芙美子、尾道へ|林芙美子 「放浪記」を創る(3)
だぶんやぶんこ
約 4960
1915年、芙美子は12歳になる。
的を得た話しぶりで客を集め、ひきつけ、品物を売る。
こんなことが当たり前になっていく。
行商で稼げるようになった。
その姿を母は嫌った。
沢井も、目を見張るほど女らしいしぐさの芙美子を見てはっとする。
芙美子の将来を真面目に考えなければならない日が来たのだ。
二人は「浮き草暮らしでは芙美子がだめになる。落ち着く先を探そう」と決める。
母は「生まれてこのかた苦労の連続でひどい暮らしばかり。情けない。もう嫌だ」と大げさに嘆くときもあった。
だが、苦労を苦労とも思わない楽天家だった。
父のことを「この人こそ待ち続けた人だとすぐわかった」と話していた。
なのに、けんかして飛び出し根無し草の渡り歩く日々を選んだ。
それでも悔しそうでもなく見る目がなかったと嘆くわけでもない。
芙美子は、母には生きるための美学があり、その心意気が父や沢田の心をつかんだと知っている。
筋を通す生き方を曲げず生活臭さを嫌った。
木賃宿の暮らしでも、芙美子の起きる前に身支度し化粧をして、背筋を伸ばしてにこにこ働く姿は変わらない。
ただ、沢井との暮らしが続くと、父と大喧嘩し喚き散らした激情家の一面は影を潜め、行商もうまく儲けるときは儲けるが大儲けを狙い結局損をする沢井をやさしく見守るようになった。
沢井も母のやさしさに甘えながら、楽しくやっていた。
そんな時、沢井は同郷で、尾道(広島県)で店を開いている大林亀助に出会う。
「尾道は儲かる。一緒に行商しよう」と誘われる。
尾道は本州の東西(近畿と中国地方)南北(山陰と山陽)そして四国を繋ぐ交通の要所にある港町だ。
今、造船ブームが起きており空前の活況だった。街には勢いがあった。
第一次世界大戦が勃発し、戦争に加わるヨーロッパの国では、軍事物資が大量に必要となり、軍事やそれに類する生産で手一杯になった。
輸出出来る民生のためのヨーロッパ製の商品が極端に減っていた。
輸入していたアジア・アフリカの国々は困ってしまった。
そこで、代替品を日本に求め、ヨーロッパ製の商品に代わり、日本製の商品が大量に輸出される。
日本の輸出は絶好調となり、その中心品目に造船があった。
尾道の造船所に、大型船の建造などの注文が相次いだのだ。
日本初の近代的造船所が因島に作られて以来、造船技術が磨かれていた。
磨き抜かれたが花開き、尾道は造船の町となった。
母は「鹿児島桜島の美しい景色そして穏やかな海が同じだ」と気に入り、沢井もより故郷に近いと納得し、港町、尾道に落ち着くことに決める。
母キクは、50歳が近づいて後はない、芙美子のためにも最後の頑張りをしなければならないと覚悟していた。
これでだめなら情けないが、芙美子を父、宮田に渡すつもりだった。
芙美子の第二期放浪生活は、一年半年弱で終わる。
充実した楽しい日々だった。
大林亀助から仕入先になる宮地質店を紹介される。
次いで、宮地質店は、一間だけしかない木賃宿だが、住むように計らってくれた。
すぐに、宮地質店から質物の呉服を仕入れ仲間と共に行商する。
行商の力を見た、宮地質店主は、納得し、ひと間では狭すぎるだろうと、親戚の宮地醤油店を紹介してくれた。
宮地醤油店の二階は、二畳と六畳の二間あった。
醤油店が快く貸してくれ、二階の貸間に移る。
芙美子の部屋は二畳だ。
行商の荷を積み上げ、その隙間だけが芙美子の部屋だった。
それでも、芙美子は「自分の部屋ができた」と嬉しくて泣いた。
沢井は、倉敷から故郷、児島そして高松・徳島まで行商に出かけ帰らない日もあった。
母は、近くで行商した。
芙美子が学校に行っていないことを気にしていた母は、すぐに芙美子を尾道市第二尋常小学校に入れた。
当時は、義務教育といっても、すべての子供が学校に行かなければならないという意識はなく、家の都合で学校に行かない子が多くいた。
だが、母は違った。
学校の大切さをよく知っていた。
賢い芙美子に、教育をつけさせたかった。
「何があっても、学校に行きなさい」と厳しく命じた。
普通なら卒業の年だった。
進路の相談もかねて、学校に出向いた母は、芙美子の学力は劣っていると冷たく言われ、がっくりだった。
芙美子は馬鹿じゃないと強く反論したかったが、学校に行っていないのは事実だ。
学校に行かなかった日々を考慮し、二年遅れの五年生に編入された。
母は、年下の子達と一緒では芙美子が嫌がるのではないかとドキドキしていた。「芙美子がまた登校拒否になったらどうしよう。これ以上遅れたら取り戻せなくなる」と心配で心配で、頭を抱えた。
授業の前に、これからの学校生活に関して話したいと言われ、尾道市第二尋常小学校に出向いた。
「小学校を卒業しないと次の進路はないのよ。我慢して学校に行きなさい」とくどくど説教しながら、嫌がる芙美子を学校に連れて行く。
ここで、母と芙美子は、担任の女教師、寺原先生に会う。
芙美子はふてくされたように、しかたなしに先生の前の席に着く。
その時、机の上にあった本に目がいく。
読みたかった少女小説があったのだ。
嬉しくてじっと見つめた。
寺島先生は、芙美子の目が輝いたのを見逃さなかった。
次の日、授業が始まる前に先生は芙美子が見た本を手渡した。
夢中になって読む芙美子を咎めなかった。
母は一日中落ち着かず、芙美子が戻ってくるのではないかと気になって家を離れられなかった。
行商にも行けず、ひたすら、授業を受けていることを祈り、待った。
すると、芙美子は元気よく帰ってきた。
拍子抜けしつつも「よかった。よかった」と嬉しく芙美子を抱きしめる。
それからの芙美子は本読みたさに、気取って学校に通う。
母は気が抜けたように「尾道に来てよかった」と涙を浮かべた。
先生は次々本を渡してくれた。
芙美子は、すぐに、読んでしまい、もっと読みたいと、本をねだるようになる。
先生は、機嫌よく次々、本を渡した。
授業は年下の子と一緒だ。
最初は嫌だったが皆あまりに幼く、競争相手とはならず、気にならなくなる。
寺原先生が気づかい、芙美子の不得手な学科を、恥をかかさないようにわかりやすく教えてくれた。
そのうち、話題が豊富で先生以上の話術がある芙美子の元に同級生が集まってくる。
芙美子は、今までの旅のいろいろをお姉さん的に気取って話し同級生を魅了する。
皆拍手喝采で応え、もっともっととねだる。
芙美子は学校に行くのが面白くなった。
瞬く間に先生の持っている本を読みつくす。
すると、寺島先生は芙美子の絵や作文を褒め、旅の絵や本の感想文を書くように勧めた。
そして「(芙美子さんは)すごいよ。先生こんなに早く読む子を見たことないよ」と褒め、読める本を見つけては渡す。
この頃から、芙美子は文を書き始め、先生に褒められると嬉しくてまた書くという繰り返しが始まる。
級友から一目置かれ表現する楽しさを知り、ルンルンで中学生のはずの芙美子が小学生生活を送ったのだ。
そして六年生になる。
この頃、母は、芙美子が学校に行くことを確信し安心し、沢井と一緒に遠方へ行商に行くことを増やす。
何日も芙美子一人で暮らすことになる。
ニコニコと「行ってらっしゃい」と送り出した。
全然寂しくなかった。
近所に友達もおり知り合いも多くなり、毎日が忙しかった。
六年生になると寺島先生はいなくなった。
初めて出会った芙美子の心を読んで、暖かく包み込んだ素晴らしい先生だった。「もう二度とあんな素敵な先生に出会えない」と途方に暮れた。
人生に絶望するまでになった。
絶望の中で迎えた新しい担任は、新任の文学好きで海外生まれの小林正雄先生だった。
先生は、すぐに、芙美子の読書好きに気づき「優れた文学書を読むといいよ。とても面白いよ」と本を渡した。
小学生には難しすぎる本だったが先生は渡すときに「こんなことが書かれているんだよ」と話して渡してくれていた。
それで、わからないわからないと思いつつ、くり返し読んだ。
すると、小林先生の話した言葉の意味がわかってくる。
わかってくると面白く、また繰り返し読む。
寺島先生を忘れて、読みふけった。
そして、意気揚々と「読みました」と感想を一生懸命話しながら返却した。
小林先生は、うんうんとうなずき、新しい本を渡した。
以来、戻す時、読後感想を聞くようになる。
すると、芙美子は先生に感動をうまく伝えたくて、感想文を書き覚え、それから先生に返却し、話すようになる。
読後感想文を書くのに時間がかかり大変だった。
それでも、とても楽しくて日課となる。
また、海の幸の豊富な尾道での食事作りは、興味があり、夢中になる。
鹿児島で教えられたことを元に、宮地醬油店の人たちに教えられ料理を創る。
そして、芙美子らしく工夫しながら作り、一人でおいしいおいしいと食べるのだ。
そのうち母や沢井にふるまうことも出てくる。
疲れて戻ってきた母や沢井を喜ばせたいと、料理づくりに励む。
母や沢井もおいしいおいしいと食べる。
すると、うれしくてますます頑張って作り腕を上げていく。
芙美子の才に感心した小林先生は、女学校に進学して、学ぶことを勧める。
母は驚き経済的に無理だと思ったが、行かせたい思いが強い。
しばらく悩むが、たとえ、父、宮田に頭を下げることになっても、行かせたいし行かせるべきだと決意する。
女学校に進学するのは10人に1人の時代だった。
尾道は好況で裕福な子が多い。
その為、芙美子が通った小学校の進学率は高かったが、それでも、恵まれたお嬢さんが行く学校だった。
芙美子の意志は、ハッキリしていた。「行きます」と。
女学校には本がいっぱいあると知らされたからだ。
読みたいし読まなければならない本があるのだ、行きたい。
だが、小林先生は「試験に合格しなければ入学できない」と脅す。
芙美子の学校の成績は悪い。
芙美子は本を読みに学校に行っている。
勉強するために小学校に通っているのではなかったからだ。
母は先生に「女学校に行かせたいです。よろしくお願いします」と頼んだ。
先生は「必ず」と自信を持って答えた。
芙美子には「言うとおりに勉強しないと、合格できないよ。良いね」と念を押す。ここから先生の特訓が始まる。
女学校への進学が可能な学力になるまで厳しく受験指導した。
芙美子は、放課後に先生に教えられ、休日は先生の自宅に通い教えを受けた。
どの程度の学力があれば合格できるのか何もわからなかったが、芙美子は合格できると簡単に思っていた。
ただ、先生にほめられたくて一生懸命勉強した。
暗記力を磨いてどの学科も覚えこんだが、算数・理科は、からきしだめで先生に真面目に学ぶしかなかった。
先生が大好きだったから嫌な勉強も耐えられた。
小林先生は、両親と一緒に住んでいて、若く颯爽とした素敵な先生だった。
先生に会いたくて自宅を訪れるが、それ以上に、先生の家にある多くの蔵書に惹かれた。
勉強の傍ら読書に夢中になったりして、怒られる。