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父との思い出福島コンテスト入賞作品

N.T


約 2214

朝、会社の社長室のブラインドを開けて、私の1日がスタートする
あたたかな朝陽がこぼれるように部屋に差し込んでくる

 

私は福島市土湯温泉で30数年を過ごした
車で土湯温泉の坂を下りると、2つ目の橋の前に我が家があった
家はお土産や酒を販売する小売業を営んでいた
家族は祖父母と父母、妹、そして私の6人家族に愛犬ジョンがいた

 

今からもう40年近く前の話だ
私の父は山歩きが好きな人だった
土湯温泉は自然が豊かで、一歩山奥に入ると、姫竹、わらび、筍、フキノトウに
タラの芽、コシアブラ、キノコなど、四季により様々な食材が採れる

 

しかし、毎年、数名の行方不明者が出て、地元の消防団が出動することもある
山菜採りは、本当に慣れた者でないと、命を落としかねない
山菜を夢中になって探しているうちに、入った道がわからなくなり、どんどん山奥に入ってしまい、道に迷ってしまったり、崖から足を踏み外したりする者もいる
運が悪いと、熊にバッタリ遭遇する危険性もあるのだ

 

父は山歩きに慣れていて、いつも朝1人で出かけては、いろいろな収穫物を
リュックにいっぱいつめて家に帰ってくるのであった

 

父の書斎には、登山に関する本や写真がいっぱい棚に並べられていた
当時、小学5年生だった私は、ある日なんとなく一冊を手に取り
ある1枚の写真に目がとまった
真っ青な空に雪化粧の美しい山。私はしばらくその山の写真に見とれていた
それは「白馬」という山であった

 

翌年、小学6年生の夏休み、父に誘われ、私は一緒に登山に出かけることになった
登る山は、いつか父の書斎で見た「白馬」だ
いつか見たあの写真の山に登れる日がとうとう来たのだ
嬉しさに私の胸は高鳴った。

 

父は登山家であった
毎年夏は一週間家を空け、夏山登山に出かけていた
父はその毎年の行事をとても楽しみにしていた
持ち物リスト、食事のメニュー表、工程表を作ったりと入念なチェックをして
当日に備えていた
父はいつもリーダーとして皆を引率していた

 

いよいよその日は訪れた
私は、父や、父の登山仲間とともに、一晩、夜行列車に揺られて、朝方
長野の登山口に到着した
列車の中では座って眠るので、緊張もあったせいか、なかなか寝付くことが
できないまま、翌朝を迎えた

 

父を先頭に、私達6名は登り始めた
実際に登り始めると、登山道は当たり前だが山道で、ずっと坂続きだ
数十分歩いては、途中休憩を入れることを何度しただろうか
だんだん疲れもでてきた

 

私は必死で父に続いた
父は登山に慣れているので、ポケットに手を入れながら、余裕の顔だ

 

途中、標高が高くなると、辺り一面は積雪であった 大雪渓である
専用の靴に履き替え、危ないからと父が私のリュックを背負ってくれた
少し離れた向こうの山で、ゴオーっと音がした
何の音だろう 少しこわくなってきて、動きを止めた
「雪崩だ」父が言った 「大丈夫、離れているから」とも言った
初めて聞いた雪崩の音 それは静かにゆっくりと、辺りの積もった雪を巻き込みながら、確実にこちらに向かって迫ってくるように思えた
しばらくして音が止んだ ほっとした
そんな私を見て父が笑った

 

大切な思い出として、ずっと私の心の中に眠っている
父は55歳で人生の幕を閉じた
その時私は29歳であった

 

それから様々なことがあった
父が亡くなった後は、家族でお店を守っていたが
平成23年、東北を襲った大地震で、土湯温泉は一気に変貌を遂げた
地震で一部崩壊する旅館もあり、客足が減ったことで、数多くの旅館も休館になった
小売業を営んでいる我が家も同じく打撃を受け、平成25年、100年以上続いていたが
お店をたたむこととなった

 

私は土湯温泉を離れることになった
お嬢様育ちで苦労知らずの私は、中学生の息子を抱え、いろいろ困難にぶち当たることもあった
生活も大変で、そんな私を見ていた息子は、いろいろ欲しいものもあっただろうに、私にねだることもできなかったのだと思う

 

ある日、息子の洗濯ものの中に、なぜか海水パンツが入っていた
どうして海水パンツ?夏でもないのに
すぐにわかった
パンツの替えがあまり無かったために、息子は海水パンツで代用していたのだ
ごめん、健斗 

 

布団に入ってからも私は、めそめそ泣いていた
明日は仕事だというのに、こんなでは明日の朝、目が腫れてしまう
必死に眠ろうと目を閉じた
その時だ なぜか私は、あの時の父の笑顔と
「白馬」の山頂で見た素晴らしい景色を思い出していた
そしていつの間にか眠りについていた

 

翌朝目覚めると、昨日の悲しい気持ちがうそのように
清々しい気持ちに変わっていた
私は起きてきた息子に声をかけた
「昨日、洗濯ものの中に、海水パンツが入っていたよ
海にでも行って、海水浴してきたの?」と冗談ぽく笑い飛ばした
すると息子は「そんなわけないべ」と笑った

 

そう、笑顔があれば、人はきっとがんばれる
辛いことも笑い飛ばせば、きっといいことがあるに違いない

 

そして、もし願いが叶うなら、父と登山の思い出話をしてみたい