車椅子の男
S.Y
約 1762
日本の伝統芸能である落語を人前でしゃべることを生業にしている私ではあるが、趣味は洋楽を中心としたロック鑑賞。おかげで音楽業界で数多くの知己を得た。中には暴力的なイメージが強いパンクロックなる音楽を三十年以上も奏で続け、その反骨的なスピリットを維持しているアーティストもいる。実はそういう方に限って、内面は非常に繊細で優しく、親切心に富んでいたりするのだ。
そんなアーティストに紹介していただいた日本全国のライヴハウスを飛び回り、古典落語を披露し続けて早十年。我々のホームグラウンドは、今も東京都内に現存する数軒の寄席である。が、そこにとどまらず草の根運動的に小規模ではあるが、全国で活動を続けてこられたのは、ひとえに同好の方々が無名芸人の私に興味を示し、各地で応援し続けてくれたからに他ならない。つまり私にとって、地方のライヴハウスとは、都内の寄席同様にかけがえのない場所であるのだ。
そんな各都道府県に点在するライヴハウスの中でも、ひときわ印象深い店がある。秋田市にあるクラブスウィンドルというライヴハウスだ。 昨年初めてこの店を訪れた際、不思議な感覚にとらわれた。ライヴハウス特有のいかがわしさがなく独特の清潔感があり、それでいて堅苦しくない上、どこか懐かしさを感じさせる家庭的な雰囲気に満ちていた。店の壁には、地元で活躍する十代のパンクバンドから、脂の乗り切った三十代の売れっ子バンド、はたまた六十代の超ベテランまでと、多岐に飛んだロックアーティストたちのフライヤーがびっしりと貼られている。私のように異端ではない、普遍的な落語家にとっては場違いともいえる場所なのだが、店を取り仕切っているママさんも、あまりこのような場所に即していないのでは、と思われた。上品で思慮深さを感じさせるご婦人であり、とてもライヴハウス内で爆音が鳴り響く音楽を愛聴してきたとは思えない佇まいなのだが、店の清潔感はママさんが醸し出していることに気がついた。同店のロゴが描かれたTシャツを着ている男女スタッフたちは皆二十歳前後で、きびきびと業務に携わっていた。
聞けば、元々は私と世代が近い息子さんが自衛隊を退職後、その退職金を元にパンクロックバンドが存分にパフォーマンスできる店を秋田に作ろうと決意したのだが、オープン直前に交通事故に遭い、車椅子生活を余儀なくされる事態に陥ってしまったらしい。それでも彼はめげす支援者たちとともに店を経営し、日々奮闘していたのだが、無理がたたって難病も併発し、常時店長を続けていくのは困難な状況となった。そんな息子さんの窮地に、いてもたってもいられなくなった母親であるママさんが店の責任者となり、現在に至っているらしい。
昨年はスウィンドル初の落語会ということで、告知しても集客がおぼつかず、ママさんが親類縁者を集めて、盛大に落語会を開いてくださった。今年は地元で人気のある弾き語りのアマチュアミュージシャンをオープニングアクトに付けてくれたおかげで、比較的若い男女の方々が落語会に足を運んで下さった。お客さんたちもスタッフ同様、ママさんの人柄に惹かれて店の常連になったような方々ばかりで、聞けばママさんが、日々地元の若いバンドマンたちを、今はまだ過程の段階なのだから、と励まし、奮起させているらしい。
客席の一番後ろに車椅子に座った男性がいた。ママさんが、息子さんは落語を観たがっているのだが、体調がすぐれないので今日は無理かもしれない、そうおっしゃっていたのだが、彼はとうとう最後まで私の拙い落語に付き合ってくれた。三席目の人情噺では、お客さんを泣かせなければならないのに、不覚にもこちらが涙を流してしまった。高座から励ますどころか、励ましてもらっている。お前はそれでもプロか、と楽屋で自らを叱責するようにひとりごちた。
楽屋のテーブルに、お茶といぶりがっこが置かれているのに気がついた。昨年同様、ママさんが用意してくれたのだろう。ライヴハウスにいぶりがっこ。不思議な取り合わせこそが気遣いの証。口に入れ、がりっと噛むと、ほんのり甘酸っぱい、それでいてほろ苦さを感じさせる味が、口演を癒してくれるかのように口中に広がった。力強い歯ごたえ、深い味わい。まさに秋田の人のようだ、と私は思った。