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「道産子」

S.M


約 2031

「○○君は鹿児島生まれなんですよ」何度かお酒の席で先輩から言われ知人が驚かれることがある。「いえいえ、本籍が鹿児島なんです」このくだりが嫌いではない。
両親は鹿児島出身。姉は室蘭、兄は出産の為に鹿児島で生まれ、次男の私は釧路生まれであるが本籍だけは鹿児島になっている為、特殊な道産子である。

父の転勤で北海道に移り、育ちは三人とも北海道。私は2歳から大学卒業まで札幌で実家暮らし。しかしながら北海道ならではの風習、郷土料理などは他の道産子と比べ経験値が乏しいと思われる。大晦日には御節料理、元旦にはその延長が慣例の様だが、我が家では大晦日は質素な年越しそば程度。乾燥させた「桜島みかん」の皮を細かく刻み、薬味としてのせるのは欠かせない。元旦になって漸く御節料理の解禁となるのが普通であった。

我が家ではジンギスカンが夕食に並ぶことはない。道外から親戚達が来ると決まってサッポロビール園に出向く。それが慣例で観光客なみに喜んだものだ。
家族旅行や外食という文化のない我が家だったので、外食が楽しみだったのだろうか。
道外から来た親戚が喜んでいる姿、何となく誇らしげな気分であることに気づく。
多分それが子供ながらに嬉しかった。

LCCも無い時代、北海道は気軽に来ることができる場所とは言い難い。大手企業では北海道転勤=左遷のイメージまたはワンクッションで本社に戻る慣例ルートもあるようだ。僻地手当、北海道手当という名称も問題視されない時代だが、道産子としては僻地という言葉には嫌悪感が残る。

その北海道から鹿児島に行く(帰る)のは一大行事であった。私が生まれた頃には母方の祖父母は既に他界しており父方の祖父母はかろうじて会ったことがあるが、孫として認識してくれていたかは疑問が残るくらいの高齢であった。本籍地である鹿児島といっても曽於郡(現在曽於市)という田舎町。夜になると街灯もなく真っ暗になる怖さもあったが、祖父母がいる鹿児島が北海道同様に好きである。鹿児島弁はとにかく難しく外国に行った気分になるが、大人になるにつれ独特なリズム感のある鹿児島弁に心地よさを感じるようになった。大学卒業を控えた春、初めて一人で祖父母の墓参りへ行ったが、北海道のお土産配りに帆走も「わざわざ」よく来てくれたと小学生以来の帰省に優しく迎えてくれた叔父叔母には感謝の気持ちがとまらなかった。

就職先は某損害保険会社で勤務地は全国。本籍が鹿児島である私は履歴書情報から勘案され九州の可能性もあるのではと視野に入れていた。約一ヵ月の大阪本社研修を終え大阪の地で配属先を聞くとになった。どのように辞令を受けたか記憶が定かではないが「帯広」という地名を知った瞬間、北海道の右の方(道東)かという漠然とした印象だった。
詳しい場所までは知らなかったが、釧路よりは近いという浅い知識しか持ち合わせていない。そもそも道内の距離感は分かっていない。
そんな私は十勝「帯広」暮らしを始める。市内から数キロ離れただけで広大な草原、平野を目の当たりにし「これぞ北海道」という新鮮な発見。初心者道産子は少しレベルが上がったかもしれない。その十勝も3年をもって札幌に転勤。関東出身の所属長とは二人で根室まで一泊二日の小旅行にも出掛けた。タラバの刺身には衝撃を受けたが、この味を上回る美味しさには今も出会っていない。関西出身の先輩には温泉巡りを教えてもらった。温泉といっても秘湯、景色が見渡せる露天風呂がセットである。二人とも転勤を見越し今のうちに北海道を満喫し私以上に北海道通であったかもしれない。
その点、私はいつでも行けるという認識から行動範囲は狭いものだった。
海鮮物は札幌でも美味しいと言えるが、転勤先の函館で食べたイカ刺しは今までの白いイカとは違う全く別の食材であった。まだまだ北海道の魅力は分かっていない。
今ではどの地域でも良質な食材が手に入るが「わざわざ」という行動力やその地域の景色がセットで感動は増幅されるものと思う。

今の楽しみは年に一度の贅沢。
大晦日に札幌中央卸売市場で良質な毛蟹を出来るだけ安く買うことだ。
蟹は弟が用意するものという暗黙のルール。
桜島みかんの薬味が自然であったかのように年末の蟹が定着しつつある。
それでいい。

最近になり些細なことが変わった。
「いえいえ、本籍が鹿児島なんです」から「はい、本籍は鹿児島なんです」と肯定的に。
釧路生まれを「わざわざ」本籍を鹿児島にしてくれたことも誇りである。
今度お酒の席で先輩に言われたら、続けてこう言おうと決めている。
「生まれは釧路で道産子なんですよ」と。
江戸っ子、博多っ子、九州男児、薩摩おごじょ等と比べ「道産子」対象者の範囲は面積同様に広い。色々な想いをもった道産子がいていいだろう。
北海道に来てくれた両親に感謝したいものだ。

「北海道に来てくれてありがとう」と。

母の一周忌に初めてそう話そうと思っている。