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おんなの町

T.O


約 1975

 しっとりとした暗がりの土間にしつらえられたテーブルセットに腰かけて、真夏の陽光が差し込む日本庭園の中庭を眺めていると、その陰影の鮮烈なコントラストで、お屋敷の内は一面モノクロームの世界になっていた。 
 あんみつを食べ終えて会計のときに、思い切ってお店の女性に来意を告げると、思いがけない言葉が返ってきて、いささか驚いた。
「奇遇ねぇー。地元の商業高校の生徒さんらがね、つい最近この近くで、その人にちなんだイベントやったばっかりなのよ。で、そのイザベラさんの旅行記には、彼女が泊まった宿が、この辺だったって書いてあるの?」
 私より年配のその女性の口調には、意外なことに津軽訛りがまったく感じられなかった。
「はっきりしているのは、彼女は明治十一年の八月四日前後から二泊三日で黒石に滞在しているんですけど、本には、その小ぎれいな宿の広々とした二階の部屋からは周囲の田圃が見渡せた、と書かれているんです」
「あー、それじゃあ、この辺じゃないわねぇ。だって中町からだと、二階に上がったって田圃は見えないもの」
「ええ、私もそう思いました。此処の旧市街地で田圃が見渡せる町っていったら、山形町か上町くらいですもんね。でも、その旅行記の黒石のページを読み進めていくうちに、彼女の泊った宿のイメージが、どうしてもこちらのT家住宅と重なってしまって……」
「えっ、あなた、此処の人なの? 全然訛りがないけど」
 津軽訛りのない人が、そう言って驚いた。
「はい、小学校から高校まで黒石で祖母と暮らしていました。高校卒業してからは、ずっと仙台で働いているんですけど、丁度今、仕事のことで黒石に来たもので、こちらに立ち寄らせて頂いたんです。昔は小学校へ向かうのに、コミセを通ってこちらの前を歩いていましたから。通るたびに、玄関に暖簾がひらひらしていて中は暗くて、いったい何屋さんなのかなーって、いつも思っていました」
「そうなのぉ。そういうことなら、このままお帰しする訳にもいかないわねぇ。じゃあ我が家の二階にちょっとだけご案内するわよ」
 驚きと嬉しさで唖然となった私は「えっ?あっ、はい。ありがとうございます」と五十面下げてみっともない返答をしていた。
 T家住宅の二階は月見の間と云って、その昔お忍びのお殿様をお通しする隠し部屋だったそうだ。案内してくれた年配の女性は、カフェのお手伝いさんではなくて、二百七十年以上続く旧家T家の十四代当主の方だった。
 見事な山水画の描かれた六曲一双の屏風が立てかけられた大座敷の脇に隠し階段があって、その急な梯子を上ると、こじんまりとした天井裏の座敷があった。
「ほら、ここから下をご覧なさいな」
 彼女は私を、通りに面した窓辺に誘(いざな)った。
「わー、上から見渡すコミセも風情がありますね。イザベラ・バードも、こうして手摺に凭れてコミセを眺めていたんでしょうねぇ」
「そのイザベラさんは、黒石のことをどう書いているの?」
「彼女は、当時星夕とも云われていたらしいネプタ祭りを浴衣姿で見物しているんですが、そこで彼女は、扇ネプタの淡い明かりと仄かな色、人々が揺らして歩く提灯の波を目にして、これほど完璧にお伽噺のシーンのような光景はみたことない、と絶賛しています」
「へぇー、この黒石をねぇ……。私もその本読んでみたくなったわ。あっ、そう言えば明日からネプタじゃない。あなた、見ていくの?」
「いいえ、明日の夜勤に間に合うように仙台に帰らないといけないので……」
「あなた、もしかして、看護師さん?」 
「ええ、もう五年もすれば定年なんですけど、縁あってこちらの介護施設からお誘いを受けまして、午前中にそのお話をお伺いしてきたとこなんですけど、正直迷ってます……」
「仙台の都会から此処じゃあ、そりゃ迷うわよね。私もね実は他から嫁いできた身なの」
 奥さんは黒目勝ちな潤んだ瞳で微笑んだ。
 T家の奥さんに紹介して頂いたこの宿で、なかなか寝付けずに輾転反側していると、どこからか練習のネプタ囃子が聞こえてきた。まるで夢の中にいるような一日だったけれど、今こうして、もと遊郭だったと云う艶かしい来歴を持つ古びた旅館の煎餅布団に身を横たえ、どこかもの悲しげな笛の音を聞いていると、夢はまだ続いているような気もする。
「此処はね、おんなの町なのよ。おんなが何かを、誰かを、いつまでも待ってる町……」
〈私も、待つおんなになるのかなぁ……?〉
 母に手を引かれてやってきたこの町、標準語をからかわれて泣いた町、母を亡くして祖母と寂しく暮らした町、そして祖母を見送り今は誰一人身寄りのない町なのに、人生の黄昏時になって、この故郷というべき場所に戻って来ようとしている私の脳裏に、奥さんの言葉がいつまでもリフレインしている。 了