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『母』との出会い

H.A


約 2020

それは、私が教会に通い始めて3か月目の事だった。
毎週日曜日、家から歩いて15分……当時、私は教会に夢中だった。
その日の礼拝中、私はいつものように、牧師さんの話を聞いていた。
すると、牧師さんは私たちに向け、声高らかに呼びかけた。
「皆さん、天国には“父なる神”と子(息子)なる神がおり、いつも私たちを見守っています。私たちはこの神を信じる事で、神の兄弟・姉妹となれるのです!」
この時、私の胸中にふと、一つの疑問が浮かび上がった。
 
やがて礼拝が終了し、休憩時間となった。そこで私は牧師さんに声をかけた。
「先生。天国には父と子の神がいて、私たちはその兄弟・姉妹になれるのですか?」
すると牧師さんは「その通りですよ。それを“神の家族”と呼んでいます」と優しく答えてくれた。続けて私は、礼拝中に感じた疑問をぶつけてみた。
「先生。その“神の家族”には父と子、そして兄弟・姉妹がいるのに、どうして『母』がいないのですか?」と。
しばらくの沈黙の後、牧師さんは戸惑いの表情を浮かべながら答えた。
「どうしてと言われても……とにかく、母はおりません」
先程までの温かい雰囲気から一転、牧師さんは冷やかな表情を隠さなかった。
また、このやり取りを聞いていた周りの人たちが、何やら小声で話していた。
「あの人、まだ通い始めたばかりなのに、余計な事言っちゃって……」
こうして私は“居場所”を失った。
 
帰り道、私は失意の底にいた。神の家族には、どうして『母』がいないのか……ふとした疑問を投げかけた事で、牧師さんからも、周りの人たちからも、冷笑の的とされてしまった……そんな自分が情けなかった。
「聞いてはいけない事を、聞いてしまったのだろうか……」
気が付くと、私の頬を一粒の涙がしたたり落ちていた。
やがて家の近くにある、小さな牧場の脇を通りかかった時、一頭の子牛が、私の顔をジッと見つめている事に気が付いた。まるで、泣きながら歩いていた私を気遣うようにも感じ取れる、穏やかな瞳を向けられ、私は気恥ずかしい思いすら感じていた。
すると、何を思ったのか、私はその子牛に話かけたのだった。
「ねえ、牛さん。神の家族に『母』はいないのかなぁ?」
次の瞬間、私はドッと笑い出した。「やだなぁ、私。そんな事、子牛に聞いたって答えてくれる訳でもないのに……」
その時だった。私の心に、どこからともなく、かすかな声がささやいた。
ただ一言「いるよ」と。
その声を受け、急きょ我に返った私は「まさか」とは思いつつも、目の前の子牛を凝視せずにはいられなかった。
無論、子牛がしゃべるはずもなく、相変わらず私をジッと見つめたまま、動こうとはしなかった。
思い過ごしか……冷静さを取り戻した私は、子牛を後に家路に着いた。
 
その日、私は教会の一件で、心身ともに疲れ切っていた。
部屋に入り、ベッドに横たわった私は、先程の“声”の事を思い起こしていた。
空耳でしかないはずの、あの声の事が、なぜか忘れられなかった。
「あの声、一体、何だったのだろう?」と、思いを巡らせているうちに、いつしか私は、ひと時の眠りについていた。
昼寝から目覚めた私は、インターネットの検索サイトから、歴史関連のページを開いていた。私は歴史の散策が趣味だった。
するとそこに、古代の遺跡から発見された“一枚の絵”が映し出されていた。
大昔の土器に刻まれていたその絵には、三人の人物が描かれていた。
中央には、何やら“牛”のような顔つきの人がおり、その脇には男性らしき人がいて二人は踊っているような仕草をしていた。また、その後ろには、女性らしき人が椅子に座り、手にした楽器を奏でているようだった。
 
「微笑ましい姿だなぁ……」私は目の前の絵に、どこか奥ゆかしさを感じていた。
ところが、この絵の解説文に目を通した時、私の脳裏に衝撃が走った。そこに記されていた“牛”のような顔つきの人の名が、以前、教会で聞いていた、あの“父なる神”の名と同じであったからだ。「これは一体、どういう事だろう?」高ぶる感情を抑えつつ、私は解説文の続きを追いかけた。そして色々と調べていくうちに、どうやら目の前の絵が一組の“家族”である事に気付かされた。すなわち、中央の“牛”のような顔つきの人が父であり、脇の男性が子(息子)、そして後方で楽器を奏でている女性こそ……まさにあの『母』であったのだ。
 
この絵はまさしく“神の家族”を描いた絵であった……少なくとも、私にはそう思えた。
空耳のような、あのかすかな声の存在が、私をこの絵に導いた。やはり『母』はいた。
その母の奏でる曲に合わせ、父と子が喜び踊る……とても奥ゆかしい神の家族。
いないと言われた、その『母』が今、確かにここにいる。
 
こうして私は『母』との出会いを果たしたのだった。