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シェアハウスな精神科病棟の生活、見てみる?

今野こずえ


約 15073

なんとなく誰かがリビングルームのテレビを観ている。真剣に観ていたり、テレビはついているけれど、新聞を読んでいたり。家庭でもよく見る日常の光景。そこへ、誰かがやって来て、向かい合うでも、隣りでもない位置のソファに座る。「おはようございます」も言ったり言わなかったり。

病棟という、ひとつの箱のなかで共同生活することは、シェアハウスのようだと感じた。

 

朝、起床時間は七時。少しのんびりだ。私は元気なときは、六時ごろには目を覚まし、まだ寝ている住人さんたちの迷惑にならないようにと、六時四十五分までは自分の部屋を出なかった。六時四十五分と決めたのは、そろそろ、みんなが起きる時間だから……と、勝手に決めた時間だ。シェアハウスの共有スペースに一つしかない洗面台で顔を洗う。通りかかった看護師さんに「お!早起きがいる!」と声をかけられることもあるくらいの時間なのだ。他の住人さんのなかにも、もちろん早起きさんは居る。時々、「あ……」と鉢合わせになるのだが、そういうときは、互いに譲り合う。

「先にどうぞ」

「また後で来るからゆっくりでいいわよ」

「いえ、もう終わるので、すぐ空けます!ちょっとだけ待ってください」

こういうやり取りは日常だ。

このシェアハウスは、やさしい人しか入居しない。そして、ここの住人たちの関係というのは、とても素敵だと思う。

譲りあい、近づきすぎない関わりかた、決して相手の深いところを探ろうとはしない関わりかた。(時々、誰かのウワサなんかが大好物で、誰の情報でも持っているような人もいるのだけど)。だけど、互いのことを気遣う心をもっている人のほうが圧倒的多数だ。

たとえば――

自分の言動が誰かを傷つけてしまったのではないかと、すごく心配してノートにそれを書き、気にしなくて大丈夫であることを確認する住人さんがいる。「さっき私、悪いこと言っちゃったかな?聞いちゃいけないことだったかな……」

直接、その相手に確認することもあれば、その時にいなければ、誰かに「大丈夫」であることを確認して、ほっとできる。この「沙羅さん」が持っているノートとペンは、いつも花柄やうさぎのイラストが描いてあって、とても可愛い。

このシェアハウスの住人たちは、それを面倒だと思ったり、病的だと思ったりするようなことはなく、彼女に、ただ、「大丈夫だよ」「心配することないわ」と、話を聴いて伝える。別に特別なことではなくて、聞かれたから答える。それだけ。

とにかく、ここは、自由でいられて癒される箱なのだ。好きな時間にリビングルームでコーヒーを飲みながら読書をしたり、勉強したり、携帯をいじったり。あるいは、自分だけのプライベートスペースである部屋で、おやつタイムをしている人も。

食事をとる場所も自由だ。みんなと一緒にリビングルームで食べる人もいれば、自分の部屋で食べる人もいる。昨日は一緒に食べたけれど、今日は自分の部屋で、ということもある。どのスタイルを選択するかも、個々の自由だ。

 

いつも共同スペースであるリビングルームで食事している住人たちのなかで、「流行」がおきることがあったのも、おもしろかった。ある時は、毎朝コーヒーを買いに行くのが日課という人のオススメを、何人かが試したようで、日ごとに同じものを飲む人が増え、タリーズの缶コーヒーが流行した。またある時は、ごはんのお供に“ゆかり”をかけている人がいて、

「ゆかり、いーなー。今度、私も買って来ようー」

「これ使って!ここにあるんだから、気にしないで、どうぞ」

「悪いからいいですよー」

「遠慮することないよ」

「じゃぁ……ありがとうございます」

と、そんなやり取りもしょっちゅうだった。そのうち、やっぱり自分で買ったゆかりを持つ人が一人二人と増えて、四人の「ゆかり族」が誕生した。こういう、本当にちょっとした連帯感みたいなものを感じることがある。これは楽しい。「みんなでゆかりなんですか?」と聞く住人さんに、「私たち、ゆかり族なの。仲間に入る?」と冗談を言って笑いあったり、新たな流行が生まれたり、とにかく、互いに互いを干渉しないけれど、何かを共有しあったり共感しあったりということが、自然におこる。

 

共同生活は、必ずしも平穏な、自由で癒される気楽な空間が保たれる訳ではない。

私が住人になってから間もなくして、何かと面倒なおばちゃんが住人としてやって来た。普段、誰かが誰かのことを、面倒な人、と言うことなんてなかったのだが、たぶん、ほとんどの住人が思っていただろう……この人がいると気分が良くない、と。

シェアハウスの住人たちは、“ひとりの人”として存在する訳なので、それは、どこにいても変わらない。シェアハウスの外で“お母さん”の役割をもっている人は、このなかにいても“お母さん”みたいだし、“イマドキの若い子”は、そのとおりだと、改めて感じる。

 

なーちゃんは、いつもスマホを持ち歩き、常にいじっている。ごはんを写メるのも日課だ。まだ眠い顔でいる人が多い朝でも、メイクは完璧で、つけまつげもばっちり付けて、みんなの前に現れる。大きな目のお人形みたいで可愛い。かなり丈が短いスカートはほとんど黒で、少し大人の雰囲気もあるけれど、そのスカート丈で素足なのは、やっぱり若い。マニュキュアも派手なピンクだったりして、外見は、ギャルだ。

住民の誰かが、「なーちゃん」とあだ名をつけて、その呼び方が浸透すると、すっかり、なーちゃん、と呼ぶのが定着した。

可愛くて、イマドキの若い子……ギャルちゃん。

それが何だということなんてなくて、彼女はそう存在していた。

 

“お母さん”は、やっぱりお母さんで、

「ごはん、もう食べないの?」

「あら、今日はお出かけなのね。デート?」

「外、暑いよ。日傘貸してあげるから持って行ってね」

などと、周りによく気づいて声をかける。なぜか、そういう言動が、おせっかいだとか思わないのが、ここの住人たちなのだ。私は個人的に、この「母さん」を、ひとりの人として尊敬していた。

 

あの、面倒なおばちゃんであるが、リビングルームでの食事中、「これも不味いし、これもイマイチ。みんなもそう思わない?」「前にいた病院のほうが、おいしいごはんだった」とか、とにかく何かにつけて文句を言う。誰も何も言えず……言わず、無言の食事が続いた。

その時だ。何のためらいもなく、「文句ばっかり言ってないで食べなよー」「不味くて食べられないなら、食べなきゃいいじゃん」「みんなも同じもの食べてるんだからね、そういうこと言うもんじゃないよ」と、子どもを叱るように、「母さん」が言い放つ。しかし、面倒なおばちゃんは、面倒なのだ。

「それじゃぁ何?みんなこれを美味しいと思って食べてるの?」と応戦してくる。ああ言えばこう言う、とは、まさに今見ているやり取りそのものだと思ったのは、私だけではなかっただろう。

「母さん」が叱り、おばちゃんが言い返す、同じような場面は、その後、ずっと続いた。

これも不思議なのだが、このやり取りは喧嘩ではないし、強い口調で言い合いながらも、お互い笑いながら言い合っている。この二人の愉快ともとれる関係によって、面倒なおばちゃんにも、あだ名がついた。

「ババ」。

ババァ、ではないところに、「母さん」のやさしさを感じる。言い合いが、さらに愉快になり、相変わらず食事に文句を言う「ババ」に、「うるさい!ババは黙って食え!」などと言うようになっていった。何度も言うようだが、この二人は、この関係、やり取りを楽しんでいるのであって、険悪な雰囲気を漂わせてはいない。むしろ、私のように笑いをこらえられずにいる住人たちが笑う。この二人の漫才のようなやり取りが、リビングルームで繰り広げられるのだから、その場にいると楽しくてたまらない。場の空気を悪くする、面倒なおばちゃんだったはずなのに、みんなで笑っているのは、「母さん」のやさしさに尽きると思う。

なんだかんだ、「ババ」も楽しそうなのは、ああ言えばこう言う、ができたからなのではないかと思う。

 

このシェアハウスは、あくまで病棟な訳なので、いつか、みんな去ってゆく。ここを去る日が決まった住人さんと、ここでの、この楽しい時間を共にできなくなるのは、非常に悲しい。悲しいけれど、それで関係が終わるから良いのかもしれない。シェアハウスの外で、シェアハウスの中と同じような関係性を保っていられるかどうか、わからない。何はともあれ、楽しかった思い出だけが残る。それだから良いのかもしれない。

 

このシェアハウスで生活するためのルールを挙げてみる。

他の人の部屋(プライベートスペース)へ出入り禁止。

物をあげたり、もらったりしてはいけない。

食事を、誰かにあげたり、もらったりしてはいけない。

シャワールームの使用は、ひとり三十分。

共有スペースにある電気ポットは、夜八時まで。

食事中は、共有スペースのテレビは消す。

敷地内から出るときは、許可をとる。

夜九時には自分の部屋へ戻る。

門限、午後七時。

連絡先の交換をしてはいけない。

などなど……。

ルールがあるから、共同生活がうまく成り立つのだけれど、このルールがあるが故に、住人どうしで、あれこれ問題が発生することもある。

 

 

そうそう。他人のプライベートスペースに立ち入ってはいけない、ということは、完全に自分だけの部屋、空間は、自分いろにできるってこと。私は、部屋を「お城」と呼んでいる。部屋を開けると、毎日使っているボディクリームの甘い花の香りが、空気中に漂っていて、やたらに面積が広い部屋に、ベッドとサイドテーブル。ベッドの横に小さな棚と、衣装ケースが一つあるだけ。漂う香りとは対照的な、冷たくがらんとした部屋、と言えなくもない。しかし、そんな空間を自分いろにしていると思えるなら、そこは「お城」になるのだ。

私の落ち着く「お城」。自宅にモノで溢れた部屋があるとは思えない、すっきりした部屋にしている。綺麗にしていたいのだ。居心地が悪くては、お城なんぞとは言えない。

サイドテーブルは、勉強机としても使っていたので、ノートとペン。黒のボールペン、オレンジいろのペン、薄いエメラルドグリーンの蛍光ペン。筆ペン……たまに、写経をしたくなるために持っていた。

濃いピンクの箱ティッシュ。ペットボトルの水。ずっと使っているマグカップ。友だちにもらった透明でスワロフスキーがひとつ付いている手鏡。私が、きらきらしたものがすきなことをよく知っている友だちだ。最初に置くのはそれくらい。そのうち、少しモノが増えるけれど、ごちゃごちゃになることは、まずない。

ここに来てから作った、ナノブロックの東京タワーは、いつも見える位置に置いた。私は東京タワーが大好きで、ここから間近に見える大きなスカイツリーは、一度だけ、とってもよく見えるというビューポイントへ行ったきり。そこが落ち着くと、毎日行く人もいた。確かに、ビューポイントでありながら、静かで、窓際に座って眺められる、なかなか良い場所だった。もし、見えるのが東京タワーだったら、私も毎日二回、朝と夜は、そこへ行くんだろうな。

 

小さな棚と衣装ケースだけが収納スペースなので、生活に必要な最低限のモノしか持っていない。バスタオル2枚とパジャマにしているルームウェア、下着、普段着は、着まわしできるように、キャミソールかノースリーブのチュニック、Tシャツと、レギンスを何種類か。シャワーのあとに靴を履くのは嫌なのでルームシューズ。洗面道具も、小型の旅行用セットで済ませている。

共有スペースには、浄水器がついた水道もあるし、ポットにはいつもお湯が沸いている。毎食、お茶を出してもらえるし、冷蔵庫のない私のお城でも、飲み物で困ることはなかった。過去に、常温でペットボトルのジャスミンティーを放っておいたら、二日でカビが生えてしまった経験がある。

でも、コンビニ好きな私としては、新商品をチェックに行くのは楽しみのひとつであった。新商品はもちろん、見た目がかわいいものは、買わずにいられず、よく、住人さんたちから、いつも見たことないものを持っている、可愛いものをいろいろ持っている、と言われていた。あたたかいものを飲みたいときのために、フレーバーティーをいくつか常備していて、いい香りね、と言ってくれる住人さんに、茶葉をわけて、癒されるといいなと思っていた。これも、ルール違反なのかな。

浄水器があるとは言え、いちいち水を汲みに行くのは面倒くさい。よく飲む水はリットル単位で買っている人が多いことを知った。毎回500mlで買うより安上がりだ。ただ、お城まで持って帰るのは、ちょっと力が必要。そうやって、しょっちゅうコンビニに行っている生活、後々思ったのは、ポイントカードを作っていたら、どれだけ貯められただろうということ。シェアハウスを去る間際になって、とても賢い浪人中の住人さんから教えてもらって、ポイントカードを作った。彼は、どうしてもこのカードの素晴らしさを知ってほしいと言い、リビングルームでプレゼンまでしてくれた。そのプレゼンを聞いてから、作るか作らないか決めてほしいと。面白い子だ。コンビニの回し者?と思うくらいの情熱で、プレゼンした。

 

話が逸れたが、他人のプライベートスペースに入ってはいけないルールなのだが、時には、そのルール違反をすることもあった。ダメと言われるほどやってみたくなる、子どもの頃と同じように、ほんの少しスリルを味わえる。たとえば、私のお城にはない冷蔵庫を借りに、他の住人さんの部屋へお邪魔したり、こっそり話をしに行ったり……。他の住人さんのプライベートルームを見ることになるのだが、こんなにも個性豊かなのかと思えて興味深かった。ここを去る時、トランク一つでは収まりきらないだろうなというくらい、モノに溢れているとか。でも、それが、その人にとっての「お城」なのだろう。

ルール違反をしているからには、当然、誰にも見つかってはいけない。部屋に出入りするタイミングは注意を要する。防犯カメラにも見られている。思っている以上に、その防犯カメラは、何でも捕らえている。

部屋のドアをそっと、少しだけ開けて廊下の様子を確認し、そうしている住人さんの部屋にいた私に、ストップ!という手、「いまダメ!」の合図を出し、身を潜めるように静かにしていた。ちょっとした隙に、「OK」の目配せをして、そぉっと部屋から出ることに成功した。犯人に気づかれないように尾行している刑事みたいだと思った。そして、後に、その住人さんは本当に警察官であると知った。どこにいても、身についていることは自然に出るらしい。

 

ここのシェアハウスの日課に、朝のラジオ体操がある。第二体操までしっかりやる。ラジオ体操を馬鹿にしてはいけない。寝ぼけている身体を目覚めさせる、ゆっくりで大きな動きは、気持ちがよい。

特に、時間がぴったり決まっていないので、ラジオ体操の音楽が聞こえると、ひとりで、プライベートルームで身体を動かす人もいるし、仲良くなった住人どうしで廊下に出てやったり、途中から部屋を出て参加したり、ラジオ体操の音楽を特に気にせず、部屋で過ごす人もいるし、リビングルームで新聞を読んでいる人もいる。「一緒にやりましょうよ!」とお誘いすると参加してくれる人もいた。これだって、自由だ。やりたくなければやらない。ひとりが良ければ部屋でやればいい。私も住人になったばかりの頃は、ラジオ体操なんて余裕でできる広さのお城で、しっかりラジオ体操をしていたが、廊下に出ると誰かがいる。誰かがいる方が良いと思う日もあった。特にお喋りをしながら、ということもないけれど、目が合えばあいさつするし、微笑みあったりした。元気なときは、本当にこのラジオ体操というものは気持ちが良い。

ラジオ体操で身体が目覚めた後、みんな部屋へ戻ってゆく。病棟といえば、あれだ。大キライな回診。

私たちは、先生たちのチームを「チームA」「チームB」というふうに呼んでいた。私は、チームA。Aからどこまであるのかは誰も知らなかった。ただ、先生たちのかたまりは何種類も見たことがあった。

ドラマなどで見るような光景そのもの…より小規模なあれが繰り広げられる。チームのボスと、主治医と仲間たち。へそ曲がりの私は、一団のなかでも後ろのほうにいる奴をひとり観察していたのだが、どう見ても、仕方なしにこのかたまりに居るような感じがしてならなかった。実際そうなのかもしれない。毎日毎日、大変ですね、とでも言ってあげたくもなるのだが、あまりにも、かったるそうなオーラを放っている感じは見過ごせない……。そして、私はついに怒る。

やる気のない奴は、出て行け。

ただ居るだけなら、居てもいなくても同じ。

 

直接、言ってやりたかったけど、それはあまりにも大人気ないかと思い、主治医にやんわりと話した。それからもうひとつ。あんなかたまりで来られて、私はベッドから出て椅子にすわっていたけれど、それでも先生たちの視線は上からで、そんな状況では、緊張して何も話せなくなる。これも理解してもらえた。医者だって、この状況では話せない、と言っていた。

ただ居るだけのやる気のなさそうな奴、は回診に来なくなった。ボスと主治医だけで来てくれるようになり、ほっとした。そうしてもらっているからには、逃げてはいけないと思うのだが、それでもやっぱり、回診という行事はキライだ。

リビングルームで、同じ「チームA」の住人さんと「ねー、回診、遅くない?」ということが、ほぼ毎日だった。他のチームの住人さんたちも、「チームA」はいつも遅いと知っている。

 

何でも好きなことができる、超きれいな魔法の部屋が地下にある。「OT」と言われている、立派な治療の一環だ。魔法の部屋と呼ぶのは、魔法使いのように、何でもできるスタッフが居るからだ。ビーズでアクセサリーを作るとか、編み物とか、手芸は何でも出来るし、パソコンもお手のもの、陶芸も出来る、料理も出来る、屋内スポーツも出来る……。年の功なのか?

その部屋へ行けるのは、朝九時から十二時まで。それが、九時半、九時四十五分、十時……と、回診の時間が遅くなると、さすがにイライラしてくる。せっかく好きなことができる楽しい時間が削られてゆくのだから。

「もう行っちゃおうか」

同じ、「チームA」の住人さんと、そうだね、とシェアハウスの扉を開けて、私たちの暮らす三階から、魔法の部屋のある地下へ降りて行く。まあ、そういう時に限って、あの一団と遭遇してしまう。不思議とそんなものだ。遅いのはそっちでしょ?と言いそうな顔を私はしていたかもしれない。しれっと、一団の横を通り過ぎる。

今日はエレベーターを使おうという日は、エレベーターの扉が開いたところで会ってしまうし、今日は階段で行こうとすると、階段ですれ違う……。これはどういうことなんだろう。よっぽど気が合うのか、彼らは私たちの行動を読めるエスパーなのか、何だ何だ?

 

食事の流行の話をしたが、魔法の部屋でも流行することがあった。動物や縁起物をモチーフにした「根付け」を作って、シェアハウスを去る人へ贈ったり、メッセージカードを作って、さよならのお手紙を書いて渡したり。「こんなもの」と思わない。贈るのももらうのも、とても嬉しいこと。

この根付けブームは、私がシェアハウスを去る時までは続いていたと思う。なんとなく誰かが始めて、風習のようになっていた。でも、それを知らない人が受け継いでいたのかどうか。流行はいつか終わる。

 

ある時、シェアハウスでのんびり生活しているうちに、料理をしたくなった住人さんが、魔法の部屋で料理を始めた。キッチンは、最新のノンフライヤーも備わっていたほどの充実ぶりで、お菓子づくりでも料理でも、やる気をかき立てられる場所だ。

食べ物を、あげる・もらう、をしてはいけないルールなので、作った料理は、味見として、シェアハウスへ持って行き、住人に配ったり、看護師さんに食べてもらったりする。上手い、下手もここでは関係ない。上手にできる時もあれば、失敗することもあるのは当たり前だから。

「あまり上手に出来なかったんですけど……」と言いながら味見させてもらったお菓子や料理は、どれもおいしかった。

 

誰かが新しいことを始めると、周りで見ている誰かに影響を与えることは少なからずある。

「僕も作ろうかな」

この一言で、バトルが勃発するとは、誰も予想しないだろう。

 

バトルは、キッチンで起こった。最初、同じシェアハウスの住人さん……賢い、プレゼンをしてくれた子に、「ちょっと助けてください!」と言われて助けに行った。私にとっては弟みたいだったし、彼も、こんなアホな私をお姉さんになってほしいと言ったことがあった。困っている弟が作っていたのは、肉まんだった。なかなかレベルの高いものを選んだな……と思いながら、これが出来たら凄いとも思い、手伝い始めた。

わいわい調理が進んでいったのに。

突然、空気が変わった。

他愛もないことで、こうなるとは。

 

なんで作らないんですか!?あなたが今度は作ると言ったから、いま僕は作っているんです。やっぱり止めたって何でですか。嘘ついたんですか!?

「僕」……弟は、かなり怒っていて、あまりの一方的な攻撃に「あなた」は立ち尽くすばかりだった。そして、その場に居合わせてしまった私は、調理を続けるしかなかった。

どうやら、「僕」と「あなた」は、リビングルームでの会話で、何か作ろうと、料理対決をすることにしたらしい。みんながおいしいと言ってくれたほうが勝ち。……みんな、どちらもおいしいと言うと思うけどね……。

その時からズレていたのかどうかわからないけれど、二人には温度差があったように思う。「僕」は、とても真面目で、本気だった。だから、あえて肉まんなんてレベルの高いものに挑戦し、私に助けを求めて一生懸命作っていた。しかし「あなた」の方はどうかというと、会話の時点で、冗談話としてしか捉えていなかったのかもしれない。「僕」が、そんなに本気だとは思わず、「僕」が料理をする話をした時に、「僕も作ろうかなー」と軽く言ったのだろう。そして、この日、気乗りしなくて、やっぱり作るのやめようかなと、ふと言ってしまったかもしれない。

「僕」の攻撃は続き、「あなた」を追い詰めてゆく。

私はそろそろ次の手順がわからなくなり、手伝いの限界が来てしまった。どうしようと立ちすくむ。まさか、この場においては、しれっと立ち去ることなんて出来ない。だからといって、仲裁にも入れない。「僕」と「あなた」の間で、どんなやり取りがあってこうなっているのか、事実はわからなかったし。こういうとき、魔法使いのようなスタッフは助けてくれない……

 

何やら騒がしいと、嗅ぎつけて現れたのは、なんと「ババ」だった。

「どうしたの、あなたたち!」

……あぁ。余計なことしないでほしい、とヒヤヒヤしていたところで、本当に余計なことをした。さすが「ババ」だ。火に油を注いでどうするのよ?

「ババ」は、何も知らず、「あなた」がひたすら「僕」に、ごめん、と下を向いて謝っているのを見て、「僕」を攻め始めたのだ。

「何をそんなに怒っているのよ!」

「こんなに謝っているのに、許してあげなさいよ」

許すって、何を? ババ知らないでしょ!

いつまでかはわからないけれど、これからも、同じシェアハウスで生活してゆく「僕」と「あなた」の関係が、いま崩壊しそうなのだ。

許すというより、互いに納得できる話にもっていかないと!

ねぇ、時間なくなっちゃうし、続き、作らない?

恐る恐る「僕」に声をかけてみたが、ダメだった。「僕」は裏切られた気持ちと怒りで満ちていて、他の気持ちになれる余裕なんてないように感じた。

「すみません。これは僕たち二人の問題なんで。はっきりさせないとなんで」

「僕」が、こんな顔をするなんて、想像したことがなかった。人って、みんな弱いとこと強いとこがある。どれが強くて、どれが弱いのかはわからないけど、時々そのバランスが取れなくなる。

結局、「あなた」が本当に、今度、料理をすることでお互い納得した。

「絶対ですよ! いま言いましたからね!」と、「僕は」最後まで怒りに満ちていたけど。私も「ババ」もそこで聞いていたから、「聞きましたよね!」と、二人の問題に、ちょっと巻き込まれた。

 

肉まん作りはと言うと、調理時間が足りなくなっていく一方。

当然だ。このバトルに費やした時間がとても長かったのだから。

時間が足りなくなったことと、思うように上手くできないことで、「僕」はイライラしたままだったが、何とか作り上げようと、私も一緒に「僕」の指示に従って、完成を目指した。強い口調のままだったから、ビクビクしながら。

 

形はぐちゃぐちゃになってしまったけれど、肉まんは美味しかった。完璧主義な「僕」はあまり納得していなかった。でも、美味しかったのは本当だ。

肉まんの具が残って、「ババ」の提案でオムレツを作ることにした。私が作り出したものの、これぞ、ぐちゃぐちゃ!になってしまった。それを見事に、きれいなオムレツに仕上げてくれたのは「ババ」だった。大絶賛だった。主婦を甘く見るなよ、と言わんばかりに、

「こんなの、どうってことないわよ」と言った。

数日後、「あなた」はシーフード焼きそばを作った。美味しかったから、引き分け!

平穏なこのシェアハウスで、もうバトルは見たくない。

 

その後、私が「スイートポテト作りたいなぁ」と、うかつにも「僕」の前で口をすべらせてしまった。私の作ったお菓子を食べたいと言った「僕」だったが、「作らなくても怒らないから大丈夫ですよ」と笑った。

 

 

このシェアハウス三階には、かなり個性の強い人たちが暮らしている。私もそうってことなのか……?

そんな中、とても紳士的な男性が新しく住人になった。

まず、今までになかった、入居のあいさつに、私たちは驚いてしまった。

「これからお世話になります」。一礼。

私たちはいつものように、わいわいお昼ごはんを食べているところだった。そんな雰囲気には似つかわしくない、紳士的ダンディーさんが突如現れ、初めてのことで、一瞬、わいわいが止まった。

「あ、どうも。こちらこそよろしくお願いします」と誰かが言って、また、わいわいがやがやの空気に戻った。いつもと同じく、「ごはんが不味い」、デザートに付いてきたスイカを見て「スイカだけいっぱい食べたい」などと言う「ババ」と、「じゃぁ、家でまるごと買って食え!本当にわがままなんだからババは。どうしようもないよ、まったく」と「母さん」。その会話が、こっちとあっちで飛び交うから、その言葉の中で、私たちはごはんを食べる。たまには、この漫才にツッコミを入れたり、そうだそうだ!と言うようになったり。なんだか、それが、ほっこりした。あのバトルの迫力とは比べ物にならない言い争いだ。

 

紳士な住人さんとは、何度か、リビングルームで一緒にごはんを食べたけれど、特に話し込んだ記憶はない。

「ここ、いいですか?」「はい、どうぞ」くらいの会話はしたかな。

 

シェアハウスの中には、洗濯機がない。洗濯物がたまってくると、魔法の部屋のある地下のコインランドリーを使う。そこは、超きれいな魔法の部屋とは違っていて、かなり現代とかけ離れたレトロ感満載の場所だ。レトロというと、少しは聞こえが良いが、要は古いってこと。昭和な感じ。こんな場所があるのかと、最初は驚いた。くすんだオレンジっぽい色とクリーム色で花のような模様に見える床。この素材は、最近めっきり見かけない。ゴム?

置いてあるベンチは、どこかのプールから譲ってもらったのだろうかと思うような古めかしい、ドスンと座ったら壊れちゃいそうなものだった。乾燥機はガスで動いていた。二十円入れると駄菓子が入っていそうな小さい箱で出てくる粉洗剤の自販機も、写真を撮りたくなるような古さ。シェアハウスの住人さんたちが、わざわざ洗剤や柔軟剤を持っているのは、こういうことだからか、と納得した。毎回、二十円でレトロすぎる粉洗剤を買うより、自分の好きな洗剤を使いたい気持ちもわかる。それでも、私は毎回、二十円の粉洗剤を買って洗濯していた。粉末の洗剤は久しぶりに見たし、使ったが、結構気に入って使った。面倒くさがりやには、ラクなのだ。一回分しか入っていないから計る必要もなく、全部入れて洗濯機を回すだけ。柔軟剤なんてなくても十分、ふわふわで洗剤のにおいがする洗濯物に仕上がるのだ。ふわふわの秘訣こそ、ガスで動く乾燥機だと思う。ガスが生み出す熱は半端ない。噂によると、電気だと時間がかかるらしい。ガスほど熱くないだろうし。尚更、ガスタイプで良かった。

一日おきのシャワー、髪を乾かしたら二日ぶんの洗濯をしに行っていた。……三日ぶんになることもあったかな。一回、二十円の洗剤、二百円の洗濯機、百円の乾燥機、かかる費用は変わらないのだから、少しでも多く一気に洗濯したいではないか。

洗濯には、結構時間がかかるのだが、洗濯機が止まるまで部屋に戻って過ごし、乾燥機に移すために再びコインランドリーへやって来る。そしてまた、乾燥機が止まる頃にやって来て、ベンチで畳んで行く人や、とりあえず取り込んで、袋いっぱいの衣類を部屋へ持ち帰る人もいた。

一時間ほどの洗濯時間、私はコインランドリーのベンチで過ごした。初めは、スマホしか持たずにいたため、自販機で冷たいペットボトルのお茶を仕方なく買った。この古い、レトロなコインランドリーは、めちゃくちゃ暑い。熱々の乾燥機が五台と、夏の暑さで。飾りのように冷房はついていたけれど、暑さが圧勝する。さらに、上の方にある窓が開いているから、蚊が入ってくる。この温度とジメジメは、蚊にとって快適なのだろうか。近寄ってくる蚊を手で払ったり、叩いたり、洗濯の時間は蚊との戦いでもあった。

 

大体は、洗濯が終わるまでスマホをいじって過ごした。毎日書いていたブログの更新とか、メールの返信とか。そういうことをしているうちに、洗濯から乾燥まで終わる。こんな暑いところで時間を潰す人はほとんどいない。だから、洗濯機から乾燥機へ移しに来た人たちに、一瞬びっくりされる。シェアハウス三階の住人さんと会うこともなく、いつも、このコインランドリーは、独占しているようなものだった。乾燥が終わると、ほかほかでふわふわの洗濯物を、ぎゅうっと抱えて、その場で畳む。タオルも服も下着も。防犯カメラが作動しているだけで、誰かが見ていることもないし。

誰も来ると思わず、コインランドリー独占状態のところへ、あの紳士がやって来た。初めてシェアハウスへやって来た時のように、笑顔であいさつされ、思いがけず人が現れたことに驚いて、私は固まった。下着を畳んでいたから……。

「となり、いいですか?」と、同じベンチに座り、「ここ暑いですねー」という言葉をきっかけに、紳士と会話が始まった。

紳士に見えるのも納得のいくことで、紳士は大手企業の役員だった。いや、だから紳士に見えるのではなくて、やさしそうな人柄と出で立ちがそう見えるようにしているのだと思う。私の職業も聞かれた。転職の多い私の職業って何だ?働いた年数が長い……というほどでもないけれど、ソーシャルワーカーと答えた。病院で、入院を希望・検討されている患者さんの家族と面談をして、得た情報を元に入院の可否を決定して伝える役。入院期間は、最長で六ヶ月、という病院の決まりに従い、退院を一緒に探していく、などなど……。

紳士に、私がどう映ったのか、「もし私が人事担当だったら、貴女を採用したい」と言われた。「私なんかでいいんですかー?」と笑って返すと、初めてシェアハウスで会った時から、ずっと思っていたという。誰かが、そんなふうに見てくれていて、そんなふうに思ってくれていたことは、素直にうれしい。好印象をもってくれた人だから、という訳ではないけれど、私は、紳士を魅力的な人だと感じていた。どうしてこんな素敵な紳士が、このシェアハウスにやって来たのだろう……と思っていた。人として、質が高い人、品の良い人、尊敬できるようなことを話す人。

だから、ここにいるのか……。

 

私が、このシェアハウスで生活している間に、仲良くなった住人さんは、次々にここを去って行った。それは、とても良いことなのだ。元いた場所へ戻る。シェアハウスで、のんびり癒されながら自由に暮らしている、一時的な安らぎから卒業できる太鼓判を押してもらったようなものだから。きっと、初めは大変かもしれないけれど、その生活に慣れてゆくのだろう。

見送る時は、やっぱり、魔法の部屋で作ったモノと手紙を渡した。もうここの住人を卒業する人たちだから、ルール違反にはならないかな、と思いながら、連絡先を手紙で交換した。

前にも書いたが、やっぱり別れは寂しい。悲しい。一緒に笑ったり泣いたりしたことが一気に思い出されて、涙が出る。たぶん、もう会うことはない。だけど、「またね!」と手を振って、さよならしていた。

何人もの住人さんと、さよならをしているうちに、私は、このシェアハウスの長老になってしまった。仲良くしていた住人さんたちが居なくなって、新しく来た住人さんに入れ替わると、雰囲気がガラリと変わる。もう「ゆかり族」は存在しないし、料理バトルも起こらない。リビングルームのテーブルにおかれていた、モアイ像のある景色の結構難しいパズルを、誰かが始めて、何人か集まって、誰も手をつけない日はそのままで、何日かかけて完成して、みんなで達成感を共有したりすることもなくなった。いつか、新しい住人さんたちの間でも、流行が起こったりするのかな。

 

私が、このシェアハウスを卒業する日が決まってからは、なるべくリビングルームで住人さんたちと一緒に過ごした。夜、部屋に戻る二十一時ぎりぎりまで、お喋りした。

「レイさん」という女性は、今まで居なかった占い師のような、独特な雰囲気で「レイさん語録」なるものを残す人だった。私は、ずっと、周りから、どうしてあえて茨の道を選んでいくのか、大変なところになぜ飛び込みたがるのか、とよく言われる。

別に、茨の道を選択しているつもりはないのだが、傍からはそう見えるようだ。そんな話をしていた時、「レイさん」は、こう言った。

何かとても魅力を感じる道を選択しながら、人は歩んでいる。それが茨の道なら、そこに、あなたは他にない魅力を感じているのだと。

卒業する間際にもらった「レイさん語録」はノートに書き留め、今でも忘れない。そして、ついに私がこのシェアハウスを去る時に、あの紳士な住人さんが、「間に合って良かった」と、日課のジョギングから戻ってきた。そう思っていたら、ジョギングではなく、すごく近いとは言い難い、根津神社へ行って、お守りを授かってきたらしかった。それを私にくれた。

「お元気で!」

わざわざ、出かけてくれたことにも、その気持ちにも、感謝の気持ちでいっぱいになった。本当に、本当に、ありがたい気持ちだった。紳士な住人さんと、コインランドリーで何度か、話し込んだ景色を忘れない。

 

お世話になりました。

 

シェアハウスで過ごした2ヶ月、いろんな人との出会いがあった。

みんながみんな、やさしい人だった。いつも誰かが、気にかけてくれていた。私も元気がない誰かを気にしていた。

詮索はしなくても、奥深さのある魅力にあふれた人たちだった。

 

ここのシェアハウスの住人になれる条件、

それは、

やさしすぎるくらいにやさしい人

気遣いをしすぎて疲れてしまうほど、気遣いをする人、

ものすごく真面目で、人百倍がんばっている人

そして、素直な人。

 

私はどれにも当てはまらないから……

「その他」

という枠も、あるのかもしれない。

 

そういう人が住人になれる、というより、そういう人しか住人にならない。

 

一度、ここで暮らしてみると、いろんな人の、一人ひとりの素敵すぎる個性と出会えるはず。私は、ここの住人になれて、とってもしあわせでした。

ぜひ、チャンスがあったら。楽しんで生活してみてください。

まず、条件を満たさないと住人にはなれないけどね!