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芙美子、生まれる|林芙美子 「放浪記」を創る(1)

だぶんやぶんこ


約 5264

芙美子は「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と好んで書いた。

まるで自分の人生を表しているかのように。

だが、人生の大半を経済的にも、作家としても、恵まれた暮らしをしている。苦しくはない。

花としては、自分が思い描く美貌と、現実の芙美子の美貌とは違っていたが。

  花の命は、芙美子の命でもあった。

自分の命を縮めることを知りながら書き続け、命短かく48歳で散った。

風も吹くなり

    雲も光るなり

    生きてゐる幸福(しあはせ)は

    波間の鴎のごとく

    漂渺(*)とたヾよい

    生きてゐる幸福(こうふく)は

    あなたも知ってゐる

    私もよく知ってゐる

    花のいのちはみじかくて

    苦しきことのみ多かれど

    風も吹くなり

    雲も光るなり

(原型となった芙美子の詩)

「放浪記」は、芙美子が世に出るために書いた、小説でしかない。

放浪の(ひと)とは、自分のイメージに相応しいと芙美子が使ったフレーズでしかない。

現実の芙美子は、勝算ありと見込んだ行動しか取らず、成功体験がほとんどだ。

悲しみ叫び絶望する自分に酔いながらも、先を見ており、へこたれることはない。

来るなら来いと必ず軽く乗り越える。

「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」放浪の(ひと)、芙美子は、創り上げた芙美子なのだ。

もちろん、好きな主人公だが。

恋愛は作家の(かて)になると信じる芙美子の恋愛は、ほとんど、思うがままに成功している。

最高の伴侶、緑敏がいる限り、必ず悲恋に終わるのは、やむを得ないが。

その間、しっかり、愛を育み、作家として愛を吸収し昇華させている。

芙美子は、才能ある私は必ず花が咲くと揺ぐことのない信念を持つ、たくましい(ひと)だった。

その才は幼い時から抜群であり、周知の事実だったからだ。

命を削って書いた晩年の作は、負け戦に翻弄され傷ついた人々を冷たく描く。

これが現実だよ。よく見ておきなさいというように。

生身の人間はどのような現実が迫り来ても、したたかに明るく楽しく生き抜くことを知っていたゆえだ。

「いつどこで死と巡り合っても、それでいいじゃない」と悟る稀有な天才だった。

サクセスストーリーを実現した文学者、流行作家、芙美子。

幾変化にでも変身し演じられる天才的スターでもある。

亡くなるまで花を咲かせ続け、太く短く生きた。

いつも庶民の代弁者、芙美子。

放浪しない放浪の旅を描き、芙美子は幸せに散った。

目次

1 芙美子、生まれる

2 芙美子の放浪の始まり

3 芙美子、尾道へ

4 芙美子の初恋

5 芙美子、東京へ

6 芙美子と大震災、そして尾道に

7 芙美子、再びの東京

8 芙美子、放浪の終り

9 芙美子の結婚

10 芙美子の文学の友

11 芙美子、巴里に行く

12 巴里の芙美子

13 下落合の洋館に住む

14 芙美子、特派員になる

15 芙美子の家への思い

16 緑敏(1902-1989)の決めたこと

17 芙美子の棲家を建てる

18 芙美子の最愛の家族

19 芙美子の友達

20 芙美子の死

1 芙美子、生まれる

芙美子は1903年(明治三六年)5月5日、門司小森江(福岡県北九州市門司区)のブリキ屋の二階で生まれた。

母、林キクは36歳、父、宮田麻太郎は22歳だった。

父と父より14歳も年上の母との間に生まれた。

生まれたまんまの芙美子を、母は「生きている。元気だ」とほっとし、父は物珍しそうに、のぞき込む。

父には初めての子だった。

子が生まれることが不思議で、出産までを手伝いながら、面白そうに見続けた。

二人は、キクの兄、久吉の営む古里温泉宿(鹿児島市)で知り合い、恋に落ち、芙美子が授かったことを知り、景気の良い下関で商売をし、芙美子を育てようと駆け落ちしたのだった。

きくのお腹は順調に大きくなり、下関までは持たず、門司で生まれてしまった。下関で生まれるはずの芙美子だったが、門司で生まれた。

古里温泉は、桜島を背にし、南側は鹿児島湾に面し、薩摩半島と大隅半島に挟まれた、のどかで雄大な景色の中にあった。

疲労回復に効果のある温泉であり、いつも、湯治客でにぎわっていた。

大海に繋がる眺めのいい露天風呂のある小さな温泉宿だが、温泉に浸かると心まで温かくなり仮初めの恋が、よく生まれる。

父、宮田麻太郎は愛媛県桑村郡(くわむらぐん)吉岡村(周桑郡次いで東予市から西条市へと名が変わる)の雑貨商、扇屋の長男で、伊予紙や呉服などを扱う行商をしていた。

鹿児島も商圏とし、古里温泉に泊まり周辺に行商に出た。

母、キクの実家は鹿児島市内で漢方薬を扱う薬種商だった。

裕福とは言えないまでも恵まれた環境で育ち、一通りの教育と教養を身に着けた。そして、年頃になり、親の決めた結婚をする。

疑いもなく、当然のことと嫁いだが、夫はキクを大切にはしなかった。

愛を求めるキクには、物足りない夫だった。

すぐに別れ、実家に戻る。

 

ひとり身になり「雄大で素朴な美しさと熱い怒りを秘めた桜島が大好き」と兄の温泉宿に押しかけ、ルンルンで働き始めた。

以前、鹿児島市内で大火災が起き、実家が燃え、古里温泉に避難した。

その時、林家は、避難先の家を買い、住んだ。

キクも一緒に避難し、キクにはとても楽しい思い出となった。

その後、市内の旧家跡に新築し家族は戻るが、兄、久吉が古里温泉の家を引き継いだ。

兄は、その家を広げ温泉宿にし、経営した。

その温泉宿でキクが笑顔を振りまき、客をもてなすと、人気者となり、温泉宿も繁盛していく。

 その宿で、キクは多くの恋をする。

人目を惹く凛とした美しさがあり、涼しげな目元、引き締まった唇は、知的で、もてた。

 自炊もできる安さが売りの温泉宿なのに、キクは必ず身支度を整えて仕事を始め、隙のない身のこなしをした。

育ちがよく、一流の宿の女将が似合う風情だった。

 最初の結婚に失敗し、多くを学んだ。

以来「熱い恋をして都会に出る。そして、思い切り大きく生きる」と将来の目標を定めた。

幼い頃から好きだった古里温泉での出会いに賭けたのだ。

「うちの露天風呂に入ると心まで熱くなり恋が生まれる」と劇的な燃える恋が生まれると信じた。

2か月3か月と長期間泊まり商売する客が多く、顔なじみになり、幾つかの恋をした。

キクは、熱く強い男と結ばれ、一緒に故郷を離れると決めていた。

ところがキクを都会に連れ出す人とは巡り合えず、恋した人は鹿児島を離れる気がないか、キクを残し去った。

結果はむごく、三人(新次郎・ヒデ・福原氏に嫁ぐ長女)の子を身ごもり生まれただけだった。

実家に戻り密かに生むと、何事もなかったかのように古里温泉に戻った。

二人は父親が引き取り、一人の娘は実家の籍に入れ預けた。

それでも、両親は何とか落ち着かせたいと、結婚させた。

やはり、また別れてしまう。

怒り嘆いたが、ついにはあきらめた。

キクが、望まない子を産んでも、引き取る父親がいた。

キクは愛され結婚を望まれたのだ。

鹿児島に留まるのは耐えられず、断った。

くじけることなく、劇的な出会いを信じた。

月日が経ち、キクの若さが色あせ苛立ちを感じ始める。

その頃、父、宮田に出会った。

宮田は忙しく行商に出ては戻り、キクに声をかけた。

「下関は戦争景気で大にぎわいだ。儲かるはずだ。次に行こうと思っている」と。

キクに商売の面白さを話し、身の上話をする。

キクを好きになったのだ。

キクの目が輝く話をして喜ばせ、長く逗留する。

キクは「この人しかいない」と胸高鳴らせ思い切りぶつかった。そして芙美子を身ごもる。

宮田は、妊娠を聞くと「ここを出て下関で一緒に商売しよう」と言い、また母を喜ばせた。

キクには、待ちわびた展開だが、宮田はあまりにも若かった。

実家に残す娘が、心配で、行くべきではないと頭をよぎる。

心残りは尽きないが、商売がうまいと見込んだ宮田に愛され共に故郷を離れるのは、信じられないほどの幸せだ。

キクは接客や行商の仕事が好きだった。

宮田の力になる自信がある。

すべてを捨てて悔いはない。

35歳にしてやっとつかんだ幸せだと、二人で手に手を取って港、下関を目指して行商を続ける。

だが、その途中の五月、門司で、思いのほか早く芙美子が生まれてしまう。

四国出身のブリキ屋で、同郷だったため、駆け込んで長居する。

産後が安定するまで、母と芙美子は門司にとどまる。

父は、キクと芙美子のために門司と下関を往復しながら、下関で店を開くために必死で商売を頑張る。

父、宮田の実家は母、キクとの結婚に反対していた。

母は父、宮田の実家が結婚を許さないと知り、法律上の結婚をあきらめる。

すると芙美子の籍をどこに入れるかが問題になる。

娘を預かっている実家もいやがり、やむなく、分家した林家の戸主である兄、久吉の籍に芙美子を入れることにする。

母を愛する若き父、宮田は結婚にこだわらなかった。

下関で商売を始めることに夢中だった。

結婚はいつだってできることだ。

芙美子を可愛がり「儲けるぞ。不自由させないから安心しろ」と抱き上げる。

父、宮田は豊前(ぶぜん)()(下関市)の質屋の質流れ品の競り売り(せりうり)の手伝いをしながら、めきめき腕を上げていく。

そして、質流れ品の販売を任され「軍人屋」を開店することができた。

下関は、朝鮮半島や中国大陸との交易の玄関口であり、日清日露戦争の出撃基地となった。

戦争が始まると、ごったかえし、多くの人が集まった。

そこで、質物を扱う店を持ったのだ。

 飛ぶような売れ行きだった。

喜んで、母と芙美子を下関に呼び、一家を構えた。

次いで、実家から取り寄せた品々も売っていく。

下関に落ち着くと半年遅れで芙美子の出生を届け出た。

母は、兄の戸籍に芙美子を入れるのは嫌で、つらく情けなくしばらく落ち込んだ。

半年間、結婚し、宮田の籍に入れたいと頼み続けたが、宮田の実家は受け付けず、父、宮田も動かなかったのだ。

心づもりはしていたが、結局、頼み込んで兄の籍に入れてもらった。

そのことは、兄に対し心苦しいことであり、無念だった。

芙美子にも申し訳なく、生涯、出生の経緯を詳しく話すことはなかった。

「軍人屋」は好調だった。

品不足の下関では何でも売れたのだ。商売は瞬く間に大繁盛だ。

父と母では追い付かず、実家から商品をもって行き来する弟や友人が店を手伝うようになる。

そして、若松・長崎・熊本に支店を出す。

母は、帳簿を付け、儲かりお金が残っていくのを実感する。

よちよち歩く芙美子を抱き上げ「夢が実現したんだ」と喜びの涙を流す。

だが、日露戦争は思ったより早く終わり、戦争景気は去ってしまった。

父は、すぐさま下関に見切りを付け、石炭景気でにぎわう若松市に本店を移した。

父の見通しは正しかった。

若松での商売は繁盛し、ますます店は大きくなる。

芙美子は、何の不自由もない豊かな暮らしの中で伸び伸び育つ。

ところが、父は余裕が出ると芸者遊びを始め、あげくは芸者ハマを家に連れて来るようになる。

時々が再々になり、ついには家に入れてしまった。

母は、父と共に古里温泉を離れて以来、一途に父を愛し、父と共に店を大きくしている。

妻として店を切り盛りしてきた自信があり、14歳も年下の父の遊びにこだわる人ではなかった。

だが、遊びは容認したが家に入れ共に暮らすことは屈辱であり、恥をかかされて我慢する人ではなかった。

父母との家庭的な幸せは、芙美子6歳で終わった。