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風土は語る

I.S


約 2106

北海道の帯広から岩手県を訪ねてみたいと思ったのは、三陸海岸にある大槌町浪板の丘に立つ、「風の電話」を創った男に会ってみたいと思ったからである。
大槌町は、東日本大震災で壊滅的な被害を受け、人口の10%近い1285名の人たちを亡くし、今も400名以上が行方不明のままだ。復興が本格的になった現在、町外への人口流出が23%にも及び、町の再建にも問題を抱えている。そのような所に震災後、突如に「風の電話」なるものが現れ、大切な人を亡くした人たちが、線のつながっていない黒電話で心の対話を通して癒されている。しかも、被災地だけでなく世界各地から人々がメディアを含めて来ているというのだ。確かに、昨今愛する人たちを失う大災害、事故が多過ぎる。大切な人を亡くした悲しみは世界に共通する普遍的な感情であり、多くの人たちの共感を得ているということなのだろう。世界中の注目を集める「風の電話」を創った男に会い、なぜそのような発想をすることができたのか聞いてみたいと思うのである。
岩手というと、文学、地質、天文、鉱物、農業に才能を発揮した宮沢賢治がいる。賢治が花巻農業高校を退職し羅須地人協会を設立し、農業の実践者になる1年前、1925年1月5日、「みんなに義理を欠き、荒んだ海辺の原や/林の底に渦巻く雪に/からだをいためて来るだけ」と「異途への出発」を詠み、4泊5日の三陸海岸を旅行している。この時の賢治は、今までの心象的な文学者から求道的農業の実践者に転換するという気持を秘めていた。
1月8日には、宮古を午前0時発の三陸汽船に乗り午前2時30分山田の船着き場で下船する。浜街道を月明りの中16km歩き大槌に入った。大槌川の荒れた河原で休み、詩「旅程幻想」を構想した。前年の旱害や不漁による農漁民の生活の苦しさを想い、不安になっている様子が読み取れる。その日は釜石の叔父、宮沢磯吉の家に泊まり、1月9日に釜石から軽便鉄道に乗り、仙人峠を徒歩で越え花巻に帰り4泊5日の旅を終えている。
ここで注目したいのは、1925年1月8日賢治は大槌に来ているという事実だ。2015年1月8日早朝、大槌町にある「風の電話」は強風により倒壊した。「風の電話」倒壊のニュースは、その日の昼には電子版で全国にネット配信された。その後から、「風の電話」を設置した男の家には電話やファックス、メールでお見舞と支援の申し出が続いたと云う。その頃、隣町の山田町に住む大工 Mさんが倒壊電話ボックスの様子を見に来ていた。震災で義母を亡くし何回か「風の電話」を利用していた。ニュースを見て、いても立ってもいられず様子を見に来たのだ。彼は、壊れた電話ボックスを見て「大丈夫これなら直せる、明日から始めるから」と言い、多くの人たちの心配をよそに1週間ほどで修理は終わり、再び「風の電話ボックス」は浪板の丘に立ち上がったのだった。
彼は、賢治が理想とする生き方を自然体で出来ている人なのかも知れない。
後で聞いた話だが、設置者の男は倒壊時、落胆した気持ちと、もう一方で高揚する感情を抑えることが出来なかったと云う。「賢治さんが1925年1月8日大槌に来た同じ日に、90年の時空を超えて自分に会いに来た」と感じたそうで、その感覚は私にも共感できた。
岩手という風土に対して他所にはない何かを感じ始めていた。誰か困っている人がいれば行って手を貸してやる。行動に表すという宮沢賢治の精神を、普段着のまま実践できている人たちが岩手の町にはいることを知り、強烈な感動を覚えた。人は生きる上で感動をもって生きることが豊かな人生を送る基本であると思っている。心のケアが必要な人たちにもこの感動する心を取り戻すことが悲嘆を克服することにつながると考えている。遺族の悲嘆に寄り添う人達はいるが、人には自然治癒力があり、大切な人を亡くした喪失後の状況に適応する力を持っている。最終的には、悲嘆を克服し元の生きる力を取り戻すのは、自分自身の意志なのだと考えている。
私は、「風の電話」の男に何故そのような発想が出てきたのか尋ねた。彼は「山に移住し多くの時間を動植物と過ごしてきた。そして、物言わないそれ等動植物にも心を通わせることが出来ることを知った。だから、亡くなった人にも想いを伝えることが出来るはずだと考えた。自然に発想できたことだ。」と話し、さらに「自分はケアの専門家でも教育を受けたわけではない、只、風の電話を創り、周囲の環境を整え、人が本来持っている生命力に働きかけ、自分自身の力でグリーフを克服するきっかけづくりをしているに過ぎない、」と語っていた。
私は考えた。「風の電話」というのは祈りの場所であり、癒しの「場」なのだ。そこに身を置くことで、人々は自分の力を再び取り戻し、「生きる」希望につながるのだと理解できた。
正に、宮沢賢治を育んだ岩手の人ならではの発想なのだと感じられた。
地方創生が叫ばれて久しいが、魅力溢れる地方の在り方としてこのような風土、気風を持つ岩手の人たちが持続可能な生活が出来るような地方創生であって欲しいものだと独り言ち、私の心の旅は終わった。