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デイサービス継続勤務5年3か月経し

M.U


約 1842

僕は、現在、70歳。今勤務するデイサービスに5年3か月継続して介護の仕事をし続けている。
 僕は、65歳で、このデイサービスに雇用された。このデイサービスが創立されたのが、僕が雇用された前年の7月で、僕は、その翌年の4月に雇用されたのだった。
 しかし、今になって振り返ってみると、創立以来、6年経ち、僕が、勤務して、5年3か月が経つが、あらゆる点で、施設は変わらないものの、職員も利用者の顔ぶれも大いに変わって来た。特に、職員は、今では、5年以上勤務する僕が、職員では、勤務年数が最も長く、もう1人、看護師の人が、僕と1カ月違いで長く勤務しているだけで、他の職員は、長くても、2年。ほとんどの職員が、3か月か1年で辞めて交代している。
 この理由は、経営者のやりかたが、大いに影響しているが、「職員はいくらでも替わりがいるから、使えないなら解雇する」という方針でやっているらしい。
 それでも、僕は、65歳で、別のデイサービスを定年退職という形で解雇されていた時、今のデイサービスの社長に採用され、現在に至っている。
  
送迎中に利用者さんから、「家で炬燵の棒につかまっているより、こうした仕事があって幸せね」と、良く言われる。
「そうですね。仕事が無ければ、1日、どうして時間を潰したらいいか困りますね。でも、いろいろ困った問題もあるんですよ」
「安全運転を心がけていても、事故を起こせば、車の修理代は、給料で払わなければなりません」
「とにかく、良い事ばかりではありません。でも、仕事があることは幸せですがね」
 そういえば、僕は、採用された時から、来月は、日程表に自分の名前があるだろうか、と心配しながら勤めてきた。始末書や、ヒヤリハットの書類を何度も書かされた。無理な、仕事優先の勤務に、疲れ果て、何度、「辞めます。いつでも辞めます」と、社長に抗弁したことが、何度もあった。
 特に、最近は、あまりにも、職員の出入りが激しく、また、職員同士の食事会など全くない職場なので、職員同士のコミュニケーションがうまく行かずに、仕事の上でも、やりにくい状態が続いている。
 それでも、僕は、いまだに、このデイサービスに勤務して、以前ほどの重労働は無く、しかし、コミュニケーションの疎通にいらいらしながらも、退職することなく、送迎と夜勤と、少しの入浴の仕事を続けている。
 この5年3か月で、思い出にある介護の仕事は、今は全くしていないレクレーションの担当で、カラオケや合唱をしたこと。俳句や短歌を、利用者さんが作ったのを、パソコンに打ったり、利用者さんの塗り絵を週ごとに、壁に貼ったりしたことが思い出される。
 また、夜勤は、ほとんど僕の専属の仕事で、利用者さんが亡くなるまで、見守ったり、1人ならまだ良いが、4人を一緒に見守ったりの、夜勤では、いろんな苦労をした思い出もある。
 しかし、よくも5年3か月も、このデイサービスに勤務できたか、というと、副社長が、いろいろ悩みの相談に乗ってくれたからだと思う。それと、いつ解雇されても良いと言う思いで、だけど、やることはきちんとやる、という信念を貫くことで、このデイサービスの勤務に、僕は当たってきたksrsだと思う。
 
 僕も、既に70歳になった。75歳までは、壮年だと、尊敬する日野原重明氏は言っているが、70歳で、老年に入るという意見もある。僕も、「無理な仕事をさせられるなら辞めます」と、という信念を貫いて得た、今の軽い勤務状況を考慮しながら、75歳まで、デイサービスの仕事をして行くかどうか考えている。ただ、僕は、あまり先のことは考えずに、明日に、自分の勤務があるかどうか思案しながら、現在まで、今のデイサービスに勤めて来た。だから、明日、解雇されても、少しも慌てることはない。
 いずれにしても、今のデイサービスは、勤務しやすい職場ではない。でも、仕事があり、それなりに利用者さんから感謝されたり、自分でも入浴介助の頭髪と背中を洗うことが得意だと自負していたりしてデイサービスの仕事をしている。
 これから、僕の、今のデイサービス勤務はどうなるだろうか。とりあえず、今、送迎と夜勤、入浴介助を仕事にしている。新しい若い介護職員が採用され、僕の利用価値が無くなれば、僕の介護職員として勤務も解消されよう。その日まで、僕は僕の出来る限りの介護の仕事を精一杯継続勤務することだと思い勤務しているのである。