読み手と書き手の交流サイト

読むCafe
 

ヌブロ

鄙村ゆとり


約 9723

私が彼に最初に出会ったのは、28年前。夜明け頃から降っていた小粒の雨が、工場敷地にある瓢箪池のほとりの花弁をすっかり削ぎ落として瓢箪の底半分の水面を桃色に染め上げていた。

 

この男も瓢箪みたいに上半分に比べると腰から下がやけにどっしりとした男だったが、プレハブ事務所の長椅子の隅っこで肩を小さく窄めて濃い眉に覆われた三白眼で落ち着きなく辺りを窺っているのを見たとき、そのおどおどした表情に私は確かに好感を抱いた。歳は親子程の差があったが、息子に対するのとはまた違った壊さず守ってやりたいという陰囊(ふぐり)に血が溜まる愛惜が沸々と湧いてくるのを禁じ得なかった。
ヌブロというその名に、いずこから来たのか興味を一層持たされた。どこの出身かと訊ねたら、ヌブロは蚊の鳴くような声で「ヤウンモシリ」と言った。ヤウンモシリなどという場所は聞いたことがない。もう一度訊ねたが、ヌブロは繰り返しヤウンモシリとしか言わなかった。後に分かったのだが、ヤウンモシリとはアイヌ語で北海道のことであった。
ヌブロがアイヌ先住民族であるらしいことは誰もが思うところであったが、彼がそれを口にしたことは一度もなかった。というのも彼は自分の出自のことを全く覚えていなかった。彼はここ国府台のパン工場で働く前のことを、満州で終戦を迎えたことは覚えているが、それ以前のことが記憶から抜け落ちていた。生まれた場所も、家族のことも。かろうじてヌブロという名前は背負っていた軍嚢に縫い付けた名札部分に書かれ滲んだ文字からわかったが、苗字は染みで完全に消え失せていたため判別できなかった。だから彼と交信を試みる時、この名以外に接点はなかった。
それでもヌブロがこのパン工場で働くことができたのは、当時若い労働力が戦争によって著しく欠乏していたせいである。況してや食糧事情厳しき折、食卓に西洋の主食が顔を出してもいまや誰も文句など言わぬ。言わぬどころか、じゃんじゃん作ってくれという世情である。工員がどこの出身であるか、身元がどうであるかなど全く持って意味のないことであった。昼夜問わず火の消えぬ竃の側で、寝食忘れてただ狐色に焼かれるパンを作り続けてくれるなら、ここの工場はどんな人間でも雇った。いや人間でなくとも、犬や猿がそれをできるのなら工場長は迷わず雇っただろう。そんなわけで、ヌブロは国府台の工場前に張り出された工員募集広告を見るや否や、履歴書も何も持たず事務所に飛び込んで来たのである。工場長の飯山(ヌブロが来る前の年に株式会社になったので社長と呼ぶべきなのだろうが、うちではこの言い方を続けていた)はたった一言「飯は好きなだけ食わせてやる。食っている時間以外はパンを焼くんだ。」と言って、彼の返事も聞かず私のもとへ連れてきたのである。
ヌブロは口の重い男だったが、最低限の日本語での会話はできた。この工場で働くにはそれで十分だった。いや寧ろ言葉を忘れて感情も忘れて、焼けるパンだけを見続ける力さえあればそれ以上は無駄なことであった。何人もの秀逸な人間を雇った。ある者は戦前エンジニアだったり、ある者は高い教育を受けられるほどの頭脳を持ちながら経済的にそれが許されずここの門を叩いたり、またある者は自分の会社が戦争で焼け潰れ一から出直したり、しかしそのいずれもが備わった能力の一欠片(ひとかけら)も使えず過酷な労働から逃避していった。
就業に係る一通りの説明を終えた後、私がヌブロに話したのは、「つらいと思ったら相談に来なさい。」だった。これまでこんなことは誰にも言ったことがなかった。工場には各ラインにライン長がいたので、私は彼等の相談に乗る立場にはなかった。ライン長が配下の面倒をみる。しかしこの工場では辞めていく者を誰も引き止めはしなかった。ライン長ですら逃げ出したかったからだ。そういったわけで私はヌブロを簡単に辞めさせたくなかったのだ。慰留できるなら私がやろうとこの時思ったのだ。私の中ではヌブロもすぐに辞めてしまうだろうと予想していたことになる。
しかし、ヌブロは辞めなかった。彼は最も生産量の多い食パンラインに放り込まれたにもかかわらず、黙々と仕事も続けた。(工場には食パンラインの他、菓子パンライン、ハードロールライン、ドーナツライン、ペストリーラインの5つのラインがあった。)口の重さが幸いした。人が泣き言をいう時でも彼は口を閉ざした。他の工員が文句を言って来ても何も言い返さなかった。まさに感情を殺してただひたすらパンを作り続けたのである。
ひと月が過ぎた。その間にも何人かの工員の出入りがあったが、ヌブロは続いていた。工場長の飯山が言ったことはややオーバーだったかもしれないが一日のうち、飯を食う時間と三時間半あまりの睡眠の他は、ずっとパンを焼き続けた。この頃工場は昼夜稼働していたにもかかわらず二交代制勤務が取れず、工員が一日のおよそ四分の三を仕事に費やし少しずつ時間をずらすことでかろうじて睡眠時間を確保した。食事の時はラインに残る者が抜けた者の仕事を補った。ラインに穴が空かぬことだけに気を配っていた。
ヌブロの持ち場は竃から出て来る食パンを金型から出す仕事だった。グローブのような分厚い手袋をはめ熱し切った蓋を取って金型を引っ繰り返し食パンを叩き出す。ラインの中でも最も暑いところで体力も要った。新人はここに決まって配属され三日と持たなかった。ヌブロはこの仕事を黙ってやり続けた。案じていたような相談、即ち彼が私のもとに来ることもなかった。それはそれで私に寂しい念いも起こさせたが。

 

その事件は起きなければならないことだと考えるべきだろう。でなければヌブロはここを辞めるか、あるいは橋爪に殺されるまで虐待されたかのどちらかしかなかった。橋爪洋一という男だ。下締め班の班長を務める男だ。食パンラインには四つの班がある。小麦粉、水、イースト、塩、砂糖、バターからパン生地を作る仕込み班、醗酵した生地を棒状に伸ばして50cm程に切り分け、それをM型に成形し金型に三つ放り込む成形班、金型に入れた生地に蓋をしてトンネル型の竃で火を通す竃守班、焼けたパンを冷まし袋詰めしてパンを入れる番重(木箱)に並べる下締め班の四つの班である。橋爪は最後の行程の下締めを任されていた。班長とはライン長のもとで持ち場を取り仕切る最小単位の責任者であり、一番下の役職者でもあった。役職者としては一番低いが工員たちからすれば一番厄介で威丈高な存在でもあった。ここの衝突が工員を根付かせぬ一番の原因であることは私を始め、飯山もわかっていた。だが、班長の仕事に口出しすることは飯山ですら憚った。苛烈な仕事を辞めずに続けた勲功とその班の仕事を誰よりも知り尽くしている優位性が彼等の存在を屹立させた。持ち場は彼等の縄張りだ。迂闊に土足で踏み入ると、彼等から容赦ない攻撃を受けた。事実、工場では班長が工員を殴り倒すようなことが日常茶飯事だった。もし私が橋爪の縄張りに出向き、パンの並べ方にケチでも付ければ間違いなく彼は私に殴り掛かることだろう。口論など省き、すぐに拳骨が飛んで来る。それがここの仕事だった。
ヌブロが属していたのは竃守班で、橋爪の配下にはない。しかし、竃守班の中で一番川下の金型から食パンを取り出すヌブロの仕事は謂わば、下締め班との接合点で、橋渡し役だった。橋爪はこの工場創業当時からの古参で食パンライン四人の班長の中でも一番権力を有していた。ライン長は彼の機嫌を阿ることが唯一の管理方法だった。
橋爪がヌブロを殴り飛ばした。
「なんでここにパレ置くんだ。」ヌブロを上から睥睨して橋爪が怒鳴った。食パンを焼く金型を運ぶ鉄パレットの置き場所で文句をつけたのだ。
「うちの仕事の邪魔なんだよ。」橋爪には竃守班と下締め班の間に境界線があるらしい。その線を超えて鉄パレットを下締め班の領域に置いていたヌブロに橋爪は立腹したということだった。橋爪はどこの班の者であっても自分に懐くよう求めた。こと懐かぬ者には他の班長に憚りなく手厳しく虐めた。要するにこの狭い工場内で親分、子分の関係を彼は築きたかったのだ。懐かぬ者はここから追い落とす。ヌブロは橋爪に懐いていたとはいえないが、そもそも誰にも懐いていない。ただ自分の仕事に直向きなだけだった。それが橋爪には気に入らなかった。彼にとって仕事ぶりが真面目であることが大事なわけではなく、自分に従順であることが大事なのだった。橋爪はヌブロを自分に平伏させたかった。しかしヌブロは一向に橋爪に近づいて来ない。橋爪はその機会をうかがっていた。鉄パレットはその口実に過ぎない。

 

殴られて尻餅ついたヌブロは叱られた犬のような哀れな目で橋爪を見上げた。橋爪はその目をみて気をよくした。彼の欲している他者との関係性はこれだ。黙ったままヌブロはぺこり頭を下げた。ヌブロに橋爪の境界線が理解できたかどうかは定かではないが、彼は感情を殺すことに慣れている。だから殴られて逆上するようなことはなかった。だが橋爪の方が容赦しなかった。そこは彼のルールしか存在しない。ヌブロに自分がここでの覇者であることをその身に擦り込んでおきたかった。
「誰に許しを得た。」訊ねておきながら返しを待たずまた上から殴りつけた。
「許しを得たか。」もうここでは許可者が自分であることを断定的にしている。そしてヌブロの頭を横殴りに叩いた。ヌブロの衛生網帽子が飛んだ。ヌブロは乱れた頭髪を前後に揺らしゼンマイ仕掛けのカラクリ人形のように頭を振った。相手の怒りを鎮める方法がこれしかヌブロには思いつかない。お構いなく橋爪はヌブロの頭部を続けざまに打擲した。どういったところでヌブロが橋爪の許しを得られる筈がなかった。橋爪の目的はヌブロが自分に絶対的恐怖を覚えることである。気を失うまで殴り続ける気でいる。周りの工員は誰も止めない。止めにいけば自分も巻き添えを食う。こうなればブレーキの利かぬ暴走列車であった。ヌブロの鼻孔から血が滴る。食パンを作る場所が血腥い場と化す。
確かに血腥い場と化した。流れた血の量が橋爪のものが多量である点が違ったが。ヌブロの足下に橋爪が転がった。鉄パレットに乗っていた金型はあたりに散乱し、竃から出て来た食パンが金型ごと床にいくつも落ちている。ヌブロの両手には原形をとどめないへこんだ金型が至る所黒い滲みの血痕を帯びて抱えられている。床に沈んだ橋爪に意識はない。

 

ヌブロの脳裏に断片的な記憶が蘇っている。足下に転がる人間を沢山見て来た。人間というよりそれは四肢も揃わぬ骸(むくろ)だ。その場所が奇麗なタイル床ではなく泥濘(ぬかる)んだ冷たい土の上であることが異なっているが、情景は似ていた。
止めに来た飯山にヌブロが金型を振り上げ襲いかかったところで、私はあらん限りの声で、「満州じゃない。ここは満州じゃないんだ。」とヌブロを抱きかかえ制した。彼が正気を取り戻してくれなかったら私も飯山も、その場でヌブロに打ちのめされていただろう。ヌブロに流れる民族の血が戦地で呼び起こされ彼は修羅場を生き延びてきたのだが、よもや終戦後の平和を取り戻した本土で、しかも戦後の幸福を象徴するようなふっくらおいしいパンを作る工場で、その血が再燃するとはヌブロ自身考えもつかなかっただろう。本来闘争を好まぬ血が、橋爪の度を超えた利己的な虐待で彼の自衛本能に火をつけ、ここが戦地であると錯覚させるに至った。そこまでヌブロを追い込んだ橋爪が無傷であろうはずがない。橋爪は頭部骨折による脳挫傷、頬骨、鼻骨もへし折られ、上腕骨と肋骨に複数罅が入る半殺しのめにあった。命があっただけ儲けものだ、これまでの橋爪の愚行とヌブロへの挑発から私はそう思った。この事件を工場は内輪もめとして警察に届けなかった。
問題はヌブロの処遇だった。工員同士の暴力沙汰はこの頃当たり前とはいえ、上役を半殺しにしたこと、ラインに欠員を生じさせたこと、器材を破損させたこと、仲裁に入った飯山にまで手を挙げたこと、などが処分の対象に上がる。飯山はヌブロを解雇するつもりだった。私はこの決断に猛然と講義した。工場長に逆らったことなどない。しかし私はヌブロをここで辞めさせてはいけないと思ったのだ。
「ヌブロから仕掛けたことじゃありません。彼は揉め事を起こす気などまったくなかったはずです。あのまま橋爪班長にやられていたら彼が殺されていた。ヌブロをあそこまで追いつめた橋爪班長こそ罰せられるべきではありませんか。幾分やり過ぎかもしれませんが、あれは準正当防衛だ。」
準正当防衛と言うとき舌が縺れた。正当防衛とも言えず、過失行為とも言いたくなく、もっと相応しい言い方があればよかったのだが、思いつかなかった。どこか引け目があったのかもしれない。
飯山は仏頂面でただひと言、「あいつは危ない。」と呟いた。飯山の言う意図は解していたが敢えて私は確認した。「橋爪班長がですか。ヌブロがですか。」
「アイヌの恨みは俺にはわからんよ。」
私に向ける表情は怯えに変わっていた。

 

ヌブロの処分は持ち越された。私の抵抗のせいではない。人手不足が極みに達していたからである。入院中の橋爪の復帰が定まらぬ中、この上ヌブロを欠いては食パンラインが止る。飯山はヌブロをそれまで雇い置くことにした。それまでというのは橋爪が帰ってくるまでということだ。
ところが”それまで”はそれまででなくなった。橋爪がパン工場を辞めたからである。復帰の見込みがなかったわけではない。大きな傷を負っていたが比較的回復は順調だった。しかし橋爪は傷が癒えても復帰を望まなかった。飯山に寄越した手紙に、退職の意が綴られていたらしい。飯山はその理由までは私に教えてくれなかったが、彼が溜め息まじりに漏らした、「毒を以て毒を制す、か」で察した。橋爪が企てたことがまさに逆さまになったのだ。ヌブロに恐怖を与える筈が自分がヌブロに恐怖した。ただ、私にはヌブロが毒だとは思えなかったが。
橋爪を失くしても食パンラインは稼働していた。飯山も思ったはずだ。若い者が定着する。加えてヌブロが橋爪の抜けた穴を埋めてくれている。ヌブロは竃守班と下締め班の両方の仕事を覚えた。班長不在の下締め班を切り回していたのは間違いなくヌブロだった。私は確信した。ヌブロの処分はこれでない。それが証拠に飯山はもうヌブロの進退について一言も触れなかった。
半年もせず、ヌブロは四人の班長の一角を占めるようになった。異例のことであるが、ヌブロは下締め班長補佐格というこれまで設けたことがない暫定役についた。社の規程では経験年数五年以上、二十三歳以上の者が班長になる資格を有する。ヌブロは経験年数も年齢も及ばぬが、ここでは三人の班長に次ぐ経験の長さになっていた。それもこれも班長が次々と新入りを辞めさせるからであったが。班長とヌブロの間に空いた経験年数の溝がこのパン工場の人材育成の難しさを浮き彫りにしていた。
溝はそう簡単に埋まらなかった。工場の花形ともいえる食パンラインの班長は他のラインに比べその生産量の圧倒的優位から、非公認ではあるが権威付けがされており何時やら四天王と称されていた。パワーバランスで言えば橋爪に偏りがあったとはいえ、四天王を自負していた三人の班長である。おとなしく引っ込む筈がなかった。構図としてはヌブロ一人に対し、敵方仕込み班、成形班、竃守班の班長三人。ヌブロには元より対抗心などないが、三人には橋爪仇討ちの大義がある、勝手にそう思い込んでいる。畢竟、徒党を組みヌブロの閉め出しを図った。
ヌブロの中に潜む危険な攻撃性を知ったがため、彼等は暴力的な行為には出なかった。そういったことではこの時点でヌブロに軍配が上がっている。(無論ヌブロがそんなものを示威するはずがないが。)その代わりに三人は陰湿な手段をいくつも用意した。その日の生産量の嘘の情報を流したり、下締め班の工員を出勤させぬよう宿舎に拉致したり、ヌブロの制服や網帽子を隠してみたり、やっていることは子供の悪戯とほぼ変わりはなかった。ヌブロはそのどれにも怒る感情も全く見せず平然と処した。嘘の情報でも彼は意に介さず流れて来る食パンを出荷できるまでに仕上げることに専心していた。人がいなければ彼が二人分三人分働いた。制服がなければ木綿シャツ一枚で仕事をした。網帽子がなければ洗い晒しの褌を頭に巻いた。彼にとっては何ということもなかった。おそらくそれらを三人の仕業とも思っていなかったのではないか。やがて三人はヌブロへの陰湿な行為を諦めた。このことが一層ヌブロの地位をかためた。班長補佐格であるが、班長より格上だ。工員は皆そう思った。またいみじくも非武力のうちに三人を制圧したヌブロを飯山はもはや解雇する理由がなかった。
国府台のパン工場に新しい空気が流れていた。私がここに来て初めて経験するものだった。ヌブロは相変わらず無口で黙々と働き続けた。下締め班の工員が彼に仕事のことを訊ねるときだけヌブロは口を開いたが、彼は必要最小限のことしか言わなかった。それでも工員はヌブロの期待どおりに働いたのだろう。彼の期待が果たしてどうだったかは彼の言葉で知り得なかったが、彼が工員の肩を嬉しそうに叩いているのを見たとき、これが彼の他人との意思疎通なのだなと、私まで誰かの肩を叩きたくなった。やがて工場は二交代制勤務が取れるまでに工員が増えた。ヌブロのお陰である。

 

ついにうちの工場もGHQの影響を受けるはめとなった。それまでこんな小さな工場に労働組合など考えも及ばなかったが、昭和二十年に制定された労働組合法が労働者の団結権、団体交渉権、ストライキ権を保障し、街のパン工場にまでも遵法を求めて来たのである。飯山は工員を集めこのことを布達した。「私が作ってくれと言うことではない。しかし君たちにはその権利がある。」
うちのような工場こそこの法が監督すべき対象だったろう。工員が増えたとはいえ、まだまだ労働環境未熟な職場だ。工員にとってはありがたい話である。だが、それを工場長が煽動するわけにも行かぬ。それが飯山の言いたかったことである。
管理職である五つの製造ライン長、総務、人事、経理、製品管理の四課長は組合に入らぬことを宣言した。製造部長の肩書きを持つ私も入らなかった。班長は本来管理職ではなかったのだが、労働組合が発足する直前、飯山は彼等に月25円の管理職手当を支給し、どさくさ紛れに管理職に組み入れてしまった。飯山の目論みは口うるさい班長を敵方に渡したくなかったのだ。こうなると残りの工員は恐れるに足りぬ。だが、それが逆に仇となり労働組合は成立しなかった。班長より下は工場に来て1年にも満たない若い新入りがほとんどである。誰も労働組合などまとめる力はない。権利があると言われても権利を行使するつもりもないのか、いつまで働くか分からぬのに労働組合なんていらない、というところなのか彼等は動かなかった。残念乍らこの時分はまだうちもその程度だったのである。
私が飯山から耳打ちされたのはそんな時だった。「組合を作らんと一人前と認めてくれぬ。どうしたって作らねばならん。君、ヌブロを持ってこられんか。」飯山の言いたいことはよくわかった。口べたなヌブロが代表なら団体交渉でこちらが負けることはない。しかも彼ほど職場環境に不満がない男もいない。労働組合ができてもこれなら工員の賃金を増やすこともない。世間にも顔が立ち工場は今まで通り安泰である。飯山はそう考えたはずだ。
飯山から言われれば断ることができなかったが、正直私は気乗りしなかった。ヌブロを自分たちとの対立関係にしたくなかったからだ。飯山の画策したとおり、ヌブロはきっと使用者側に交渉で勝てないだろう。彼にそこまで高度な交渉能力があるとは思えない。ましてや日本語でどこまでやれるのか定かでない。彼は私たちの言うことは理解していたが、彼が話すことといったら「そうだ」「ちがう」「わかった」の三つのパターンぐらいだった。それ以外の言葉を私は聞いた記憶がない。それでもひよこ集団の労働者側はヌブロが代表になることを拒まないだろう。実際にヌブロは彼等のリーダー的存在になっていた。ヌブロさえ労働組合を作ると言えば間違いなくできていたはずだ。そして彼を代表に仕立て上げただろう。しかしヌブロは全くそんなことに興味がなく食パンを作ること以外頭に置いていなかった。そのヌブロを労働組合の執行委員長にする。それは私にとって守ってやりたい対象を壊しにかかるようなものだった。
誤算が二つあった。ひとつは私がヌブロを説得するまでもなく“ひよこ集団”が動いたことである。動機はやはり賃金だった。誰から知恵を授けられたのかわからないが、初な若者と思っていた連中が賃上げはひとりひとりが言っても実現しないことを知ったのだ。考えてみればこうなる事は必定だった。うちのパン工場の賃金は他と比べて相当低い。およそ15%ほど世間相場より低い。当時はまだ日本では最低賃金法が成立しておらず(昭和34年制定)工場労働者が不当に安い賃金で働かされることも珍しくはなかった。働く者からすれば賃金の比較は最大の関心事だ。私たちはこの点を甘く見ていた。これまでの退職も強ち賃金の低さがその要因のひとつだと言えなくもない。横暴な班長たちの振る舞いだけを理由としてきたが。そこで若い工員達は団体で交渉するためのまとめ役を必要とした。必然的にヌブロの名が挙がる。若者達に担がれて彼が言えるのは「わかった」ぐらいだろう。聞かずともそれは私にも「わかった」。
そしてもうひとつの誤算がヌブロの交渉力である。労働組合が発足して最初にヌブロは五つの要求を突きつけた。賃金一律二割増額、年二回の賞与支給、残業手当の支払い、管理職手当の増額、休日出勤手当の導入。すべて金銭的な要求である。これを飯山は恐れていた。労働組合なら当然要求することであるが、うちの工場はこれらをことごとく封殺していた。残業手当も休日出勤手当も支払っていなかった。これが労働争議にかかるとうちは100%負ける。そしてここからが交渉の本場である。飯山はヌブロとの交渉に自信を持っていた。たとえ向こうが誰を連れて来ても新人だ。なんなら彼等だけに袖の下を渡せばいい、それぐらいに考えていたふしがある。ところがヌブロは交渉の席に着かず、飯山に書面での回答を要求し、その期限を十五日後とした。直接対決に持っていこうとする飯山の算段は脆くも崩れた。
ヌブロの要求を幾らかでも飲んでやりたい、それは私の念いだ。しかし飯山はあくまでも強気だった。回答期限を無視した挙げ句、ヌブロだけに金を掴ませようとした。これにヌブロが血相を変えて怒った。この怒りがどこまで本物か私にも計りきれない。渡された金を投げ捨て「ちがう、ちがう」と連発した。彼がこういった表情をすることは普段ならあり得ない。しかし確かにヌブロは怒っていたのだ。ストライキが決行された。それは予告もなく突然だった。
工場始まって以来のことだった。ラインがことごとく止った。飯山はライン長と班長だけでなんとか工場を稼働させようとしたが、ヌブロはここにも手を回していた。労働組合は管理職の労働条件の向上もめざすとビラを撒き、事実、管理職手当の増額を要求に含ませていた。これにライン長も課長も班長も同調した。無論私もだ。ラインは動かなかった。飯山に与する者はいなかった。五つの要求がすべて通った。ヌブロの完全勝利だった。
飯山に睨まれることになったが周囲のヌブロに対する信望はさらに上がった。国府台のパン工場にまた新しい風が流れていた。