幻冬舎グループの作品投稿サイト

読むCafe
 

ヒステリック エンジェル。

後藤りせ


約 21670

殺人予告。

目の前で呼吸をしている男をこの手で殺めるんだと思ったら、最高に幸せな気分になった。
あたし、容疑者になるの。
 
お店でのナンバーワンよりも、もっともっと上だ。
格別な称号。
レベルアップだネ。
新聞のトップ飾れるとイイな。
お店のパネルみたいに心からの笑顔で飾れるとイイな。
あたしのキャッチコピーはなんだろう?
 
逃げたりなんかしないよ。
シャネルのピンクのドレスも用意したんだ。
ミルクティー色の髪を、蜷局を巻く蛇のように巻いて、カルティエのティアラを乗せて、激しくサイレンが鳴り響くパトカーに乗るの。
 
最高。
なんてハッピーなんだろう。
 
あたしの方が気が狂うくらい、幸せで死にそう。
 
真っ暗なキッチンで毎日毎日鋭く研いだ包丁にそっとスカルプの長い爪を這わせる。
こんなに甘美でゾクゾクするような快楽は一瞬で終わるセックスでは味わえない。
ピカピカに光った刃で、めちゃくちゃにしてあげるからネ。
あたしの愛するダーリン。
どうか地獄に墜ちてくださーい。
じゃあねー。
 
ばいばーい。
今夜0:00に、決行しまーす。
 
 

15歳 。 ピ ン サ ロ 天 使 。

あたしは15歳。ピンサロで働いてる。
風俗の世界に入って3ヶ月が経ったかな?
風俗なんて、3日も働けばもうプロだけどね。
 
ずっと援交もやってたし、抵抗なんてなかったよ。
入れるか入れないか、ピンかグループの違いだよね。
 
あたしね、バカだから風俗嬢ってカッコイイと思ってたの。
 
実際ね、お財布に諭吉が何十枚も入ってて、ハイブランドで固めたあたしは同世代で中学生してる子よりも最上級のレベルだったよ。
羨ましがられることは最高にエクスタシー感じるよね。
 
でもね、あたし、心が真っ暗闇の中にいるみたいなんだよ。
毎日毎日ひとりで泣きながら剃刀で手首を切ってるんだ。
ヘラヘラニコニコ笑ってるけどネ。
淋しいんだよ。苦しいんだよ。怖いんだよ。
 
あたし、お金がすべてだと思ってるの。
お金はあたしを裏切ったりしない。お金はあたしをひとりにしない。お金はあたしに生きる意味を与えてくれる。
 
あたしがもっともっと子どもの頃から、毎晩のように見知らぬ男を連れ込みセックスをしている不様な母親。
リビングから聞こえるわざとらしい喘ぎ声に、あたしは耳を両手で塞いで泣きながら寝たふりをしてた。
 
父親と呼べる男は、いない。
 
中学校にはほとんど行っていなかったの。
みーんなバカばっかり。
 
あたしのレベルには到底誰も追いつけるわけがない。
そんなくだらない場所は必要ない、そう、思っていたから。
 
朝から客引きをする黒服の男たち、嫌味のように輝く風俗街のネオンを見て育ってきた。
青空さえ掻き消されてしまう街。
 
あたしの感覚は麻痺していた。
 
男が自宅に来ていないときは乱雑な部屋で母親から繰り返される暴力とネグレクト。
痩せ細った身体には無数に浮かび上がるアザ、タバコを押し付けられ深くへこんだ傷痕。
 
殺されると思いながら眠ることの恐怖を誰も知ろうとはしない。
 
あたしの15歳の誕生日。
 
雑音にしか聞こえなくなった母親の喘ぎ声には決して届かないあたしの最後の言葉。
「ママ、バイバイ」
あたしはこの先二度と開けることのないドアの鍵を、閉めてしまったの。
 
家を出たのはまだ夜が明けきれていない時間で、ビルの隙間から見える空がオレンジのグラデーションを作り、星を少しずつ殺していく。
あたしは優しく包んでくれるその色に、安堵したんだ。
 
そしてすぐに援交のリピーターのヤクザに偽造免許証を作って貰い、地元の風俗街にあるギラギラした看板の店に飛び込んだ。
 
援交の延長線上。
誰にも頼らずに生きていくには身を売るしかないんだよ。
母親を捨て、あたしが得たモノは自由だったんだ。
 
即、面接合格。
 
職業、中学生の風俗嬢。
 
寮を借りて、義務教育を完全放棄して12:00から0:00までのオープンラスト、週6フル勤務。
 
真っ暗な店内、爆音のトランス。
安っぽいカーテンで仕切られた小さな部屋にザラついたL字のソファー。
 
トランスに紛れて聞こえる大袈裟な喘ぎ声の中。
ナース、レースクイーン、メイド、チャイナドレスの衣装を着たキャストと呼ばれる女たちが不味い水割りを作る。
その隣では口の中に放出された精液をうがい薬で消毒する女や、プラスチックのカゴに性器を拭くためのおしぼりを用意する女。
 
異様な感じだったけど、あたしは嫌いじゃなかったよ。
 
男の精液がなにより大好きないやらしくてお尻の軽い女になれるから。
どんなに抜け出せない暗闇にいても、別のあたしになれるから。
 
働いて1ヶ月もしないうちにナンバーワンになってたよ。
咥えた数なんてわかんない。忘れた。
 
指名ランキングのグラフが蛍光のピンク色に塗り潰されていく度に、あたしはこのギラギラした闇に存在していてもイイんだと思ったの。
 
やっと、あたしは生きていると思えたの。
 
あたしを拾ってくれた夜の世界は、とても居心地が良い。
 
誰もあたしを責めたりなんかしない。
誰もあたしのことを嫌いになったりしない。
誰もあたしの存在を否定しない。
 
ただ、手首の傷だけが、増えていく。
 
 

ブランドネーム 【処女】

あたしはまだ処女で、その【処女】っていうブランドみたいなモンに、一番の高値を更新してくれる男を探してた。
 
援交では、ゴハン、カラオケ、ドライブ、キス、少しパンツを見せるだけでも男はみんなお金をくれた。
カワイイカワイイちやほやされて稼げるなんて最高。
そのうちに、処女のあたしは売れるんだって思ったよね。
 
8月の咽るような熱帯夜。
あたしはラブホテルのベッドの上で、天井からだらりとぶら下がり輝くシャンデリアをただ見つめていた。
 
ナンパされて付き合った21歳のレンちゃん。
あたしの身体に付随したブランドに一番の高値をつけた男。
 
「愛してる」
 
タバコの煙で曇った車内でレンちゃんの唇があたしの耳元でそう囁き、ラブホテルに行った。
 
愛なんてあたしにはまだよくわかんないけどね。
ずっとずっと欲しかった言葉だったの。
その言葉を貰ったときに、あたしの中で高値は更新されたの。
 
レンちゃんはあたしの身体に穴を開けた。
 
薄っぺらい粘膜とともに心の中のなにかが、ぷつん、と音を立てて千切れたような気がしたよ。
膣から垂れ流れる血液が温かくて、あたしは痛みを忘れるくらいにレンちゃんの身体をきつく抱きしめた。
レンちゃんの刺青だらけの腕は、汗が滲んでいて、とても優しい温度であたしを包んでくれた。
 
「お金、貸して貰えないかな?」
「明日携帯止まっちゃうんだ」
 
「お前の声聞けないの、淋しいよ」
「来月には絶対に返すから」
「ダメかな?」
 
生温く湿ったシーツの上で、あたしの髪を撫でながら、レンちゃんが放った言葉。
 
あたしはお財布から3万円を取り出しレンちゃんに渡した。
その3万円が一瞬で消えていく泡になることなど知らずに。
 
あたしは最高金額を貰わずに、大切ななにかと引き換えに処女を売った。
 
15歳のあたしに、ピンサロ嬢のあたしに、セックスというオプションがついたよ。
1回、5万円。
 
ピンサロの客に耳元で「エッチしない?」と誘い、店内でセックスをする度に、一生懸命貼り付けたメッキみたいなプライドがポロポロと剥がれ落ちていった気がした。
音も立てずに、ただただ静かに。
 
あたしは、少しずつ、ゆっくりと、壊れていくんだろう。
 
小さな音を立てて千切れてしまったあたしの心は、このだらしなく開いた穴は、たとえなにかが挿入されても埋まるようなモンじゃない。
 
レンちゃんのお金の要求が止まることはなかった。
あたしはお金を渡す度に、必要とされているんだと感じた。
レンちゃんのためなら、見知らぬ男の前で服を脱ぐことなんてたいしたことじゃない。
 
あたしは、天使。
男に選ばれて、お金で買われて、一滴残さず精液を出してあげる。
 
淋しい男を救済する天使なの。
 
 

アイ アム リストカッター。

男は射精させてあげないとかわいそう。
そんなことを思うようになったよ。
 
あたしのナンバーワンは、セックスという裏オプションで守られている。
 
レンちゃんはギャンブルにあたしが渡したお金を注ぎ込んでいた。
容易く吐き続けていた嘘は重なれば重なるほど、容易く見破ることが出来る。
 
異常なほどのタバコの匂い、何十枚ものパチンコ屋のメンバーズカード、車に落ちていたスロットのメダル、23:00を過ぎないと鳴らない携帯。
 
仕事にも就かず、一触即発のスリルを味わうためなんだろうか。
 
レンちゃんにお金と身体を求められることがいつの間にか当たり前になった。
身を売って得たお金は、フワフワと泡のように消えていく。
 
でもね。
あたしは必要とされてる。
それだけで、あたしは生きている価値があるんだ。
 
あたしはレンちゃんを愛してる。
とても歪んでいて、間違った、愛してる。
 
あたしの部屋のゴミ箱に捨てられた高校入試のパンフレットと白紙の通知表。
あたしの人生には必要がない。
 
店で着るセーラー服が、あたしの戦闘着だった。
自称18歳というだけで他に武器なんてなんにもないのに。
 
ナンバーワンになってしばらく経った頃。
いつものようにサービスをして、客を見送るときにあたしは最高の言葉を貰った。
 
「キミはなんにも考えてないんだね」
 
さっきまであたしに咥えられて悶えて果てた男が安易に吐いたよ。
裏オプションの5万も出せない男が安易に吐いたよ。
 
店の入口でびちゃびちゃと激しく音を立てた汚いキスをしてニコニコ笑って見送った後、あたしはとても苦しくなった。
 
上手に息が出来ない。
 
慌てて店長があたしのそばに来て、口を紙袋で塞ぎ背中を擦った。
ドーナツショップのシナモンの香りがする紙袋の中であたしは朦朧とするのをただ堪えた。
 
あたしの存在証明はただ指名のグラフだけ。
 
なんにも考えていない。
なんにも考えていない。
なんにも考えていない。
 
わかんなかった。
わかりたくなかったのかもしれないね。
 
気付くのはとても怖いことだから。
 
あたしは乱れきった呼吸が収まったあと、泣くことさえも放棄してヘラヘラと笑っていた。
 
最高の褒め言葉だね。
うん。最高だよ。
 
その日、仕事が終わり部屋に帰ってから、あたしは剃刀を手首に這わせ、止めていたリストカットをした。
もう痛みなんて感じる心が無いんだと思った。
浅くてろくに血液も出ないような傷でも、切ることで安心を得られたよ。
 
あたしは生きていてもイイんだって、あたしに言い聞かせるための、作業だった。
 
あたしはお金を稼ぐ機械じゃないよ。
あたしは性欲を満たす道具じゃないよ。
 
わかってよ。
 
レンちゃんは、あたしの傷痕が増える度に、ウザそうな顔をした。
 
ごめんね。
壊れた女でごめんね。
 
お金ならいくらでもあげるから。
 
どうか。
どうかあたしを嫌いにならないで。
 
捨てないで。
 
 

恋愛ごっこ。

1月。
あたしは店を飛んだ。
 
週イチで指名してくれてた太い客が有名なグループのヘルスの店長だったの。
「今よりももっと稼がせてあげる」
引き抜きは業界ではタブーだったけれど、その言葉に気持ちがグラグラと揺れて、あたしはヘルス嬢になった。
 
OLの衣装を着て痴女役を演じ、社長と称された客をひたすら責めるスタイルの店。
薄暗い照明のプレイルームには革のチェアとテーブル、真っ赤なベッドが置いてある。
キャストが準備をしている間に、客は病院の問診票みたいにそれぞれ言われたい言葉や性感帯を書いてスタッフに渡す。
そしてその通りにサービスをする。
オプションでパンストを破ったり、ローターを使ったり、穿いていたパンツのお持ち帰りもあった。
 
中学生のOL痴女。
 
あたしは必死に客の要望と店長の期待に応えようと、いやらしくて性に貪欲な女を演じたよ。
それを求められるのなら、あたしはどんなに恥ずかしくていやらしいことでもしてみせる。
 
フラフラと彷徨って、行き着いたあたしの輝ける場所。
そこであたしを更に輝かせてくれる人。
 
店長。
 
店長はあたしに特別に優しい。
レンちゃんに向ける想いとは違う感情があたしを動かす。
 
レンちゃんに会えば、必ずセックスをするのに。
 
「愛してるよ」と言われたら「あたしも愛してる」と平然と答えるのに。
 
女のあたしも嘘吐きで性にだらしなく単純ですぐに人間を欺く。
 
もう愛なんてわかんないや。
あたしにはそんなモン、必要ないのかもしれないね。
 
ただ、あたしは店長が欲しい。
 
欲しい欲しい欲しい。
 
欲しくてたまらない。
 
ヘルスで働くようになって1ヶ月後にはナンバーワンになっていた。
 
OLのコスプレをした自称18歳が卑猥な言葉や態度で責め立てて抜いてくれる。
年齢層の高い店の中で10代があたしだけだからだろう。
単純にそう思っていた。
 
あたしは裏でなにが起きているかなんてなんにも気付いていなかった。
 
早番の最後についた客を見送ったのは18:00を過ぎていて、あたしが次の客のサービスのためにプレイルームでタオルをたたんでいるときだった。
店長がプレイルームに入って来て、あたしをマットに押し倒した。
 
「内緒だよ」
 
あたしは店長とセックスをした。
隣の部屋からは遅番のキャストがサービスを始めていて、演技だとバレバレな喘ぎ声が聞こえている。
店長の手で押さえられたあたしの口から漏れる声。
 
あたしは初めて、セックスでイッた。
この身体がぶっ壊れそうなくらい強烈な悦び。
 
それからあたしと店長は待機中の度にセックスをするようになっていた。
破壊力を持った快楽を知ったあたしは止められなかった。
 
あたしは欲しくてたまらなかった店長を手放したくないと思った。
 
あたし、ズルイかな?
 
お店ではナンバーワン。
店長の一番のオキニ。
稼ぎも生きていくには充分過ぎるくらいだったし。
客にもスタッフにもちやほやされてお姫様扱い。
最高だ。
 
レンちゃんはサラ金にも手を染め、毎日ギャンブル。
 
なにひとつ変わっていないのはレンちゃんだけだ。
 
あたしは?
 
あたしは、変わった?
 
誰か教えてよ。
 
 

16歳 の 風 俗 ジ プ シ ー 。

いかがわしい風俗街に、桜の花びらが舞う。
15cmのヒールで落ちていく花びらを踏み潰す度、心がヒリヒリとした。
あたしは16歳になろうとしていた。
 
高校には行かなかった。
 
早朝、ホストのキャッチを交わしながら店へと向かう。
途中のコンビニで買うモノは、コーラとタバコ。
これから0:00まで長い長い戦いが始まる。
 
あたしの戦闘着はOLから学校の制服に変わった。
セーラー服、ブレザー、スクール水着、体操服、チアガール。
 
プレイルームには学校で使う椅子と机、黒板、跳び箱がある。
 
主に客が先生役になり、受け身がメイン。
パジャマを着てアイマスクをし、ブラックライトの中で夜這いをされるコースもあった。
 
あたしはイメクラ嬢になっていた。
 
店長とは結局、セックスだけの関係で終わった。
 
あたしが店を飛んだり、他の店に引き抜かれたりしないように付けられた監視役だったんだって。
ずっとナンバーワンを守ってこられたのも、店長が裏で操ってたからなんだって。
 
笑えるね。
監視役はセックスまで管理するんですか。
 
もう、どうなってもいーや。
こんなボロボロの身体だけはまだ動いているけど。
 
レンちゃんは相変わらずだった。
毎日開店前からパチンコ屋に並び、閉店時間まで家には帰らない。
サラ金から借りては返済日に返せなくなり他の業者からまた借りる。
自転車操業に陥っていた。
 
レンちゃんの家のポストには何十通もの明細と督促状が詰め込まれていた。
 
店長という男を、あたしの中での唯一の支えになっていた男を失って、あたしはフラフラとレンちゃんに感情を持って行こうとしていた。
 
レンちゃんもきっと苦しんでいる。
ギャンブルの蟻地獄の中で、必死にもがいている。
 
レンちゃんを助けたいと思った。
地獄の暗闇から抜け出させてあげたいと思った。
 
あたしの生きる意味を、身体を売っても見出させてくれるなら。
 
店長の店を飛んでから、風俗求人誌を読みあさり一番保証の良かった今の店へ飛び込んで面接を受け、その日からオープンラストの週7勤務、生理休暇以外はフル稼働で働いた。
 
レンちゃんの借金を肩代わりすることにしたんだ。
 
返しても返しても、減るどころか高金利で増えていく借金。
 
あたしはレンちゃんに生きる意味を与えて貰っている。
だからこんな仕事を背負うなんて大したことじゃないんだよ。
 
結局また始めてしまったリストカットの傷で埋め尽くされた両手、両足。
そんな手と足を持った女が自分の性器を口に含んでいることなど、客にとってはどうでもイイことなんだろう。
あたしにとって、射精させておいて「こんな仕事やめろ」ってウザい説教を喰らうことと同じだ。
 
お金になることならなんでもやった。
 
店の看板嬢として風俗情報喫茶にパネルを出し、ホームページの写メ日記も鬼のように更新し、卑猥なムービーを撮影し、風俗雑誌のグラビアモデル。
 
顔出しでバレることなんてなんにも怖くなかった。
 
あたしは、雑誌やネットに、完璧なあたしを見つけることがたまらなく幸せでもあった。
男たちが射精をしたくて見ている、そんなことにも優越感を感じたんだ。
あたしが年下なことにも気付かずに店のキャストたちの見る目線が変わる。
 
店の専属カメラマンはとても変質的で、いやらしい目つきで舐めるようにあたしのリストカットの傷痕を撮影した。
 
どうせ、修正を施され、綺麗な肌になる。
 
レンちゃんはあたしの仕事にはまだ気付いていないんだろう。
 
「これで返せる?」
 
返済のためにと渡したお金は、あっけなくパチンコ代に消えていく。
 
あたしはそれでも身を売って心を削ってお金を渡し続ける。
 
きっと変わってくれる。
そう信じていたから。信じたかったから。
 
自己満足の偽善者でもイイ。
 
それにこの身体はもう既に存在意義さえも失いかけている。
 
壊れるだけ壊れて、灰になったら、それでイイ。
 
あたしは流行っていた出会い系バーに頻繁に通うようになった。
援交相手を探すためだった。
店内にはカウンターがあり、酒を飲みに来たと称する男が女を買う。
金額設定は自由で、あたしは1回、5万円。
深夜0:00にイメクラの仕事が終わって、出会い系バーに足を運ぶ。
早朝まで出会い系バーのベッドだけがぽつんと置いてある別室で不特定多数の男とひたすらセックスをする。
 
1日中、男の性器を見ていてもなにも感じない。
ただの肉の塊。
 
イメクラで借りた寮に帰宅して、お風呂に入るときだけに罪悪感が生まれた。
 
犯され続けた汚い身体。
 
今までに微塵も感じたことのない、虚しさ、淋しさ、苦しさが涙になってあたしの眼球から零れ落ちる。
 
あたしは何度も何度も身体を洗う。
すべて、すべて、すべて、洗い流してしまいたかった。
 
お金はいくら稼いでも足りない。
出口なんて見えない。
そして、存在しているのかさえも、わからない。
 
もしも、このループの先に出口に繋がる扉があったのなら、あたしはその扉を開ける鍵を持ち合わせているのだろうか。
 
「行かないで」
 
あたしの意思なんてレンちゃんにとってはゴミみたいなモンなんだろう。
 
お金を渡すことがすべてではない。
 
そんなことわかってたけど。
 
あたしから裸になる意味を奪わないで。
あたしから生きていける意味を奪わないで。
 
もうなにも失いたくないんだよ。
 
 

ぎりぎりのからだ。

その日は朝から雪が降っていて、あたしはいつもと同じようにタクシーを降り、店へと向かっていた。
信号待ちをしているときに、目に留まったショーウィンドーに映ったあたし。
 
あたしは、自分でも気持ちが悪いくらいに痩せていた。
1日中、男の肉の塊を見て口にしているせいか、あたしは食事さえまともに出来なくなってしまったんだ。
少しでも口に運ぼうとしたり、食べ物の匂いを嗅ぐと吐き気がした。
 
痩せ細り、傷だらけの身体。
 
あたしは、泣いた。
信号が青になっても、前へと進まずに、泣いた。
 
通行人の誰もがあたしを指さして嘲笑っている、そんな気がしたんだ。
 
「見て。あの子、風俗で働いてるんだよ」
「汚い」
「身体売るなんて最低」
「あんなゴミ、死んじゃえばイイのに」
「売春婦」
 
現実なのかわからない。
幻のようにあたしの耳に響く罵倒の嵐。
 
あたし、どうしてこんなになっちゃったんだろう。
 
「キミはなにも考えていないんだね」
 
本当だね。
 
あのときピンサロで言ってた男の言葉、やっとあたし、わかったよ。
 
あたしは精神科へ通院するようになった。
 
「お前、このままだと死ぬぞ」
 
あたしは店長の言葉にとてつもない恐怖を感じて精神科を受診した。
問診票の当てはまる項目にチェックを入れていく。
 
「ざまあみろ」
「お前はいつか絶対に殺される」
「医者の言葉を信じるな」
「嘘吐き」
 
ああ、また声が聞こえる。
あたしは無機質な待合室で耳を塞ぎ震えていた。
 
「統合失調症」
 
医師がそう告げた瞬間に、頭の中で響いていた声がぷつんと止んだ。
 
大量に処方された極彩色の向精神薬。
あたしはその日のうちに一週間分を全部飲んだ。
 
あたしに命令を下した、誰かの声に従っただけ。
 
身体の力がふわふわ抜けていき宙を舞っているような感覚に酔った。
ワンマンでワンパターンで、速攻終わってしまうセックスなんかよりも、この先に死が待っている。
そんな感覚にゾクゾクした。
 
そのまま泥のように眠りについて、レンちゃんが泣いていたことだけは覚えている。
 
「ごめん。ごめん。もうつらい思いさせないから」
 
きっとお金を借りにあたしの部屋に来たんだろう。
 
この男を信じられない気持ち。
それだけがあたしの心を埋め尽くす。
 
また打ちのめされる。
 
きっと、確実に。
 
あたしの通っている精神科はまるでドラッグストアのように「あれが欲しい。これが欲しい」と言えば、希望通りに薬を処方してくれる。
所謂、薬ヤブと言われる精神科だった。
 
ネットでも取引されるほど人気があった精神刺激薬。
リタリン。
あたしは興味本位で医師にリタリンの話しを持ち出しガラスの瓶ごと貰っていた。
 
リタリンがあれば、あたしは無になれる。
食べなくても眠らなくても仕事が出来る。
 
まるで合法覚醒剤だ。
 
ネットで見かけたスニッフという吸引方法。
すり鉢でリタリンを擦って粉末状にしてストローで鼻から吸引する。
スニッフの方が素早く効果が現れるからだ。
 
リタリンをスニッフすると、凄まじい幻覚があたしの目に飛び込んで来る。
 
早朝のタクシーの運転手はキティちゃん。
店に何台も置いてあるパソコンはヘラヘラと笑いながらなにかを話し合っている。
あたしの部屋には、朝も昼も夜も、キラキラと流れ星が流れる。
道路のアスファルトはピンク色のお花畑。
 
あたしはその幻覚さえも、快楽だと思っていた。
 
出勤前にリタリンをスニッフして、ネイビーの制服を着たキティちゃんが運転するタクシーの中でも待機中でも向不安剤をお菓子みたいにバリバリと噛み砕く。
 
呂律さえ回らないままサービスをして、記憶にも残らない客の顔。
受け身のときは頭の中で必死に今日のギャラ計算。
 
こいつがイケば、ノルマ達成。
カルティエのアクセサリーが買える。
 
あたしは薬物依存と同時に買い物にも依存するようになっていた。
 
仕事帰りや生理休暇に、ハイブランドの路面店に行き、何十万も洋服やアクセサリーやバッグを手当たり次第、値札も見ず試着もせずに買いあさる。
 
「カワイイ」
 
あたしの思考はその4文字だけで動き、諭吉の束はレジへと吸い込まれていく。
 
両手いっぱいに紙袋を手にして、店員に満面の笑みで見送られる。
周りにいる女たちから羨ましそうな視線を浴びる。
最高に優越感を感じた。
 
風俗でサービスが終わり、ニヤニヤ帰って行く客もそんな気持ちなんだろうか。
 
あたしのピンク色で統一された部屋に放り投げられる紙袋。
 
ルイヴィトン、エルメス、グッチ、シャネル、カルティエ。
 
手にしてしまったら、そこで終わる。
まるで射精をして果てた後の男のようだ。
 
あたしはナンバーワンから圏外へと落ちた。
 
当たり前だね。
いくら精液を出したくても高い金を払ってまで、傷だらけでイカレた女に咥えられたくはないだろう。
 
あたしは、店を飛んだ。
 
ナンバーワンを保持出来なかったことが、たまらなく悔しかった。
 
その足で、風俗街の中で一番の高級店に飛び込んだ。
有名店でナンバーワンだったこと、まだ自称18歳ということ、どんなに痩せ細り傷だらけのあたしでもそれは救いになった。
 
入店した店はソープランド並みの濃いサービスをするヘルス。
 
赤い間接照明が照らすプレイルームには、革張りのベッドとソープやマットヘルスで使われるエアーマット、個室シャワーではなく広いバスタブがある。
サービスも、洗わずに性器を咥える即尺と、マットでのローションプレイが、通常のヘルスのサービス内容に加えられている。
衣装はキャバ嬢のような露出の多いロングドレス。
 
あたしはどうしてもナンバーワンの座が欲しかった。
欲しくて欲しくて、必死で働いた。
 
既に借金を返すためではなかった。
ナンバーワンという地位、称号が欲しかったんだ。
妬まれるほどに羨ましがられる視線と言葉。
 
相変わらず、あたしはリタリンを止めることが出来ない。
 
あたしの目に出現する幻覚は加速していった。
そして、常に幻聴が聞こえるようになった。
 
「死ね、クズ」
「ねえ、なんで生きてんの?」
「お前には生きる価値なんてないんだよ」
「早く死ねよ」
 
真っ暗な部屋に帰り、流れ星が瞬く中。
 
「わかってるよ。死ねばイイんでしょ」
「あたし、どうせクズだもん」
「死んであげるよ」
 
鳴り止まない幻聴と対話するあたし。
 
とうとうどん底まで墜ちたんだ。
気が狂いそうになった。
あたしはバカバカしくて仕方なかった。
奇声にも似た大声でケラケラとひとりで笑い続ける。
 
そして、いくら稼いでも買い物依存は猛スピードを出してあたしの思考能力を壊していく。
 
もっともっと、モノが欲しい。
 
もっともっと、満たされたい。
 
あたしは店でのアリバイ会社に登録をして、クレジットカードを作った。
まるで自分の貯金のような錯覚を起こしていた。
 
レンちゃんもこんな気持ちだったのかな。
 
いくら満たされようと足掻いても、心は空っぽのまま、罪悪感と戦うだけ。
 
静かに、気付くことも、気付かれることもなく、自分を自分で殺していく。
 
 

愛なんていらねえよ。

あたしはナンバーワンの座を手に入れた。
看板嬢になったあたしが眩いパネルの中で心からの笑顔で笑っている。
 
桜の花が、またギラギラと輝く風俗街に咲き始める。
ふっくらとしたピンク色の蕾から放たれる甘い香りが風俗街を染めている。
 
もうすぐあたしは18歳。
 
ナンバーワンの称号を与えられるまで、ジプシーのあたしは店を飛ぶこともなかった。
 
あたしは、ここで、この店で、ナンバーワンになってやる。
風俗街でもグループ内でも最高級の値段とサービス。
絶対に他のキャストには負けたくない。
 
そんな思いで、働き続けた。
 
ネットの掲示板にはあたしの源氏名のスレッドが乱立している。
 
「プラス2万で本番って本当?」
「あいつ、絶対整形してるよねwww」
「店長と歩いてるところこの前見たーwww」
「5万でゴム無し本番嬢」
「また中絶したんだってwww」
「まじウケるwww」
「絶対クスリやってんだろ」
 
キャストも客も、みーんなバカばっかり。
それでもあたしはそのスレッドの中毒性にどっぷりはまってしまった。
 
ドラッグと同じだよ、こんなの。
その下品なくだらなさにも、あたしを妬み憎み売れないキャストがいるんだろうと思うと、あたしは最高のナンバーワンだと思えた。
 
店ではすべてが順調だったよ。
 
サービスも、より客を満足させるため、ディープで過激になった。
どんなに卑猥なポーズでも、猥雑な台詞も、あたしは簡単に吐くことが出来る。
 
客を見送るときに心から満足そうな笑顔を見ることや、「ありがとう」の言葉が嬉しくてたまらなかった。
 
あたしはナンバーワンの風俗嬢。
保持するためのテクニックと、誰にも誇れはしないけれど、強力なプライドだけは持ち続けている。
 
その代償なのか。
必死で稼いだお金は、数時間後にはモノとなり消えていく。
 
あたしのワンルームの部屋は明けてもいないハイブランドの紙袋で溢れかえっている。
 
不思議と虚しさは襲って来ない。
あたしの身体や生きていくための価値を計れるモノだから。
 
流れ星が飛び交う部屋にひとり。
眠剤や向不安剤をプチプチとシートから取り出して身体に詰め込む。
昏倒するように眠りに落ちる、たった一瞬の快楽のために。
 
あたしは薬物依存で買い物依存、精神障害者の風俗嬢。
 
レンちゃんとも連絡を取ることが苦痛になっていた。
 
「女、紹介してよ。病気じゃないイイ女」
 
レンちゃんの携帯に入っていたメッセージ。
 
仕事にも就いてギャンブルから遠退いていることは知っていた。
 
それでもオーバードーズでぶっ倒れ、手首から大量の血を流している女なんて見たくないのは誰だって同じだろう。
 
自業自得。
あたしにぴったりの言葉だね。
 
レンちゃんの本心だと思った。
自分にとって都合の良い女を、きっと彼はイイ女だと呼ぶんだろう。
 
レンちゃんに向けていた感情は、次第に憎しみに変わっていった。
 
散々あたしの稼いだ金で遊び呆けて今度は女に走るんですか。
もう呆れちゃうよね。
ガキのあたしでさえ騙されたふりをしてやってんのにね。
 
あんたはなんにも変わっていない。
 
あんな男、死んじゃえばイイのにな。
 
生きてる価値、ないでしょ。
 
あたしは毎晩毎晩、真っ暗なキッチンで必死に包丁を研いだ。
 
いつかレンちゃんの人生を終わらせるために。
あたしの腐りきった人生を輝くモノに変えるために。
 
夜毎ピカピカと光を増していく包丁を眺めては、クスクスと笑みがこぼれた。
 
 

罪と罰。

あたしはリタリンの依存から抜け出せないでいる。
現実から目を逸らすように体内へと吸収していくだけ。
 
止まらない幻覚、幻聴。
 
あたしは抜け殻のような部屋のドアの鍵を開け、部屋に入ろうとする度に被害妄想にも襲われるようになった。
 
「警察がお前のこと目付けてるよ」
「この部屋には殺人鬼がいるんだ。入るな」
「お前が完全に壊れるまでのカウントダウンが始まったよ」
 
ああ、また幻聴があたしの頭の中を掻き乱す。
 
あたしはネットで仕入れた注射器で、溶かしたリタリンを左腕に注射するようになった。
スニッフよりも更に即効性があるからだ。
 
流れ星はいつの間にか大量の虫に変わった。
床にはムカデが這いつくばり、カーテンにはびっしりと小さな蜘蛛がこびり付いている。
 
あたしは金切り声を上げた。
 
「もうイヤだ」
 
ガタガタと震えが止まらずムカデだらけの床に倒れ込み、涎を垂れ流し泣いた。
そして、左腕にありったけのリタリンを注射して再び倒れこむ。
 
部屋の窓から見えた満月は、とても美しく、あたしを包み込んでいるように優しかった。
 
リタリンのストックが切れたあたしは薬ヤブの精神科へ駆け込んだ。
神様のようだった医師からあたしに下された罰。
 
「リタリンは新しく法律で決められてね、あなたにはもう処方することが出来ないんですよ」
「なんで?あたし死ぬかもしれないんだよ」
「あなたにはリタリンは必要ないんです」
「助けてよ。ねえ、先生!」
「転院を視野に入れてみてはどうですか?」
 
リタリンが貰えない。
 
怖い怖い怖い怖い怖いよ。
 
あたし、死んじゃうかもしれない。
 
リタリンからも、精神科からも、拒絶されてしまった。
 
「あたしが死ねばイイんでしょ?」
 
たった一言医師に告げ、あたしは精神科を後にした。
 
その日からあたしは仕事に行けなくなった。
 
誰のせいでもない。
 
ただ、心から疲れた。
 
リタリンが切れて、何日何週間何ヶ月が経ったんだろうか。
あたしの脳内は止まったままでいる。
 
ただひたすら冷めたベッドで、幻覚と幻聴、被害妄想に襲われ震えている。
ピンク色だった部屋は、今、電気さえ灯せずに深夜2:00のようなおぞましい暗闇と化している。
 
「ねえ、いつ死ぬの?」
「もうすぐ死ぬから待っててよ」
 
ベッドの中であたしは廃人のように呟いた。
 
既にあたしの意識に幻聴というカテゴリーはなく、まるでそこに人間が存在しているような感覚を覚えている。
 
あたしを憎む、もうひとりのあたし。
 
本当に、壊れてしまった。
 
店を休んでいる間、店長から何度も連絡があった。
 
「お店回らないよ」
「もっとバック付けるから、おいでよ」
「指名のお客さん待ってるよ」
 
パネルだけ残された不在のナンバーワンがフェードアウトしてしまいそうなんだ。
引き止めるのは当然のことなんだろう。
 
あたしは、店から、客から、必要とされているんだ。
生きているという証拠を、意味を、求められることで、与えられる。
 
リタリンが切られてたった一週間しか経っていなかった。
あたしは再びヘルス嬢に戻った。
 
汚い男の性欲処理道具でイイ。
 
こんな身体は既に汚いんだよ。
 
墜ちるところまで墜ちてやろうじゃないか。
 
どうせあと数ヶ月後には、あたしは容疑者になる。
 
レンちゃんを殺した罪で。
 
あたしは週6のオープンラストで復帰した。
ナンバーワンは未だ守られている。
 
ただ、心も壊れた人形のように無になり、腰を振りながら喘ぐだけのナンバーワン。
 
感じてなんかいない。
演技だよ。
 
濡れてなんかいない。
潤滑ゼリー詰め込んで来たんだよ。
 
どんな想いを抱いて裸になるか、客にはちっともわからない。
理解したところで、風俗は商売だから、まるで意味がない。
 
愛も金もあたしにはよくわからない。
 
ただ、すべて性に結び付くモノだと、それだけははっきりと言える。
 
あたしは45分¥12000を貰い、いやらしく作られたマニュアル通りの擬似恋愛を売る。
 
 

惨敗。

リタリンを完全に切ってから、あたしの脳内は死んだような虚無感に襲われた。
そして幻聴は止まることさえなく、あたしの鼓膜を刺激する。
 
もうすぐ冬がこのネオン街を埋め尽くすんだろう。
訪れようとしている冬の香りに、あたしはむせ返るような嫌悪感を覚えていた。
 
いつものように仕事が終わり、送迎車を待機しているときに、スタッフと話をしていたドライバーの男が恥ずかしそうにあたしに微笑みかけた。
 
男の名前は、ジュン。
あたしが知っているのは、名前だけだ。
それでもあたしは、この男に感情が揺さぶられている。
 
店には来ない。
身体の関係もない。
金も絡まない。
 
ただ、一緒の空間にいられるだけでイイ。
まるで初恋だ。
 
「今日もお疲れさま。ゆっくり休んでね。おやすみなさい」
 
帰宅したあたしの携帯に突然のメール。
あたしは送迎車でふたりきりになったときにアドレスを教えていたんだ。
 
虚無感を埋めるためではないと言ったら嘘になる。
けれど、あたしの心はジュンの一挙一動に左右されている。
 
届いたメールを宝物のように携帯に保存して眠りにつく。
 
幸せでたまらない。
 
どうして、すぐに手に入らないモノはこんなにも満ち足りて甘くて切なくて幸せな気分にさせてくれるのだろう。
 
12月31日。
あたしは大晦日だというのに仕事を入れ、いつもと同じように男の性器を咥えていた。
ダラダラと涎を垂らし、まるでこの世で一番愛おしいモノみたいに。
 
あたしはジュンに「ふたりで会いたい」と誘っていた。
 
今夜、ジュンの仕事が終わったら、あたしは心から愛おしいモノを口にする。
 
最後に付いた客を見送り、あたしの仕事が終わった。
既に新年を迎えていたことなど気付かずに。
 
送迎車を待っている間、待機室で向かいに座っていたジュンからメールが入った。
 
「あけましておめでとう。今年もよろしくね。今夜は誘ってくれて嬉しいよ。ありがとう」
 
幸せで死にそう。
 
さっきまで不味い精液を搾り取っていたことなど、一発で吹っ飛んだ。
 
こんなに近くにいるのに。
すぐに触れられないなんて、触れて貰えないなんて。
 
ズルイ。
 
「ごめん!急に仕事が入って今夜は会えそうもないよ。本当にごめんね」
 
夜明けに携帯に届いた、ジュンからのメール。
 
「大丈夫だよ。お仕事頑張ってね」
 
全然大丈夫なんかじゃない。
 
精一杯、大人でイイ女を演じても所詮あたしは薬でイカレたバカな風俗嬢。
すべてを許して受け入れることなんて到底出来るわけがない。
 
黒いレースのガーターに網タイツ、ピンクの勝負下着のあたしは惨敗だった。
 
あたしは気持ちを消化出来ずに、ジュンの優しい声や美しい指を頭の中いっぱいに想像して自慰行為をした。
 
イッた後の虚しさがあたしを支配して、呼吸が苦しくなったあたしは向不安剤をシートから取り出し、思い切り噛み砕いた。
 
苦い。
 
ジュンとふたりきりで会えなくても、店に行けば送迎で会える。
自宅に着くまでほんの少しの時間、ジュンはあたしだけのモノ。
その気持ちと期待で、あたしの足は店へと向かう。
 
あたしが本当に欲しているモノ。
薬、モノ、金、そんなモノじゃない。
あたしが欲しくてたまらないモノは人間の心だ。
あたしだけを愛してくれる、そんな純粋で綺麗な心。
 
あたしは身体も心も散々傷を付けた。
たったひとりの男のために。
 
それに与えた称号は自業自得。
 
その男に愛されたいと願うばかりで、与えるばかりで、あたしはなんにも手にしていない。
 
バカのひとつ覚えみたいに、覚えたのは金の稼ぎ方。
 
少しくらい、揺れてもイイでしょ?
他の男に、揺らがされてもイイでしょ?
 
いいの。
罰はもうとっくに喰らってる。
 
そうでしょ?
 
ねえ。
そうでしょ?
 
 

破れたコンドーム。

生温かい空気が漂い、時間は春へと容赦なく進んでいく頃。
あたしは背中に刺青を突いた。
 
気味が悪いくらいに痩せたあたしの背中に、一生消えない宝物が出来た。
 
その生き物は眼球の無い飛べない鳳凰。
ぐるりと長い羽根が渦巻き、鋭く牙を覗かせている。
 
あたしは針で突かれる痛みとともに快感をも覚えていた。
 
まるでセックスのように喘いでしまいそうなくらい。
素直な身体と心で痛みを感じる。
その痛みはやがて快感となって、波のようにあたしの性感帯を攻撃してくる。
 
決して差し伸べられることのなかったこの手は、今、優しい温もりに満ちている。
 
突いたばかりのボコボコとして刺青に触れると、そっと吐息が漏れた。
 
ジュンと初めてふたりきりで会ったのは、あたしの19歳の誕生日の夜だった。
 
ドライブもゴハンもどうでもよかった。
ただ会えるだけでよかった。
ジュンのの時間をあたしにくれるだけでよかった。
 
待ち合わせの時間よりも早く迎えて来てくれたジュンの車に乗ると、ジュンから放たれるシャネルのエゴイストプラチナムの香りがあたしの性欲に火を点けた。
激しく舌を絡ませるキスをして、そのままラブホテルに行き、セックスをした。
 
男の性器を身体が純粋に素直に求める感覚を、あたしは初めて知った。
 
コンドームに溜まったジュンの精液がとても愛おしくて愛おしくて、あたしは舌で絡め舐めた。
このままあたしの体内へと一滴残さずに飲み込んでしまうほど、愛おしくて仕方がなかった。
 
「お誕生日おめでとう。幸せな一年でありますように」
 
まだ身体に熱を持ったまま、帰宅したあたしに届いたメール。
あたしは大切に保存して、眠った。
 
それが最後のメールだった。
 
ジュンはあたしを騙していた。
気に入ったキャストがいたら、手当たり次第口説いてたんだって。
セックスしてたんだって。
 
店長に灰皿を投げつけられて灰まみれになって土下座させられてるところ、あたし見ちゃったんだ。
 
他のキャストもスタッフも面白がって笑っている。
 
あたしはひとりボロボロに泣いていた。
溶けていくアイラインとマスカラが黒い涙に変わる。
 
「すみません!」
 
何度も頭を下げるジュンを店の外へ引きずり出す店長。
 
「やめて」
 
あたしのとても小さな叫びは、届かずに。
 
終わった。
もうなにもかもが、終わった。
 
 

俺の妻は風俗嬢です。

あたしはハタチ。
職業、風俗嬢。
背中には宝物の大きな刺青。
ミミズが這ったような傷痕で埋め尽くされた両手、両足。
 
あたしの誇りは与えられたナンバーワンの称号。
 
風俗、ギラギラした闇の世界。
そこに身を置くあたしは、いつの間にか残酷でズルイ生き方を身に付けた。
 
一度沈んだら、苦しむだけで、這い上がろうとすればするほどに足元をすくわれる。
 
きっとこの先ずっと、ネトネトしたローションのようにあたしの人生や記憶にへばりついていくんだろう。
 
どんなに剥がそうとしても取れることも消えることもない。
 
裸になって別人格を形成して演じて、それに見合わない報酬を貰う。
 
あたしの心は少しずつなだらかに、壊れていった。
時間が押し流すように、静かに。
 
夜と朝の境目。
あたしの部屋の開け放した窓から、温く夏の匂いを閉じ込めた風が流れ込む。
星はまだ、朝に殺されることもなく、暗闇の中でとても美しく逞しく瞬いている。
 
「結婚しよう」
 
今、あたしはレンちゃんからプロポーズをされている。
 
あたしの稼いだ金に寄生していたヒモみたいな男と結婚なんて笑っちゃうよね。
 
「はい」
 
あたしの口は感情とは別の生き物のように動いた。
 
レンちゃんはギャンブルから足を洗い、仕事に就き、金の無心もなくなった。
 
この現実すべてを信じられる。
そんなことは誰だって到底出来るはずがない。
 
あたしは、きっとまた激しく打ちのめされるんだろう。
地獄のような人生から抜け出せないことなんてわかりきってる。
 
ひとりでは身体を売るしか生き方もわからない。
あたしが心から愛した男には、簡単に欺かれ捨てられる。
 
いつまでも変われないあたし。
 
相変わらず15歳の子どもの頭のまま。
その頭で一生懸命考えた術で金を稼ぐことしか残っていない。
風俗を辞めて変わりたいと思っても、どう生きていけばイイのかわからない。
 
そう、わからないの。
 
この現実は、この社会は、とても残酷で、生きづらい。
 
「早く殺せ」
「お前は容疑者になるんだ」
「早くこの男を殺せ」
 
鼓膜の奥で聞こえている絶えることのない誰かの声。
 
婚姻届を前にしてあたしはレンちゃんにとっておきのプレゼントを贈る決意をした。
 
あたしを憎むもうひとりのあたしが命令を下している。
 
むくむくと首をもたげたこの憎しみが止まることは決してなく、スピードを上げていく。
 
レンちゃんに身体を売って金を稼いでいたこと、その金をレンちゃんに渡し続けていたことをすべて話したんだ。
 
最高なプレゼントでしょう?
 
「ごめん。ごめん」
 
今さら遅いよ。
泣いて謝られてもあたしはなんとも思わない。
そんな心を作ったのはあんただよ。
 
これから結婚して妻になるあたしがナンバーワンの風俗嬢。
 
テクニックがあってよかったね。
性欲処理には困らないね。
 
あたしは破滅を望んでいる。
 
これ以上に壊れたらイイ。
壊れて壊れて壊れて、この男を苦しめてやろうと思う。
 
「あたし、ナンバーワンは誰にも譲らないから」
 
これからあたしはこの男がのたれ死ぬまで、究極の復讐という生活を続けてやろうと思っている。
 
風俗業界から足を洗い去ることなんて考えていない。
ナンバーワンの座も、あたしは誰にも渡さない。
 
あたしは女としての死を迎えるまで、永遠にナンバーワンを守り続ける。
 
泣いて謝り続けているレンちゃんはとても滑稽で、あたしは小さく嘲笑った。
 
もうすぐ、カウントダウンの始まりだよ。
 
3・2・1
 
 

ヒステリック。

嫌味のようにギラギラとダイヤモンドが輝くロレックスの腕時計が深夜0:00に向けて動き出している。
 
あたしは、ケラケラと笑いながらキッチンへ向かい、鋭く研いだ包丁を取り出した。
 
そして、ゆっくりと、うなだれたままのレンちゃんの背後にその刃を向ける。
 
「殺せ」
 
ぐしゃりと皮膚の壊れる音と共に、血液が物凄い勢いで飛び出した。
 
あたしは着ていたシルクのキャミワンピースに跳ね返るレンちゃんの血液を浴びて、この上ない悦びを感じていた。
 
うずくまるようにしてレンちゃんは倒れ込む。
レンちゃんの身体は真っ赤な血液に埋もれていく。
 
終わったんだ。
なにもかもすべて終わったんだ。
 
「お前は容疑者になったんだ」
 
耳元で囁きかけるとても優しい声。
 
あたしはこれで打ちのめされることもなくなって、毎日キラキラした笑顔で、生きていけるの。
店のパネルのように心からの笑顔で、生きていけるの。
 
あたしは警察署に電話をかけた。
 
「あたし、人を殺しました。世界で一番愛している男です。今からスタンバイするので逮捕してください。」
 
シャネルのドレスに着替えて、カルティエのティアラを頭上に乗せた。
 
ピンクのドレスは、あたしの身体に飛び散ったレンちゃんの血液でグラデーションを作っていく。
 
あたしの愛するダーリン。
どうか地獄に落ちてくださーい。
 
じゃあねー。
ばいばーい。
 
鳴り響くサイレンの音が聞こえる。
 
ーENDー