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ヘンリー・野口自選詩集

ヘンリー・野口 


約 6615

My Secretary

青白く光る画面に文字が一つ
Log in
キーボードを
打つと彼女は生き返る
画面はめまぐるしく変わり
彼女は次々とプロンプトを送ってくる
彼女はせっかちだ
ちょっといい加減な操作をすると
たちまち
「それは間違っています」
とか
「ファイルを再定義してやり直してください」
というメッセージを送ってくる
強引に動かそうとすると もう、ソッポを向いて
テコでも動かなくなってしまう
電源を切ろうとすると
「すべてのファイルの内容が失われます」
などと脅しをかけてくる

でも 彼女のご機嫌が良いときは最高だ
難しい仕事もスイスイとこなしてくれるし
どんなに夜遅くなっても文句一つ言わない
全く理想的な秘書だ
もう ぼくは君なしではいられない
さて、今日の仕事はこれまでです
Log out
 
 

アマリリス

アマリリスが咲いた
ブッキラボウに咲いた
けなげに咲いた
一体、何を望んでいるんだ?
太古の命のリズムに導かれて
見渡す限りアマリリスで覆われた
沼地の再現を夢みるか?
だが、あいにくここは都会の部屋の中
おまえの夢は見果てぬ夢だ
せめて、ぼくの想像の大地の中に
おまえの花園を造ってやろう
 
 

ある風景

この夏 ぼくはまた あの風景に
で会うだろうか
青い空と白い雲
照りつける太陽の下で
人気のない家並みと乾いた道
何度ぼくは同じ風景を見たことだろう
幼いころ 故郷の小学校からの帰り道に
勤め先の都会の昼下がりに
出張先の異国の見知らぬ町で
その風景に出会うたびに ぼくは年をとってゆく
ちょうど時の輪に結び付けられたリボンのように
それがぐるりと一回転すると
一つ年を取る
あと何度ぼくは同じ風景に出会うことだろ

 

 

オデッセイ

非現実的なのは分かっている
人生は後ろを振り返るようなことをせず
しっかり前を見据えて
進むべきであることも分かっている
でも どうしても
この想いを捨てきれないのだ
あのときが あの青春の草の輝きが
今もなお どこかで密かに
息ずいているんじゃないかという思いが
人は確実に老いてゆく
肉体も精神も
決して後戻りはできないのだ
だが どこかにあるんじゃないか
そこに行けばあの輝きが あのときめきが
もう一度だけ味わえる場所が
そんな場所を見つけるために
僕たちは船出する
黄金の羊皮を求めるオデッセイに

 

 

マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ

ママンは僕を愛してくれた
だが 生まれつき体が弱く早く逝ってしまった
僕が預けられた田舎の人たちも皆 親切だった
ヘルガは僕を男にしてくれた
カトリーヌは僕のためにウサギを料理してくれたし
ハンスは寄せ木の立派な船を作ってくれた
民政委員のオービルさんも一生懸命
僕の将来を心配してくれた
皆いい人だ 誰も悪くない
だけど 僕は独りぼっちだ
どうしようもない
いったいだれに抗議できるだろう
神様に抗議するしかない
だが 神様に何と言えよう
ワンワンとしか言いようが無いじゃないか
何も分からぬままに 人間どもの手で
たった一匹スプートニクに乗せられて
暗い宇宙に打ち上げられた
あの ライカ犬のように

 

 

異国の君へ

あの雲はめぐりめぐって
いつかは君の居る町の上を流れるのだろうか
この風はめぐりめぐって
いつかは君の頬を撫でるのだろうか
この雨はめぐりめぐって
いつかは君の素足を濡らすのだろうか
もしそうなら ぼくは寂しくなんかない
君の書いた雲の文字がいつかは読めるだろうし
君のため息もいつかは風が運んでくれるだろう
そしてぼくの涙がいつかは君の涙と出会うだろうから

 

 

一番星みつけた

一番星みつけた
遠い記憶の彼方から
やまびこのように返ってきた呼び声が
夕焼け空にこだまする
祭りの夜に手をつなぎ
金魚をすくったミヨちゃんは
だれのお嫁さんになっているんだろう
よく晴れた日には
天辺まで登ると海が見えた
あの山の頂きの一本松は
まだ残っているだろうか
別れの汽車が発つ間際
息せき切って駆けつけて
大切にしていた横綱(メンコ)を
黙って僕の手に押し付けたシゲちゃんは
どんなおやじになっているんだろう
いまも変わらぬ夕焼け空の
あの茜色の雲の向こうに
ぼくは何かを
忘れてきたようだ

 

 

英雄しょう

君たちは気付かないか
名もなき無数の英雄たちの存在を
彼らは人類の真の危機や転換期に現れて
それと戦い
人類の進むべき方向を決めたのだ
彼らは僕や君たちの軽蔑の目や
嘲笑をものともせず
それをやってのけたのだ
彼らの名は歴史には残っていない
いや 僕たちの記憶にも残っていないだろう
だが 忘れてはいけない
彼らがいなかったら
僕たちは いま ここに存在して
いないのだ ということを
 
 

黄昏の街

黄昏の空はかすかな茜色を残し
向かいの無人のビルに映える
昼間の顔から夜の顔へ切り替えかねて
街が戸惑っているようなひととき
車のドアを開けてふとまわりを見れば
今日の喧騒の名残が
ひからびた落ち葉と一緒に
紙屑となって舞っている
また今日も暮れてゆく
何事も無かったように
“あら 雪よ!”
傍らの妻が言った

 

 

夏の陽

この輝く真夏の太陽
生命の誕生と
幼き者の成長をせきたてるような
この夏の陽射しに
ジリジリと焼かれて
干からびてゆく者もあるのだ

 

 

簡単なこと

世界を変えるなんて簡単だ
君が変われば良い

 

 

鏡は暁に割れた
破片は千々に飛び散り
すべての人々の心に突き刺さった
もはや鏡は無いのだ
だれがこの世で最も美しいかを
告げてくれる鏡は
人々は皆 自らの鏡に
問いかけるしかない
自分はこの世で
最も醜いのではないかと
そして すべての人々が
その答えを得たとき
破片は光の渦巻となって
天に昇るのだ
そして また 新しい鏡が作られる

 

 

洪水

この水は何だ
ひたひたと足首を浸すこの水は
嵐は過ぎ去り
雨は止んだのに
この水はいっこうに引かない
高層ビルの屋上に居ようが
地下三階に居ようが
東京に居ようが
ニューヨークに居ようが
この水は常にぼくの足首を浸している
世界は洪水に見舞われたのだ
足首までの洪水に
出でよ 現代のノア
早く箱舟を造ってくれ
ぼくたちの足がふやけて腐ってしまう前に

 

 

航跡

母港を発って もうどのくらいになるのだろう
五月の風の薫る故郷の海に残してきた
航跡はもう消えてしまっただろうか
波の静かな時には数日間
船の通った名残の跡が残るそうだ
ぼくは航海に出た
はるかな 海と空が接するところを目指して
そこから海は伝説と神話の世界に入るという
青く、限りなく青い空間に
そこでは航跡は永遠に消えない
船と乗組員が朽ち果ててしまった後も・・・・・

 

 

札束

暮れなずむ街に舞うのは
あれは札束だろうか
茜色の空の下に
黒々と横たわるビルの間を
パタパタ パタパタと
蝙蝠のように舞う黒い影は
あれは札束だろうか
人々の欲望と打算に誘われて
街に積り積もった札束が
次の獲物を求めて飛び立ったのだろうか
薄暗いビルの谷間から
茜色の空に飛び立っていくのは
あれは札束だろうか

 

 

殺しのプロより

なんでお前はあんなに簡単に殺っちまったんだ?
「切れた」だと?
そんなもの理由になるか
「切れた」なんて言葉はな
マスコミ野郎どもが手前らには理解できない
行動に勝手に付けた符丁にすぎねえ
ひとりの人間を殺るにはな
それなりの理由が要るんだ
人間てのはたったひとりで
その場限りを生きていりわけじゃない
一人ひとりが血のつながりや 心のきずなで
生まれた時からの長い歴史を引きずっているんだ
お前はそれを一気に断ち切ったのだ
そんな大それたことを
「切れた」の一言でかたずけるつもりか?

 

 

失われた地平線

車あの見渡す限りの地平線は
どこに行ったのだろう
かって ぼくがまだ身長一メートルにも
満たなかったころに見た
あの どこまでも続く青い地平線は
あれから長い時が過ぎて
ぼくは ずっと地平線を見ずにいた
そして ぼくは今では二メートル近い
身長があるのに
あの地平線をもはや見ることが出来ない
あの地平線は いったいどこに
行ってしまったのだろう

 

今日のこの手の血色はどうだ
まるで二十歳のころにかえったようだ
あのころはこの手で誰彼となく
握手したものだ
明日への自信にあふれ
人々への信頼に満ちていた
真冬の木枯らしの中でも
手はいつも暖かった
あの暖かさは今は無い
ただ熱にうかされた手のみが紅い

 

 

小雪幻想

はらり はらりこ
天から粉が降ってくる
御霊の尾根の石臼が
天の氷をひいている
はらり はらりこ
舞っている
光の中を舞っている
遠い昔の思い出を
古代の花のまほろばで

 

 

川の魚

川の魚はな
生まれたときから川上に向かって
泳いでいるんだよ
一時も休まず 寝ている間も
ちょっとでも休めば
すぐに川下に流されてしまうんだ

 

 

創世記

「光あれ」
神がのたまうと そこには光があった
それから 神は昼と夜を作り
地と海を作り
すべての植物と動物を作り
そして六日目に考えられた
「私のこの偉大な創造の業を認識して
称賛してくれる者が居ないのは
寂しいことだ」
そこで神は自らの像になぞらえて
人間を作られた
人間には心があり 神の御業を認識し
称賛することが出来る知恵をもっていた
「これで良い」
神は満足されて七日目の休息に入られた
だが 神は気付いておられなかったのだ
知恵はまた 神の思し召しに背いて
悪を行うことの出来る
双刃の剣であることを

 

 

太った子

神様はなんで私をこんなに
お太らせになったのでしょうか
園子ちゃんやエッちゃんより
ずっと少ししか食べないのに
明ちゃんや淳ちゃんより
ずっとたくさん運動をしているのに
神様のなさることには必ず意味があり
決して無意味なことはなさらないと言うならば
私をこのようにお太らせになった
理由は何なのでしょうか
私にいったい何をしろと
おっしゃるのでしょうか

 

 

定年

たいしたことではない
今日が昨日の続きであり
明日は今日の続きである日々が
戻ってくるだけなのだ
今日は昨日と同じではいけない
明日は今日よりさらに効率的であれ
と叱咤され追い立てられた日々は
終わるのだ
ごきげんよう
かって同じ価値観を共にした仲間たちよ
傷つき 疲れ果てながらも
効率アップこそすべてと信じて戦った
あなたたちの勇敢さ、ひたむきさ そして
忍耐強さをぼくは忘れない
いつの日か 世界最高の効率を達成した暁には
みんなに豊かで幸せな暮らしが
待っていることを祈ります

 

 

ジョージ
おまえ 奴に敵うとおもっているのか
おまえは絶対に奴には勝てない
なぜなら お前の敵は奴じゃないからだ
おまえの敵はお前自身なのだ
だから おまえが敵を倒そうと
自分をかりたてればかりたてるだけ
おまえの敵も強くなるのだ
奴はただお前自身である お前の敵の
象徴として選ばれたに過ぎない
奴にとってはまったく迷惑なことに

 

 

天国

部屋を吹き抜ける風
明け放った窓から入り込んでくる
木々のざわめき
暗いテーブルの上の水差しに映える
黄昏の光
そして、かすかに漂う
夕げの支度の匂い
そんな時ちらりと垣間見るんだな
天国を・・・・・

 

 

匂いの記憶

ボンベイは枯れ草の匂い
ニューヨークは薄いコールタールの匂い
ジャカルタは葉巻たばこの匂い
モスコーは雪解け水の匂い
シンガポールは薄荷の匂い
ラパスは乾いた埃の匂い
ソウルはキムチの匂い
リオは汗の匂い
バンコックはガソリンの匂い
タリンは機械油の匂い
そして東京は焼き立てのパンの匂い
世界の街の匂いの記憶

 

 

飛行機雲

星が見えそうな初秋の空を
白い尾を引いて飛行機が横切ってゆく
あのケシ粒のようなものに
百人以上の人々が乗って
どこかに向かっている
どんな人たちが乗って
何を考えているのだろう
目的地で待っている顧客のことか?
昨日の妻との会話のことか?
見知らぬ国への漠然とした不安か?
憧れの国への輝く想いか?
機内食のメニューのことか?
隣のジイさんのいびきのことか?
いずれにしても 初秋の空の
飛行機雲のことではあるまい
なぜって
あなたたちには絶対見れないもんね
だから あなたたちを羨んだりはしないよ!

 

 

 

かって ぼくは雲の文字を読むことが出来た
風の声を聞き分けることが出来た
真夏の空に浮かんだ入道雲の形や
水たまりをさっと吹き過ぎる風に
感動することが出来た
あのころの世界は何と広く
驚異に満ちていたことか
そして ぼくは世界に旅立ったのだ
多くの国々を回り
さまざまな人々と交わり
ぼくはいろんな経験をした
お金もたくさん手に入れた
幸せな家庭も持つことが出来た
だが 長い時が過ぎて
好奇心は色あせてしまった
世界はちっぽけになってしまい
あたりまえのことしか起こらなくなった
もはや ぼくは雲の文字を読むことが出来ない
風が吹いても何も感じない

 

 

風の軌跡

ぼくは結局 一陣の風だったのだ
神々の髪をたなびかし
木々をゆすり
月夜の草原を渡り
獣たちを誘い
炎を燃え立たせ
大海原に帆を進め
街々の喧騒を運び
乙女の衣の裾を翻す
だが 後には何も残りはしない

 

 

 

満ち潮

潮が満ちてくる
ひたひたと 音も無く
だが 逆らえぬ力で
イデオロギーを失って
とまどっているぼくらの足元を
それは絶え間なく削ってゆく
世界は変わるだろう 着実に
吉なのか 凶なのか
それは分からぬが
潮は満ちてくる
ひたひたと音も無く
逆らえぬ力で

 

 

約束

ほら 忘れないでね
あの約束を・・・・
灰色の雲が垂れ込める
朝の波止場の空の下
出船のドラや汽笛の音に
かき消されそうになりながら
急ぎ交わした会話のなかで
ふと あなたが言ったあのひとことを
僕は決して聞き逃さなかった
赤い夕陽が地平線を紅に染めて
パンパに夕暮れが訪れる頃
ぼくは東の空を仰ぎ見て
あなたの言葉を繰り返す
たとえ地球の裏側に行ってしまっても
数え切れない年月が流れても
僕は決して忘れない
都会の夜も更けて
ネオンの明かりも絶えるころ
人気の無い酒場のテーブルの片隅で
ぼくは鮮やかに思い出す
あの時のあなたの唇の動きを
あなたの眼差しを
例え違う人生を歩んでも
互いに幸せだとは言えなくても
ぼくは決してあきらめない
ずうっと ぼくは追ってゆく
あなたのあの一言を
ほら、忘れないでね
あの約束を・・・・

 

 

車窓の外は夕暮れ時
家や煙突や看板が
次から次と過ぎてゆく
遠くで海が光ってる
いったいどこまで来たのやら
いったいどこに行くのやら
僕の降りる駅の名が・・・・
思い出せない
また ひとつ駅が来て
人々は慌ただしく降りてゆき 乗り込んでくる
どこへ行くべきか 何をすべきか
少しも迷いが無いように
自信ありげに
僕の降りる駅の名は・・・・
思い出せない
また 一つ駅が過ぎてゆく
遠くで海が光ってる

 

 

老い

陽はめぐり
川は流れる
冬が去り
春が訪れれば
花が咲き
鳥が歌う
なにも老いさらばえたりはしない
ぼく以外は