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落ち葉とノラ・ジョーンズ

D.Y


約 1960

私がflyfishingという渓流釣りに出会ったのは5年前。ちょうど職場の人間関係に疲れていた時期に、関連会社から出向してきた男性と会社を出るタイミングが一緒になって、なんとなく飲みに行ったのが始まりで、その人が今や私の師匠。各々週末を利用して釣りに出かけるが、年に4、5回程度は二人で釣りに行きお互いの釣果を称えあう仲なのである。そして、いつしか1年の締めくくりを師匠のお気に入りの川がある遠野で毎年迎える様になっていた。
去年の秋は師匠とタイミングが合わず遠野へは一人旅となった。
「次はもっと大きく」、「次はもっときれいな」と念を送りながら奥へ奥へと足を進めていると川が二股に分かれるポイントに着いた。左の沢が本筋のようが、なぜかこの日は右の沢が無性に気になった。何かに誘われる様に右側に足が進む。1時間ほど釣りあがっただろうか、川の上流の方から人が話しているような声がしてきた。足を止め、よくよく耳を澄ましてみるとどうやら話し声ではなく流れの奥の方から聞こえてくる滝の響きの様だ。人気のない山の奥深くに行くと、このような「人の話し声」が聞こえることがある。結局は自然が織りなす音が周波数の関係で話し声のように聞こえるだけの様だが、たまに本当に空耳なのか不安になることがある。気味は悪いが、前に進む。秋の魚たちは産卵場所を求めて遡上するので、滝は魚が集まる絶好のポイントとなっているからである。しばらく進むと2mほどの高さの滝が見えてきた。さほど大きくもない滝だがその直下の滝壺は大きく深い。いかにも大物が居付きそうな感じだった。
どれだけ時間が経っただろうか、魚がいる雰囲気は十分なのだが滝壺からの反応が無い。自分の実力不足を認めるのが嫌だったので、この場所には魚が留守だったということにして諦めた。
木々の隙間から見える空は高く、薄い青色が透き通っていた。ちょうど良さげな岩に腰をおろし、荷物を下ろす。朝からずっと自然の中に居たはずなのに急に濃度が増してくる。深い自然を五感で感じながら、コンビニのおにぎりを2個食べる。満たされなかったお腹にバス停で民宿のご主人にもらったリンゴがちょうど良かった。
腹が満たされ川岸から少し離れた落ち葉の積もった場所にシートを広げ、リュックを枕にして横になってみる。さっきまでは釣ることに夢中でなんとなくしか感じてなかった周りの景色に息をのむ。川岸から見える木々は広葉樹ばかり、所々で紅葉は始まり、風の強弱に合わせてハラハラと落ち葉が漂う。日差しは柔らかでも葉が落ちたぶんだけ川岸へはたっぷりの光が届くようになり、遠野特有の砂地の白を眩しいくらい照らしていた。枕にしているリュックの固いところが気になり中身を整える、固い物体は熊対策に念のため持ってきたスピーカーだった。「この場所なら大音量で音楽聞いても苦情はこないな。」そう思い、電源を入れスマートフォンと通信を繋ぎ音量を最大値にして再生ボタンを押した。選曲がばっちりすぎて鳥肌が立った。
【渓流、紅葉、落ち葉とノラ・ジョーンズ】奇しくも最高の組み合わせがここに完成しました。
大きめの落ち葉が仰向けになった顔にはらりと着地したのをきっかけに目が覚め、体はそのままに、目を開け頭をもたげた。アルバムは終わり、さっきまでの景色にじんわり影がしみ込んできていた。どうやら2時間ほどの昼寝だったようだ。体の上にも落ち葉が数十枚落ちていた。気味悪いと感じていた雰囲気はそこには無く、優しく私に「もうそろそろ帰った方がいいですよ。」と教えてくれている様な気がした。
道路に出て秋空を見上げながら民宿へと坂を下りながら、初めて遠野に来た時のことを思い出す。部署移動をきっかけに、なれない業務と微妙な人間関係の駆け引きに巻き込まれ鬱気味だった私を釣りに誘ってくれたのが師匠だった。初めて1年目は1匹も釣ることができなかったが、2年目の夏に初めてイワナを釣り上げ、その年の秋、初めて遠野に誘ってもらった。白い川底、清らかな水、なだらかな流れ、豊かな木々に、力強い魚たち。ありのままの自然の全てが美しかった。2日間たっぷり楽しんで東京に帰ったあと、私の体に変化が訪れた。続いていた瞼の痙攣が消え、アレルギー症状がピタッと止まったのだ。それから今まで鬱とみられる症状が顔を出すことは一度も無かった。私は師匠と遠野の自然に救ってもらったのだ。
そして今、1年ぶりの遠野に向けて東北道をひたすら北へ向かっている。師匠が運転し、助手席には私。そして後部座席には私の初めての弟子となるべく新人が、先輩社員の悪口を散々言い散らかして疲れて寝てしまっている。最終日はあの場所でノラ・ジョーンズを3人で聴いている風景を想像する私は、自然と笑顔になっていた。