得する得点 (=T-Score) は何点と記してある。T-Score が採点の基準になる。T-Score表の横に解説が書いてある。T-Score 76以上は、重い、深刻な自閉症。明らかな自閉症の症状を提示している。T-Score が 60 から75 は、 マイルドから中程度の自閉症、及びアスペルガー症候群に当てはまる。T-Score が59以下は、ノーマルで、自閉症の兆候を示していない。稀に自閉症でも、非常に高機能で、極めて程度が軽い。
私が出した自己採点では、ジャックのトータル・スコアは86、T-Score は75。「マイルドから中程度の自閉症」という評価になる。「中程度の自閉症」とは、十二年前米国到着直後、あらゆる治療を開始する前に、M医師からもらった診断と全く同じではないか。私はこのスコアに、ABA治療の限界を見たような気がした。
高い料金を払って医者や心理学者に頼まなくても、この、ウエスタン心理サービス社の SRS Profile Sheet Parent Report があれば、誰でも簡単に自閉症の自己診断ができるのだ。さらに突き詰めて言えば、医者や心理学者だって、自己診断用に開発された SRS Profile Sheet を使って、自らの診断を下しているのだ。その方が簡単で、確実だから。

 

 

八章 スペシャル・オリンピック

自閉症の子供に、社会的、社交的な付き合いをさせるには、親の助けが不可欠である。うちのジャックの社会生活に大きく貢献したのが、スペシャル・オリンピックの存在だ。アメリカはほとんど全ての街にあり、地元ウエスタビルでは、家族も入れると四百人以上が係わっている。スペシャル・オリンピックは、どの競技にも家族が積極的に参画している。大多数の子供は運転ができないため、交通手段を始め、選手たちにとって、普通の子供以上の補佐が必要だからだ。正確に言えば、家族の助けなしでは、参加不可能なのだと言っても過言ではない。スペシャル・オリンピックが何より有難いのは、強制が最小限の点だろうか。参加者にハンディがあるからと優しく考慮され、遅刻しても誰も文句を言わない。団体の性格上、寄付を集めるのも極めて容易だ。存在しているだけで、援助金が集まって来る。資金が潤沢なので、ほとんど無料で、すべての競技に参加できる。ユニフォームも無料で支給される。弟のルークが参加する、普通の子供のスポーツリーグに、毎年支払う金額を思うと、スペシャル・オリンピックの負担がいかに大きいか、私は粛然と姿勢を正すのである。参加することに意義があるので、強制は何もない。私たちは行きたい時に行って、帰りたい時に帰って来る。遅刻しても誰も文句を言わない。だからこそ、七年も続いて参加しているのだと思う。
ジャックは、春はサッカー、陸上、体操に参加している。夏休みをはさみ、秋は水泳と春に引き続きサッカー、冬はバスケットだ。子供と同じ数の、数多くのボランティアが補助してくれるので、安心して参加できる。水泳は二十五メートルプールを何往復もするが、必ずボランティアが一緒に泳ぐ。体操は専属コーチが付いて専用ジムを使う。個人で参加すると、毎月百ドル近くかかるが、費用はスペシャル・オリンピックが負担してくれる。余興やパーティー、表彰式も頻繁に開催される。練習場所やスケジュールは毎回変わるので、ネットで配信される。練習場所としては、地元の公立小、中、高校の体育館や校庭を借りる。練習は各種目、週に一度だが、これだけの種類のスポーツの練習や大会に出席すると、友人もできる。
毎年六月末は、スペシャル・オリンピック恒例の州大会が、約六万人が通学するオハイオ州立大学の広大なキャンパスを借り切り、三日間に渡って開催される。トップ選手たちは、ニューヨークで開かれる翌年の全米大会への出場資格を獲得できるため、コーチたちの真剣さは尋常ではない。参加選手だけで二千五百人以上、選手の家族、親戚、コーチ、ボランティアを総計すると選手の数倍の人数が関わっている。肌を刺すような初夏の日差しを避けるテントが立ち並び、屋台の店こそ出ないが、ドリンク・スタンドが賑やかに立ち、繁華な縁日のような活気だ。点在するポータブルトイレからの異臭を風が運んで来る。ジャックは今年生まれて始めて、陸上は百メートル走と、砲丸投げに参加した。
百メートル走は早朝九時半スタート。一時間前に会場に入るようにコーチから言われていたが、道路は混雑し、駐車場を探しあぐね、到着したのは九時過ぎだった。コーチから何度も私の携帯に電話が入り、ジャックは到着後直ちにスタート地点へ向かう。 コーチに急かされても、そこは何かとゆっくりペースなスペシャル・オリンピック。ジャックがスタートしたのは予定より十五分遅れの九時四十五分。私は観客席から見守っていたが、レフェリーが合図のピストルを鳴らしても、ジャックはその場にじっと静止している。そうだった。練習の際はいつも、私がジャックの後ろから「ジャック、行け、ゴー!」と、叫んでいたのだった。あの子は指示がなければ、自発的に動かない。州大会では母親が口出しできない。「お願い、ジャック、走って。皆、前に行ったよ」私は心の中で念じた。ジャックのいる場所から、私は五十メートル程離れて座っている。私はありったけの声を出して叫んだ。「ジャック、行けーっ」。私の声がかすかに届いたのか、ジャックが何かに気が付いたように、ノロノロと動き出した。他の五人の走者はどんどん先へ進む。差は大きくなるばかりだ。私は立ち上がってフェンスへ駆け寄る。右手を高く上げて大きく振り回す。「ジャック、ゴー!」。両頬に微笑を浮かべながら、ジャックは彼のペースで走っている。自分のレーンから逸れることなく、百メートルを走り切った。結果は最下位の六位。たとえ六位でも表彰台に登り、メダルの代わりにリボンをもらえる。コーチが駆け寄って来た。「ジャック、良くやったねえ」ジャックは皆に取り囲まれ、状況は今ひとつ理解できないが、ともかく褒められたことが嬉しそうだ。
昼休みを挟んで、砲丸投げは午後三時に開始だ。砲丸投げと言っても、英語名は「ソフトボール投げ」。砲丸より軽くて柔らかいソフトボールを使用する。会場は陸上競技の場所から遠く離れているので、車で移動する。午後になると見学者も増え、駐車場探しが益々困難になるので、二時に会場に入るように指示がある。定刻通り二時に到着すると、様々な色のテントに混じって、地元ウエスタビルのテントが張ってあるのを発見。数名のコーチや、顔見知りの父兄たちの顔が見える。テントと言ってもキャンプ場で使うテントではなく、四本の支柱の上に防水シートを張った簡易テントだ。折り畳みの椅子や水を運ぶアイスボックスも置いてある。アイスボックスの上には、新刊の男性用雑誌が積み重ねてある。「ジャック、こっちにおいでよ。一緒に待ってようぜ」。コーチたちに手招きされて、私たちもテントの下に入る。「これから一時間、時間つぶさなくちゃなあ。あ、俺たちが持って来たから、雑誌でも読んでて」。私はスペシャル・オリンピックのコーチたちが、全員大好きだ。若くて、身体を動かすことが得意だから、贅肉は一片も付いてない。全てボランティアで、障害のある子供のために長時間働く心意気。誰にでも、優しく、ゆっくりとした丁寧な英語で、腰を屈めて話す。下の息子ルークは、「あれは、絶対、ママのこともスペシャルニーズ(=障害者、知恵遅れ) だと思ってるよ」と、主張するのだが。彼らが愛読する雑誌に興味がわき、何気なく取り上げる。キャンプやアウトドア活動をカラー写真で紹介する、アウトドア・マガジンが数冊。「Men’ s Health 」という、体づくりや健康、男性用ファッションの雑誌。一番下にあったのが、狩猟、ハンティング、銃のカタログ。獲物を一撃で殺せる最新式アーチェリーや、アメリカ軍が使用したのと同じ機関銃の写真。あんなにさわやかで性格のいい、健全な青年たちも、殺傷力の強大な銃を平気で持つアメリカの傲慢さ。私は指の先からどす黒く染まって行きそうで、雑誌から手を離す。
陸上では振るわなかったが、ジャックは砲丸投げで銀メダルを獲得した。二番と書かれた表彰台へ上がり、スペシャル・オリンピックと刻印された銀メダルを受け取った。スペシャル・オリンピックでは、選手よりも、父兄やコーチが熱くなる。二千五百人が参加する州大会で、ジャックが銀メダル。何と誇らしいことだろう。
実は、砲丸投げの参加人数は、各チーム三名。全員がメダルをもらえるために設けられた (励まし?) 競技だ。ジャックが投げたボールの、投てき距離はわずかニメートル。こりゃあダメだ、また最下位かと、うつむく両親。ジャックの次に投げた子は、多動症で大はしゃぎしたが、投てき距離は一メートル半。結果としてその子は銅メダルを受賞した。「これからジャックに、庭で野球を教えてやらなくちゃ」と、父親のジムが呟き、今年の州大会は終了した。

今年になって、ジャックを追いかける女の子まで出て来た(!)その女の子、トミーちゃんはジャックより三歳年上で、大人の助けが必要な十九歳。トミーちゃんの母親は州政府に勤務する弁護士で、小山のように肥え太った貫禄の、シングル・マザーだ。赤毛のショートヘアの弁護士は「ふん、うちの娘は男の子なら誰でも好きなの」と、当初はジャックのことなど眼中に置かなかったが、ジャックが通り過ぎる度に「ジャック、ステキ」と、黄色い声を張り上げ、ジャックに向かって転びながら突進する娘の姿を見て、「うちの子はジャックに会いたくて、体操と陸上に来るのよねえ」と、呟くようになった。トミーちゃんの母親によると「あの子は、余りしゃべらない、静かな男の人が好きなの」だそうだ。「ジャックはトミーちゃんに、あれしろ、これしろって、絶対に指図しないから、うるさくなくていいわよ」と、返す私。話すことが困難なジャックと、寡黙な男が好みのトミーちゃんは、理想の組み合わせではないか。ジャックの方は、何故トミーちゃんが、自分との間の距離を縮めようとするのか、あと少し、理解していないようだが。

 

九章 「自閉症やアスペルガー症候群の子供を育てるのに役立つ1001の素晴らしい知恵」

この章では、自閉症の子供を育てるのに役立つ、実践的な知恵にあふれた本の内容をご紹介したい。日本語には翻訳されていないが、英文名は「1001Great Ideas for Teaching & Raising Children with Autism or Asperger’s」 著者は Ellen Notbohm とVeronica Zysk 解説はテンプル・グランディン博士。グランディン博士は自閉症でありながら大学教授になった人で、日本でも知られている。博士は本の冒頭に四ページの長い解説を寄せ、「もし、すべての学校や家庭が、この本に出て来るアイデアのたとえ一部でも活用したら、自閉症やアスペルガー症候群の子供の発達は無限に広がるだろう。その意味で、真に偉大な本と言えよう」と、最大限の賛辞を贈って、解説を締めくくっている。
本は六章で構成されている。1001のアイデアすべては引用できないので、一部を要約する。第一章は「バラバラの知覚を統合する」人間には二十一以上の知覚があり、身体が感じる知覚は、神経の末端から脳へと伝達される。自閉症やアスペルガー症候群の人は、この知覚がバラバラに機能し、互いに連絡しない。自閉症の知覚協調のために、日常生活で有効な方法を紹介する。水を使うスポーツ。水泳、スイムスクール、ダイビング、サーフィン、カヌー、ボート、釣り。タイヤを使うスポーツ。三輪車、自転車、ローラースケート、スケートボード。ラケットを使うスポーツ。テニス、ハンドボール、バドミントン、卓球、ボーリング、ゴルフ。走ること、歩くこと。雪のスポーツ。スキー、クロスカントリー、スノーボード、アイススケート。武道。空手、柔道、合気道、ボクシング。乗馬。縄跳び、フリスビー。ダンス、バレエ、ヨガ、体操。野外活動。自然に触れさせ、自然の音を聴き、匂いを嗅ぐことで、知覚の統合を目指す。早朝の公園へ連れて行く。砂場遊びは、自分の眼で見ながら、指や手に砂を感じることで、知覚に効果がある。大きなダンボールを用意して、子供の秘密の部屋を作ってやる。子供はダンボールの部屋に絵を描き、色を塗り、飾り付けをする。宝物を隠す。豆のバッグ。乾燥豆や、ピーナッツを古いセーターや、古いスエットパンツに詰め込んで輪ゴムで括る。豆の手触りや、カサコソと立つ音が、知覚へ良い刺激になる。
上記をまとめると、スポーツ、体を動かすこと、野外活動はすべて刺激になって良いということだろう。部屋の中でテレビを観たり、電子ゲームは望ましくないのだろうが、スポーツや野外活動は、百%一人ではできない。お金も手間もかかる。スポーツのできる場所へ連れて行く必要があるし、スポーツの指導者(=費用だ)がいるし、豆やダンボールや絵の具を用意して、使い方を示すのは母親の役目だ。大多数の子供は、与えるだけでは行動を起こさない。誰かが一緒に始めてやらなくてはいけない。両親がいない場所では、介護士の助けが必要ということだ。
第二章は、「コミュニケーションと言語について」自閉症の子供たちは、自分の興味を他人に知らせることが困難だ。コミュニケーションを、小さな、扱いやすいパーツに振り分けて、彼らが使いこなせるように助けてやる必要がある。家庭で絵カードを作ろう。雑誌、カタログ、広告からカラー写真を切り抜き、カードに貼る。写真の下に名前を書く。ラミネート加工してもいい。パンチで穴を空け、紐を通して持ち運びができるようにする。イエス、ノーの質問をする際、イエスではなく、答えがノーになる質問を考えよう。いつも「誕生日で何がしたい?」と、尋ねる代わりに、「誕生日にしたくないことはある?」と尋ねてみよう。
コミュニケーションについて、最近私が気が付いたことは、物事には複数の名前があると、教えてやることだろうか。ジャックが継続して政府援助を受け取るために、児童心理学者が再評価をする必要があると役所から要請があったと、七章に書いた。私は、博士がジャックを再評価をする面接の場に立ち会った。インタビューには、たくさんの絵カードが使われた。ジャックの前に置かれた四種類のカードの中に、ジュースの入ったコップの絵があった。ジャックは「ジュースはどれ?」「飲み物は?」と質問されると、直ぐにジュースの絵に手を触れたが、「液体は?」と訊かれた時は、答えられなかった。自閉症の子は視覚から入る。目で見て理解するのだが、見た目は同じなのに、複数の違った概念を持つこと、一つの事を表現するには、数通りの言い方があると認識することによって、対象への理解も一歩深まるだろう。
第三章は「行動について」。行動はコミュニケーションの一形態である。あらゆる行動は、子供が環境を、どのように受け止めているかのメッセージなのだ。子供、プラス、周囲にいる人間、プラス環境が、イコール、行動を動機付ける。子供が「私にはできない」と、言ったら、母親は「あなたにはできる」と、返答しよう。「私がここにいるから。あなたはきっとできる。私にはいい考えがある」と、子供に知らせよう。子供がパニックに陥ったら、原因を探ろう。記録を付けてパニックの要因を探ろう。何をしていたか。何をした後だったか。誰が一緒だったか。時間帯。食べ物。一定期間記録を付けると、パニックのパターンが浮かび上がる。自閉症を言い訳に使うことをやめよう。望ましくない行動のすべてが、自閉症から来ているのではない。性格や、気性、それとも、ただやろうとする努力が、足りないだけなのかもしれない。
第四章は、「日常生活について」。親や教師の唯一無二の目標は、子供を生産的で独立した大人に育て上げることだ。これは自閉症の子供も例外ではない。小さな目標を持って、ゆっくりしたスピードで始めよう。日常生活で子供に選択を求める際は、常に具体的に尋ねよう。例えば「今日のお昼は何がたべたい?」と、尋ねる代わりに「今日のサンドイッチはピーナッツバターか、ハムのどちらがいい?」と訊くようにしよう。壁に絵を描かくチャンスを子供に与えよう。部屋の壁一面に大きな黒板を取り付けて、黒板が手に入らなければ大きな紙を壁に貼って、子供がいつでも落書きできるような場所を作ってあげよう。
子供の日常生活で、小さなアルバムを作ろう。起床、朝食、スクールバスに乗る、学校活動、帰宅、夕食、就寝の写真を用意しよう。子供はアルバムをカバンに入れて持ち歩き、不安になった時に見ることができる。
爪切りのヒント。入浴の後、爪が柔らかい時に切る。十本の爪全部を切るのはストレスになるので、毎日一本か二本ずつ切る。 指をカウンター、テーブル、本等、固い場所に指を固定させる。父親か兄弟に隣で爪を切らせる。詩や物語を読んでやりながら切る。好きな音楽を聴きながら切る。好みのテレビ番組を見ている間に爪を切る。インターネットで便利な爪切りを探す。これらがすべてうまく行かなかったら、寝ている間に切ればいい。
子供に新聞を読んでやろう。新聞は世界への窓口だから。子供向けの漫画は容易な糸口になるし、自閉症の子供は視覚を通して理解することが得意なのだ。毎日、または毎日曜日に漫画を読んでやり、慣れてきたら、自分で漫画を描かせる。子供と話題にできる写真を新聞から選んで、話し合う。何が起こっているの?警官は何をしようとしているのか?天気予報は格好の話題になるし、大多数の新聞は絵や図を使って天気を知らせる。天気予報の記事を見ながら、今日の天気を、晴れ、曇り、雨か、気温は暑いのか寒いのかを、子供に予測させる。映画の批評欄や、スポーツページの記事や写真も、言葉を引き出すチャンスだ。
自分でできることを増やそう。以下は十歳以上の子供の場合だ。洗濯をする。洗濯機と乾燥機を使用し、洗濯物をたたんで整理する。食料品店へついて行き、食品を選び、棚の表示を読み、支払い方を覚える。クレジットカードか、現金か。浴槽、流し台、トイレ、浴室の床の清掃を習得する。皿洗い。皿洗い機に食器を出し入れする。家の鍵を使えるようにする。簡単な食事を自分で用意する。これらは、繰り返し教えられて初めて、自分でできるようになる。忘れてはならないのは、両親の態度が子供に反映するのだ。両親が「うちの子にできるはずがない」と、内心思っていると、子供は新しい作業をなかなかマスターし得ないのである。
現代の家の出入りについては、ドアの鍵より、ガレージドアの暗証番号を教えることだろうか。日本の家なら、鍵の開け方を教えて、鍵の保管方法を覚えてもらうことか。アメリカでは、鍵より暗証番号を使うことが多いのが最近の事情だ。私も車のキーは必需品だが、家の鍵は長い間見ていない。子供にできることを増やすのは重要だが、危険が発生する事態を、大人の知恵で防ぐことが絶対条件だ。これはジャックのスピーチ・セラピストから聞いた話だが、彼女の元にセラピーを受けに通っていた十四歳の自閉症の男の子が、自立の一端として電子レンジの使い方を学習した。彼はコミュニケーションの手段として与えられたiPadを、電子レンジに入れて「ポップコーン 自動」のボタンを押した。電子レンジはたちまち爆発を起こし、少年に怪我はなかったものの、家の壁と天井の一部が焼け落ち、百万円強の損傷を受けた。幸い保険会社が修理費用を負担してくれたが、恐れ慄いた両親は、二度と少年に電子レンジを触らせなかったという。「親ができないと言うから、子供はいつまで経ってもできないのだ」アメリカ人が好きな「やればできる」のポジティブ思考だ。口にするのはたやすいが、それでは自閉症の子供は、回復がどの程度進んだ時点で、車の免許を取得できるのか?アメリカにおける真の自立は、車の運転なしでは難しい。車こそは、他者も本人も瞬時で傷つける凶器となり得るのである。子供を信じてどこまでやらせるか?どの時点でストップをかけるのか?もっと子供の自立を促さなくてはとの切迫感に、親が決して押しつぶされることなしに、一つ、一つできることを増やすバランス感覚こそが、私たちが渾身の力で探すべき妥協点であると思う。
第五章は、「社会的に考え、社会のメンバーになること」社会的技能に熟練するには、忍耐、繰り返し、そして適応性が必要である。子供に得意なことがあったら、教えてくれと頼もう。教えることで、子供は自信を持つようになる。年下の子供と遊ばせてみよう。同年齢の子供と遊ぶより、容易であろう。
感情表現を教えよう。基本的な感情から始めよう。嬉しい、悲しい、怒った、怖い。これら四つの感情を表している子供の写真を撮ろう。自分の子供が感情表現を示すのが難しかったら、友達の写真を使おう。集まった写真から、感情を読み取れるようにしよう。感情がわかったら、一段上の段階へ進もう。「嬉しいとはどういうこと?」「何があなたを嬉しくさせるの?」「嬉しいと人はどんな風にふるまうの?」少しずつ、基本の四つ以外の、微妙な感情があることを学ばせよう。鏡に子供の顔を映し出し、顔を使って感情表現を教えよう。雑誌や写真集から、表情のはっきりした顔写真を切り抜き、 小冊子を作ろう。感情を把握したら、感情を表す言葉を教えよう。「嬉しいときは、何て言う?」のような質問をしてみよう。 自分だけでなく、他人にも感情があると知らせよう。自分の次は他の人の感情も、察知できるようにしよう。
第六章は、「先生と生徒」すべての人は先生、教師であるし、同様にすべての人は生徒でもある。親や教師が自閉症の生徒のためにできる、最も重要な事柄は、お互いに生産的な協調関係を作り、その関係を維持することである。一日の終わりに問いかけよう。今日、彼に何を教えたか、彼は何を学んだか?教える立場の人は、なるべく少ない言葉で語りかけよう。生徒が理解できなかったら、言葉数を減らして言い換えよう。多過ぎる言葉は混乱を招く。教師は身の回りを整理しよう。指導者の周辺が秩序なくゴタゴタしていると、無秩序が自閉症の子を不安にする。

 

 

十章 ABAとは、異なる見解の本

最終章では、米国で最近話題になった本をご紹介し、うちの自閉症の息子と照らし合わせながら、お話したいと思う。この本のどこが、日本の子供たちに役立つ点があるのだろうか?作者は前章と同じ、エレン・ノットボム。Amazonの書籍サイトで、自閉症と入力すると真っ先に上がって来る書名だ。
「Ten Things Every Child with Autism Wishes You Knew」Ellen Notbohm 著。
長男はADHD、次男は自閉症の二人の息子の母親であるエレン・ノットボムが書いた、「自閉症を持つ子供達があなたに知って欲しい10の事柄」(和訳)は、The Eric Hoffer Book Award, iParenting Media Award, and Learning Magazine Teacher’s Choice Award 等数々の出版賞を受賞し、近年全米の自閉症の子供を持つ親たちに最も愛された本である。彼女が自閉症についての本を出版するきっかけとなったのは、隔月刊雑誌「Children’s Voice」上に二千四年に彼女が発表した、本と同じタイトルの記事である。記事はエレンが予想もしなかった反響を呼び、あらゆる教師、ソーシャルワーカー、自閉症の子供の親や親戚が読むべきだ、という問い合わせが殺到し、同名の本を出版する運びになった。「Children’s Voice」の記事は日本語を含む十九カ国語に翻訳されたが、記事を追う形で出版された彼女の著作は、残念ながら日本語に翻訳されていない。
「自閉症を持つ子供達があなたに知って欲しい10の事柄」の本は、ABAセラピーや早期介入治療で思うような成果が得られず、自分たちはやり過ぎだったのではないか、もっとゆるやかで、無理をせず、子供の適正を考えた方法があったのではないか、と模索していたアメリカの親たちが見つけた、新しい回答だったのかもしれない。
 
本の中で、エレンは明言を避けているので確証はできないが、ABAへの批判だと思われる箇所があるので引用したい。
「千九百九十年の始めに流行した、自閉症に対するある特殊なアプローチがある。私はその治療法について読み、嫌悪した。二百%自分の息子には合わないと確信した。息子の学校の親子会談で、このアプローチについて話が出た際、私は早期介入推進者達に宣言した。うちの息子にこれをやったら、ただじゃおかないわ。殺すことだってあるわよ。(=Do this to my kid and I will kill you) 幸いなことに、彼らは私と同じ意見だった。(一人の教師は後に言った。あなたの発言を聞いた時、立ち上がって、拍手をしたかったわ) あの時、親子会談に出席したメンバーとは、現在も変わりなく私と友人関係にある。そして彼らは、あの日の会話をとても良く覚えていて、今も繰り返し話題にする。このように書くと、私が挑発的で、(その特殊な自閉症の治療法に対して)喧嘩を売っているように聞こえるかもしれない。この本の初版を出版してから、私は幾度となく、時には執拗に、私が嫌悪した自閉症の治療法とは、一体、何を指すのか尋ねられた。私の答えはいつも同じだ。私は何も言わない、その質問は的外れだから。私の話は、あなたの子供に真に役に立つ場合だけ、使って下さい」
何故、上記がABAへの批判だと、私は想定するのか?ABA治療に親たちが飛びついたのは、ローバス博士が「五年後の結果が証明する成功率48%」を発表した千九百九十三年以降であり、ABAはまさしく早期治療を推進する。早期介入推進者達とは、ABAを支持する人々を指していると、察せられるからだ。
ABAはアメリカの治療法として依然として主流であるが、48%が完治すると説き伏せられて治療を始めた親たちは、私を含めて懐疑的になっている。今日では48%回復という数字は、子供が成長前の親だけが信じる、希望的数値になってしまったように思うのは私だけであろうか?ジャックが普通学級へ進学することを諦めた日、私は「Facing Autism」を、新聞紙と一緒にリサイクルの箱に放り込んだ。私の48%の夢は、ゴミ処理トラックが持ち去った。
最近になって読み返そうと「Facing Autism」の中古本をアマゾンで取り寄せたが、探すのに時間がかかったし、当時の定価14ドル95セントは、送料込みでわずか99セントになっていた。カードのポイントを使ったので無料だ。私同様、早期介入の奇跡を讃える本など、身辺に置きたくないと思っている父親や母親の顔が、本の裏に見えるような気がした。
 
エレン・ノットボムの本を近年アメリカの親たちが愛し、私が驚きと感動で目を大きく見開くのは、全編、親や教師の観点ではなく、自閉症を持つ子供の視点から語られている点だ。 彼女は子供の立場になって語りかける。
「僕は自閉症を自分で選んだわけじゃない。僕に起こっている事実なんだ。僕の自閉症を、障害ではなく、僕の特別な能力と思って欲しい」
エレンは自閉症の子供を持つ、母親としての心境を綴る。
「私の息子への感情は、彼が生まれて来ると知った日の、あの沸き立つような歓喜と、何も変わっていない。彼が愛し信頼した、母親としての私の存在も変わることはない。自閉症が、私の息子への愛情を損なうことは、絶対に不可能なのだ」
私は、ジャックだけでなく、弟のルークまでも自閉症だったらと思い悩んでいた頃、強く自己を否定しようとする自分の感情を思い起こした。自己の遺伝子を次世代へ伝えることが、人間としての最も基本的な使命であるのなら、一人どころか二人もの障害者を生んだ自分は、間違いなく社会にマイナス要因を与える不良遺伝子なのだ、と。私が子供と同様我が身を責めるのは、日本の母親にとって、我が子は身体の一部だからだ。エレンが、自閉症が自分の息子への愛情を損なうことはできない、と言い切る文を読んで、未知の物体に強く打たれたような気がした。母が自分自身を責め、自己否定することによって、子供の存在までを否定していたのではないか。母親が子供を否定したら、誰がその子を庇ってやれるのか。自閉症になったのは、ジャックのせいではないのだ。
何故、我が子が身体の一部であると断言できるのだろうか?不動産屋の観点からご説明しよう。私達は突然アメリカへ来て、就職先もなかったので、夫婦でアメリカの宅建資格を取得し、不動産業を始めた。オハイオ州にはホンダの工場と研究所があり、自動車工場がある所へは、葡萄が房を増やすように部品メーカーがゾワゾワと集まって来て、日本人村を形成する。部品メーカーを追って商社も事務所を構える。最近の日本人は住宅を購入しない。90%以上が賃貸だ。夫はアメリカ人やインド人の投資家に住宅を購入させ、私が日本からの駐在員と交渉し、夫が売った家に、日本人に家賃を払って住んでもらう。彼此12年が過ぎ、裕福ではないが、何とか暮らして行けるようになった。アメリカの宅建は容易ではない、と主張する人もネットで見かけるが、決して難解はない。専門学校へ行けば丁寧に指導してくれるし、マニュアル本も暗記用CDも売っている。最短一ヶ月で合格する人もいるし、私は約二ヶ月でパスした。
さて、不動産の世界では、Fixture と定義される家の付属物がある。辞書を引くと「動かせない、造り付けの備品」が定義になる。家の売買が成立する日、すべての名義は新しいオーナーに代わるが、家具に関しては、取り決めた日まで置いておくことが可能だ。しかし、皿洗い機、シャンデリア等、家に取り付けられた物品は、Fixtureと見なされ、動かすことができない。新しい 場所へ持って行きたかったら、契約が成立する前に取り外しておく必要がある。Fixture の定義は宅建の試験でも出題された。「そうか、Fixture は家の一部なのか」私は突然、お腹の中の子供も、母親のFixture なのだと思いが及んだ。アメリカ人にとって、中絶手術は許し難い殺人行為だが、「どこがいけないの?女性の権利でしょ。子供は生まれるまでは、女体のFixtureなんだから。子供は母親の一部なの。私たちは一身同体なのよ」と、発言すると、夫は露骨に嫌な顔をする。
エレンは本の冒頭に「自閉症を持つ子供達が周囲に知って欲しい10の事柄」を掲げ、それぞれに一章を与えて本を構成している。多少、前章と重複する部分もあるが、以下、各章をまとめてみた。
第一章では「僕は一人の子供だ。成熟した大人ではなく、これから成長し、様々な展開を見せるであろう、未発達の可能性なのだ」と、子供の声でテーマを喚起する。「自閉症」という言葉が、いかに根強い先行イメージを持ち、一人の子供の自由な思考や成長を妨げる、固定的観念になった危険性を警告している。彼らは無垢で、幼い、庇護が必要な、ただの子供なのだ。子供が自閉症だと知ってから、その子が突然怪物になったかのように、存在までを恐れるのは、大人のエゴであり、現状を認識できない無知による。
自閉症と言えば即座にコンピュータや数学の天才と見なす、子供に対する周囲の異常な期待の高さによる危険性も、エレンは指摘する。これには、ダスティン・ホフマン主演映画「レインマン」の影響もあるだろう。自閉症のレインマンは数字の天才で、長い間離れて暮らしていた弟を、ラスベガスのカジノで大儲けさせるのだ。Googleサーチによると、自閉症を持つ子供の約十%が、数学、音楽等の天才的資質を現している。十人に一人という割合は、他の知的障害者の天才が占める割合、二千人に一人が天才、をはるかに上回るが、自閉症の子供の九十%以上は別に天才ではなく、特殊な才能や知的能力を提示するのでもなく、能力的にはごく普通の子供である。この事実が見過ごされ、自閉症というと天才と決めつける、周囲の早合点をエレンは警告する。
うちに関して言えば、ジャックは天才ではない。長い時間をかけて教えたので、足し算はできるようになったが、引き算では混乱し、掛け算で九九を暗記するレベルではない。あちこちの絵画教室へ通わせたので、いい絵を描くが、天才のタッチではない。「長男が自閉症です」と言うと、慰めてくれるつもりなのか、「じゃあ、数学とか音楽の天才ですか?」と、返された経験が、私自身も多々あるが、天才は滅多にいないから天才なのだと、もっと理解が深まれば有難いと思う。
第二章のタイトルは、「僕たちの知覚はバラバラ勝手に機能し、同調しない」自閉症を持つ子供達の視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、等のあらゆる感覚は、時として極端に鋭敏、時には全くの無感覚で、それぞれの感覚はバラバラに機能し、連絡を交わさない。
人間の身体には、前記の五感を筆頭に、二十一の知覚形態が存在するが、知覚に困難を覚える彼らにとって、スーパーでの買い物は、拷問に等しい。買い物客のささやき声、バックグラウンドミュージック、レジの音、コーヒーフィルターの水滴、赤ん坊の鳴き声、ショッピングカートの軋み、点滅する蛍光灯が、ゴウゴウと音を発する凶暴な怪物となって彼らに襲いかかるのだ。コミュニケーション能力が皆無、または限られた言語表現しか持たぬ彼らは、自身を打ちのめす不快感を、周囲に説明出来ない。知覚の不統合は、自閉症を理解する上で最も困難で、且つ重要だ。
彼らの感覚で最大の強味は視覚だ。彼らは自分を取り巻く世界を絵として視覚的に理解する。強すぎる視覚能力は、点滅する光や超スピードで動く物体に、容易に圧倒され、大混乱を引き起こす原因になる。多くの子供に共通するのは、聴覚が弱い点だ。過度に鋭敏な聴覚は耐え難い苦痛をもたらす。知覚神経の困難を克服するには、親たち、学校、治療専門家が協力することによって、前向きな効果をあげることが可能になる。
ジャックが二歳で東京都内のの保育園に入ると、すぐに中耳炎にかかったので、アメリカの耳鼻専門病院で耳の手術をして、耳の中にチューブを入れた。その頃家の修理に来た大工さんが、「この年頃の男の子の、耳の病気には気をつけろよ」と、ジャックのように頻繁に中耳の炎症を呈していた、彼の妹の息子が、後に自閉症であると判明し、親戚一同ショックを受けたと話してくれた。
「どうしてだか理由はわからないが、耳の病気と、自閉症は関係があるらしいよ」
と言われたセリフが、今も忘れられない。エレンは、彼らの聴覚の弱さを指摘するが、耳の病気と自閉症に何か関係はあるのだろうか。
知覚がバラバラに機能するという示唆に、私は異議を唱えない。バラバラで各機能の連絡状態が悪いことは、危険を察知するのが遅いことを意味する。例えば車を運転する時、私たちは視覚を使って前方を見つめるが、突発事故が起こらないか、聴覚も働かせている。車内の温度が高過ぎたり、車のハンドルが異常な熱を持っていると、触覚が脳に異変を伝える。各機能がバラバラだと、危険に晒されやすいのだ。ジャックが道路を渡る時、私は最近でも背中が冷たくなることがある。車への注意が、余りにも散漫だからだ。この子は車に向かって歩いて行くような気がする。子供を危険から保護することは、あらゆる動物の親の第一の務めだが、知覚形態が普通と違う彼らには、親が特別な注意を払ってやる必要がある。
第三章は「僕がやりたくないこと(実行しないと選択すること)と、やりたくても出来ないこと(実行が不可能)の違いを区別して欲しい」僕は指示に従わないのではない、あなたが何を言っているか、わからないんだ。僕の言葉の理解力には限界がある。僕が納得出来るように、傍に来て、僕に視線を合わせ、明確な言葉で話し掛けて欲しい。そうしたら理解して、きっと言われた通りに出来るから。この章では、自閉症の子供たちが、親の言うことを聞かないのではなく、相手の言っていることが理解できない、もしくはわかっても、どうしていいのか混乱している様子を説明している。ゆっくりと丁寧に話してやれば、ずっと多くのことができるのだ。 
ここに私の経験を付け加えるとしたら、理解できないから実行できないことに加えて、自閉症の子供の頑固さ、コダワリを上げたい。 ジャックのコンサルタントは「とにかくコダワリを減らすように、コダワリ出したら、反対のことをさせるように」とアドバイスしてくれたが、親たちがやっとの思いで一つのコダワリを解消しても、ジャックは瞬く間に次のコダワリを見つけてしまう。学校の担任は、ある時こう言って嘆いた。「ジャック君は、教室のドアは必ず右半身から入るし、椅子には左半身からしか腰を降ろさないのよねえ。試しに右半身から座らせてやると、やり直すんですもの!」ジャックが皿洗い機から食器を引き上げることを覚えて、手伝ってくれるのは助かるが、彼がコダワルのは、食器を見たらすぐさま引き上げて食器棚に置くことだ。「まだ、洗ってないから、これは汚いからダメ」と、言っても理解してくれない。皿洗いが仕上がって清潔になった食器を一緒に片付け、ありがとうと伝えると、この上なく嬉しく、誇らし気なのだが。外出前にはジャケットを着ることを覚えると、気温が高い日も冬ジャケットを持って来て羽織る。コダワリと、その日の状況の違いを優しく教えてやったら、できることも増えると思う。
第四章は、「僕は具体的に考える。一語、一語を文字通りに解釈する」僕の言語能力は乏しい。僕は言葉を視覚しながら、絵のように思い描く。だから、あらゆる慣用語、コトワザ、だじゃれ、微妙なニュアンスは、混乱を生ずるだけだ。言葉は意味通りに使って欲しい。例えば、「今日は土砂降りの雨」と言う代わりに「雨が激しく降っている」と、言って欲しい。僕には雨の中に土砂は見えないのだ。また、「外は寒いよ」「その音は苦手だ」と、遠回しに言うことを避け、「寒いから短パンの代わりに長ズボンを履くように」「テレビの音量を下げてくれ」と、直接的に指示してくれる方が有難い。
我が家の子供達は日本語を理解しない。英語でのコミュニケーションが困難なのに、二カ国を教えて混乱させない方がいいと、思ったからだ。言語能力が乏しい子供にバイリンガルの試練を与えたくなかったからだが、弟のルークにも日本語を教えなかったことが良かったかどうかわからない。
第五章。「僕が伝えようとする意味を、どうか理解して下さい」何を求めているのか、周囲に伝えることはとても難しい。何故なら、心に沸き起こった感情を、どうやって表現したらいいのか、自分でもわからないからだ。僕の身体の動き、僕が引きこもった時、動揺した様子等から、僕が何かを伝えようとしている、と察して欲しい。察したら、それをキャッチして、意味を捉えてください。言葉はコミュニケーションの最も洗練された形態であり、僕たちの最終目標だ。しかし、僕が言葉を使いこなす日が来るまで、僕が発するあらゆる形のメッセージを受け止め、コミュニケーションの一貫として認めて欲しい。
普通の子供でも、特に思春期の、英語でティーンエイジャーとひとまとめにするが、若い子たちが何を考えているか、大人は理解に苦しむのである。自閉症の子は言葉で伝えることが苦手なので、彼が全身を振り絞って出すメッセージを受け止めて欲しいということだろう。一度理解すれば、自閉症の子は極めてシンプルで誠実なので、荒れる思春期の青少年よりやり易いと思う。
第六章「絵に描いて下さい。図を画いて下さい。そうしてくれたら、僕は目で確かめてから反応します」僕が受け取る情報は、言葉ではなく、図や絵で表現して下さい。声は余りにもはかなく、僕の前から霞のように蒸発してしまう。僕は思考を素早く処理することが苦手だから、絵にして目の前に置かれたら、好きなだけ長く考えることが出来るでしょう。自閉症を持つ大多数は、言葉ではなく、イメージで考えます。彼らにとって、第一の言語は、言葉ではなく、絵なのです。
ジャックはとても絵を描くことが好きなので、彼が小学校の低学年の時は、彼の日常生活の一コマ、一コマを私が何十枚ものカードに描いて、「次は何をしたい?」と、尋ねるようにしていた。ジャックはカードを指すことによって、次の行動を選ぶことができた。最近は「今からAをしたい?Bをしたい?」と、口頭で二者選択をさせると、絵の助けを借りずとも、言葉で答えるようになった。
第七章「僕ができる事をしっかりと見届けて、それを一つ、一つ積み重ねて下さい。うまくできない事に気を取られないで」著者は繰り返し、自閉症は障害ではなく個性であり、その子に備わった特殊能力を、その子なりの方法で、社会に生かす道があるはずだと、主張する。子供が自閉症と診断を受けると、親たちは動揺し、ありとあらゆる情報を収集ようと緊迫したパニックに陥る。著者は「慌てないで、ゆっくりと自分のペースで。焦ると大切な事を見逃してしまう」と、警告する。子供とじっくりと、向かい合って。戦いは長期戦なのだ。 前記の「彼女が二百%自分の子に合わないと嫌悪した、だが具体的に何かとは言いたくない、九十年代に流行した自閉症の治療法」の話について書かれているのも、この第七章である。以下は第七章から引用したい。
「子供が自閉症の診断を受けると、大部分の親は焦燥に駆られ、少しでも正確な情報を集めようと、パニック状態のまま疾走する。自閉症に関して手に入るすべての本や文献を読み尽くそうとする。狂気のように、オンライン・ネットワークや話し合いのグループに加入する。情報の内容は錯綜する。ある説は楽観的で勇気付てくれるが、ある説は悲観的で、頬を叩かれるように厳しい。専門家の意見を訊かなくてはならないし、学校やセラピーの手配も始めなくてはならない。処方箋薬の投与の準備が必要だし、スペシャル・ダイエットも始めなくてはならない。全てを引っくるめて、資金調達はどうするのか。雪崩込む新情報に押しつぶされると、前方に連なる長い、はるかな道程を歩いて行く親たちを助ける機能が、麻痺してしまうから、どうか気を付けて。やり過ぎないで。あなたにもできることが一つある。慎重に考えられた、道理に叶った速度で、この困難な新しい人生の試練に、全力で対抗するのだ。あなたにもそれは可能だ。何故なら、あなたには時間がある。たくさんの時間がある。あなたには今日がある。明日がある。来週がある。来月が、来年が、何年も先がある。医学と教育の分野では、毎年新しい情報が、新しい知識と理解を持たらす。悲観論者たちに惑わされないで。あなたなりの筋を通して。必ず、結果はついて来る」
恐らくこの章のこの言葉が、ABAセラピーで挫折し、疲弊したアメリカの親たちを「もっと肩の力を抜いても大丈夫」と、優しく励まし、力を与えたのではないか。これはまるで、私たちのことではないか。私と夫は、ジャックが自閉症の診断を受けると、気違い染みた情熱で奔走したのだ。好調な収益を上げていた事業を放り出し、生後二ヶ月の弟を連れて日本を飛び出し、十二日後にはアメリカにいた。学校やセラピーの手配に狂奔したし、処方箋薬をくれる医者を探し歩いた。スペシャル・ダイエットもやってみた。全財産を使い果たし、フランクリン群BDDから年間補助金が降りると知った時は涙した。結果としてジャックは完治しなかった。普通学級はあきらめ、今も他の自閉症の子供と一緒に、自閉症のための特別な学校へ通う。私たちはやり過ぎたのだろうか。子供のために奔走することが、子供への愛情だと信じたのは、親の自己満足の表れであったのだろうか。
第八章「僕が社会的な付き合いが出来るように助けて欲しい」僕は他の子と遊びたくないわけじゃない。ただ、どうやって会話を始めたらいいか、どうしたら仲間に加わえてもらえるか、見当が付かないんだ。自閉症の子供に社交性を教えるなんて、不可能と感じるかもしれない。でも、一歩ずつ、小さな障害を取り除くことから始めれば、必ず徐々に効果を上げ、きっとうまく行く。うちのジャックの社交に大きく貢献したのが、八章で述べたスペシャル・オリンピックの存在だ。
第九章「何がパニックを引き起こすのか、原因を見極めて欲しい」エレンは言う。あらゆる行動には理由があり、一見して理不尽に見える動作もすべて、僕のコミュニケーションなんだ。パニックに陥って泣き叫んでいる時は、感情を伝える方法が他に見つからないだけなんだ。パニック状態にはきっかけがあり、周囲が理由を見極めてくれれば、回避することも可能になる。パニックの誘引として、エレンは五つを上げる。1. 知覚、感覚的に負担が過大になった、冷静を保つ限界を超えた。子供が嫌がっている何かを取り除き、安静にさせる。例えば、騒音を止める、寝室へ連れて行く等。2. 肉体的、心理的要因。食物アレルギー、睡眠障害、胃腸に問題はないか、栄養不良、病気や怪我はしていないか。3.感情は安定しているか。4.フラストレーション、欲求不満。失望感、虐待、公正な扱いを受けているか。5.大人が悪い手本になっていないか。パニックの原因を突き止め、子供の心理を尊重し続けると、感情的爆発の回数は減り、やがて平安が訪れる。
 
Jed Baker, Ph.D 氏は、ニュージャージー州アルバニー大学 付属病院に勤務する、臨床心理博士だ。「No More Meltdowns」 Positive strategies for managing and preventing out-of-control behavior. (ノーモア・パニック 制御出来ない態度を防ぎ、コントロールする建設的な方法) の中で、パニックには四つのタイプがある、と述べる。1.パニックへの 要求。 学校で新しい宿題が出たり、喜ばしくない状況等、本人がパニックを呼んでしまう。2. 待つことに耐えられない。 欲求がすぐに叶えられなかったり、好きなことを止めさせられた。3. 自分への脅威でパニックに陥る。状況によって恥をかいたと感じる時、例えばゲームに負けた、間違えた、批判されたり、いじめられた時に。4.注意を呼んだのに、叶えられなかったから。一緒に遊んでもらえなかった、誰かに嫉妬した、一人でいるのが怖かった時。Jed Baker氏は、これらの四つのパニックを避けるために、四つの方法を上げている。1.感受性、感覚に訴える。自閉症の子供は鋭敏なので、騒音、灯り、匂い、身の回り充分なスペースがあるか等、その子の身体に一番良い環境を作ってあげる。触感も大切だ。肌触りの良いクッション等、子供が喜ぶ皮膚感覚を整えよう。2. タイミングの重要性。急かさないこと、空腹、睡眠不足ではないか注意する。3. 子供が不安を感じないように、やるべきことを明確、簡略化する。子供が選べるよう選択肢を与えてやる。4. 絵やカードや地図を使って、状況が目に見えるようにしてやる。これら四つのパニック対策は、一日の様々な状況に応じて役立てることが可能だ。
エレン・ノットボムと、ジェド・ベーカー博士の、パニックについての意見を引用したが、両者の主張は似通っている部分がある。パニックには必ず理由があり、感受性、感情の負担がパニックを起こす重大な要因である。感情を平穏にさせるには、騒音や部屋の状態など、子供が身を置く環境を心地良くしてやることが大切だと、二人共述べている。
パニックについて私の経験を付け加えるとしたら、「仕方がない」と、思うことだろうか。うちのジャックは、特にパニック状態になっていなくても、もっと正確に言えば、理由など何もなくても、大声をあげることが頻繁にある。ジャックが声を上げるのは、要求が直ちに叶えられなかった時、コダワリを止められた時、食べ物をもらうのが遅れた時だろうか。エレンが言うように、彼の知覚はバラバラ勝手に機能し、同調しないのだから、彼には自制することが困難なのだ。頭が声を出さない方がいいと指示しても、母親が静止しても、時として、彼には制御ができないのである。ジャックにとって、パニックに理由などいらないのだ。周囲が慌てふためいていても、自閉症の子供たちは我関せずえん。しばらく待てば落ち着くのである。
現在では大多数の母親が仕事を持っている。二人以上の障害のある子供を抱える人もいるだろう。子供の部屋の温度、騒音、子供が感じる触感を、その子の理想的な状態に整えてやれる母親が、一体何人いるだろうか?私たちは児童心理学者ではないのだ。パニックに思い悩むよりも、親として最も基本的なこと、子供を危険から守り、食べ物、飲み物を与え、トイレに連れて行き、生育することの方が、母親にとっては一大事なのだ。
自閉症の子を持つと、どんなに頑張っても変えられない事実が多々ある。「仕方がないのだ」そう思ったらずいぶん楽になった。所詮、彼は私の身体一部なのだから。 ジャックが寝付くまで、彼のベッドで子守唄を歌ってあげることがある。「ママ、ソング」と、ジャックが懇願するからだ。私のレパートリーは少ない。「ねんねんころりよ、おころりよ」と「眠れ良い子よ」ある夜、ジャックに尋ねた。「どの歌がいい?」その時、日本語を解さないジャックが、明確な発音で歌ったのだ。「ねんねんころりよ、おころりよ」。私が歌い出すと、ジャックは必ず、私の胸に彼の頭をピタリと押し当てる。私の手を取り、彼の胸に強く押し付けることもある。私たちは言葉は交わさないが、寝室の灯を消した暗闇の中、互いの鼓動を聞き合う。
第十章「僕のすべてを受け入れて、無条件に愛して欲しい」著者エレン・ノットボムは言う。幸せとは、そこにない何かを欲しがるのではなく、既に持っている物の中から、何を引き出すかだと、彼女の自閉症の長男が教えてくれた。自閉症とは悲劇ではない。子供にとって最大の悲劇とは、周囲の大人が自閉症は悲劇だと決めつけ、子供をかわいそうな対象として扱うことだ。本の終わり近くに、エレンは自閉症の息子の成長ぶりについて語っている。彼女の息子ブライスはIQは六十九で、普通との「ボーダーライン」であると、中学校卒業間際に、学校から測定結果を通知される。「ボーダーライン(=境界線)とは、どう言う意味ですか」と、学校に勤務する心理学者訊くと、「Rで始まる、最近はなるべく使わない言葉です」と、侮辱される。これはretarded (=知恵遅れ)を意味するのだろう。ブライスの担任は、このIQテストは正確ではない、彼は賢い子だ、と憤慨したし、中学校はIQ は知性ではなく、処理能力を計るテストだからと、言い訳をした。
エレンは学校と話し合った末、普通学級ではなく、学習に困難がある子供を対象にした高校へ息子を進学させる。 そこで息子は目覚しい活躍を見せ、数々の賞を受賞し、高校を首席で卒業するのだ。卒業後は従兄弟たちと共にアメリカ大陸の旅行に出掛け、クレジットカードの口座を開き、大学に入学してアルバイトを見つけた。エレンは言う。大多数の自閉症の子供たちは、確かに悩み、苦闘するだろう、でも、苦しみは永遠ではない、と。
 

今年の春、日本から夫の転勤でオハイオ州へ移り住むことになった、自閉症のお子さんの母親二人と、お茶を飲む機会があった。彼女たちは私より十歳以上若い日本のお母さんで、一人は九歳の男の子、もう一人は八歳の女の子が自閉症だそうだ。二人共、アメリカで障害のある子供を抱えて、これからどうやって暮らして行くか途方にくれているので、長く住んでいる私の話を聞きたいと、言う。子供が学校から帰る前の数時間だったが、私は今までやって来た様々な治療について話をした。
「でもね、今まで一生懸命やって来たつもりだけど、これで良かったかどうか、わからないんです。息子は四十八%の完治者の中には入りませんでしたから」
二人の日本女性の話を聞くうちに、私は、あのまま日本に残った場合の、ジャックの姿が目の前に出現したような気がした。チョコレートを舐めていたら、レモンの酸味が口中に広がったような、ほろ苦い味がした。二人の子供は、どちらも一言も話さないという。男の子は九歳でやっとトイレ・トレーニングを始めたばかりで、八歳の女の子もオシメを外したことがないという。爪切りは、格闘のように暴れるので、眠っているあいだに切るしかないそうだ。偏食が甚だしく、男の子はポテトチップスとクラッカーしか食べないし、女の子は野菜や卵はもとより、茶色以外の色の食物は食べない「色アレルギー」だそうだ。二人の母親は口を揃えた。
「うちの子が、これまで良く生きているなあ、って不思議なんですよ」
ジャックの話を聞いて、今度は若い日本の母たちが、仰天する番だった。
「ジャック君は、言葉を話すんですか?」
「そうね、基本的なことですけどね、自分の意思は伝えられると思う」
「家の手伝いもするんですか?」
「ええ、掃除機をかけてくれるし、週に一回のゴミ出しは進んでやってくれます。爪も自分で切りますよ」
目の前の二人が嘆声を発する。
「えええ、自分で爪を切るんですって、信じられない」
「食事はどうですか?やっぱり、偏食ですか」
私はジャックの食事について思いを巡らす。
「三、四歳の頃は偏食で、卵ばっかり食べていたけれど、六歳ぐらいから何でも食べるようになったわ。グルテンとミルク製品を避けるスペシャル・ダイエットも、半年ぐらい真剣にやったけど、効果が現れなくて止めました。今は、肉も野菜も魚も、好き嫌いなく食べますね」
私は思い当たることがあって、口を閉じた。全て、ABAがジャックに教えてくれたことだった。ジャックがスピーチに伸び悩み、普通学級への進学を諦めた後、私はABAコンサルタントと、今後の目標について何度も話し合いを重ねた。普通学級へ行かずに「オークストーン・アカデミー」を続けるとしたら、彼の日々単位のゴールは、どうしたらいいのか?コンサルタントの提案は、たった一つだった。
「ジャック君が、一人で自立した生活をできること。自助努力をゴールにしましょう。僕はこの仕事を通して、一人で何もできない子供が、グループホームや、もっと拘束がキツい精神病院で、薬漬けにされるケースを見て来ました。その方が、職員たちが楽だからです。自分で身の回りのことができれば、周囲を煩わせないですみます。ジャック君はご両親よりも長く生きるんですよ。毎日少しずつ、できることを増やしましょう」
私はローバス博士の言葉を思い出した。
「半分よりほんの少し低い割合で、子供は完治、或いは普通と同じ状態という最初の目標、を達成する。その段階に届かなくても、九十%の子供は、明白な進歩を見せる。自閉症を完全に克服することは叶わずとも、大多数の子供たちは、著しい発達を示すのだ」p 96 Facing Autism
 
私と夫がやったことは、間違っていなかったのだ。たとえ完治が可能でなくても、行動が見違えるように良くはならなくても、自分たちができることを、子供にしてやること。極めてゆっくりとしたペースだが、言葉も増え始めた。ある日のこと。「ジャック、図書館へ行くよ」と、言う私に、ジャックは図書館用のバッグを持ち「僕の本はどこ?」と、尋ねたのだ。図書館へ行くという情報と、空っぽのバッグと、二つを結びつけて自分で言葉を引き出したのだ。
私たちの闘いは、まだ続いている。私と同じように、自閉症の子供を育てる日本のお母さん、お父さん。絶望しないで。どうか自分を責めないで。親ができることを、精一杯子供にしてあげて。私がこの文章を書こうと決めた理由だ。
(文中は仮名にしました)
    
脚注
 
序章 「Autism A Practical Guide for Parents」Alan Yau 作 Autism Sparks
 
第1章 Essential First Steps for Parents of Children with Autism Lara Delmolino, Ph.D. Sandra L. Harris, Ph.D. 作 Woodbine House社 2013年 出版 p22
「Facing Autism」Lynn Hamilton 作 WATERBROOK PRESS社 2000年 出版 p90
「自閉症の関係障害臨床ーー母と子のあいだを治療する」小林隆児 作 ミネルヴァ書房
「Facing Autism」8章
「Facing Autism」
 
第3章 「Facing Autism」p130
「驚くべきパワーの秘密 三浦家の元気な食卓」三浦敬三、三浦雄一郎、三浦豪太 作 昭文社刊
 
第5章 Facing Autism
 
第6章 「ゆるやかな絆」大江健三郎 作 講談社
 
第7章 Vineland-II Adaptive Behavior Scales Survey Interview Form AGS Publishing社 出版
Vineland-II Adaptive Behavior Scales Second Edition (二版) Teacher Rating Form
BASC-2 Behavior Assessment System for Children, Second Edition PEARSON社 出版
SRS Profile Sheet Parent Report 男性用 WPS (=Western Psychological Services)社 出版
 
第9章 1001Great Ideas for Teaching & Raising Children with Autism or Asperger’s
Ellen Notbohm とVeronica Zysk 作
 
第10章 Ten Things Every Child with Autism Wishes You Knew Ellen Notbohm
No More Meltdowns」 Positive strategies for managing and preventing out-of-control behavior (ノーモア・パニック 制御出来ない態度を防ぎ、コントロールする建設的な方法) Jed Baker, Ph.D 作 Future Horizons 社