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マスク越しのまなざし
遡ること、2022年2月9日から開催された「メトロポリタン美術館展」で、一枚の作品に釘付けになった。 と瞬時に、その作品に接した時、閃光のようなある閃きが私の脳内を駆け巡った。 その一枚とは、ジョ[ 続きを読む ]
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白のカラーシャツ・ブラウス
2019年12月、中国の武漢市での原因不明の肺炎症状が報じられて、今年2022年で3年を迎える今。 私の人生においても、コロナ禍に符合するかの様に、2019年からの毎日の生活様態に変化を受け入れなくて[ 続きを読む ]
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断捨離で鬱は治る。
鬱になる頃は、家の中が散らかっていることが多いです。断捨離すると、体が軽くなるような気がします。1つ新しい物を買ったら、1つ捨てることをおすすめします。私は8年前から少しずつですが、断捨離を始め、洋服[ 続きを読む ]
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芙美子の死|林芙美子 「放浪記」を創る(20)
戦争が終わり、疎開から戻り、泰といつも一緒だった時は終わる。 猛烈に忙しい作家としての日々が始まった。 発行禁止もすべて解除され、続々と芙美子の単行本が出版されていく。 忙しいのは嫌いではなかった。 [ 続きを読む ]
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芙美子のお友達|林芙美子 「放浪記」を創る(19)
芙美子には時々に思い出に残る大切な友人がいる。 個性が強すぎ野心ありありの芙美子に、強烈に反発する人もいたが。 それでも、人当たりがよく、面倒見がよく、博識で、面白く楽しい芙美子は、誰からも好かれる。[ 続きを読む ]
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芙美子の最愛の家族|林芙美子 「放浪記」を創る(18)
芙美子は建築中にも母を何度か案内している。 母も近くであり、何度も見に行き、出来上がるのを見守っていた。 ほぼ完成し入居が近づくと、母に、これからは絶対に側を離れないよう言った。 母も幸せそうにうなづ[ 続きを読む ]
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芙美子の棲家を建てる|林芙美子 「放浪記」を創る(17)
芙美子は、土地が手に入るとすぐに、自宅の設計に取り掛かる。 放浪の流行作家、芙美子の生き方の集大成だと、意気込んで、わくわくする仕事が始まる。 芙美子の棲家は、どこに行こうとも必ず帰りたくなる、求め続[ 続きを読む ]
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緑敏(1902-1989)の決めたこと|林芙美子 「放浪記」を創る(16)
緑敏は、画家を目指していた。 だが、芙美子に出会い、見切りをつける。 以後、描くことは減り、描いていた絵も処分してしまい、わずかしか残らない。 画風としては、後期印象派的な画風だった。 印象派は、19[ 続きを読む ]
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芙美子の家への思い|林芙美子 「放浪記」を創る(15)
郊外開発が進められ目白文化村として売り出され、高級住宅地となったのが落合地域。 東京都新宿区中落合1丁目と2丁目の一部、3丁目と4丁目の大半、中井2丁目、西落合1丁目一部だ。 1914年、堤康次郎が、[ 続きを読む ]
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芙美子、特派員への道|林芙美子 「放浪記」を創る(14)
母と沢井が家族に加わり、まもなく、近所に別居した頃、1933年9月。 芙美子は、共産党に資金提供した疑いで、逮捕され、耐えられない屈辱を味わう。 知人である共産党員に寄付の約束をしただけなのに、9日間[ 続きを読む ]
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下落合の洋館に住む|林芙美子 「放浪記」を創る(13)
1932年6月、日本に戻った。 船の中で「会いたい、会いたい」とつぶやき思い焦がれていた人、夫、緑敏が迎えに来ていた。 ひたすらまっすぐに、胸に飛び込む。 そして、何日も何日も、パリ生活を語り続けた。[ 続きを読む ]
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巴里の芙美子|林芙美子 「放浪記」を創る(12)
ほぼ予定通りに着き、松尾氏・画家、別府氏らの出迎えを受け、パリでの生活が始まる。 松尾氏は、芙美子が生活できるように完璧に用意してくれていた。 すぐに、何物にも束縛されない弾んだ心のままに、芙美子は、[ 続きを読む ]