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SAYONARA FUKUSHIMA福島コンテスト入賞作品

K.I


約 1130

「この街に愛着も湧かないし何の未練も無い。」と彼女はつぶやいた。その寂しそうな横顔がしばらくの間、頭から離れなかった。

 

信夫山は福島市の中央に南北を分断する状態で鎮座する、周囲7km程の山である。古来より山岳信仰の対象になっていたらしく山内には多くの神社が点在する。春には花見、夏にはハイキング、秋にはお祭りと所謂市民の憩いの場である。その信夫山の西側に烏が崎という岩場からなる市内をほぼ全方向眺望できる場所がある。当時は人にあまり知られていない絶景スポットであった。そこによく彼女と出掛けては、何の目的もなく眼下を眺めていた。そんな時、冒頭の言葉を聞いた。確か風が冷たくなり始めた10月の初めだったと思う。彼女の複雑な家庭環境も有り、色々なしがらみから抜け出したかったのだと思う。その後皮肉なことに私は首都圏の私大に、彼女は福島の大学に進学した。学生の頃の恋が、だいたいがそうであるように、成就せずに終った。もう30数年も前のことだ。もう消息も知れない。

 

「この街から離れたくない。」と柄にもない強い口調で彼女は言った。その一点を見据えた眼差しが印象的で忘れる事が出来ない。

 

2011年3月に大きな震災が福島を襲った。原発が爆発した。福島市にも信夫山にも多くの放射能が降り注いだ。次第に不吉な不確かな情報が流布した。そして子供を特に乳幼児を抱えた家族が、他県へ少しずつ自主避難し始めた。私の中で、色々な考えが交錯し混乱し、正直迷っていた。中学生の長女にこの街を出たいか聞いてみた。その答えと強い意志に少し戸惑いながら福島にいることを決心した。普段はこんな田舎嫌いなんて言っていた長女がである。不遜ではあるが少し可笑しかったことを思い出す。その長女も大学進学で首都圏へ行きもうすぐ2年になる。あまり帰省しないとこをみるとあちらの生活が面白いだろうと思う。後1年もすると次女もおそらく福島を離れるだろう。

 

「この街は、まぁ好きかな。」と彼女はささやいた。その穏やか表情に私も思わず微笑んでしまった。妻と結婚して20余年が過ぎた。久しぶりに二人で信夫山に来た。街並みを眺めながら少し思い出話をした。どこの家族とも同じ様に色々なことがあった。老後は海の見える場所に移住したいなんてよく二人で話していたが、それも様々な事情から叶わぬ夢であることも薄々承知しているだろう。おそらく二人ともこの地で果てるだろう。この街には、家族の軌跡と思い出が沢山埋まっている。この街にさよならしたらきっと後悔することも分かっている。

 

大きな声では叫べないが、私も“まぁこの福島が好きかな”とこの頃感じる様になった。