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蕪島の朝

M.N


約 1771

貯金箱が小銭でいっぱいになったので、蕪嶋神社再建の募金に行くことにした。三月十二日。数年前の、津波が襲って来たあの日の翌日にあたる朝だった。
津波は石段で留まり、蕪島神社の社殿は被害を免れた。八戸市民はその奇跡に感謝し、励まされた。
にも関わらず、その四年後、火の気のないはずの社殿は一夜にして全焼した。漏電が原因ではないかという事だった。あまりにもあっけなく大切なものが失われてしまい、誰もがまさか、という想いだったに違いない 。
娘は、震災当時、年中さんで、海にほど近い保育園に通っていた。
酷い揺れにも関わらず、事態の深刻さを把握していなかった私は、混乱する仕事場に留まって、定時を過ぎてから園に向かった。
「ここから先は通れません」
踏切で車を止められた。津波がきたという。幸い保育園は無事で、娘は姑が早々に迎えてくれたと、知り合いが教えてくれた。それを知らなければ、是が非でも線路を越えて行っていただろう。
娘も四月から小学四年生になる。
暦の上では春だというが、風はまだ冷たい。車を降りると、娘は白いマフラーに顔をうずめていた。私が子供の頃は砂利道だった道路は綺麗に舗装されて、遊歩道まで整備されている。幼い頃、親に連れられて、土埃の立つ道路を歩いて、トタン屋根の売店で、ウミネコにやるスナック菓子を買い求めたものだ。私の記憶と違う蕪島が娘の蕪島の記憶になっていくのだろう。
 右手に海水浴場を見ながら鳥居に向かった。
「お母さん、この音なに?」
 サイレンのような音がしていた。遠くから迫って来ては通り過ぎ、また近づいてくる。
 空を見上げると、数千のウミネコの群れだった。空に胡麻を散らしたような無数の点が帯状になって頭上を通り過ぎていく。
 ミャア、ミャアと猫のように鳴くから海猫。その認識を覆す、無数の鈴を鳴らすような響きが私たち親子を包んでいた。
「・・・すごい」
 ウミネコたちは二、三度、頭上を行き来した後に隊列を崩し始めた。 ヒュウ、ヒュウと風を切って乱舞を始める。規則正しさを失うと、いつもの猫のような鳴き声が聞こえ始めた。
「こんなの初めてだよ」
 二人ではしゃぎながら空を仰いだ。長らくこの街に住んでいたが、このような光景は見たことがなかった。
 鳥居をくぐって、津波到達地点、海抜五・三メートルの表示を横目に石段を登り切ると、視界がひらけた。迎えてくれるはずの社殿はなく、平らにならされた地面の茶色ばかりが目につく。
 確か、社殿があったのはあの辺り。前に娘と詣でた時は、お守りを買い求めに来たのだった。
「競争しよう」
 島の縁にぐるりと廻された敷石の上を娘が軽やかに駆け出す。三周回れば運が開けるという。待って、と後を追うと軽く息が弾んだ。早々に追いつくのをあきらめた。
 転落防止の金網越しに、岩場で羽を休めるウミネコたちが見える。すごい数だ。毎年抱卵のために飛来するウミネコたち。何代にもわたって、綿々とここで命を育んで来たのだろう。
 長らくこの街に住んでいる私が故郷を感じる時は、旅行先でこの街のポスターをふと見かけた時だ。
 中でも、蕪島のウミネコの乱舞する様を写したものを見た時は、誇らしい気持ちになる。ウミネコは神様のお使い。蕪島はそのウミネコに選ばれし場所なのだ。
 しばらく進むと、娘が足を止めて私が追いつくのを待っていた。近くから走りよると、また駆け出していく。
 ようやく三周回り終え、浄財箱に、小銭をじゃらじゃらと入れて、二人で手を合わせる。
 参拝客がちらほらと増えて来た。がらんとした地面を見て、「何にもないね」と声を漏らしている。私と同じだ。ここに想いを託しに来た人が大勢いるのだ。
 地面に丸くなって休んでいるウミネコだけは、まるで当たり前のような顔をしている。社殿が建つ前から私達は居たのよとでも言わんばかりだ。
 帰り道、仮設の社務所で娘が小さなお守りをお小遣いで買った。顔のそばに掲げてみせて嬉しそうにしている。
「何をお願いしたの」
尋ねると、いたずらっぽく笑って、
「ひみつ」
と言った。
 おませさん、と苦笑いしつつも、何を願っていても構わないと思った。
 娘がここに居ること、この場所に二人で来れたこと。それだけで十分に幸せだと私は思った。