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天下への契り 第一回小説コンテスト入賞作品

袖岡 徹


約 31097

弘治二年(一五五六)五月——
 篠つく雨のなか、数人の小姓を従えたひとりの騎馬武者が街道を駆け抜けていく。
 六尺近くの大躯を持ち、豊かな顎髭を蓄えたいかつい面構えは、荒武者と呼ぶに相応しい風貌である。織田信長の弟、末盛城主・織田信勝の筆頭家老を務める柴田権六勝家であった。
 やがて前方に幅六間に及ぶ土塁と堀に囲まれた方形居館である那古野(なごや)城が、その威容を現した。かつて織田信長が居城としていた那古野城は、信長が清洲城に移った現在、その筆頭家老である林秀貞が城代を務めている。勝家は、秀貞に呼び出されて、那古野城に向かう途上だったのだ。
 本丸御殿書院の間では、秀貞のほかに、その弟の林美作守通具(みちとも)が勝家の到着を待ち侘びていた。通具は、勝家と並ぶ信長の弟・信勝の二番家老である。
「権六殿、よう参られた。お待ちしておりましたぞ」
 勝家が姿を現すと、いまだ三十手前の勝家よりも一回り以上年嵩の秀貞が、骨張った面立ちを綻ばせ、おもねるような声を出した。
 その場の雰囲気を咄嗟に感じ取った勝家が、憮然とした表情を浮かべて言葉を返す。
「あの話ならば、すでにお断りしたはず」
「そう申すな。少し状況も変わってきたのじゃ。いま一度我らの話を聞いてはくれまいか」
 秀貞の言葉に勝家は、やむなくふたりの前に腰を下ろした。
「儂らがお支えしている信勝様を皆で押し立てていこうというのじゃ。いったい何の不満があると申すのだ?」
 秀貞の隣に並んだ林美作守が訝しげに首を捻った。
「信長様は、亡き信秀様が世継ぎと定められたお方じゃ。その信長様を討ち、弟君の信勝様を担ぐは、下尾張守護代・織田大和守信友様を騙し討ちにして、清洲城を乗っ取った信長様とやり方が少しも変わらぬではないか。儂は、古からのしきたりを蔑ろにする下剋上なる風潮が好かぬのよ」
 尾張国は守護・斯波家のもと、上四郡を織田伊勢守(いせのかみ)家が、下四郡を織田大和守(やまとのかみ)家が、それぞれ守護代として治めていた。信長が生まれた織田弾正忠(だんじょうのじょう)家は織田家の嫡流ではなく、守護代大和守家の三奉行の一家に過ぎなかった。
 信長は、復権を目指す尾張守護・斯波義統(よしむね)と密かに結び、大和守信友を排し、自らが守護代の地位に就こうと画策していた。だが、その密謀を知った守護代・信友は、先手を打って斯波義統を弑逆してしまったのである。
 信長の叔父に当たる守山城主・織田信光は、守護代・信友にともに手を組み、信長を討伐しようと持ち掛けた。だが、信友の居城・清洲城に入った信光は、そのまま清洲城を占拠し、信友を自害させてしまった。それは、信長が仕組んだ陰謀であった。信長は、下四郡の分割統治を条件に叔父・信光と手を組んでいたのだ。
 けれど、その直後に信光は信長の手により謀殺されてしまう。信長は始めから叔父・信光を自らの野心のための道具として利用するつもりだったのだ。守護・斯波義統の嫡男であるまだ幼い岩龍丸を保護した信長は、実質的な下尾張守護代として清洲城に入ったのであった。
「よいか。信長様は、自らの野心のためには一族の死をも厭わぬ冷酷なお方なのだ。こちらから仕掛けねば、そのうち信勝様までもが亡き者にされてしまうであろう」
 秀貞が、勝家に対して反駁した。
「それは、ちと考え過ぎではあるまいか?」
「いや、左様なことはない。儂は、先だって不可解な死を遂げられた兄上の秀俊様も、信長様の手に掛かったものと信じておる。家臣からの信望の厚い信勝様を邪魔者に思うているに違いないのだ」
 ふたりのやり取りを聞いていた林美作守が口を挟んだ。
「まさか権六殿も、信長様を認めておるわけではなかろう。幼き頃は、うつけだと侮っておったが、とんだ食わせ者であったわ。我ら家老衆の言葉には一切耳を貸さず、尾張一統などとうそぶき、この国を内乱に陥れようとしておる。これ以上、やりたい放題させるわけには参るまい」
「……たしかに得体の知れぬ御仁ではあるが」
「美濃の斎藤道三殿が亡くなり、信長様は唯一の後ろ盾を失った。そればかりか、跡を継いだ斎藤義龍殿は、上尾張の伊勢守信安様に誼を通じてきておるとの噂も聞こえてくる。いまが、まさに絶好の機会なのじゃ」
 秀貞が言い募った。
 信長は、美濃国主・斎藤道三の娘・帰蝶を娶り、同盟を結んでいた。その道三が、この年の四月、嫡男・義龍との戦いに敗れ、討死していた。道三との同盟を後ろ盾にして勢力を拡大してきた信長に転機が訪れていたのである。
 勝家はふたりに言い含められて、思わず黙り込んだ。
 その時であった。
 小姓が駆け寄る足音が近づいてきて、襖の向こうで止まった。
「織田上総介(かずさのすけ)(信長)様、ご登城にございます」
 小姓の声が響き渡る。
 その声に驚いて、三人が思わず顔を見合わせた。
「真か!……して、いかほどの軍勢を連れて参っておるのだ?」
 秀貞が小姓に問い掛けた。
「それが、お連れは守山城主・織田信時様おひとりのみにございまする」
 その言葉を聞いた林美作守が、ほくそ笑んだ。
「飛んで火に入る夏の虫とは、このことではないか。この機を逃さず、この場で信長様を討ち取ってしまおうぞ」
「戯けたことを抜かすな! 左様な卑怯な真似ができるか」
 勝家が思わず一喝した。
「権六殿の申す通りじゃ。三代に亘ってご恩を受けた主君を謀殺するは、天下の大罪ぞ。左様なことをすれば、信勝様から人心が離れるだけよ。正々堂々と合戦(いくさ)で決着をつけるが筋というものじゃ」
 その時であった。
 襖が乱暴に開け放たれ、突如、ひとりの男が現れた。
「かような処でひそひそといったい何の謀(はかりごと)よ!」
 織田上総介信長であった。
 袖なしの湯帷子に半袴を履き、腰に朱鞘の太刀を差しただけの恰好をした信長の端正だが、冷然とした瓜実顔のこめかみには青筋が浮き出ていた。
「おおかた儂を始末する算段でもしておったのであろうが」
「滅相もございませぬ。我ら家老衆でこれからの治世について語り合うていただけにございまする」
 秀貞が、慌てて言葉を返した。
 信長が、いきなり腰の太刀を引き抜いた。そして、宙で一閃させると、その剣鋒(きっさき)を秀貞の鼻先に突きつける。
「……な、何をなされる?」
「嘘偽りを申してないとこの剣に向かって誓えるか?」
「…………」
 そこに、勝家が口を挟んだ。
「殿、お戯(たわむ)れは止めて下され」
 信長が、勝家に向かって鋭い視線を投げかけた。
「権六、おぬしまで荷担しておったのか……おぬしだけは、そこの阿呆らと違って、見所があると思うておったが、儂の目は節穴だったか」
「いえ、それがしは、まだ何も……」
「もうよい! おぬしらの存念はよう判った。束になって掛かってくるがよい。なれど、おぬしらごときに負ける儂ではないわ」
 信長は哄笑を挙げると、来た時と同様、唐突に部屋を出て行った。
 三人は、その後ろ姿を見送りながら、安堵の息を漏らした。
「権六殿、もう引き返せませぬぞ」
 秀貞が勝家に囁く。
「判っておる」
 勝家は、憮然とした表情でそう応えた。

 末盛城を居城とする弟・織田信勝が、信長に叛旗を翻した。
 それに従い、林秀貞が城代を務める那古野城のほか、その西に位置する米野城、大脇城も次々と信勝方に加勢した。
 那古野城から北西に位置する清洲城まではわずか一里半ほどの距離しかない。信長は、信勝勢に対抗するために、両城の間に流れる小田井川(庄内川)の東岸にある名塚村に砦を築き、佐久間守重を大将とする守備隊を置いた。
 八月二十四日の早朝、信勝は柴田勝家と林美作守に出撃命令を発した。
 二十日頃から大雨が続いたために小田井川が氾濫し、名塚砦と清洲城との交通を遮断していた。この機を逃さず、名塚砦を落とすべく軍を動かしたのだ。
 勝家が率いるおよそ一千の軍勢は、稲生村のはずれから街道を西向きに砦に向かって進軍した。一方の林美作守は、南の田園地帯から手勢七百人ばかりで攻め寄せ、砦を挟撃する手筈であった。
「進め! 惣掛かりで一気に砦を落としてしまうのだ」
 馬上の勝家が檄を飛ばすと、懸かり太鼓が威勢よく打ち鳴らされる。
 急拵えで造られた名塚砦は、一重の堀しか持たず、なかに籠もる守備兵の数も二百余りに過ぎない。そこに総勢千七百の軍勢が二方向から攻め立てるのだ。砦が落ちるのは時間の問題だった。
 その時、吉田次兵衛が勝家の許に駆け寄ってきた。
 次兵衛は、勝家の姉を娶り、家老衆筆頭の地位にいる。後の柴田勝豊の実父である。
「上総介様の軍勢が着陣いたしましたぞ」
 振り返れば、小田井川の向こうに信長の軍勢およそ七百がやって来ていた。
「後詰に参られたか。なれど、その荒れ狂った川を越えることはできますまい。そこで、指を咥えて砦が落ちるのを眺めているがよろしかろう」
 だが、軍勢のなかから一騎の騎馬武者が前に進み出ると、水嵩が増した川を馬に乗ったまま渡り始めた。
 紺色威の胴丸具足を身に纏い、兜には金色の木瓜紋の前立が輝いている。織田信長だった。浅瀬を探りながら急流のなかを果敢に突き進んでいく。その姿を見た家臣たちが信長を追って次から次へと小田井川に飛び込み出した。
「ほう、あくまで一戦交えるおつもりか……面白い。殿が育てておられる馬廻衆がどれほどのものなのか、しかと確かめさせてもらいますぞ」
 戦国大名の兵力は、主に国人衆や地侍などにその領土に応じて出兵を割り当てた半士半農の武士たちであった。それ故、合戦は田植えや収穫の時期を避け、農閑期に行われるのが常である。けれど、信長はすでにこの時期に国人・土豪層の次男、三男以下からなる軍事専業の直属部隊を編成し始めていたのだ。
 勝家は、采配を打ち振り、下知を飛ばした。
「皆の者、退け。陣を立て直すのじゃ。敵は、清洲の軍勢ぞ」
 名塚砦から退いた勝家軍は、すぐさま魚鱗の陣形をとると、川面から上がってくる信長軍を待ち構えた。
「弓隊、前へ! 矢を放て」
 この時代の合戦は、先鋒の弓兵たちが『矢衾(やぶすま)』を放つことによって口火が切られるのが慣わしであった。弓矢戦により敵の先鋒を崩した後に、槍隊が『槍衾(やりぶすま)』を作って突撃していくのだ。
 けれど、次の瞬間、勝家の瞳に映ったのは予想外の光景であった。
 信長隊の先鋒に数十人の鉄砲隊が立ち並び、その銃口が一斉に火を噴いたのだ。白煙とともに耳をつんざくような轟音が鳴り響く。
「……いつの間にあれだけの鉄砲を」
 勝家の顔が驚愕に歪んだ。
 信長はいち早く鉄砲の有用性を認め、合戦に取り入れた戦国武将のひとりであった。
 銃声が轟く度に味方の兵卒たちが次々に倒れていく。
「槍隊、前へ! 弾込めに時間が掛かるが故、鉄砲は続けざまには撃てぬ。怖れることはない。全軍、突撃じゃ!」
 勝家の号令の下、槍隊を先頭に勝家軍が、信長軍に攻め掛かる。
 だが、数で勝るはずの勝家軍が信長の槍隊を前に押し返されていく。
 信長が用いた長槍の長さは、三間半(約六・四m)。通常の槍の長さは一間半(約二・七m)なので、その倍以上の長さである。この長槍を遣った槍衾の前に勝家方の槍隊はなす術もなかったのだ。
「ええい、いったい何をもたもたしておる。我らの方が数では勝っておるのだぞ。力押しに攻め込むのだ」
 勝家はそう叱声を飛ばすと、自ら戦場へと身を投じた。
 やがて戦いは、両軍入り乱れての白兵戦となった。勝家は、馬廻衆とともに敵陣深くまで攻め込んでいく。勝家の槍捌きは群を抜いていた。鬼神の如く槍を振り回しては、雑兵たちを蹴散らし、侍大将の山田治部左衛門を討ち果たした。けれど、治部左衛門との対決の際に左腕に槍を受け、手傷を負ってしまった。
「権六様、お退き下され。早う傷の手当をせねば」
 次兵衛が勝家を止めに入った。
「なんの。たかが擦り傷よ」
 勝家は構わずさらに敵陣へと突き進んでいく。
 その目前に織田信長の姿が現れた。信長もまた自ら刀を振るい、勝家方の雑兵たちを斬り捨てている処だった。
「殿、勝負じゃ。この柴田権六がお相手いたす」
 信長は、勝家に気がつくと不敵な笑みを浮かべた。
「権六、ようここまで参った。なれど、その傷で儂に勝てるとでも思うておるのか」
「なんの。殿の相手など、右腕一本で充分でござる。ご覚悟!」
 勝家が一気に間を詰め、右腕で握り締めた槍を突き出す。だが、信長は易々と刀で槍を弾き飛ばした。
 信長は十八になるまで遊びらしい遊びもせず、朝から晩まで当時の武将に必要な技量を身につけるためにひたすら励んできた。「市川大介を召し寄せて弓の稽古、橋本一巴を師匠として鉄砲の稽古、平田三位を絶えず召し寄せて兵法の稽古」をしたほか、朝夕に馬術を稽古し、三月から九月までは川で水練をしていた。その武術の腕前は戦国武将のなかでも抜きん出ていたのだ。
 信長が踏み込み、上段から斬りつける。勝家は咄嗟に腰に刷いた太刀を引き抜き、信長の刃を受け止めた。
「存外でござった。殿の腕がこれほどまでとは……」
「それでもまだ続けるつもりか?」
「無論にござる」
 両者同時に後方に跳び退き、再び間合いを取る。
「いざ!」勝家が跳び込みざまに突きを放った。
 だが、信長はその剣鋒を刀で払うと、間髪を入れずに袈裟に斬りつける。
 その刃が鎧の上から勝家の肩口に食い込んだ。その痛みに思わず呻き声が漏れる。
 信長はすかさず脚を搦めて勝家を押し倒すと、その上に馬乗りになり、錣(しころ)の隙間から首筋に刃を押し当てた。
「お見事でござった。さあ、早うとどめをお刺し下され」
 勝家が観念して信長に言葉をかけた。
「よかろう」
 信長が力を込めると、刃が首の皮を突き破り、一条の鮮血が滴り落ちる。
 だが、信長はそこで刃を首筋から離し、勝家の顔に舐めるような眼差しを向けた。
「いかがなされた?」
 信長の不可解な行動に勝家が訝しげな声を挙げる。
「おぬしの命は儂が預かる。これからは、儂に仕えよ」
 勝家はその言葉に一瞬戸惑った表情を浮かべたが、すぐさま首を横に振った。
「そうは参りませぬ。それがしは、信勝様に仕える身。ここでひと思いに殺して下され」
 その言葉を聞くと、信長がいきなり勝家に向かって手を伸ばしてきた。掌が撫でるように勝家の頬を這い回る。勝家の肌がぞくりと粟立った。
「ふッ。頑固な男よ……好きにするがよい」
 信長は、そう捨て台詞を放つと、すっくと立ち上がり、その場を立ち去った。
 結局、柴田勝家、林美作守が率いる信勝軍は惨敗を喫した。
 この戦いで信勝勢は、大将の林美作守を始め、鎌田助丞、富野左京進、山口又次郎などの多くの武将を失っている。

 一旦、清洲城に帰還した信長軍は、すぐさま那古野・末盛両城に攻め寄せ、周囲の町を焼き払うと、城を取り囲んだ。信勝方はふたつの城に籠城を余儀なくされたのである。
 勝家が、末盛城本丸広間に入ると、すでに織田信勝が三番家老の津々木蔵人となにやら密談を交わしていた。
「おお。権六殿、ようやく参られたか。一番家老であるそなたの意見も聞かねばならんと思うてな」
 同じ土田御前を母に持つ信勝は、信長に似た端正な瓜実顔をしているが、冷然とした印象の兄とは違い、柔和な面立ちをしている。品行方正で人当たりが良く、家臣からの信望も厚かったが、勝家は、乱世の国を統べるには器が小さいと感じていた。
 津々木蔵人が、勝家に蔑むような視線を送ってきた。
「やはり先だっての合戦(いくさ)での大敗が痛うございましたな。林美作守殿を始め多くの武将を失い、合戦に負けたいまとなってはもはや合力を頼める相手もいない。後詰が期待できなければ、こうして籠城していても勝てる見込みは立ちませぬ。そろそろ潮時ではないか。そう申しておった処なのです」
「申し訳ございませぬ。それがしが不甲斐ないばかりに、かような仕儀に相なりまして」
 着座した勝家は、信勝に向かって深々と頭を下げた。
「もうよい、済んだことだ。しかし、あの兄者のことだ。儂が首を差し出さねば、和睦に応じることはあるまい」
「それがしの責任でございます。殿の代わりにそれがしが腹を斬ることで和睦交渉をいたしたいと存じまする」
「そなたの首ごときが殿の代わりになるとは思えぬが」
 蔵人が冷ややかに言い放った。
「ならば、何か他に良い方法でもあると申すのか?」
 勝家が憮然として言い返した。
 蔵人は信勝に向き直ると、言葉を継いだ。
「こうなれば、御母堂様にお縋りするほかありますまい」
「母上に?」
「おかしなことに、あの信長様ともあろうお方が、何故にか御母堂様にだけは頭が上がりませぬ。御母堂様の頼みとあらば、否とは言わぬはず」
 土田御前は、幼少時代から素直で礼儀正しい弟・信勝を溺愛した。信長は母親に疎まれ、その愛情を知らずに育ったのである。けれど、信長は終生土田御前を粗略に扱うことはなかった。まるで母親の愛を求め続けたかのように。
 信勝に仲介を依頼されると、土田御前はさっそく信勝と勝家を引き連れて、信長がいる清洲城に向かった。勝家は頭を丸め、墨染めの衣を纏っていた。
「信勝に二度と再び反抗せぬことを約束させよう。それ故、此度だけはこの母に免じて信勝を許してやってはくれまいか」
 接見の間で相対した信長は、そんな母を見ようとはせず、そっぽを向いたまま押し黙っていた。
 部屋に流れる沈黙に耐え兼ね、勝家が口を開いた。
「ご不満とあらば、それがしが腹を斬り、お詫びに代えたいと存じまする。それ故、信勝様のお命だけはお助け頂くよう、それがしからも切にお願い致しまする」
 その言葉に、信長が勝家に冷ややかな視線を送った。
「おぬしが腹を斬って、儂に何の得があると言うのだ」
「そ、それは……」勝家が思わず口籠もる。
 信長は意志を決めたかのように大きく息を吐き出すと、一同に目を向けた。
「いずれ上尾張守護代の信安とは雌雄を決せねばならぬ。将兵は多いに越したことはない。儂に二度と牙を剥かぬと約するならば、此度のことは不問に致す。以後、忠勤に励め」
 そう言い放つと、不機嫌そうに部屋を後にした。
 信長は、一切の処分を行わなかった。信勝は命を助けられたばかりか、末盛城を安堵された。そして、勝家も引き続き家老として信勝に仕えることとなった。また、信長の家老でありながら今回の謀叛に加わった林秀貞も、家老職を解かれることなくそのまま那古野城を任されている。
 けれど、事はこれだけでは終わらなかったのである。

「いつの間にかこのような城を築いておったとは……」
 勝家は、前方に聳える高台に建つ城郭を見詰めながら独り言ちた。
 翌弘治三年(一五五七)——
 織田信勝は、竜泉寺の広い境内に強固な城を築き、城代として家老の津々木蔵人を置いた。
 それは、末盛城から北東およそ一里に位置する小田井川を望む高台にあり、崖や湿地に囲まれた要害の地である。平城である末盛城に対する詰めの城であることは明白だった。
 勝家は、いまその竜泉寺城に津々木蔵人を訪ねてきたのだ。
 本丸御殿接見の間に現れた蔵人は、不機嫌な様子を隠そうともしなかった。
「突然いったい如何なされた?」
「儂は何も聞かされておらぬぞ。殿は、いったい何故このような城を築かれたのだ?」
 勝家が不満げな声を挙げた。
「備えあれば憂いなしと申すではないか」
 蔵人が侮蔑したような表情で応える。
「いったい何に対する備えだと言うのだ?」
「まあいろいろとあるわ」
「殿は最近、儂を疎ましく思うておられるのか、儂と会おうともなさらぬ。いったい何を考えておられるのだ。そなたなら存じておろう」
「お知りになる必要がないと思うたから、殿も権六殿にはお話ししておらぬのであろう」
「なにッ? おおかたおぬしが裏で糸を引いているのであろう。儂はいまだ殿の筆頭家老であるぞ。その儂にも話せぬとはどういう了見だ!」
 勝家が声を荒げ、蔵人を睨めつけた。
 蔵人は暫し考えた末に口を開いた。
「まあよいか。事を起こす時には、そなたにも存分に働いてもらわねばならぬ。いずれ話さねばならぬことではあるからな……殿は信安様と手を結ばれた」
 織田伊勢守信安。岩倉城を居城とする上尾張守護代である。
「信安様は美濃の斎藤義龍殿と誼を通じておる。これで上総介殿に対抗することができる。この城はそのための詰め城よ」
「まさか信長様に再び叛旗を翻すおつもりか? よもや昨年の誓いを忘れたわけではあるまいな。我らは二度と再び謀叛を起こさぬとお約束したのだぞ」
「くだらぬ。あれは、あの場を凌ぐための方便ではないか」
「ふざけたことを申すな。武士(もののふ)たるもの、一度口にしたことをそう易々と覆すわけには参らぬ」
「よいか。尾張は、東は駿河、北は美濃と大国に挟まれておる故、単独で生き延びることなどできぬ。現に上総介様も斎藤道三殿とは同盟を結ばれておったではないか。いくら道三殿の仇とはいえ、あのように義龍殿に敵愾心を燃やすは国を滅ぼす元となろう。もはや上総介様について行くわけには参らぬ」
「そう思うならば、信長様に翻意を促すのが筋ではないか」
「あのお方が人の言葉に耳を傾けぬことは、おぬしとて判っておろう。あれでは、国は治まらぬ。討つしかないのよ」
 蔵人の言葉に暫し押し黙っていた勝家が、苦しげに言葉を吐いた。
「……殿も同じお考えなのか?」
「当たり前であろう」

 襖を開けると、勝家に気づいた正室の妙(たえ)が、無理をして布団から起き上がろうとした。
「そのままでよい」
 勝家が声を掛け、慌てて妙の許に歩み寄った。
 勝家は、竜泉寺城から戻ると、すぐに妙が寝ている奥の院に向かったのである。
「なりませぬ。近う寄られて、殿にお移ししては大変にございます」
 そう言った途端に、妙は激しく咳き込んだ。
「構いはせぬ」
 勝家は優しく背中を撫でて、妙が落ち着いたところで床にそっと横たえた。
 殺風景な部屋のなかで、枕元の床の間で咲く、妙に似た可憐な撫子の花だけが彩りを添えていた。
「どうなされたのですか?」
 妙が静かに問い掛けてきた。
「別にどうもせぬ。ちょっと顔を見に来ただけよ」
「嘘。殿がわらわの許を訪ねて来られるのは、いつも胸にお悩みを抱えておられるとき。さて、どうしたものか。ちゃんと顔に書いてありますよ」
「そなたには、嘘はつけぬか」
 勝家は苦笑いを浮かべた。
 元々越後国新発田から尾張に移り住んだ柴田一族は、尾張に広く根を張る佐久間一族との結びつきを強くすることで、その勢力を拡大してきた。正室・妙との婚姻もその流れに沿ったものである。妙は端麗な容姿ではあったものの、幼少の頃から病弱であった。
「儂の兄弟はみな女子ばかりであった故、よく判らんが、男兄弟というのは厄介なものであるわ」
 勝家が、思わず愚痴をこぼした。
「信長様と信勝様のことですね」
「ああ。信勝様が再び謀叛を起こそうと企んでおる。まったく困ったものよ」
 妙が、改めて勝家の顔を見詰めると、毅然とした口調で語りかけた。
「信長様はご自身のお考えを周りに説明することを厭われるお方であるが故、誤解されることも多かろうと存じまする。お二人の間で様々な行き違いがあるに違いありませぬ。お二人の仲を取り持つのは、亡き信秀様の頃からお仕えしている宿老たる殿のお務めではありませぬか」
「…………」
「ご案じめさるな。お二人が本心をさらけ出して語り合えば、理解し合えないはずがありませぬ。同じ親から生まれた兄弟ですもの」
 妙の言葉を黙って聞いていた勝家の表情が輝きに満ちてきた。
「……そうよのう。その務め、儂のほかに誰が出来ようか。お陰で心が定まった。礼を言うぞ、妙」
「殿ならば、きっと上手くお遣りになるに違いありませぬ」
「任せておけ」
 勝家が自信に満ちた顔で大きく肯くと、ゆっくりと立ち上がった。
「殿。お願いがございます」
 妙が、立ち去ろうとする勝家の背に声を掛けた。「早う側室をお持ち下され」
 勝家は振り返ると、苦い表情を浮かべた。
「そのことならば、もう申すな」
「わらわの命はもう長うはございませぬ。わらわが死ねば、そのお方を継室(のちぞい)にすればよろしかろう。殿ももう若くはないのですぞ。早うお世継ぎを作らねば」
「世継ぎが出来なければ、養子を取ればよいだけのこと。そなたが案ずることではないわ」
 勝家は、不愉快な面持ちで部屋を後にした。
 翌日、勝家はさっそく清洲城に向かった。
 元々は尾張守護所であった清洲城は、京鎌倉往還と伊勢街道が合流する尾張国の中心部に位置している。五条川の流れを利用した外堀と内堀に囲まれた大規模な城郭であり、曲輪の外側には城下町が広がっていた。
 清洲城本丸御殿に入った勝家は、ほどなくして信長との面会を許された。
 接見の間に現れた信長は、勝家の話を表情も変えずに無言のまま聞き入った。
「如何でございましょう。一度、信勝様と腹を割ってお話し合われては」
 勝家はそう話を締め括った。
「信勝にも困ったものよのう……相判った。権六の申す通りに致そう」
 信長がきっぱりと宣言した。
「真でございますか?」
「ああ。ただし、信勝のことだ。話し合いたいから清洲に参れと言ったところで、警戒してなかなか腰を上げまい。儂は今日から仮病を使うことにする。儂が重篤なので、見舞いに参るよう申し伝えよ。さすれば、さすがに信勝とて厭とは言うまい」
「承知致しました。では、さっそくそのように申し伝えまする」
 そう言って、勝家が立ち上がりかけた処に、信長の声が飛んできた。
「いまひとつ!」
「何でございましょう?」
「権六、儂に家老として仕えよ」
 信長が熱い視線を送ってきた。
「…………」
「おぬしを疎んじているほどだ。信勝が異を唱えることはなかろう。おぬしを信勝の許で遊ばせておくのは勿体ないわ。儂の許で励め」
 勝家の脳裡に最近の信勝の冷たい所業が蘇った。このまま冷や飯を喰うくらいならば、己を高く買ってくれている信長様の許で働く方がやり甲斐もあるというものだ。勝家の心は決まった。
「承知仕りました。殿の許にて勤めさせて頂きまする」
「うむ」信長が満足そうに肯いた。

「ま、真か? 兄者が病気というのは」
 勝家から話を聞いた信勝が身を乗り出すようにして尋ねた。「それで、どれほどの容体なのだ?」
「なんでも、かなり重篤なご様子だとか」
 その言葉に信勝がほくそ笑んだ。
「これは、絶好の機会かもしれぬな。ともかく見舞いと称して様子を見て参るとするか」
 十一月二日、信勝は、母の土田御前と勝家を伴い、清洲城に向かった。
 老近習の村井貞勝が現れたのは、本丸御殿の控えの間でしばらく待たされた後であった。
「御母堂様は少しこの場でお待ち下され。信勝様と権六殿は奥へどうぞ」
 勝家は、貞勝に案内されて、信勝とともに奥の間へと広縁を進んだ。
 障子を開けると、部屋の中央に敷かれた白い布団が目に跳び込んできた。信長は頭まで掛け布団を被り、眠っているようだった。壁際には、勝家も見知った近習の山口飛騨守と長谷川橋介が控えている。
「殿、信勝様が参られましたぞ」
 貞勝が布団に向かって声を掛けた。「さあ、信勝様、もそっと近うに」
 貞勝に促されて信勝が枕許に跪く。
「兄上、お加減は如何ですか?」
 その刹那——
 掛け布団が捲れ上がり、なかから太刀の剣鋒(きっさき)が一閃した。
「うわあああ……」
 信勝が、もんどり打って倒れ込む。太刀を受けた胸元からは夥しい量の鮮血が溢れ出していた。
 布団から現れたのは、信長ではなかった。まだ若い河尻青貝という近習である。
 次の瞬間、襖が開かれ、隣室から残忍な笑みを湛えた信長が姿を現した。
「信勝、よう参った」
「おのれ、謀(たばか)ったな!」
 信勝が後退りながら、うめき声を挙げた。
 青貝が太刀を大上段に振りかざし、信勝の許に迫っていく。
 咄嗟の出来事に唖然としていた勝家が、ようやく我に返った。
「お待ち下され! 約束が違うではありませぬか」
「甘いのう、権六」
「腹を割って話し合えば、きっと解り合えるはず。血を分けた兄弟ではありませぬか」
「たわけ! 一度では懲りず、二度も裏切るような男は、たとえ許した処で、三度、四度と同じことを繰り返すだけよ。こうして成敗するほかないのだ」
「…………」
 信勝が部屋の隅に追い詰められた。その目前に立ち塞がった青貝が、振りかざした太刀に力を籠める。
「待て、青貝!」
 信長が鋭い声を挙げると、勝家を睨めつけた。
「権六! おぬしがとどめを刺せ」
「……そ、それがしが?」
「そやつは、儂を二度までも裏切った謀叛者ぞ。何を躊躇うことがある。儂の家老となった証(あかし)を見せよ!」
「…………」
「それとも、信勝に殉じてこの場でくたばりたいか。さあ、殺(や)れ。殺るんだ!」
 勝家は、信長の言葉に後押しされ、信勝の許へとゆっくりと歩み寄った。そして、腰に刷いた太刀を引き抜いた。
「よせ! 権六、儂はそなたの主人(あるじ)ぞ」
 信勝が恐怖に引き攣った声を張り上げた。
「御免!」
 勝家は目をつぶると、信勝めがけて袈裟に斬りつける。両腕に肉を引き裂く手応えを感じた。
「まだまだ! それでは、死ねぬぞ」
 信長の叱声が響く。
「うおおおおおおお!」
 勝家は無我夢中で刀を振るった。
 斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る……
 その度に、信勝の身体からは鮮血が噴き出し、勝家の身体を染めていく。
「もうよい! とっくに骸になっておるわ」
 気がつくと、信勝の身体は肉の塊と化していた。
 勝家は肩で息をしていた。突然、腹の底から酸っぱいものがせり上がってきて、慌てて両手で口を塞いだ。
「皆の者、席を外せ!」
 信長の大音声が響き渡った。
 その命に近習たちが慌てて部屋を抜けていく。勝家もその群れに従おうとした。
「権六! おぬしまでついて行ってどうする」
「は?……」
 勝家が戸惑った表情でその場に立ち尽くすと、信長が、部屋の中央に敷いてある布団を指差した。
「そこに寝てみよ」
「ここにですか?……」
「いいから、横になれ!」
 勝家は言われるままに布団の上に横たわった。
 信長が、部屋の隅を一瞥した。そこには血塗れになった信勝の骸が転がっている。
 淫靡な表情を浮かべると、信長が勝家の隣に寝そべった。いきなり勝家の衣服を荒々しくはぎ取る。
「……な、何をなさる?」
「あやつの血でこんなに汚れてしまって」
 そう言うと、信長は、胸毛が繁った勝家の胸板に舌を滑らせ、返り血を拭き取っていく。
 信長の舌が首筋を伝い、顔の上を這い回る。
「…………」
 勝家は身を強張らせ、されるがままになっている。
「もう放しはせぬぞ」
 信長が、勝家の唇を吸った。舌が唇を割って入り、口の中を舐め回す。
「…………」
 いきなり褌(ふんどし)のなかに手が伸びてきて、勝家の男根を弄ぶ。
「こんなに硬くなりおって」
 勝家のそれは先ほどから興奮のせいで屹立していた。
 信長は自らの衣を脱ぎ捨てると、褌の奥に勝家の手を誘(いざな)った。
 勝家の逸物(いちもつ)を握り締めた信長の手がゆっくりと上下し始め、やがて、その動きが激しくなっていく。勝家の奥底から徐々に昂ぶりがもたげてくる。
 信長の手に合わせて、勝家も信長のものを握った手を動かす。
 ふたりの息が次第に荒くなっていく。そして、ふたり一緒に果てていた。
 勝家が暫し放心していると、信長がぽつりとつぶやいた。
「儂はずっと独りぼっちであった」
 勝家が驚いて信長の顔を見遣った。信長は構わず話を続けていく。
「親父は合戦に明け暮れ、子供のことなど顧みず、何故にか母には忌み嫌われた。親父が亡くなると、傅役(もりやく)だった政秀は野心を剥き出しにし、筆頭家老の秀貞までもが叛旗を翻した。儂の周りには誰もおらぬ」
「……殿、さようなことは……」
 信長は、勝家の言葉を遮るように言葉を継いだ。
「権六、儂を見捨てるでないぞ。どこまでもついて参れ」
「この勝家、殿の家老となった以上は、一生、殿をお支えするつもりにございます」
「真であろうな?」
「無論にございまする」
 信長がいきなり勝家の上腕に噛みついた。歯牙が地肌を喰い破り、鮮血が滴り落ちる。
「な、何をなさいまするか?」
 勝家の腕には、くっきりと信長の歯型が残っていた。
「儂とそなたの契りの証よ。迷うた時には、その跡を見るがよい」
「…………」
 信長は宙を見据えると、毅然とした声を発した。
「権六、ともに天下を獲(と)ろうぞ」
「……天下ですか?」
「左様。それが、儂が唯一心を許した斎藤道三殿と交わした約束なのだ。ともに天下を獲ろうとな。だが、その道三殿はもはやこの世にはおらぬ。権六、儂の夢に付き合え」
 いまだ尾張一国すら統一していない信長にとって、それは、あまりにも気宇壮大な夢であった。
 けれど、勝家は、信長の言葉に胸の昂ぶりを感じていた。
「承知仕りました!」
 それが、ふたりの始まりであった。

 尾張国の北部、丹羽郡小折村に生駒屋敷と呼ばれる平城にも似た広大な屋敷があった。
 尾北に大きな勢力を持つ富豪、生駒家宗の居宅である。応仁の乱の戦火から逃れるために大和国から移り住んできた生駒氏は、染料や油の商いと馬借(運送業)で莫大な財をなし、その商圏は飛騨から東三河にまで及んでいた。
 深堀を巡らせた敷地内は、本丸、二の丸、三の丸の曲輪に分かれ、邸内に生い茂った老杉の樹林は十有町先からはまるで森のように見えたという。
 深更だというのに屋敷の奥からは鉦や太鼓の賑やかな音が聞こえてくる。
 柴田勝家が、その音を頼りに進んでいくと、広い馬場に篝火が焚かれ、様々な衣装を身に纏った大勢の老若男女が風流踊りに興じていた。
「なんと!……」
 暫し呆然とその様子を眺めていた勝家は我に返ると、踊りの輪に近づき、ひとりの老人に声を掛けた。
「こちらに清洲の織田上総介様が参っていると聞き及んだが、知らぬか?」
「殿ならば、先ほどそちらの繁みに行かれただ」
 勝家は、老人が指差した鬱蒼と樹木が生い茂った繁みへと足を運んだ。
 灯りも届かぬ薄暗い繁みの奥へと入っていき、声を掛ける。
「殿、こちらにいらっしゃいまするか?」
 その瞬間、信長の叱声が返ってきた。
「無粋者! 向こうで控えておれ」
 声がした方角を見遣ると、一対の男女の影がまぐわっていた。女が嬌声を挙げながら男の上で身悶えている。
「ご、ご無礼仕りました」
 勝家は、慌てて繁みの外へと跳び出した。
 ほどなくして憮然とした表情を浮かべた信長が繁みのなかから現れた。その後ろには、身を隠すようにしてひとりの女が従っている。
「生駒の出戻りだ」
 信長が顎で女を指し示した。
「吉乃と申します」
 女が恥ずかしげに顔を伏せたまま名乗った。
 生駒家宗の長女、吉乃は、信長の母、土田御前の親族である土田弥平次に嫁いだが、夫が戦死したために実家に戻ってきていた。この時、すでに二十代後半になっており、円熟した色香を漂わせていた。吉乃を見初めた信長は、足繁く生駒屋敷に通っていたのだ。
「そんな目をするな。踊っているうちに気持ちが昂ぶってきて、しとうなっただけのことよ」
 勝家が何も言わないうちから、信長は言い訳を口にした。
「差し出がましいようですが、殿は織田家の当主であられますぞ。そこらの下人と同じようなことをなされては……」
「案ずるな。そのうち城に上げるつもりよ。それより、こんな処まで何用だ?」
 ばつの悪さから信長がつっけんどんな声を出した。
「殿がいきなり城から姿を消してから、早数日が経っております故、皆の者が心配しておりまする」
「城にいたとて、なすべきこともない。別に構わぬではないか」
「何を仰られますか。織田信安様は着々と戦支度を進めておりますぞ」
 織田信勝と同盟を結んでいた上尾張守護代・織田伊勢守信安は、信勝が謀殺された後も信長と対峙する姿勢を崩してなかったのである。
「そのことならば、いま手を打っている処よ。丁度よい。おぬしに面白い男を紹介しておこう」
 そう言うと、信長は踊りの輪に向かって声を掛けた。
「六ツめ! こちらに参れ」
 踊りの輪のなかからひとりの男が駆け寄って来る。
 小柄で貧相な若者であった。猿を思わせる浅黒い顔をくしゃくしゃにして愛嬌のある笑顔を振りまき、信長に応えた。
「何でございますだ?」
「紹介しておこう。これが、儂の家老のひとり、柴田修理亮(しゅりのすけ)勝家だ」
「ご高名はかねてより伺っておりますだ。それがし、藤吉(とうきち)と申しまする。以後、お引き立てのほどよろしうお頼み申しますだ」
「この男、何者ですか?」
 勝家が訝しげに信長に問い掛けた。
 この頃の生駒屋敷には、その財力に惹かれ、近隣を始め遠国からも素性の知れぬ牢人たちが集まり、屯していた。その中には、蜂須賀小六や前野長康ら川並衆と呼ばれる木曽川沿いに勢力を持つ土豪たちもいた。藤吉こと後の木下藤吉郎秀吉はこの頃、蜂須賀小六に仕える下人であった。
「こやつは、人ではない。それが証拠に手に指が六本もついておるのだ」
 藤吉郎秀吉は、生まれつき右手の親指が二本ついていた。そして、周囲から奇異な目で見られても切除することなく、生涯六指のまま通したという。
「では、いったい何者なのです?」
「おおかた狐の化身のたぐいであろう。人をたぶらかすことを得手としておるのよ。この吉乃などはすっかりこやつの術中に嵌まってしもうたわ。いま、こやつにひとつ仕事を授けておる。その仕事を成就できれば、儂の家臣に加えてやってもよいと思うておるのだ」
 信長の言葉に藤吉が満面の笑みで応えた。
「なれば、この藤吉、もはや殿の家来も同然にございまするな」
「なに?」
「首尾は上々にございまする。まもなく面白きものを御覧にいれて差し上げましょう」
 そう言って、藤吉は胸を張った。
 それからまもなくして織田伊勢守家に内紛が勃発した。
 まだ若い嫡男の織田信賢が叛旗を翻し、守護代である父・信安を追放してしまったのである。
「たわけが、甘言に乗りおって」
 信長は、この機を逃さず兵を動かした。
 信賢の居城・岩倉城は清洲から北東二里足らずの位置にあるが、その間に築かれた岩倉方の砦を避けて、信長勢二千余騎は大きく迂回し、岩倉城から北西一里余りの距離にある浮野の地に陣を張った。生駒屋敷にほど近いその地は、すでに信長の勢力圏にあったのである。
 永禄元年(一五五八)七月十二日早朝、戦いの火蓋は突然切って落とされた。
 岩倉勢三千騎が城を抜け出すと、信長軍に一気呵成に襲いかかったのだ。数で劣る信長勢は序盤で苦戦を強いられることとなった。
「あと一刻踏ん張るのだ。さすれば、勝利は我らに転がり込んで来よう」
 馬に跨がった信長が、軍勢のなかを駆け回り、檄を飛ばしていく。
 その様子を見た勝家が慌てて信長の許に駆け寄った。
「殿、お下がり下され。すでに敵味方入り交じっての乱戦模様となっておりまする。危のうございますぞ」
「たわけ! 大将が後方で見守っていては、勝てる合戦(いくさ)にも勝てぬわ」
 その言葉に、信長の周囲を守る馬廻衆が呼応した。
「左様。殿は、我ら赤母衣衆がお守り致す。要らぬ気遣いなどなさらず、修理亮殿もしっかりとお働きなされ」
 一際目立つ金箔押の伊予札(いよざね)を白糸で威した胴丸を身につけた若武者であった。
 前田又左衛門利家である。利家は、先の稲生の戦いでは、右目下を矢で射抜かれながらも敵の首級を取ったほどの勇壮果敢な男である。朱色に塗った派手な長槍を振り回し、「槍の又左」の異名をもって呼ばれていた。
「申したな。ならば、殿はおぬしらに任せた。命に代えても守り通せ!」
 勝家は、そう言い放つと戦場の前方へと駆け出して行った。
 そこに、新たな軍勢が到着した。
「遅かったではないか。いったい何処をほっつき歩いておったのだ」
 信長が苦々しく舌打ちをする。
 犬山城主・織田信清が率いる一千余騎の軍勢であった。
 信長は、従兄弟でもある信清に密かに妹を娶らせ、助勢を約束させていたのだ。
 懸かり太鼓が打ち鳴らされ、犬山勢が岩倉の軍勢に襲いかかると、たちまち形勢は逆転していた。
 数刻にも及ぶ激しい白兵戦の末、結局、岩倉方は千二百五十もの将兵を討ち取られて城に逃げ込んだ。信長方の堂々たる勝利であった。

 一旦、清洲に戻った信長は、八月に入ると、再び軍勢を岩倉城に差し向けた。
 信長軍は城下町を焼き払い、岩倉城を取り囲んだ。城の四方に鹿垣(ししがき)を二重三重に巡らし、廻番に巡視させるほどの徹底的な包囲戦であった。包囲は数ヶ月にも及び、城内では兵糧が欠乏し、排泄物が山となり、辺りに悪臭が漂った。
 そして、年が明けた永禄二年(一五五九)一月——
 信長は、勝家を清洲城に呼び寄せた。
「儂は、これから京に上ろうと思うておる。将軍足利義輝公に尾張一統をご報告しに参るつもりだ」
 尾張一統はもう目前にまで迫っていた。願わくば将軍義輝に謁見し、尾張国主としての正統性を得ようという腹づもりであった。
「お待ち下され。まだ岩倉城は落ちてはおりませぬぞ」
 信長の唐突な話に、勝家が思わず言葉を返した。
「もはや落ちたも同然ではないか。後はおぬしに任せる。儂が京から戻ってくるまでに、きちんと片をつけておけ」
 その数日後、信長はわずか八十人ほどの伴衆を引き連れ、清洲を出立した。
 尾張から伊勢に入り、八風街道を通って鈴鹿の峰を抜けると、草津から船で琵琶湖を渡り、二月二日に京へ入った。一行は意匠を凝らした晴着を身につけ、腰には「熨付(のしつき)の太刀」(鞘を金銀で飾った太刀)を差していた。権中納言・山科言継に「異形者多(いぎょうのものおおし)」と言わしめたほどの奇抜な恰好であった。
 この当時、三代将軍義満が建設し、室町幕府の名の起こりとなった室町御所は戦火で焼失したままになっており、将軍義輝は妙覚寺に仮住まいの身であった。謁見を許された信長は、その妙覚寺において無事に義輝との対面を果たしている。
 本来ならば、下尾張守護代家の三奉行のうちの一家の頭領に過ぎない信長が将軍に謁見を望むなど、僭上の沙汰と言わねばならない。正式に尾張守護に任じられなくとも、将軍との謁見それ自体が、実質的な尾張国主と認められるに等しい行為と言えた。
 その後、信長一行は数日の間、京に滞在したのちに奈良に向かい、堺にまで足を伸ばしている。
 その京都滞在中にひとつの事件が起こっている。
 それは、三条通りにある管領・細川家の屋敷に拝謁に向かう途上での出来事だった。
 信長が僅かな供回りのみを従え、通りを歩いていると、前方から数人の侍たちが駆け寄ってきた。
「殿、参りましたぞ」
 新たに近習に加えられた木下藤吉郎が、信長の耳許で囁いた。
 男たちが、信長一行の進路を塞ぐ形で広がると、一斉に刀を抜いた。
「おぬしらか! 義龍の手の者というのは」
 信長が、持ち前の甲高い声を張り上げた。
 それは、美濃国主・斎藤義龍が放った刺客であった。織田伊勢守家と同盟を結んでいた義龍は、岩倉城の窮地を救うために、信長暗殺を図ったのである。
 だが、その企てはすでに信長に筒抜けになっていた。藤吉郎が遣っていた丹羽兵蔵という密偵がその報せをもたらしていたのだ。
「皆の者、出会え!」
 信長の言葉を合図に、大通りを歩いていた者の幾人かが、美濃の追っ手たちを取り囲んだ。信長は予め通行人のなかに馬廻衆たちを潜ませていたのだ。
 背丈が六尺を優に超える偉丈夫が、信長を守るようにして男たちの前に立ち塞がった。前田又左衛門利家である。
「おぬしらごとき未熟者が殿を討つなど笑止千万。『蟷螂(とうろう)の斧』とは、このことぞ。おぬしらの相手など、この又左衛門ひとりで充分じゃ」
 利家は、向かってきた刺客のひとりを一刀の下に斬り捨てた。そのあまりの剣捌きに怖れをなしたほかの侍たちは、すごすごとその場を立ち去った。
 こうして信長の暗殺騒ぎは、事なきを得たのであった。
 一方、後を託された勝家は、織田信賢らが籠もる岩倉城に対して最後の猛攻を仕掛けた。
 城の周囲から盛んに火矢や鉄砲を撃ちかけた後に、惣掛かりで城郭に向かって攻め寄せる。長期に亘る包囲戦で戦意を喪失した城兵たちには、すでに抵抗する気力すら残っていなかった。
 あっという間に信長軍に守りを破られ、曲輪への侵入を許した。そして、まもなく織田信賢は戦わずして白旗を揚げた。
 総大将である勝家の前に、痩せ細り、さながら幽鬼のごとき姿となった信賢が縄で繋がれ、引き出された。
「おのれ、謀りおって」
 信賢の落ち窪んだ眼窩のなかで光る眼差しには憎悪の炎が宿っていた。
 父・信安が自分を廃嫡し、弟の信家を跡継ぎにするつもりだと信じ込まされた信賢は、信長との同盟の誘いに乗り、父親を追放したのであった。
「何を申すか。己の欲深い心根が招いた結果ではないか。実の父親を追放するなど、犬畜生にも劣る非道であろう。潔く腹を召されるがよい」
「待ってくれ。もはや信長殿に逆らったりはせぬ。それ故、命だけは助けてくれまいか。そなたから、信長殿にそう申し伝えてくれ」
 暫し逡巡した挙げ句に、勝家が応えた。
「そなたは運がいい。もし、信長様がこの場におれば、即刻その首を刎ねられておった処であろう。安心しろ。命は取らぬ。何処へでも行くがよい。ただし、二度と再びこの尾張の地を踏むでないぞ」
 勝家は、信賢を尾張からの追放処分とした。その後の信賢の行方は杳としてしれないが、最期は旧臣の山内一豊に招かれ、土佐の地で亡くなったとも言われている。
 こうして織田伊勢守家は滅亡した。
 織田信長は、ついに尾張国を一統したのである。

「殿、前田又左衛門殿がお越しになっておりますが」
 障子の向かうから小姓が声を掛けてきた。
「かような時刻にか?……」
 すでに夜もすっかりと更けていた。勝家はすでに布団に入り、微睡んでいる処だった。
「仕方ない。お会いすると申し伝えよ」
 勝家が身支度を整え、接見の間に入ると、前田利家が疲れ果てた様子でしゃがみ込んでいた。
「こんな夜更けに何用だ?」
 勝家の問い掛けに、利家は切羽詰まった声を挙げた。
「追っ手に追われておりまする。暫しの間、匿ってはもらえぬでしょうか? かような時に頼りになるお方は、権六殿しかおらぬと勝手に思い定めて参りました」
「いったいどうしたというのだ?」
「拾阿弥殿を斬り殺しました。それ故、近習衆に追われておりまする」
 拾阿弥は、信長の同朋衆のひとりであった。同朋衆とは、大名の傍近くに仕え、雑務や芸能に当たった人々のことである。
「それはまた大変なことをしでかしたな。いったい何故じゃ?」
「あやつが、美濃の斎藤義龍と誼を通じておりました故、斬り捨てました」
「真か?」
 勝家が驚きの表情を浮かべた。
「此度の殿のご上洛はお忍びであったはず。にも拘わらず、義龍の刺客が現れたということは、殿の周囲に義龍と通じている者がいたに違いありませぬ。元々あやつの日頃の行いには訝しきことが多々ありました。思い返してみて、あやつが義龍の手の者とおぼしき男と逢っていたことに思い至ったのです」
「おぼしき男?……それで、拾阿弥殿はそのことを認めたのか?」
「いえ、認めはいたしませぬ。けれど、間違いはございませぬ」
「何故、そう言い切れる。何か証(あかし)でもあるというのか?」
「あくまでそれがしの勘にございます」
「たわけ!」
 勝家が思わず怒鳴り声を発した。「そのような大事なことを軽々しく決めつけるでないわ。そそっかしいのは、おぬしの悪い癖だ。かような場合は、言い逃れできぬ確かな証を掴んだ上で動くものぞ」
「なれど……」
 利家は、納得いかない顔をして黙り込んだ。
「とにかく殿には儂からも命乞いをしてみよう。許して頂けるかどうかは判らぬがな」
「真でございますか?」
 利家の表情が途端に明るくなった。
「間違っても、拾阿弥殿が義龍と通じていたなどという不確かなことを、殿の前で語るでないぞ。何か別の理由(わけ)を考えておけ」
「別の理由と申されましても……」
「そうさな……ならば、おまつ殿からもらった大切な佩刀の笄(こうがい)を拾阿弥殿に盗まれたとでも申しておけ」
 翌朝、勝家は利家を連れて清洲城に登城した。
「又左は短気で粗忽者ではございますが、その武辺は他の追随を許さぬほどでござる。きっとこの先、殿のお役に立つことも多かろうと存じまする。なにとぞ命だけは助けてやっては頂けませぬか」
 勝家は、信長の前で熱弁を振るった。
 元々、利家は信長のお気に入りの近習衆のひとりであった。利家の仕置きをどうすればよいのか、信長自身も迷っていたに違いない。
 苦々しい表情でその言葉を聞いていた信長が、吐き捨てるように言葉を発した。
「おぬしがそこまで言うのであれば、命だけは許してやろう。ただし、当分の間、出仕停止とする。よいな」
「有り難き幸せにございまする」
 利家が深々と頭を下げた。
 勝家の取り成しにより死罪を免れた利家であったが、出仕を停止されたために、この後しばらく苦渋に満ちた生活を続けることとなる。

 勝家の前方を葦毛の馬に跨がった信長が駆けていく。
「どうした、権六。もうへばったか」
 後ろを振り返った信長が、勝家を挑発するように声を掛けてきた。
「まだまだ!」
 勝家は馬尻に鞭を入れ、信長に追い縋る。
 けれど、それを見た信長が馬腹を蹴ると、馬脚に加速がつき、その差が再び広がっていく。子供の頃から鍛錬を怠らなかった信長の馬術の腕に、勝家はまるで歯が立たなかった。
「おぬしなどに負ける儂ではないわ」
 信長がそう言って高らかに笑った。
 信長と勝家は、清洲城からの遠掛けの途中で、馬の競い合いをしていたのだ。
 ふたりは鎌倉往還を南東に向かい、熱田を越え、知多半島の付け根近くに広がる丘陵地までの五里ほどの距離を半刻あまりで走り切った。
 小高い丘陵の頂きには、善照寺という古刹が建っている。その境内からは、南側に尻尾のように伸びている知多半島の景色が遠くまで見渡せた。
 僅か半里ほど先にある伊勢湾の入り江には大規模な城郭が聳えている。東西およそ一町(百六メートル)、南北二十間(三十二メートル)の広さを持ち、四方に二重の堀を巡らせた大高(おおたか)城である。
 また、西の方角には、僅か数町先の丘陵の麓に別の城郭が見える。大高城よりも一回り小さなその城は鳴海(なるみ)城という。鳴海宿にほど近い扇川の河口に築かれた鳴海城は、その南側を走る東海道筋の守りの城であった。
 周囲の景色をまるで観察するようにじっと見詰めていた信長が、勝家に向かってぽつりとつぶやいた。
「山口左馬助とその息子、九郎次郎が、今川義元に殺されおったわ」
 鳴海城主・山口左馬助教継(のりつぐ)は、信秀の代から織田家に仕える譜代衆であったが、調略を受けて駿河の今川方に寝返ってしまった。教継はすぐさま鳴海城に今川勢を迎え入れ、続いて大高城を占拠し、さらにはその東方、三河との国境に位置する沓掛(くつかけ)城を乗っ取り、尾張東部の知多・海西二郡を今川氏の勢力圏に変えてしまったのである。
 その教継親子が、今川義元に駿府に呼び出され、その地で自刃させられたという報せが信長の許に届いていた。
「また、藤吉ですか?」
「ああ。あいつは遣えるわ」
 信長は、藤吉郎を商人に仕立て、義元の居城・駿府城下に潜り込ませると、教継が今川方に寝返ったのは偽装であって、義元が尾張に攻め入ったときには、信長と図って挟み撃ちにする手筈を整えているという噂を流したのである。その噂を耳にした義元は、信長の謀略であることに気づかず、教継親子を殺してしまったのだ。
「機は訪れた。権六よ、大高、鳴海の両城を奪い返すぞ」
 信長の瞳が輝きを増した。
「なれど、今川勢は必ずや後詰の兵を送ってきましょう。義元殿が出馬なされるとなれば、大軍を率いてやって来るはず。まともに戦って勝てる相手ではありませぬぞ」
 言うまでもなく、今川義元は駿河・遠江・三河の三国を治め、『海道一の弓取り』と称されるほどの大大名である。ようやく尾張を一統したばかりの信長にとってはあまりにも巨大な敵である。
「判っておるわ。それ故、こうして策を練っておるのよ。なに、幸いあの雪斎はもうおらぬ。付けいる隙はあるはずだ」
 そう言って、信長は不敵な笑みを浮かべた。
 太原雪斎(たいげんせっさい)は僧侶の身でありながら、今川義元の右腕として軍事・外交に手腕を発揮し、『黒衣の宰相』と呼ばれた名軍師であった。その雪斎は四年前に亡くなっていた。

 永禄三年(一五六〇)二月、信長は大高・鳴海両城の周囲に付け城として砦を築き始めた。
 善照寺の周りに堀を巡らせ、土塁を築いて鳴海城に対する主砦とすると、重臣・佐久間右衛門尉信盛を守将とする五百の兵を入れた。さらには、鳴海城の五町(五百メートル)北に丹下砦を築き、三百五十の守備兵を置いた。
 鳴海城から南半里の距離にある大高城に対しては、北に聳える鷲津山と東の丸根山にそれぞれ砦を築き、大叔父・織田玄蕃允と重臣・佐久間大学守重を守将に据えた。そして、善照寺砦と丹下砦という鳴海城のための二つの付け城と、大高城の付け城である鷲津砦・丸根砦との間を走る東海道筋に繋(つなぎ)の城として中島砦を築いた。
 信長は、大高・鳴海両城に対する徹底した包囲戦を開始したのである。
 さらに、五月五日、信長勢は三河吉良へと侵攻し、西尾城の西に広がる城下町を焼き払った。今川氏に対する挑発行為であることは明らかだった。
 信長方の動きに対して、ついに今川義元が重い腰を上げた。
 五月十日、万を超す軍勢が、駿府・今川館の正門である四脚門をくぐり、城下の人々が見守るなか、その前の本通りを西に向かって行軍していく。遠江国井伊谷城主・井伊直盛を大将とした三河・遠江衆からなる今川方の先鋒隊である。
 そのなかには、まだ年若いひとりの青年武将の姿があった。弱冠十九歳の松平元康(のちの徳川家康)である。元康は、三河岡崎城の当主であるが、この当時、松平領は今川氏の属国となっており、義元の庇護の下で駿府に暮らしていた。一千余騎の岡崎勢を率いる元康は、先鋒隊の一翼を担っていたのである。
 そして、一日おいた五月十二日、今川義元自らが、譜代家臣というべき駿河衆からなる本隊を率いて駿府を出立した。
 今川義元は、都を逃れた公家たちを保護し、自らもお歯黒をつけ、置眉、薄化粧をしていたことから、貴族趣味に溺れた人物と見做されることがあるが、それは守護大名以上にのみ許される家格の高さを示すものに過ぎず、決して愚鈍な武将ではない。三河国を併呑し、領国を拡大したばかりでなく、商業保護や流通統制を行うなど内政面でも優れた実績を残している。
 駿府を発った義元本隊は、掛川、引馬(浜松)、岡崎とゆっくりと領国内を進軍し、十八日に三河・尾張の国境である境川を越えて、ついに尾張へと侵攻した。先鋒隊と合わせて総勢二万五千の大軍であった。
 昼前に沓掛城に入った義元は、さっそく本丸御殿に重臣を集め、軍議を催した。義元の立てた作戦は、今夜のうちに大高城に兵糧を運び込み、明日の夜明けとともに城を囲んだ鷲津・丸根両砦に対して攻撃を仕掛けて、大高城を解放することである。今川方にとっては、尾張での橋頭堡と位置づけている大高城の救援が最優先事項であった。
 信長は、今川勢のなかに細作を潜り込ませ、その動向を逐一把握していた。その日の夕方には、早くも清洲城にいる信長の許へ、その日の昼に行われた沓掛城での今川方の軍議の様子を報せる密書が届いている。
 その報せを知った筆頭家老・林秀貞が、慌てて信長の許に跳び込んできた。
「今川勢が明日にも攻めてくるというのは真でありますか? なれば、こうしてはおれませぬ。一刻も早う軍議を開かねばなりますまい」
 だが、信長は、秀貞の言葉に呆れたように苦笑を浮かべた。
「主立った家臣たちはすでに砦の守りについておる。軍議と言っても、いったい誰を集めるつもりだ?」
「そ、それは……なれば、すぐにも鷲津・丸根両砦に後詰の兵を送りましょうぞ」
「その必要はない」
 信長は、冷ややかに言い返した。
「今川の大軍が押し寄せてくるのですぞ。いまの守兵の数では、とても砦を支え切れませぬ」
「今川の大軍に拮抗できるほどの兵などもうどこにも残ってはおらぬ」
 美濃国との国境と清洲城を堅める守備兵を除けば、信長直属の馬廻衆のほかには遊軍として待機している勝家隊一千ほどしか動かせる軍勢は残っていない。
「ならば、すぐにでも砦からの撤退をご指示下され。さもなくば……」
 信長は、秀貞の言葉を遮るように言い放った。
「あやつらは、捨て駒よ。撤兵など儂が許さぬ。あやつらには、砦にて死んでもらう」
「な、なんと言うことを……」
「案ずるな。たとえ幾人死のうとも、儂が生き残れば、この合戦(いくさ)は我らの勝ちなのだ」
 信長はそう言うと、話は済んだとばかりにそっぽを向いた。
 その頃、勝家は、居城・下社(しもやしろ)城にて戦支度に追われていた。
 尾張の東部、愛智郡に建つ下社城は、大高城から北東にわずか三里余りと、清洲城よりもかなり近くに位置している。
 その勝家の許に清洲城の様子を伝える使い番衆が飛び込んできた。
「殿は何を考えておいでなのでしょうか?」
 家老の吉田次兵衛が、勝家に問い掛けた。
「判らぬ。殿は儂にすらその胸中を語っては下さらぬ。今川の大軍を前にして、密かに今川方に誼を通じようと目論んでいる輩もいるに違いない。おそらく事前に策が漏れることを案じておられるのだ。土壇場になるまでその胸中を明かしてくれることはあるまい。いまはただ殿の下知を待つほか、我らになすべきことはないのだ」
 勝家は、そう言って目を閉じた。

 夜もすっかり更けた亥の刻(午後十時)、今川方の先鋒隊が動き出した。
 大高城への兵糧入れを担ったのは、若き松平元康率いる岡崎勢およそ一千騎であった。
 元康は軍勢を三隊に分け、そのうちの二隊が鷲津・丸根両砦と小競り合いをしているうちに、もう一隊に守られた小荷駄隊が夜闇に紛れて易々と大高城に兵糧を運び入れてしまった。
 そして、まだ夜も明けぬ十九日寅の上刻(午前三時)、今川方の軍勢がいよいよ鷲津・丸根両砦に襲いかかった。
 主砦である鷲津砦に攻め掛かったのは、義元の重臣筆頭ともいうべき朝比奈備中守泰朝を大将とする三千騎の軍勢である。時を同じくして松平元康率いる岡崎勢が丸根砦に攻め寄せた。
 寅の刻(午前四時)、鷲津・丸根両砦からの早馬が清洲城の城門に跳び込んできた。
 大高城周辺で戦闘が始まったことを知らせる第一報が、直ちに信長の許に届けられたのである。この時、信長はすでに寝間に入っていたが、勿論、眠っていたわけではない。小姓が砦からの報せを伝えると、仁王のごとき表情をした信長は、たった一言「であるか」とつぶやいただけであった。
 布団から跳ね起きると、信長は広間に向かった。
 まだ誰もいない薄暗い広間でひとり暫しの間、瞑想に浸っていたかと思うと、信長は、やにわに立ち上がり、小姓に鼓をもたせて『敦盛』を舞い始めた。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」
 信長の全身には烈々たる気迫が漲り、流麗ながらも壮絶な舞であった。それは、己の死を覚悟し、乾坤一擲の大勝負に向かう決意の現れであった。
 信長は具足を身に纏い、立ったまま湯漬けを掻き込むと、独りで城を跳び出した。
 信長の突然の出陣に気がつき、慌てて後を追ったのは、山口飛騨守や佐脇良之ら五人の小姓衆のみである。主従六騎は、熱田までの三里を一気に駆け抜けた。熱田神宮で戦勝祈願を行いながら後続兵を待っているうちに、ようやく馬廻衆たちが集まってきた。
 熱田神宮の摂社のひとつ、上知我麻(かみちかま)神社の前から東南の方角を見遣ると、曇天の下はるか遠くに黒煙が立ち上っている。
「落ちたか……」
 その景色を眺めていた信長がぽつりとつぶやいた。
 今川方の攻撃に懸命に堪えてきた鷲津・丸根両砦が焼け落ちたのである。
 辰の刻(午前八時)、信長はおよそ一千騎にまで増えた軍勢を率いて熱田を出立した。
 信長が出陣したとの報せは、すぐさま下社城にいた勝家の許に届けられた。
「我らも直ちに出陣致す。皆の者、遅れるでないぞ」
 勝家は、城内に兵士たちを待機させて、いつでも出撃できる準備を整えていたのだ。
 そんな出陣間近の慌ただしいさなか、ひとりの男が勝家の許に現れた。
「権六殿、それがしにも参陣させて下され」
 それは、前田又左衛門利家であった。
 利家は、信長から追放されたのち、諸国を放浪した挙げ句に駿河国の土豪の許に寄食していた。これまでの苦難に満ちた日々が、利家の端正な顔立ちに凄みを加わえていた。
「又左か。おぬし、出仕停止の身ではないか」
「此度は、今川義元殿との雌雄を決する合戦(いくさ)になると聞き及び、居ても立ってもいられなくなり、こうして飛んで参りました。織田家危急の折、是非とも殿のお力になりたいのです。それがしにも戦わせて下され」
「……相判った。目を見張るような武功を立ててみせよ。さすれば、殿の勘気も解けるであろう」
 勝家が率いる一千騎の軍勢は、下社城を出立すると、鳴海城を囲む善照寺砦への三里足らずの路をひた走った。
 巳の下刻(午前十時)、信長軍は、熱田から東南二里ほどの距離にある鳴海城の北を守る丹下砦に入ると、すぐさま砦の守備兵三百五十騎とともに主砦である善照寺砦に移動した。勝家軍との合流を果たした信長の軍勢は、この時、善照寺砦の守備兵を含めるとおよそ三千にまで膨れ上がっていた。
 信長が善照寺砦に到着すると、各所に放っていた斥候からの報せが次々に届けられる。今川方の本隊が、辰の刻に沓掛城を出立し、大高城に向かって東海道筋をゆっくりと進軍していたのである。
「義元が本陣をどこに据えるのか。その場所を突き止めよ」
 信長の命を受けた使い番衆たちが各地に散って行く。
 信長は、その後暫くの間、善照寺砦の本陣に居座ったままじっと動かなかった。
「水野信元からの報せはまだ届かぬのか?」
 信長が苛ついた表情で独り言ちた。
 水野一族は、三河国碧海郡西部から尾張国知多郡東部にかけて広く根を張る国人衆である。その当主が、水野下野守信元であった。信元は、今川家と織田家の狭間にあって家督を受け継いだ当初から織田家に臣従してきた。六年前の天文二十三年に今川の軍勢が信元の居城・緒川城に攻め寄せた際には、信長は援軍に向かい、今川勢を退けている。その信元の異母妹・於大の方は、松平元康の母であり、信元は元康の伯父にあたる。
 水野信元はいま、小勢を率いて密かに大高城近くに陣取っていたのである。
 暫くして、ようやく信長の許に信元の密書を携えた使者が跳び込んできた。その書状に目を通した途端、信長の顔に会心の笑みが零れた。
「元康め、諾と言いおったか」
 松平元康はかつて幼き頃、今川方に人質として送られる途中で同盟していた戸田康光の裏切りに会い、敵対していた織田方に送られて、数年間を人質として尾張で暮らしている。信長と元康はその時お互いを見知っていたのだ。
「文には何が書かれておるのですか?」
 傍に控えていた勝家が訝しげに問い掛けた。
「信元が、松平元康を調略しおった。この後は、日和見に徹するそうじゃ。これで今川の軍勢を削くことができる。それにしても、高うついたわ」
「見返りはいったい?」
「三河一国よ」
 丸根砦を攻め落とした松平元康は、大高城に籠もったまま、その後の合戦には参戦していない。
 信長は、善照寺砦に築かれた井楼に登り、周囲の様子を観察した。
 夜中に進軍してきた今川の先鋒隊は二手に分かれていた。一方は、鷲津・丸根両砦を落とした大高城の後詰隊であり、もう一方の鳴海城の後詰隊二千余騎は、善照寺砦とその南に位置する中島砦の間に楔を打ち込む形で陣を張っていた。
「邪魔よのう……」
 信長はそうつぶやくと、すぐさま命を下した。
 佐々隼人正(はやとのしょう)と千秋(せんしゅう)四郎を大将とした三百ほどの軍勢に、善照寺砦の西に位置する鳴海城に対する攻撃命令を発したのである。
「わずか三百の兵と仰せですか?……城の背後には後詰の軍勢が控えておるのですぞ」
 佐々隼人正が消え入りそうな声を挙げた。
「たわけ! おぬしらに城を落とすことなど期待してはおらぬ。後詰隊が攻め掛かってきたら、戦いながら北へと退くのだ。後詰隊を北方に誘い込め」
 三百の軍勢が善照寺砦を跳び出していく。
 そのなかには、功を焦った前田利家の姿もあった。ほかにも、毛利長秀や木下嘉俊ら利家が顔を見知っている馬廻衆の面々も混じっている。
「よいか。我らで一番乗りを果たそうぞ」
 利家はそう声を掛けて軍勢の先頭に躍り出た。
 織田の軍勢は、善照寺砦から鳴海城へとなだらかに続く樹木の生い茂った下り勾配を一気に駆け抜け、鳴海城の搦手門に達した。
 城を守る数百足らずの城兵たちは、後詰隊の到着にすっかり慢心していた。まさか二千に及ぶ後詰隊を前にして織田軍が攻め寄せるとは思ってもいなかったのだ。
 弓、鉄砲を撃ちかけ、丸太で城門を打ち破ると、利家たちを先頭に織田軍は曲輪内へと侵入した。
 そこに、鳴海城の南東に陣取っていた今川の後詰隊が進軍してきた。
 背後で退き鐘が激しく打ち鳴らされる。
 けれど、利家はその鐘の音に舌打ちをした。
「やかましいわ! 武将首を獲るまでは撤退などできるか」
 槍を持つ手に力を籠めると、敵兵の群れに突進していった。

 信長は井楼の上から戦況を見守っていた。
 佐々隼人正らが率いる軍勢は、信長の命に従い、襲いかかってきた今川の先鋒隊を引き付けながら徐々に城の北へと後退していく。
 その様子を窺っていた信長が、新たな命を下した。
「よし。全軍を中島砦まで進めよ」
 善照寺・丹下砦と鷲津・丸根砦を結ぶ繋の城である中島砦は、天白川に注ぎ込む二つの川の合流点近くの中洲に築かれた砦で、鳴海城の南東六町余り(七百メートル)の距離にある。今川の先鋒隊が北に移動したことによって、中島砦までの障害が取り除かれたのである。
 信長が颯爽と馬に跳び乗ると、勝家は慌てて馬の轡(くつわ)に取りついた。
「お待ち下され。中島砦までの道は両側が深田で、縦隊で進むしかありませぬ。もし、敵が鷲津山に登っておれば、その様子が丸見えとなりまする。危のうございますぞ」
「案ずるな。元康が動かねば、疑心暗鬼に囚われて、朝比奈備中も兵を動かすことなどできぬわ」
 未の上刻(午後一時)、信長は、兵を中島砦にまで進めた。
 その頃、沓掛城から東海道筋を進んでいた義元本隊は、桶狭間の丘陵地を抜け、戦場近くにまで迫っていた。その姿が中島砦からも肉眼で確認できるほどの距離である。
 そこに、沓掛の土豪、簗田政綱の使者が跳び込んできた。政綱は信長が放っていた斥候のひとりであった。
「今川義元は後方の桶狭間山に本陣を据えておりまする」
 義元は、旗本衆二千とともに十四町(千五百メートル)後方の桶狭間山(高根山)の頂きに陣を張り、本隊(前衛隊)のみを進軍させていたのである。
「川並衆が戦勝祝いの酒肴を届け、本陣のたがはすっかり緩んでおりまする」
 この当時、侵攻してきた軍隊が地元を荒らさないように禁制を発給してもらうために、その土地の僧侶・神官や豪農が手土産を持参することが一般的な慣わしだった。木下藤吉郎率いる川並衆が手を回し、豪農たちに酒肴を運び込ませたのである。
 鷲津・丸根砦の陥落に気をよくした義元は、家臣たちに酒を振る舞い、謡(うたい)を三番うたったという。
「であるか」
 信長が満足そうに応えた。
 そこに、鳴海城に攻め込んだ利家が戻ってきた。
「殿、御覧下され。一番首を獲って参りましたぞ」
 利家が、血の滴る首を高く掲げながら、嬉しそうな声を挙げた。
 鳴海城に攻め入った三百の軍勢は、多勢に無勢でほぼ壊滅し、佐々隼人正や千秋四郎は討死している。そのなかにあって、利家は孤軍奮闘し、武将首をあげたのである。
 けれど、それを見た信長は、烈火の如く怒り出した。
「たわけ! おぬしらの役目は、たとえ最後の一人となろうともその場に踏み止まり、敵の軍勢を鳴海城の北に釘付けにしておくことよ。誰が首を取って戻って来いと申した」
 信長の狙いは、今川の大軍の分断策だったのだ。
 信長が、激しい口調のまま勝家に下知を飛ばした。
「権六、全軍を率いて大高城に攻め掛かれ」
「大高城ですと?」
「よく聞け。今川の兵は、夜通し行軍したうえで鷲津砦を攻め落とし、疲れている者どもだ。こちらは新手の兵なのだ。多勢と言えども怖れることはない」
「なれど、今川の本隊がもう目前にまで迫っておりまする。このままでは大高城にいる軍勢との間で挟撃されましょう」
「左様。それが狙いよ。おぬしの軍勢が今川の本隊を引き付けておけ。その間に、儂は馬廻衆のみを率いて中入れ致す。義元の本陣に攻め掛かるのだ」
「なんと……」
「儂が預かっていたおぬしの命、いまこそ使い時ぞ。死ねや、権六!」
 信長の檄に、勝家の胸奥から沸々と闘志が湧き上がってきた。
「もとよりその覚悟!」
 その刹那——
 天が大きく咆哮したかと思うと、一条の閃光が空を引き裂いた。それを合図に、まるで石礫のような大粒の雨が叩きつけるがごとく降り始めた。
 この地方を突然の暴風雨が襲ったのである。それは、沓掛の峠に植わった三抱えもある太い楠が倒れるほどの激しさだった。
 その雨を見上げながら、信長が狂ったように笑い出した。
「天は我らに味方しておるわ。この雨が、我らの動きを敵の目から覆い隠してくれよう。行くぞ!」
 信長は、土砂降りのなかをおよそ一千の馬廻衆とともに出陣していった。
「我らも大高城に向かうぞ」
 勝家率いる二千近くの軍勢は、ずぶ濡れになりながら南西半里足らずにある大高城に向かって進軍した。暴風雨はわずか四半刻ほどで嘘のように止んでしまった。勝家軍が大高城に到着する頃には晴れ間すら覗いていた。
「案ずるな。岡崎勢は動かぬ。敵は遠州勢のみぞ。鯨波(とき)の声を挙げよ。惣掛かりで攻め込むのだ」
 盛大に法螺の音や戦太鼓が鳴り響くなか、勝家軍が大高城に攻め寄せた。
 堀と虎落に守られた曲輪のなかには、遠州勢だけでも三千の兵が籠もっている。二千足らずの攻め手ではびくともしない。そこに、万を超える今川の前衛隊が迫ってきた。
「来おったか。なれど、儂とてむざむざ死にはせぬぞ」
 今川の前衛隊は、鶴が羽を広げたように部隊を左右に広く展開させる鶴翼の陣を敷き、小勢の勝家軍を包み込むような隊形を取った。
「皆の者、敵は今川の本隊ぞ。鋒矢(ほうし)の陣を敷け。一気に敵の陣を突き破るぞ」
 勝家軍はまるで矢のように部隊を細長く展開し、今川軍の左翼中央に向かって突進する。一気に敵陣を突き破り、背後に回ると、反転して敵の大将・三浦左馬助義就がいる本陣に襲いかかった。
 今川勢も本陣を守るために陣を崩してその周りに殺到し、すぐに戦場は敵味方入り乱れての白兵戦と化した。
「雑魚に構うな。大将首だけを狙うのだ」
 勝家自身も馬上で槍を振り回しながら、本陣めがけて突き進む。
 けれど、圧倒的な兵力差は如何ともし難かった。敵の分厚い守りに阻まれ、味方の兵たちが次々に討ち取られていく。
「おのれ……これまでか」
 勝家が唇を噛み締めた。
 その時だった。今川方の使い番を乗せた軍馬が戦場を駆け巡った。
「桶狭間山が攻められておる。全軍、引き返せ」
 その声に今川勢が一斉に後退を始めた。
「そうはさせぬぞ。皆の者、追撃だ!」
 再び息を吹き返した勝家軍が、陣を乱して後退していく今川軍に襲いかかった。
 殿軍(しんがり)を打ち破り、本陣へと肉薄していく。
 やがて前を行く金鍬形を立てた兜を被った騎馬武者の姿が目に飛び込んできた。今川前衛隊の大将・三浦義就である。
 勝家は、馬腹を蹴り、馬脚を早めると、義就が乗った馬に並んだ。
「我こそは柴田修理亮勝家! その首、頂戴致す」
 義就が引き抜いた佩刀を槍の一振りで弾き飛ばすと、渾身の力を籠めて喉元に剣鋒を突き立てた。馬から崩れ落ちた義就はそのまま絶命していた。
 丁度そこに織田方の伝令兵が駆けてきた。
「今川義元、討ち取ったり」
 その声に勝家の周りから期せずして歓声が上がった。
 勝家軍が大高城に攻め掛かった頃、時を同じくして信長も桶狭間山に陣取る義元本陣を急襲した。東海道筋を外れ、太子ヶ嶺の山裾を進んだ信長軍は、暴風雨に紛れて本陣に迫った。虚を衝かれた今川軍は陣を整える間もなく、信長軍に蹂躙された。今川義元は馬廻衆とともに本陣から逃走を図ったが、追い縋る信長の軍勢によって深田が広がる田楽坪にて討ち取られていた。
 今川の大軍はいつのまにか蜘蛛の子を散らしたようにいなくなっていた。
 勝家は、急いで桶狭間へと馬を走らせる。
 その途中で、馬廻衆に囲まれてゆっくりと街道を進んでくる信長の一行に出会した。
「権六、生きておったか。おぬしもしぶといのう」
 馬上の信長が、機嫌良く声を掛けてきた。
「殿、見事に今川義元を討ち果たしたのですな」
「当たり前よ」
 信長はそう言って、担いでいた槍を高々と掲げた。その剣鋒には、今川義元の生首がぶら下がっていた。
「お目出度うございまする」
「腹が減ったわ。気がつけば、朝、湯漬けを掻き込んでから後、腹に何も入れておらぬ。早う清洲に戻って飯を喰らうぞ」
 そう言いながら、勝家の目前を通り過ぎていった。
 そんな信長の後ろ姿を見詰める勝家の頭にひとつの言葉が浮かび上がった。
 ——天運
 生まれながらにして天運を持った人物が稀にいる。そして、どんなに優れていても天運を持たない人物には偉業をなすことはできない。
 ——もしかしたら、このお方は本当に天下を獲ってしまうやもしれぬ。
 そんな想いが、勝家の脳裡を一瞬過ぎった。
「殿!」
 勝家は、思わず声をあげていた。
「何じゃ?」信長が振り返る。
「いよいよ天下獲りの始まりでございますな」
「阿呆。気が早いわ。まだ北には、美濃の斎藤義龍がおるわい」
「なんの。この勢いならば、義龍の首も早々に討ち取れましょうぞ」
「簡単に言いおるわ」
 信長が苦笑を浮かべた。
「お任せ下され。この儂が、必ず殿に天下を獲らせてみせまする」
 勝家はそう言って胸を張った。
「申したな。天下を獲るためには、おぬしの命、幾つあっても足りぬかもしれぬぞ」
「なに、その度に地獄の底から這い上がってきます故」
「言うわ。この、うつけめ!」
「はッ。殿の家臣にございますれば」
 勝家の言葉に、信長が哄笑をあげた。
「権六、おぬしもついて参れ。これから戻って宴と参るぞ」
 そう言うと、信長は馬尻に鞭を入れ、駆け出していく。
 その後ろ姿が、夕陽に照らされて輝いて見えた。