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赤いパンプスの女

那田尚史


約 2352

学生の頃、朝10時ぐらいの東西線に乗って早稲田から高田馬場まで座っていた。酒に疲れた頭でぼんやりと向かいの席に並んだ乗客の足元を見ていると、正面に真っ赤なパンプスが目に止まった。その赤いパンプスはひどく赤土に汚れていた。前夜雨が降っていたわけではないのに、なぜ赤土がついているのだろう、と不思議に思って視線を上げた。視線の先に完璧な顔の美人がうつむいて文庫本を読んでいた。まるでゴミ置き場に真っ赤なバラが一輪咲いているかのようで、混雑した電車の中では一際目立ってその女の体の周りが白く輝いていた。俺はその女の顔をうっとりと見つめた。東京にはこんな綺麗な女性がいるんだ、と胸をときめかした。すると、女性は顔を上げ、アーモンド色の瞳をきらりと輝かせて私の目を直視し、にっこりと微笑した。俺は胸がどきどきして慌てて視線をそらせた。

 

高田馬場駅でその女は降りた。後を追いかけたかったが、人ごみにその人は消えてしまった。その女性の美貌、微笑した瞳の美しさ、赤土の付いた赤い靴、俺は一目ぼれした。しばらくは探偵のように、靴に付いた赤土の原因を推理してみた。本当に不思議だ。雨も降っていないのになぜ赤土に汚れたのか。また、東京の土は関東ローム層が堆積しているから黒いのが普通である。赤土があるとすれば特殊な工事現場ぐらいだが、一体彼女は、どこを歩いていたのか。なぜか頭の中に、横浜の港の近くで泣きながら泥道を歩いているあの女の姿が映画の一場面のように映った。ちょうど、男と別れてきたんだろう。だから半ばヤケになって、男と視線が合ったときに微笑を返したのではないか、とも考えた。あんな綺麗な瞳で赤の他人に目線を合わせて微笑むような、そんな澄んだ心の人間が、この世にいるとは思えない。一体どんな人なんだろう。俺の頭の中は、その女のことで一杯になった。もう二度と会えるはずがないだけに、その恋心は強く、つらかった。

 

ところが、会うはずがない相手に再会したのだ。
人でごった返している高田馬場駅の前をぼんやりと歩いていたら、その女が目の前で自転車から降りて、坂の向こうへ歩いていった。その歩く姿を見て愕然とした。彼女は小児麻痺の後遺症でもあるらしく、腰が少し片側に突き出て、足を引きずって歩いていったのである。彼女は身体障害者だったのだ。

 

俺はその姿を見て、胸が苦しくなった。哀れんだのではない。ますます彼女に心を奪われてしまったのである。美というものはどこか捩れているほうがいい、と俺は常々思っていた。風呂屋の壁に描かれたペンキ絵の富士山のように完全なプロポーションのものは平板でつまらない。美は乱調にある。あんな美人が身体障害者だというのは、俺にとってはますます魅力的で、更にいえばより性的な存在に思えた。それから、人格形成の面から見ても、なに不自由なく育った美人よりも、自分の身体に劣等感を抱いて育った美人のほうが、人生の悲哀を知っている分ずっと人に親切にできるに違いない。最初に会ったとき、俺の目を直視して微笑んだのは、彼女がああいう体に生まれたからではないか。そう思った。

 

注意してみていると、彼女は毎日同じ場所に自転車を止めていた。どこかに勤めに出ているのだろう。ハンドルの前に籐のカゴの付いた特徴のある自転車を見るたびに俺の心は熱くなった。そしてついにラブレターを書いた。「あなたに一目ぼれしました。少しの時間でいいから話してください」といった内容の手紙を書いて、いつもの自転車のカゴに入れようとしたのだが、胸がどきどきしてどうしても手紙を入れることが出来なかった。俺は自分の小心さに腹立たしさを覚えながら、その人のことを諦めようと努力した。

 

夜、酔っ払って高田馬場の住宅街を歩いていると、狭い上り坂の途中に洋館風のアパートがあった。そのアパートの前には大きなカリンの木が植えてあって、家の前を通り過ぎると高貴な香りが鼻をなで、何故か俺は、あんな美人はこんな家に住んでいるに違いないと思ったものだ。

 

赤いパンプスに泥をつけた、美しい障害者。カリンのあるアパートで暮らしている。なんていいんだろう。俺は現実と空想をごちゃまぜにして、その女性のイメージを膨らませ、苦しい胸に自分勝手な絵を描いた。もうこの人とは一生、一言も話すことなくお互いにこの世から消えてしまう。そのはかなく辛い現実の前で、俺は女のようによろめき、胸を押さえて、立ち止まっていた。

 

それから何年たったことだろう。高田馬場にある公立の図書館に用事があって、広い図書館の中を歩き回っていたときに、視聴覚ライブラリーの受付にあの女が座っていたのである。彼女はそこに勤める職員で、だから毎日駅前に自転車を置いて通っていたのだ。

 

しかし、俺はそのときもう胸をふるわせることはなかった。そのとき俺は、美人で金持ちで高慢で鼻持ちならない韓国の留学生と同棲していて、肉欲の虜になっていたからである。風呂屋に描かれたペンキ絵の富士山を愛撫しているうちに、俺は赤い靴の女の特別な美しさを忘れてしまっていたのだ。

 

今、つくづく後悔している。下らぬ肉欲に溺れていた俺の心から、あの赤い靴の女の面影が消えてしまったことを。なぜあの時、受付にいる女性に声をかける気持ちになれなかったのか。肉欲は罪である。臆病は罪である。

 

本当にもう一生会うことが出来ないあの女。今はどんな暮らしをしているだろう。
あなたは、なぜあの時赤いパンプスに赤土をつけていたのですか?
なぜ俺を見て、にっこり微笑んだのですか?
あなたの声を聞かせてください。