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落語家婆ちゃんとラッキー爺ちゃんへ
川の流れのように……

亀山佳子


約 2515

 

今年の六月一四日、我が家の九十八歳の婆ちゃんが安らかな寝顔で天国に旅立った。

長年元気が取り柄だった婆ちゃんはいつも「するやいなや!」の掛け声に、「アズ・スーン・ネイズ」と発音の良い英語でサッと答えていた。他にも、「水田(みずた)に苗を」と言うと「ウエンズデイ」と、「お土産持って」「ごぶサタデイ」、「木刀(ぼくとう)腰に」「サースデイ」など、いつも面白いジョークを言って周りの人を楽しませていた。以前、いつもの病院に定期検診に行った時の事。医師に「どうですか、どこか悪い所はないですか?」と聞かれ、婆ちゃんは少し考えて、「そうね~~、懐(ふところ)事情かしらね~?」と言って目の前の医師も周りの看護師さんも笑わせてしまった。耳が遠くてなかなか聞こえが悪かったので、「すみませんね~、何処も悪い所はないんだけど、耳だけがあっちの方に行っちゃってね~」とどんどん面白い言葉が湧き出てくる人だった。あまりの面白さにいつしか、私は落語家婆ちゃんと命名した。

 

そんな落語家婆ちゃんが今年の一月半ばに体調を崩し入院した。その時は二週間ほどで回復したが、その後再入院した時は最後の一ヶ月間は病院のベッドの上だけの生活になってしまった。元気な時は「毎日おいしく三度ごはん食べました 長生きの第一条件」と紙に書いていたと言うのに、段々食べ物が喉を通らなくなってしまった。亡くなる三日前、病院から家族全員が呼ばれた。「今日持ちますか?」と聞くと、主治医は「持ちません」とはっきり言った。駆け付けた親戚達十一人は落胆し泣いていた。それでも落語家婆ちゃんは来ている一人一人に笑いかけたり、フラダンスの様に手を動かしたりして皆を驚かせた。酸素マスクも付けられ、心拍数や酸素量を示すモニターは、時折ピーピーと音を立てて皆をヒヤリとさせた。当の本人は逆に元気に振る舞っているようだった。

 

落語家婆ちゃんはいつも私の長男の事を第一王子、二男の事は第二王子、三男の事も第三王子と呼んでいた。その夜は第一王子と第三王子の二人が泊まり込んでくれることになった。翌日も、落語家婆ちゃんが家長(カチョー)と呼んでいた息子でもある私の主人と第二王子が泊まる事になった。夜中、非常に危ない状態だと連絡が入った。直ぐに駆けつけると心拍数の波動はかなり大きく、呼吸の音もハーハーと苦しそうだった。しかし私達がベッドの側まで行き、声を掛けるとまだ意識があった。瞼の奥の黒い瞳は、キラキラと光っていた。そして、何かを訴えていた。もう声は出せなくなっていたが、「ありがとう、お爺ちゃんは大丈夫?」と言っているように見えた。つい二、三ヵ月前も、自分の事より私の父の事を、「父上はいかがでしょう。心配しています。」と紙に書いてくれていた。よく考えたら落語家婆ちゃんは、父とは何年も会っていなかったと言うのにちゃんと覚えていて、いつもいつも気遣ってくれていた。

七月末日、落語家婆ちゃんの四十九日と納骨の日の早朝、父が亡くなったと連絡が入った。何を置いてでも直ぐにでも飛んで行きたかった。不幸は重なるものだとはよく聞いてはいたが、本当にこんなことがあるんだ。何とか間に合えばと祈っていたのだがその願いは届かなかった。

 

父の別名は「ラッキー爺ちゃん」。息子たちが幼い頃、私の実家でラッキーと言うプードル犬を飼っていた。その名前から息子たちは「ラッキー爺ちゃん」「ラッキー婆ちゃん」と呼ぶようになった。ラッキー爺ちゃんは昔から色が黒く体も大きかったので見るからに強そうで恐いイメージだった。喋り方も怒りっぽく、私達の子育ての時も長く泣かせていると「もういつまでも泣かすな」と怒るのでいつもみんなピリピリしていた。若い時は仕事と遊びにも手を抜くことなく一生懸命やる人だったので、ゴルフやマージャンも人一倍上手かった。しかし八年前に長年連れ添ったラッキー婆ちゃんを亡くしてから、最初の内は一人暮らしも頑張ってはいたが、段々気力もなくなってしまった。足腰も不自由になり、入退院を繰り返すようになってしまった。月に一度会いに行くと、「何とか二足歩行が出来るようになればええんやけどなぁ、もうお前んとこも行けんな」と寂しそうに郷里の広島弁で話していた。

 

最終的には自宅から一時間程離れた施設に入所する事になり、完全にベッドの上の生活になってしまってからは、もう家に戻ることはないと悟っていたのだろう。施設では自分から誰かに話しかけることもなく月日が流れていく中、私が訪ねて行くと、何を話す訳でもないが側に居るだけで心が通じると感じた。痩せこけた身体を見ると辛くなったが時々、「足の裏が痛い」や、「背中が痒い」と威張った口調は以前とちっとも変わっていなかった。必ず美味しいバニラアイスを一つ買って行き、大きな口に少しずつ食べさせると「うまいな~」と喜んでくれたが、二口、三口で「もうええわ」と言っていた。そんなやりとりがとても幸せだった。テレビにイヤホンを付けて聴いていたので天気予報から政治の事、最期まで高校野球とオリンピック、広島カープも応援していたと言うのにさぞ心残りだったと思う。

 

死後の世界では本人たちは死んだと思っていないと言う。落語家婆ちゃんの時もそう感じた。亡くなった後はすべて上から見ていると聞いたことがある。もしかしたら遠く離れているラッキー爺ちゃんのことを想い、社交的だった落語家婆ちゃんが、「お爺ちゃん、お久しぶりですねぇ、どうぞどうぞ」と呼んでくれたのだと思った。それに、よっぽど一人でお墓に入れられるのが嫌だったのか、納骨をしようとしたその瞬間、どしゃぶりの雨になった。終わった後はまた直ぐに晴れて来た。やっぱり落語家婆ちゃんは最期まで笑わせてくれたね。どうか天国でも面白い話をしながら、私達の事をずっと見守っていて下さいね!宜しくお願いします。

かけがえのない二つの光は、ほぼ時を同じくして穏やかな川の流れのように逝ってしまった。父の葬儀の最後に流れていた美空ひばりのあの曲が今も聞こえる。