マスク越しのまなざし
淺野マリ子
約 3324
遡ること、2022年2月9日から開催された「メトロポリタン美術館展」で、一枚の作品に釘付けになった。
と瞬時に、その作品に接した時、閃光のようなある閃きが私の脳内を駆け巡った。
その一枚とは、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「女占い師」である。
人間臭く強烈なまなざしにマスクを着用したい衝動にかられた。
何故、そのようにふざけたというか顰蹙を買う発想に至ったかといえば、新型コロナウイルス感染拡大にマスクの着用が義務化され、相手の表情を読み取る手段の一つとして、目による情報に依存する日々が続いている。
これまでの拙い体験値ではあるが、相手を理解するうえで、まなざしが多く影響していると思っている。
日本では「目」は心の窓、目は口ほどにものをいうといわれるように、人を観察するうえで、「目」を重視してきた。
小学校時代、白黒のテレビ画面を通して、白馬童子、鞍馬天狗にかじりついて過ごした記憶が懐かしく蘇ってくるのは、何故だろうかと、当時を振り返ってみた。
口元は白や黒の覆面で覆っているが、目ははっきりと表出しており、「目力」「眼光」によって悪を退け闘い、幸せが訪れましたといったもので、毎回、見終わると実に爽快感に誘われたものだ。
どうやらその当時の記憶が、後期高齢者になった現在でも強くインプットされた状態といっても過言ではない。
何故、それほどまでに拘っているかといえば、母親の存在が大きく影響している。
7か月の未熟児で、世間に飛び出した私に、父親は「病気の問屋」とレッテルを張るほど、確かに病気に対するお付き合いは半端でなかった。
小学校から帰宅すると、母親は、病気がちな私を捕まえて、厳しいまなざしに、時には、子ども心に母親に不快感をあらわにすることもあった。
母親の真剣なまなざしは後に病院ボランティアを始めた私は、大変参考になる幼児体験であったと感謝している。
お見舞いに訪れた病院で、背中に視線を感じた。
振り向くと、同室の高齢の女性が、私の方を必死に見つめている。
気になり、近づくと、唇は赤くひび割れ状態で、痛々しく、擦れて声にならない女性はカップに注がれた熱いお茶を早く飲みたいと訴えていた。
湯冷ましをしている私を病室訪問中の看護部長の目に留まり、病院ボランティアをしてほしいとの申し出に、まだ病院ボランティアに対する知識がなく、曖昧な返事しかできなかった記憶がある。
「あなたの患者にした湯冷ましの行為そのものが既に病院ボランティアとしての素質を持っているからお願いしたいのです」と看護部長の言葉を忘れることなく、心の片隅で生き続けていた。
地元の病院に緩和ケア病棟が開設されるとのニュースを出版社の編集者から聞いた私は、即座にコンタクトを取った。
人の命の現場に接する医療者としての看護部長の真剣なまなざしに、私は母親の厳しいまなざしが重なると同時に、背中を押されたような見えない勇気が私の中に芽生えた。
その病院ボランティアの学びの中で、「アイコンタクト」について、尊敬のまなざし、温かみを伝えるまなざし、人を活気づけるまなざしの3つを知り得た。
その後、病院ボランティアとして、「話し相手」の立場で、病気の方に関わってきた。
病気の方の話し相手において、先の学びによるまなざしは大切なコミュニケーションの一つと考えるようになった。
体力的にも心しなければならず、特にじっと見続けるというまなざしは控え、少しでも、三つのまなざしをもって接することを心がけてきた。
病気の方とのコミュニケーションで、穏やかで温かいまなざしで接することで、眉間の皺が消え、まなざしに活気が出てくるという素晴らしい経験をした。
マスク社会前は口元というより、病気の方に接する時に「唇」の色にも注視してきた。
これも、母親から、寒い時紫色に変わった唇を見のがさず、身体を温める処置をしてくれた記憶が残っているからだ。
2008年から10年間、私立大学の薬学部の3年生を対象にした「医療ボランティア」の実習講義を引き受けることになった。
実習に入る前に基礎知識としての講座があり、壇上からは、生徒の表情が想像以上に鮮明に分かり、基礎的講義の際には眠気を催す生徒が多く、失敗談とまなざしに絞った。
すると、伏し目から姿勢を正し、ぱっちり、食い入るようなまなざしに変わるのである。
新型コロナウイルス禍と重なり、マスク越しの実習生のまなざしに接する機会はなく残念である。
まなざしの拘りについて、2018年母校の小学校のPTA創立70周年記念に、笑顔の大切さについての講演依頼に、時を経ること62年ぶりに懐かしい学び舎に帰郷した。
4年生以上の高学年と保護者という幅の広い対象に、一抹の不安を抱えたまま登壇した。
その不安は的中し、壇上に届くまなざしは、広範囲の対象者に対応するのに苦慮した。
我が故郷には「市の花」の指定がないことを事前にキャッチしていた。
思い切って急遽、高学年に向けて、「市の花は何がいいですか」と問いかけた。
多くの子どもたちが見違えるように目を輝かせて、挙手をし、「ひまわり」「桜」「あじさい」と途切れることなく続いた。
あの時の子どもたちの純粋なまなざしが今でも心に残っている。
その後新型コロナウイルス禍で、帰郷は叶わず、4年の時を経て、昨年11月に5年生の体験学習として「稲刈り」に思い切って母校の子どもたちに会いたくて帰郷した。
黄金色に実った稲穂の香りと共に、地元の米つくりの名人の指導の下、わき目も降らずに鎌で刈り取っていく姿に胸が熱くなった。
刈り取った田んぼでの反省会で、昔々の卒業生として感想を一言と言われた時の私に向けるまなざしは4年前のまなざしと変わりなかった。
都会でカサカサになっている私は秋の空のように澄み切った爽やかなまなざしに出合い、心が和んだ。
これまでの体験を通して、私見というか狭義ともとれる「まなざし」を書きつらねてきたが、当初の新国立美術館のメトロポリタン美術館展の一枚「女占い師」のマスク越しのまなざしに向き合わねばならない。
今も「女占い師」が掲載されたリーフレットを大切に持っている。
マスクを着用したまなざしを、機会を見て文字化するという当初の閃きは日を追って強くなり途絶えることがなかった。
何度も、「女占い師」にマスク越しのまなざしを試みてきた。
ある時はインターネットを検索して、印刷物との違いも模索した。
一年半以上、一枚の絵画に考えられる関わりに拘り続けた。
「女占い師」は五人の人物によって構成されており、服装からもお金持ちで育ちの良い青年を女占い師と三人の、女性が取り囲んでいる。
マスク越しでのまなざしからも、青年から占いを依頼したのか、どちらが先なのか、私には分からないが、女占い師に青年の不安を隠せない、不信感に満ちたまなざし、目つきをうかがえる。
青年に占った内容を説明し、その対価を取りぱっくれのないように眉を吊り上げ、目つきからその必死さが分かる。
三人の若い女性のうち、女占い師と青年の間の女性の目つきは、青年に何やら作為に満ちた視線が感じとれる。
青年の左に二人の女性のうち一人からは、先の女性と同様に青年に向ける目つきから良からぬ作為がうかがえる。
一番左の女性は目を伏しているので、目つきが見えてこないが、お金持ちの青年に対しての関心を持っていると察する。
閃きの展開に期待した名画のマスク越しのまなざしに、これまでに接してきたまなざしとの違いに気が付き一抹の物足りなさを感じた。
これまでのまなざしの体験は、聴覚の存在による部分も多く、臨場感があったが、作品からは実感が伴わないからと気づいた。
閃きからまなざしに拘った一枚の名画に費やした時を、無駄ではなかったと想っている。
ツインデミック、10波の可能性も予測される今冬、「マスク越しのまなざし」は続く