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7 二葉御殿の主、貞奴|天に駆ける、貞奴

だぶんやぶんこ


約 3432

桃介は、三留(みど)()の別荘を大切にしたが、事業の本拠を名古屋としていた。

そこで、貞奴と二人で住まうため本拠名古屋に二葉御殿を建てた。

名古屋市内の一等地に2600坪を越える敷地で、約120坪の建築面製となる豪邸だ。

政財界人との懇親の場としても使う、二人の愛の巣だ。

土地・建物共に(さだ)(やっこ)名義の(さだ)(やっこ)が所有する家だ。

茅ケ崎の家と同じように、(さだ)(やっこ)が名実ともに所有する。

それだけの働きをし、その権利があることの証明だ。

桃介は、設計を当時新進気鋭の住宅専門会社「あめりか屋」に依頼した。

欧米各国を回り、国賓並みの待遇を受けた(さだ)(やっこ)だ、迎賓館のイメージは出来ていた。

(さだ)(やっこ)は設計者相手に、かっての海外興業を面白おかしく話しながら、楽しく設計を煮詰めていく。

音二郎に似てきたなと自分自身に、くすっと笑いながら。

華やかで、新しい趣向を取り入れ、新技術を取り込むのが大好きなのだ。

二回、劇場を建てたが、その時、音二郎に「贅沢すぎる」と文句を言ったことを思い出す。

桃介は「すべて思うようにすればいい。贅沢すぎるぐらいがちょうどいい」という。

そこで、貞奴の思い通りに打ち合わせをし、建築が始まるとすべて、貞奴が決めて出来上がった。

(さだ)(やっこ)は「(音二郎が)かわいそうだったな。もっともっと思うようにさせてあげればよかった」と思う。

「あるところにはお金があるんだ。成功した実業家の持っているお金は想像できないほどすごい。また儲かりだすと何もしなくても儲かるのだ。それもまたすごい」と桃介の財力に感心する。

だけど、桃介は贅沢の意味がよくわかっていない。

使い方を知らないし、いつも暮らしはつつましい。

育ち、生き方の違いに驚くほどだ。

建物に桃介の得意とする最新の電気設備が備えられた。

海外での豊富な経験のある(さだ)(やっこ)の好みにより、こだわりのある贅を尽くした家となる。

広間には色彩豊かなステンドグラスが使われた。

円形に張り出したソファがある大広間では、ステンドグラスが柔らかい光を投げかけて貞奴を美しく包み込むように見せる照明の工夫がされた。

螺旋(らせん)階段にはランタン風の明かりがあった。

夜はライトアップされ、電気の力を見せつける広告塔になる。

玉砂利の道を入っていくと、車寄せの前がロータリーになっている。

庭には、厳選した(さだ)(やっこ)好みの庭木四季の花が植えられた。

芝生の庭には、しだれ桜やもみの木と側に洒落たガーデンテーブル。

加えて柔らかな雰囲気のチェアを幾つか置いた。

電気仕掛けの噴水やサーチライトもあり、仕掛けがあり変化を楽しみながら、くつろげる空間とする。

夜昼なく客をもてなすことが出来る。

こうして1920年、貞奴の思いを込めた新居、二葉御殿が完成した。

電気がまだ一般家庭では使われていなかった時代だ。

当時の人々にとって信じられないほどの夢の御殿だった。

連日の宴が始まる。

桃介は剛腕と恐れられ、政財界に敵が多い。

そこで、桃介を敵視する政財界人や文化人を招き、(さだ)(やっこ)が、桃介への認識を変えさせ、貞奴ファンにさせるための宴だ。

宴の主人公は貞奴だ。

(さだ)(やっこ)は、サロンを主宰する美貌の賢夫人となるべく、完璧に舞台装置を整える。

毎日の来客をもてなすために、50人の手伝いを雇い入れた。

要人をもてなす為に、それぞれの趣向を調べ、好みの茶菓や晩餐の手配をし、きめ細かい日本のおもてなしを、身をもって行う。

日本人が主賓の時はフランス料理を主体とし、外国人が主賓の時は信楽や瀬戸の趣のある器を活かした彩り鮮やかな日本の料理を取りそろえる。

桃介のパートナーとしての役割をごく自然にこなした。

こうして、この館は、政財界人や文化人の集まるサロンとなった。

また自分の会社、川上絹布の経営者としての仕事もこなした。

事業パ-トナ-として、忙しく充実した暮らしだった。

貞奴が日本一の芸者ともてはやされた頃、伊藤博文と一緒に行動する時が多かった。

その時には政府高官らとも一緒だった。

鹿鳴館での外国要人との夜な夜な行われるパ-ティ-の話をよく聞いていた。

文化に関する政策では、西洋に追いつくためにすべきことが熱心に論じられていた。

その時、芸者の場の持たせ方、お客のもてなし方など話したこともある。

そんな経験を重ね、貞奴は、外国要人と話しても、引けを取らない話術のうまさ、知識の豊富さ深さ、日本の文化を身体で表現できる芸を持っていた。

外国要人に日本の文化水準の高さを見せつけ感嘆させる貞奴。

桃介は感心して見つめた。

(さだ)(やっこ)もあの頃を思い出し、今、あの時、欧化政策を熱く語った官僚の目指したものを実践していると悦に入る。

伊藤邸に出入りを許され、家族同様に扱われた時があり、伊藤の妻、梅子から、激動の明治維新を伊藤と共に歩んだ懐かしい話も聞き、明治維新を自分なりに理解した。

政府高官の妻に、社交術の秀でた芸者も多く、話が合った。

(さだ)(やっこ)は、明治の元勲やその家族との深い結びつきで、外国要人に知識の豊富さ、広さで、圧倒させた。

またその場で日本文化の神髄を披露できる芸も持っている。

(さだ)(やっこ)を馬鹿にした福沢諭吉と張り合って、結構いい勝負をしている気がする。

ふふふと含み笑いだ。

招かれた誰もが、(さだ)(やっこ)の話に聞き入り、話術と説得力に魅入って次にまた招待されることを心待ちにする。

そして、桃介の理解者になる。

桃介が(さだ)(やっこ)に期待した以上に、桃介は見直され事業への賛同者が増えていく。

二葉御殿は鹿鳴館にも似た素晴らしい屋敷だった。

そこの主人であり、主役の(さだ)(やっこ)が、動き話しあでやかにふるまうことで屋敷が生きる。

電力事業の発展の為に演じる(さだ)(やっこ)は最高の主演女優だった。

(さだ)(やっこ)を得て、財閥に立ち向かう孤独の事業家、桃介が「日本の電力王」と呼ばれるようになっていく。

(さだ)(やっこ)は、三留野の別荘と二葉御殿を、電車で三時間かけて行き来する。

村の人々は、高名な女優、(さだ)(やっこ)が三留野駅(南木曽駅)で降りる、その時に顔を見ることが出来るのだと噂する。

その日を待ちわびる。

こうして、貞奴が三留野駅(南木曽駅)に降り立つ時には、一目見たいと、人だかりができていく。

年を重ねても今風に最高の着こなしをした(さだ)(やっこ)は、都会でしか見れない貴婦人だった。

別荘から遠出するときは真っ赤なオートバイだ。

美しい木曽谷の深い山あいにぴったり合うと乗り始めた。

昔から、馬をかわいがり乗りこなした。

桃介との劇的な出会いとなったのが、乗馬だ。

今でも好きだが、時代が変わり、自由に乗ることが難しくなっていた。

そこで、選んだのが、オートバイ。

大自然を駆け抜けるにふさわしい乗り物だと気に入った。

乗馬服ではなく、オートバイに似合う服を探し見つけ身に着け、飛び乗った。

でこぼこ道を、爆音を(とどろ)かせ、砂ぼこりをたてて、真っ赤なオートバイに乗った貞奴が走っていくのを村人はじっと見続ける。

「すごい。すごい。見た。見た」と興奮して口々に言う。

50歳を過ぎてすでに女優業は引退していたけれど、新しいもの動くものに興味が尽きない、スポ-ツ大好きの貞奴の颯爽とした姿は、まだまだ絵になった。

(さだ)(やっこ)と真っ赤なオートバイに出会った村人は、感激してその様子を皆に話し続ける。