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長嶋茂雄さんとたーさんの日常

牛路田 獏


約 1652

今となっては巨人軍、いや日本野球界、伝説の長嶋茂雄さん。その栄光は誰もが知るところである。だが、お身体を悪くされてから、あまりメディアの前に出ることはなくなった。
 さて、私がいつものごとくミスドで朝食をとっていて、常連のたーさんと会話をしていた最中のことである。突然、たーさんが背伸びしてカウンターのほうに向かって、ただでさえ胴間声なのに声を大にして叫んだ。
「シュー、アルファ!」
 たーさんは、耳が遠くて普通に話しているつもりでも、とても声がでかい。それが、この一声を更なる大声で叫んだのだ。だが、言っていることが奇々怪々だ。今回も私は何のことやらわからず、思わず口をあんぐり開け、通りがかった女性店員にこっそり訊いた。
「今のシューってなに?」
「シュガーレイズド、プラスです」
 と女子店員はふっと苦笑いして去った。出会ったころの、たーさんの食事はミスドの朝セット、つまりコーヒーとシュガーレイズドというドーナツだった。女性店員が教えてくれたところで、私は思わず長嶋氏のことを思い出してしまった。
「Who is だれ?」
 外国人記者に握手を求められて、長嶋氏が放った一言だ。しかし、さすがの長嶋氏はたーさんのように、まるっきりお門違いの英語は使わなかった、と思う。
 それ以来、たーさんの奇言は山とある。
 帰り際によく言うので、今では普通のことになってしまったが、
「そういったわけで、じゃ、行くからね。毎日がエブリデイ、あ、今日は水曜だからシャワー浴びよう」
 というので、へぇ、綺麗好きな人なんだなと思っていた。だがその割には、なんだか独特の体臭がする。
 その水曜日の「シャワー」の謎が解けたのは、3ヶ月くらいたってからのことだった。
 たーさんがR&Bのことに熱あげて私に向かって話をしたあと、今日は水曜日だという話題になってから、
「今日はミッティ・コリアの曲から始まって、あれと、これ。で、最後に獏ちゃんが入れてくれた曲、あれさぁ――えっとー」
 私も一応、一緒に考えた。R&Bのベスト盤を作ってあげているのは私だからだ。
「んー、I’m Wandering とか?」
「うん、そうそう! それをね、体全体で浴びるの! シャワーさ、シャワー」
 私は凍りついた。シャワーを浴びるって、このこと!? しかも、たーさんの部屋にはお風呂がないと聞いた。つまり、たーさんは水曜日には音楽のシャワーを浴びる習慣があったのだ。そのうち、もっと恐ろしいことを聞くことになった。
「寒くなってくると洗濯がねぇ」
「ああ、しんどいよね。水洗いだと洗剤が溶けてないか気になるし」
「や、洗面器で洗うから、こうやって……」
 そう言いながらゴシゴシ両手で昔ながらの、洗濯の仕草をやってみせたのだ。もう、私の頭は凍てついて氷河期になった。
 さて、そんなたーさんと私は、揃って北海道日本ハムファイターズのファンでもある。これも日常会話のいち話題である。今年、ファイターズが日本一になったのは記憶に新しい。
「巨人軍は永遠に不滅です!」
 と長嶋氏が引退するときにいった言葉はあまりにも有名だ。思い出してみると2006年に日本一決定戦でジャイアンツと会いまみえたことがあった。あの時の巨人軍は恐ろしいほど強くて、たーさんとふたりで「日本一は見通しが暗いよね」と、巨人軍を懼れていた。監督は長嶋氏のDNAを受け継いだ、原監督だった。もちろん彼はとんちんかんなことを何ひとつ口にしない。
 ある朝、ミスドで私の座っていた向かいの席の着座面が、どんなことをしたのか15cmほど裂けていた。たーさんはそれを見るなり指をさして、唐突に、
「ヒップのパワーが強い人」
 といったので私は、大笑いしてひっくり返りそうになった。 
 長嶋氏の類まれなセンスもみんなを穏やかにしてくれるが、たーさんの言動もユニークで長嶋氏を彷彿とさせる。でも、たーさんの奇言も日本一だと思うのは私だけだろうか。