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快適だった青森での単身赴任生活

Y.G


約 2021

人生初めての単身赴任は、平成18年4月、青森市でスタートした。
 期間は、平成20年3月末までの2年間だ。
 当時、娘二人が東京で学生寮生活していて、その仕送り、学費等で給料は半分以上消えていた。そうした中での単身赴任だ。
 妻を宮城県に残し、結果、我が家は4重生活となった。さぞや悲壮感漂う単身赴任生活と想像されると思うが、意外に快適な単身赴任生活だった。過酷だったと思われる単身赴任は、青森だからこそ快適に過ごせたのだ。その一端を紹介したい。
 4重生活で金銭的に大変だったのではないか、というのが当然の疑問だろう。
 当然のことながら、生活をどこまで切り詰められるのか、これがポイントとなる。当時、給料から娘たちへの仕送り、妻の生活費等を差し引いたぎりぎりの額が「6万円」だった。従って、自宅への帰省費、住居費の自己負担分、食費、光熱費、小遣い等諸々合わせてその金額が全て。でも、それで賄えたのだ。
 それは、青森市への単身赴任だったからこそ実現できたのだ。青森市以外では無理だったろう。では、それはなぜか。答えは簡単、物価が安かったのだ。特に、食材が。

 単調となりそうな料理のバリエーションを支えたのは、青森県民の誰もが知っている「スタミナ源たれ」だ。スタミナ源たれは、青森県産の「ニンニク」と「リンゴ」がふんだんに使われたものだ。素材が良いから、当然美味い。そして、何の料理にも使用できた。
 そして、青森県と言えば「リンゴ」だ。青森市内では、形が悪るかったり、若干傷があるものが極めて安く買うことができた。でも、それは見た目だけで、どの店で買ってもパリパリで美味しい。外れたことなど、一度も無い。しかも、ビタミン、ミネラルのバランスが良く低カロリーである。これで食生活が維持できた。さらに、この二年間で体重が9kg減量でき、一時的ではあるがメタボ解消となった。
 帰省費も切り詰める必要があり、殆どの土日は青森市内で過ごすことが多かったが、その時の楽しみも見つけた。市内の散策だ。
 青森市内は、殆どが平坦であり、主要道は道幅も広い。そこをママチャリで散策したのだ。
 いくら料理のバリエーションが多くすることができたといっても、時には外食したくなる。そこで、プチ贅沢として、週に一度、ラーメンを食べ歩いた。

 今は、B級グルメとして「味噌カレー牛乳ラーメン」が人気のようであるが、当時は、青森市といえば、「煮干し出汁の醤油ラーメン」が定番だった。どの店も似ているようで微妙に味付けが異なり、ママチャリの向くままラーメン店を探し歩くのが、この上ない楽しみだった。
 また、意外に思ったのは、昔ながらの「喫茶店」が数多くあったことだ。どの店も規模が小さかったが、そこそこにお客が入っていた。
 近所のご老人、高校生と、殆どが地元の人たちであり、よそ者として地元の方々の会話に入り込む余地は無かったが、離れた席で、交わされている「津軽弁」に耳を傾けるのも楽しかった。
 私は、秋田県の北部出身である程度は津軽弁を理解していたが、それでも一部の会話は理解できず、場の雰囲気、前後の会話の流れで解釈するしかなかった。それだけ難解だった。
 私事ではあるが、私は秋田弁が嫌いで、田舎を出てからは極力標準語で会話するように努めてきた。しかし、津軽弁を聞くようになってから、考え方が変わった。方言っていいものだ、と。特に「津軽弁」はいい。その「津軽弁」でも、女性が話す「津軽弁」は特にいい。また、弘前地方では、津軽弁に敬語表現があるというが、青森市では、地元の人の会話を聞いている限りでは無さそうである。敬語がないというのは、上下の距離感を考える必要が無く、これも魅力的だ。
 このように、2年間単身赴任生活を楽しんだが、残念に感じたこともあった。
 それは、「青森ねぶた祭り」だ。昭和54年に一度だけ、ねぶた祭りを観ていたが、その時は、躍動感に溢れ、街全体が跳ね上がっているように感じた。それから27年経って観たねぶた祭は、ねぶたの壮大さは変わりなく素晴らしかったが、期待したほどの躍動感が無くなり、「跳人」が何となく大人しく感じた。これは、地元の人曰く、「禁酒が原因だ」と。
 確かに、アルコールが原因でトラブルもあったであろう。でも、祭りというのは、妖しい雰囲気、危なっかしいところに魅力があるのではないだろうか。

 また、数年前のことらしいが、青森ねぶた祭の期間中、長年青森市役所内で、「ねぶた飲み」が慣習として続けられていたことに、一部市民からの苦情があり、自粛するようになったという。長い期間大雪と格闘する青森市民の大きな楽しみであり、躍動し、燃え上がる青森ねぶた祭には、もっと寛容さがあって良い。
 「食」、「方言」、「祭り」と、魅力に溢れた青森市は、不思議な世界観を持つ街であるが、青森市民は気づいていない。勿体ないことだ。