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短編集 1,スーパーエリート 2,パラレルワールド 3,自由 4,宝くじ 5,遠い恋人

夢原夜星


約 15784

スーパーエリート

世界は広い。どこにどんな凄い人物がいるか判らない。

凄い人物、と一言でいっても内容は種々様々である。疲れを知らぬバイタリティーの持主、メカニックな理知の持主、百桁の数字を一瞬で暗記してしまう能力の持主、人心を魅了する芸術作品を生み出す才能の持主、誰彼上手く丸め込む十枚舌の持主、どんな女も口説き落とせる才能の持主、などなど色々である。しかし、ここに登場する青年は本格的な意味で想像を絶する人物なのである。

おもうに、世界中の人々の最大の失意は何かというと、それは仕事上のトラブルでもなければ、家庭内のもろもろの悩みでもない。病気、失恋、死別でもないし、容姿の問題でもないだろう。一言でいうなれば、『頭が良くない』という苦悩なのである。もっと端的にいうなれば『頭が悪い』ということなのだ。

自分はどうしてこんなに頭が悪いのだろうと思っている人は星の数ほどいるが、自分はなんでこんなに頭が良いのだろうと思っている人は皆無に近いのではなかろうか。もしも本気で「俺はなんて頭が良いのだろう」と考えている人がいたとしたら、それは単に井の中の蛙か誇大妄想狂、もしくはパラノイアの類に過ぎない。この世には何事にも、上には上があり、下には下がある。世界一優秀な人間と世界一下等な人間がいるのは厳然たる事実なのだ。つまりこの世には、世界一は一人、世界最低は一人、トップとラストは各々二人しかいないのである。残りすべての人々はすべからく、その中間に位置する凡人なのである。

普通人々は誰でも、以下に記すこんな感慨に浸るものではないだろうか。もっと頭が良かったらどんな難しい大学にも一発合格できるだろう、スムーズに立身出世ができるだろう、どんな素晴らしい女でも簡単に娶れるだろう、皆からチヤホヤされ黙っていても人々は畏敬の目で自分を見るだろう、エリートコースを独走し金は後から舞い込んでくるだろう、などなどと。我々多くの凡夫は、常にこうした見果てぬ夢に苦悶するものなのだ。

そうした凡夫の割拠するこの世界に、ある日一人の青年が登場したのである。彼の名は明孔。生後三ヶ月で歩き始め、一歳半で読み書き算盤をマスター。小学校低学年で代数幾何をクリアーし、中学生でアインシュタインの特殊相対性理論の欠点を指摘するという神童であった。日本で最難関と云われている大学の入試問題を三日連続の徹夜の後、すらすら解いてしまい、ミスが一問もないという凄さである。日本の大学では学ぶべきことが何もないといい、彼は世界で一番難しいと云われているE国のO大学にトップで入学した。もちろん受験勉強はわずか一週間しただけである。その後彼は、O大学を悠々首席で卒業した。各新聞社や放送局は話題の天才青年を連日取り上げ、大々的に報道し続けた。

卒業と同時に、彼のもとには首相直々の電話が入り、

「ぜひ、私の後継者として総理に就任してほしい」という申し出や、超大手企業の社長から、

「私の椅子をすぐ明け渡すから、我社に来てほしい」

「月給一億円で我社にぜひ!」などなどの申し込みが殺到した。

しかし、真に頭脳明晰な人間の考えることは一味も二味も違うものだ。明孔はそうしたすべての申し出をあっさり断わり、A製薬会社に就職することを決意した。彼は「この世からすべての病気が消滅しない限り、人類に本当の幸福は訪れない」と考え、「不治の病を完全に断つための薬の開発を」という崇高な理念のもとに、A製薬会社の門を叩いたのであった。この選択を知った各報道機関は、すぐさま彼の偉大なヒューマニズム、着眼点の卓抜性、新薬完成の高い可能性、などを競って報じた。 こうして、鳴り物入りで入社した明孔に、A製薬会社の社長は感涙を流しながら、

「貴方様が新薬を開発するために必要な特別研究室は、ご注文通りすでに完成しております。どうぞご自由に心ゆくまでお使い下さいませ」

と言って土下座した。案内された研究室は、社長室の十倍以上の大きさで、新薬開発に必要な機材薬品はすべて揃っていた。

翌日から明孔は彼専用の特別研究室に入り、どんな類の薬を作るべきかを考えた。現在人類に恐れられている不治の病はガンやエイズ、慢性疲労症候群やMRSAなどがある。けれど、それらの病気を治せる薬はそう遠からず誰かの手によって開発されるだろう。それよりも、人類の歴史を通じて連綿と続き、現代医学でもまったく見通しのつかぬ、お手上げ状態の病がある。それを治す薬を作るのが私の使命なのだ。そういう結論を出し、さっそく明孔は不治の病を撲滅する新薬開発に乗り出すことにした。社長や重役たちは、

「必要な物があれば何なりとお申し付け下さい」と言うので、明孔は、「私は完璧な孤独状態にならなければ目的を達成できない性分です。誰も私の研究室には入れないで下さい。もちろん電話などかけてもらっては困ります。おそらく一年くらいは部屋から出られないことになろうかと思います。ですから、一年分の食料を用意して下さい」と頼んだ。

注文通りの用意が整い、明孔は施錠をして研究室に籠った。社長や重役たちは口々に、

「やはり天才は外界の騒音を嫌うものなのだな。それにしても世界最高の頭脳でさえ一年もかかるのだから、さぞかし世間をアッと言わせるような素晴らしい新薬ができるのだろう」と囁きあった。

その日から、社内には社長命令の戒厳令がしかれた。報道関係者はじめ部外者の社内出入りはおろか、社員が研究室のドアに触れることも、研究室に面した廊下を歩くことも許されなくなった。こうした厳しい緊張した雰囲気の中で、二ヶ月、五ヶ月、八ヶ月と月日は流れていった。

社長はじめすべての社員は、部屋から一歩も姿を見せない明孔の様子や新薬開発の進み具合が気にはなっていた。が、特別研究室の中には、風呂もトイレも調理場も寝室もあるので、彼の生活上の心配は不要であった。

明孔が籠った日から、ちょうど一年が経った。その日、全社員が大部屋に宴会場を設け、明孔が新薬をひっさげて颯爽と登場するのを待った。一年間も完全な孤独状態で研究に没頭してくれたのだから、盛大にねぎらって差し上げたい、という気持ちが皆の心に溢れていた。

けれど朝が昼になり、昼が夕方になり、またたくまに夜になっても、明孔の研究室のドアは硬く閉じたままであった。たまりかねた社長が数名の部下を連れて研究室を訪れ、ドアをノックした。が、返事がない。

仕方がないのでマスターキーを取り出して錠を回し、ドアを開けた。

一歩中に入った社長や部下たちは「アッ」と言うなり絶句した。椅子に腰掛けたミイラが一体。服装や恰好からそのミイラが明孔であることはすぐに判った。部下の一人が机上に置かれた一枚の紙切れを見つけた。そこにはこう書かれていた。「天才である私の乾燥した体を粉末にすると万能薬になる。特に頭が悪いという不治の病には抜群に良く効く」

超エリートとして名を馳せた彼の遺言は完全に無視され、逆に世にも珍しい『馬鹿の見本』として全国紙に掲載されたのは云うまでもない。

 

 

パラレルワールド

札幌時計台の鐘が午後9時を告げた時。

都心のはずれにそびえたつ高層マンションのある部屋では、若い夫婦と二人の幼い息子が、テレビの前のソファーに深々と腰を落として、画面を見ながら笑っていた。

隣の部屋では、帰りの遅い夫の夕食の準備に妻がキッチンで調理をしていた。パジャマ姿の娘はリビングの中央に置いてあるガラステーブルの上で絵本を見ていた。

さらにその隣の部屋では、若妻が愛人を部屋に招き入れ不倫に没頭していた。夫が明日まで出張なので冷めきってしまった夫婦関係のストレスをこうして埋めているのだった。

その隣部屋には強盗が侵入し、室内を物色していた。主不在の時間を狙って犯行に及んでいた。現金化できそうな貴金属類をメインに盗みを働いていた。

そしてその隣部屋では、老夫婦が若かりし頃のアルバムを開き、ココアを飲みながら楽しそうにページをめくっていた。山あり谷ありだった人生も振り返るとあっという間だったねと楽しそうに語り合っていた。

その上の階の部屋では、遺書を書き終えたばかりの若い青年が自殺をしようと天井に吊るしたロープに首を入れ、乗っている椅子から脚を外そうとしていた。

その隣部屋では、中年夫婦が互いを罵り合いながら、離婚問題でもめていた。夫のDVに耐えきれなくなった妻が離婚話を切りだし、互いを非難し続けるだけの連続だった。

その一階上の部屋では、塾から帰って来たばかりの小学生が親に向かって暴言を吐き散らしていた。幼いうちから明けても暮れても勉強、勉強の毎日。遊べないストレスが昂じていらいらしていたのだ。

その隣の部屋では、国会議員の秘書が大企業の業者に威圧を加え、多額の政治献金を受け取っていた。

首都高では70代の老人の運転するベンツが大型トラックに追突して玉突き事故が発生し、多数の死傷者が出ていた。

隣の県では料理店からの出火が強風にあおられて瞬く間に広がり、消防車が列をなして出動。消火活動もままならないほどの大火災になっていた。

ハワイ沖ではアメリカの富豪達の乗るレジデンス型豪華客船が沈没していくところだった。

ドイツではワールドカップの決勝戦が終わり、母国ドイツの優勝で国中が歓喜の渦に飲み込まれていた。

スペインでは高級デパート内で自爆テロが発生。多数の死傷者がでる大惨事となったが、隣の教会では市長の息子が贅をこらした大々的な結婚式を、数え切れないほどの来賓の祝福の中で行っていた。

中近東では狂気宗教集団によるジェノサイドが果てしなく繰り返され、インターネット上にその様子が生々しく映し出されていた。

宇宙のかなたでは、らせん星雲の超新星が大爆発。さらに火星と木星の間から直径13㎞もある小惑星が、猛スピードで地球に向かっていた。アメリカは最新型の迎撃ミサイルを発射するかどうかで緊急議会が招集され、パニック状態になった議員たちが大統領の指令を待っているところだった。
 

 

自由

雨の日のことだった。

田園調布駅に電車が止まり扉が開いた。

まばらな車内へ子供連れの若い婦人が乗り込んできた。身綺麗な装いの上品な婦人だ。子供は婦人の手を解いて空席へ走り、座席の上に両膝をついて窓ガラスに顔を当てた。婦人はにこやかな微笑を浮かべながら子供の横に腰をおろした。

電車が走り出した。子供は窓を流れる景色に目を注ぎながら、少しも休まずそわそわと体を動かしていた。そのたびに土足が座席を擦り、泥がシートを汚していった。

子供の傍らに腰掛けていた老婆は、自分の着物が泥靴で擦られることを心配して、時折り婦人に視線で訴えるのだが、婦人は全く無視して子供の仕草を嬉しそうに眺めているだけだった。

子供は次第に足を大きく左右に動かし始め、ついに老婆の綺麗な着物を土足で擦りだした。いたたまれなくなった老婆は婦人に遠慮がちな調子で哀訴した。

「あの、済みませんが、お子さんをちゃんと席に座らせて下さいませんか?」

ところが見るからに上品そうなその婦人は、

「あたくし、子供は自由にのびのびと育てる主義ですの」

と言って、老婆の頼みに取り合おうとしなかった。

子供はますます調子にのって座席と老婆の着物を泥に染めていった。他の乗客はその様子を知りながら、見て見ぬふりをしていた。たまりかねた老婆がもう一度婦人に訴えようとした時、一人の男がつかつかと歩いて来て、婦人の前で立ち止まった。

奇妙な恰好の男だった。どう控え目に見てもセンスの欠片さえなかった。ちりぢりのパーマ頭にミラーグラス。真赤なシャツに黒いジャケットを羽織り、けばけばしい光を放つペンダントと指環をつけていた。下はつぎはぎだらけのジーンズに白いウエスタンブーツだ。

婦人は嫌悪と軽蔑のこもった目で男を見上げると、顔をしかめてすぐに視線を逸した。その時、突然男は婦人の綺麗な顔に唾を吐きかけた。婦人はギャッと叫んで男を睨んだ。

「何するのよ、薄汚ない無頼漢!」

「俺は自由にのびのびと育てられたんだ」

男は吐き捨てるようにそう言うと、次の停車駅に降りていった。

 

 

熱中症

暑い!ものすごい暑さだ。

地球温暖化による異常気象が猛威をふるい、今年の夏は、全国各地で観測史上最高の気温を記録する場所が相次いだ。電車の線路は暑さのためにねじ曲がり、アスファルトの路面はあちこちで溶け出し、オフィスのエアコンはフル稼動。そのため、電力会社は発電能力の限界を超えて、あちこちで故障が続発した。

テレビのニュースによると、長野県ではもはやレタスやリンゴが作れなくなり、バナナやパパイヤ・マンゴーの栽培に切り替える農家が続出しているらしい。また、南極の氷山が溶け出して海水面が上昇したため、南の島々は次々と水没し始めているとのことだ。

地球規模の高温現象の中、日本では真夏の風物詩、高校野球が熱戦を繰り広げていた。プロ野球は見ないが、高校野球は大好きだという人がたくさんいる。プロ野球と違い、一度でも負ければそれですべてが終わるという緊迫感や真剣味が受けるのかもしれない。

そんな日本の片田舎に、高校野球の大好きな中年男がいた。一球入魂だ。

今日は、甲子園球場で高校野球の決勝戦が行なわれる日。待ちに待った日だ。入魂はこの日の来るのを昨年の決勝戦の翌日から、首を長くして待っていたのである。彼は友人や知人から『高校野球の熱中症』とあだ名をつけられるほどの高校野球ファンだった。

地方大会の初戦から見逃すことなく見つづけてきた高校野球。三度の飯より好きなこの夏のイベントを見つづけるため、半年以上かけて体力作りに励んできた。甲子園での決勝戦が終わるまで、一試合も見落とすことができない。そのために体調を崩すことができないからだ。

入魂は地方大会の初日から甲子園での決勝が終わるまでの一月半は、年次有給休暇や夏期厚生休暇などをフルに使って仕事を休む。そして日がな一日、テレビの前に一人陣取り、野球に没頭するのだった。テレビ中継に集中するために室内のドアや窓はすべて締め切り、カーテンを引いて部屋を暗くする。そのため、室内はうだるような暑さになるが、入魂はエアコンを使うことはない。エアコンそのものがないからだ。サウナ風呂のような室内で汗をかきながら観戦するのである。

「高校生が灼熱の炎天下で真剣勝負をしているのに、俺だけが涼しい部屋でビールを飲みながら野球観戦できるか!」

これが彼の持論でありポリシーだった。本当は金がもったいなくてエアコンを買わないだけなのだが、いかにも高校生に配慮したような精神論を持ち出すあたりがこの男の特徴だった。

入魂は決勝戦の始まる午後1時までの時間を、蒸し暑い環境に耐えるための体力強化と銘打って、ジョギング・ウォーキング・腕立て伏せ・匍匐前進などの筋力強化トレーニングに当てるのだった・・・。

午後1時。甲子園球場の気温は41℃とアナウンスされた。ホームベース前に集合して挨拶を交わす選手たちの額や頬からはすでに汗が滴り落ちていた。

灼熱の太陽の下で、決勝戦開始のサイレンが鳴り響いた。いよいよ試合が始まった。地球温暖化による史上最高の気温の中での決勝戦!

「これこそ最高の舞台での戦いにふさわしい暑さだ」

入魂は室温43℃の自室の中で、テレビに向かって叫んだ。うちわも扇風機も使わず、薄暗がりの中で、全身汗だくになりながら一人テレビにかじりつくその姿は不気味で異様な雰囲気だった。

試合は厳しい暑さの中で、厳しい展開が繰り広げられていった。厳しい攻防の続く中、3回裏が終了した時点で、気温は42℃を越し、ますます暑くなる気配がテレビから流れてきた。スタンドの売り子のアイスは溶けてクリームになり、カキ氷はただのシロップになって売り物にならなくなっていた。缶ビールは熱燗ビールになりとても飲める代物ではなかった。

チェンジの度に、選手たちは滝のような汗を流しながらベンチに戻り、ベンチからグラウンドに戻る時は、2リットル入りのスポーツドリンクが空になっているというありさまだった。

4回表が始まった。ピッチャーが汗だくのボールを投げた。打者は汗だくのバットを思い切り振った。ボールはバットの真に当たり、打球はセンター方向にぐんぐん伸びていった。

センターの深いところで飛球の落下を待っていた選手が捕球直前、突然芝生に倒れた。芝生に足を取られて倒れたという様子ではなく、まるでボクシングでノックアウトされたような倒れ方だった。

打者は打者で、1塁を蹴って2塁を目ざしていた時、突然倒れて動かなくなってしまった。

熱中症だった。野手も打者もあまりの暑さに耐え切れず、熱中症の餌食になってしまったのだ。倒れた選手たちが球場から担架で運び出されていく。両チームの監督は、控えの選手をきゅうきょ当てがい、試合が再開された。

バッターが構え、ピッチャーが振りかぶった。ピッチャーの投げた剛速球が飛んできた。球は砂煙をあげてキャッチャーのミットに飛び込んだ。ストライクかボールか。キャッチャーは審判の判定を待った。が、主審の声が聞こえてこない。キャッチャーがおそるおそる振り向くと、主審が大の字で伸びていた。熱中症だった。

悪夢のような熱中症がグラウンドにいる人々を次々に襲った。決勝戦のため、試合を中止するわけにもいかず、控えの審判や選手が矢継ぎ早に投入されるという、空前絶後の悲惨な戦いになっていった。まさに高校野球の球史に残る試合になったのである。

アルプススタンドに陣取る観客の半数も熱中症に罹り、担架のピストン輸送が延々と続いた。そのうち、担架を運んでいる者まで熱中症になるという悲惨な光景がテレビに映し出された。

5時間に及ぶ長期戦が終わり、テレビが野球中継を終了しても、入魂はテレビの前で微動だにしなかった。夜が訪れ、朝日が昇っても、入魂はテレビの前から動く気配がなかった。

彼は、高校野球への熱中症と締め切った室温の暑さによる熱中症、つまりダブル熱中症で試合観戦中に絶命していたのである。

 

2007・9・4

 

 

宝くじ

現代の日本は、世界各国から金満大国・経済大国というレッテルを貼られ、人々は老若男女を問わず、あり余る金を使って消費にいそしんでいる。

高級レストランでは、一食二万円もする料理が惜し気もなく食べ残され、無残にも巨大なポリバケツに直行する。レストランの裏口から運び出される幾つものポリバケツには、毎日、山盛りの残飯が詰まっている。

かつては戸外に縛り付けられていた犬や、野良鼠を追いかけ廻していた猫が、今では完全暖房の座敷で偉そうに鎮座している。しかも連中の餌は人間様の食べ物以上に栄養バランスのとれた代物ときている。

都会は異様なまでの活気に満ち、企業は昼夜兼行で次々と新製品を送り出す。人々は限りない貪欲さで新品を求め、まだまだ充分使えるものでも、情容赦なく捨てていく。冷蔵庫、洗濯機、テレビ、ステレオ、エアコン等々電化製品は言うに及ばず、高級車や邸宅、さらには人間までをも捨ててしまう。現今、これだけ離婚が増えたのも、簡単にものを捨てる習慣が人々の間に浸透したせいであろう。日本では、捨てるのは物だけでなく、今や人間もその対象になってしまったのだ。『消費は美徳』と叫んだ首相の思惑は、完全に実現したのである。そんな黄金の国、ジパングの片隅に、珍しい人物がいた。

田丸堪忍は極貧だった。およそ現代の日本国で、これほどの貧乏人が存在するだろうか、と云うくらいの貧乏人であった。

広い通りに面した彼の家はプレハブ造り。屋根はトタン張りで、随所が錆て穴が開いている。二つしかない小さな窓はガラス窓ではない。セロファン紙を貼りつけただけのものである。そのセロファンもあちこち破れ、風が自由に出入りしていた。

家の中は六畳一間のみである。堪忍と女房と七人の子供、しめて九人がその一間で暮らしている。家財道具はダンボール箱のテーブルが一つに、家族全員分の食器(それも粘土を固めて乾かしただけのお碗と、そこいらの木の枝を折って作った箸)があるだけである。

トイレはない。外に掘った穴で用を足す。台所もない。食料はごみ置場に幾らでも捨ててある。上流・中流家庭の出した残飯を拾ってきて食べるだけなので、台所の必要性がないのだ。エンゲル係数は当然0%になる。奇妙な現象に思えるが、食料はまったく買わない(より正確に言うと、買えない)のでこの数値は常に0%のままなのである。数字だけで言えば田丸家は世界一の大富豪だ。我が家はエンゲル係数5%だ7%だなどとうそぶいている輩は、田丸家に比べると相当貧乏なのである。

また、夜明けと共に起き、日没と同時に寝るので、照明器具は一つもない。六畳一間に九人もの人間が詰め込まれているのだから、暖房器具はまったく不要である。要するに光熱費が一切かからないので、電気が来ていない。寝具は古新聞紙である。資源ごみ置場に束ねて置いてある古新聞を拾ってきて布団にする。これがまた大変温かいのである。

水は幾らでも川にあるので水道など必要がない。夜、どうしても照明の必要な時は、五年に一本の割合で使う蝋燭を用いる。もちろん、火打ち石で火をつけるのである。

子供が七人、というのも不思議ではない。長く暗く貧しい夜にできる仕事といったらあれしかないのであるから、子供が多いのは当然である。昔の人は『貧乏人の子沢山』という言葉を残したが、まさに急所を突いた不滅の名言である。

田丸はなぜ、こんなに貧乏なのか。彼には古代ギリシャの哲人ディオゲネスのようなポリシーがあったのであろうか。否。現代の消費大国日本への反発からあえて赤貧の生活をしているのであろうか。否、である。彼のウルトラ貧乏には、ちゃんとした理由があったのである。

彼の勤務先は、小さな町の小さな鈑金工場であった。社員は三人。社長一人に部長が一人、そして平社員の彼一人である。いつ倒産してもおかしくないくらいの傾いた工場ではあったが、しぶとく生き延びていた。まさに田丸家のようなものである。田丸には職場も仕事もあるわけだから、毎月月給は手に入る。それも人並みの給料は受け取っていたのである。当然、生活保護法の対象外である。では、その人並みの金はどこにいってしまうのか。田丸は受け取った金を、なんと、全額宝くじに投入してしまうのであった。もちろん夏冬のボーナスもすべてジャンボ宝くじに注ぎ込んでしまうのである。

田丸が宝くじにのめり込んだのは十年前であった。ふとした出来心から三枚買った宝くじが運良く当選し、五万円がふところに入ったのである。『僅かな投資で、沢山の利益』に味をしめ、それ以降、病み付きになってしまったのであった。堅実の権化、とまで云われていた田丸であったが、その日を境に変身を遂げたのである。

女房は再三再四、

「父ちゃん、少しは家にも金を入れてくれや」

と言うのだが、田丸は、

「月々の微々たるはした金を入れてどうするというんだ。今にドカッと大金当てて皆に楽させてやるから、それまで我慢せい。人間、辛抱だ!」

と言って、まったく取り合う気配すらない。子供たちは生れた時から赤貧の生活に慣れているとはいえ、

「父ちゃん、たまには菓子でも食いてえよう」

「年に一度で良いからジュースがほしい」

などとダダをこねる時もある。が、田丸は、

「菓子やジュースは毒漬けだ。そんなもん口に入れたら身体をこわすぞ」

と言って、ひたすらなだめるのであった。育ち盛りの子供にしてみれば、おやつをほしがるのは当然であろう。人並みに菓子も食べたいだろうし、ジュースもほしかろう。けれど、菓子ひとつ、ジュース一本買う金すらないのである。それでも子供たちは、常々田丸の言う、

「大金が当たったら、豪邸建てて、外車を買って、毎晩寿司とステーキの豪華版だ。待っとれ」

という言葉をひたすら信じ、健気にもじっと我慢の子でいるのであった。まさに現代の美談と云うべきであろう。

近所の住人たちは、遥か以前から田丸のことを、変人、奇人、怪人と呼んで相手にしなかった。が、田丸にはそんな外評、風評などどこ吹く風でまったくこたえなかった。むしろ、セロファンの破れた窓から吹き込む隙間風のほうが身にこたえたくらいであった。誰に何と言われようと、誰が何も言わなくなろうと、田丸は給料日になるとそそくさと宝くじ売場に足を運ぶのだった。

年の瀬もおしつまったある日、月給袋と賞与袋を握りしめて宝くじ売場に急いだ田丸は、有金すべてを注ぎ込んで年末ジャンボ宝くじを購入した。束になった宝くじを店員から手渡された時の快感!その快感は、いつもそうなのだが、応えられなかった。月に一度の快感を得るためだけに、彼は家族を犠牲にし、なりふりかまわぬ生活をしている、といっても過言ではなかった。特に夏のサマージャンボ宝くじと冬の年末ジャンボ宝くじは、給料とボーナスをすべて注ぎ込めるので、かなりの枚数を買うことができる。いきおい、夢も快感も膨らむのである。

夕闇迫る厳寒の中を田丸は晴れやかな顔で家路を急ぐのであった。『男は常に大きな夢を抱いていなければいけない。すべてを注ぎ込めるような対象を持てない奴は小心者なのだ』と一人呟きながら、家族の待つうすら寒い家に急いだ。

年末年始には、どこの家でも御馳走を沢山作るので、その分、残飯も多く出る。田丸家にとってはそれが何よりも有難く、年の瀬は食料に事欠くということはなかった。女房子供たちは、帰宅途中田丸が拾ってきた沢山の残飯の御馳走に、舌鼓をうつのであった。年の瀬は、田丸家にも幸をもたらす貴重な時期であった。

そんな年の瀬もまたたくまに過ぎ、新年が訪れた。言わずもがな、田丸家にはテレビがない。ラジオもないし新聞も取っていないので、宝くじの当選発表を元旦に見ることはできなかった。

数日後、資源ごみの置場から拾ってきた古新聞を見た田丸は、一瞬、我と我目を疑った。宝くじの当選発表欄に、年末に購入した宝くじと同じ番号が載っているではないか。それも一等の欄に。もちろん、連番購入なので、当然前後賞もついてであった。何と、何と、一等、前後賞合わせて七億二千万円!目が霞み、頭が朦朧として、ただ、

「あわ、あわ、あわわ……」

とうなるだけであった。

家中が大騒ぎになったのは云うまでもない。女房は、

「盛大にお祝いしましょうや、今年は新年早々縁起が良いねえ。ああ、八百万の神々様、どうも有難うごぜえました」

と言って、近くのスーパーへ御馳走を買出しに出掛けようとしたが、一円の現金すら無いことをすっかり失念していたのであった。子供たちは、ここぞとばかりに田丸の肩を叩いたり、足をもんだりの出血大サービスをした。

それにしても、長い歳月であった。一等を射止めるまでの辛く長い年月が、走馬灯のように田丸の脳裏を過っていった。

「苦節十年。遥かな道程であった」

と田丸は、いかにも偉そうに、いかにも感慨深げに、家族を前にして呟くのであった。が、その呟きも女房子供のダミ声にかき消された。

「父ちゃん、さっそく家を新築して電気を通そうや」

と女房。

「カッコイイ外車を買って乗せてくれ」

「高級レストランで最高の料理が食いてえ」

「こんな古新聞の下着はもう嫌だ。絹のパンツがはきてえよう」

「きれいな水を飲ましてくれ」

と子供たちは口々に注文を出すのであった……。

数日後、小高く積まれた札束を前にして、田丸は独り瞑想に耽っていた。『一億で家を新築。一千万であらゆる家財道具と電化製品を購入し、五千万で超高級車を買う。それから五百万で家族全員の洋服・下着を好きなだけ買い、残りはすべて銀行に預金する。これだけの額の定期預金があれば、利子だけで充分人並みの生活ができるはずだ』。大金の使途について目途がつきかけた時、突然彼の脳裏に、電光石火のように素晴らしい考えが閃いた。『そうだ、七億二千万円すべてを再び宝くじに投資しよう!』。彼は天啓にも似た閃きに、うち震えるのであった。

当然、妻子は猛然と反対した。

「何馬鹿なこと言ってんの、止めてけんろ」

「約束が違うじゃないか」

「父ちゃん、狂気がさらに悪化したな」

「いい加減にしたらどうだ」

等々、悪口雑言の数限りを浴びせかけられたが、田丸はじっと沈黙を守り通したのであった。その無言の表情は、

「お前たちのような軽い人間に、俺の深遠な思惑が解るものか」

とでも言いたげな様子に見えた。が、実は、彼は宝くじを買い、その束をもらう時のあの何ものにも替えがたい快感が、すっかり病み付きになってしまっていただけなのである。宝くじの束が多ければ多いほど、天にも昇る心地になるのである。十年のキャリアの怖さであった。まさに中毒そのものであった。

こうして彼は、家族の期待や願望をことごとく裏切り、再び、七億二千万円全額を宝くじに投入したのであった。そして、

「今度は一等を二、三枚は当ててやるから見ておれ」

と啖呵を切ったのである。女房子供は言われた通り見ていたが、結果は一枚も当たらず、大金は忽然と皆の前から消え去ったのであった。

 

 

遠い恋人

その朝、浩明は、いつもより遅い時間に目覚めた。連日の深夜に及ぶ仕事の疲れがたまっていた。蓄積疲労で体がだるい。頭もスッキリしない。三十二歳で独身の浩明は、朝食を作る元気もなく、食べる気分にもなれず、布団の中から窓越しに外の景色を見ていた。

新緑の木々の間を、小鳥がさえずりながら飛び交っている。空は青く澄みわたり、好天気だ。

磯部浩明は、日本能力開発機構というシンクタンクの構成メンバーだった。抜群の記憶力をかわれて採用された一人だった。シンクタンクはフレックスタイムシステムを採っているため、出社・退社時間は自由である。学生時代から朝に弱い浩明にとっては、都合の良い組織だった。

いつもは車で出勤するのだが、その日は車に乗る気分になれず、バスで出かけることにした。遅い食事を済ませ、背広に着替えて浩明は社宅を出た。バス停までは歩いて十分だ。爽やかなそよ風を頬に受け、浩明はゆっくりした足どりで停留所に向かった。

バス停には何人かの男女の姿があった。浩明は後ろに並び、仕事の資料に目を落としたまま、バスの来るのを待った。

どのくらい待った時だろう。後ろから、

「もしもし…」

と、呼びかけられた。振り向くと、若い女が立っていた。その顔を見た瞬間、浩明は心の中に何ともいえない不思議な想いが沸き上がってくるのを感じた。望郷の念のような想いだ。幼い頃、夢中で遊んだ玩具が、突然目の前に現われたような感覚だ。この女性は……。浩明は、不可思議な気持ちを胸に秘め、若くて美しい女の顔を凝視し続けた。

驚いたのは彼女のほうだった。見ず知らずの男にじっと見つめられるのだから、目のやり場がなかった。彼女は困惑気味な表情になり、消え入りそうな声でそっと言った。

「あの…、ハンカチが落ちましたけれど…」

彼女の声でハッと我にかえった浩明は、急いで礼を言うと、視線をそらした。バスに乗ってからも、浩明は、乗客の間に見え隠れする彼女の横顔を見つめ続けた。いつか、どこかで会ったことがあるような気がして仕方がなかったのだ。いつだったのか。どこだったのか。それとも単なる他人の空似か。浩明はいくら考えても、思い出せなかった。

会社に着いても、彼女の面影が脳裏から離れなかった。仕事中も、時々彼女の顔が浮かんできた。同僚からは、

「どうしたんだ、今日はやけに顔色が冴えないぞ」

と、声をかけられた。確かに、連日の疲労もあった。だが、そんなことよりも、彼女の存在が自分でも不思議なくらい、気になって仕方がなかったのだ。

帰宅してから浩明は、大学時代の卒業アルバムを開いてみた。もしかしたら大学時代の顔見知りかもしれない、と思ったからだ。だが、アルバムに彼女の顔はなかった。浩明は苦笑した。大学時代の人なら、思い出すのにこんな苦労はしないからだ。続いて浩明は、高校、中学、小学校のアルバムを繙いてみた。が、やはり無駄だった。保育園時代の写真にも彼女の姿は写っていなかった。

浩明は、ロッキングチェアーに身を委ね、思い出せる限りの女の顔を、記憶のスクリーンに映し出してみた。だが、優れた記憶力を自認する浩明も、バス停の彼女のことだけは、どうしても記憶のストックから引き出すことができなかった。

「やはり、俺の記憶違いか。他人の空似だったんだな」

と、浩明は、独り呟いた。

翌朝、浩明は、昨日と同じ時間にバス停に行った。もしかしたら、彼女がいるかもしれないと思ったからだ。昨夜、口では思い出すのを断念した浩明だったが、心の中ではどうしても諦め切れなかったのだ。

案の定、彼女はいた。待ち人は幸運にも彼女だけだった。浩明は彼女に近づき、

「昨日は、どうも…」

と、声をかけた。彼女は少し顔を赤らめ、

「いえ…」

と、答えた。浩明は、思い切って彼女に尋ねた。

「あの、失礼ですが、どこかでお会いしたことはないでしょうか」

「いいえ…、存じ上げませんが」

と、浩明を見ながら彼女は答えた。浩明は、僣越だとは思ったが、どうしても自分の記憶を確認したかったため、彼女に色々質問した。彼女は意外にも、嫌な顔もせず穏やかに応じてくれた。だが…、仕事も学歴も出身地もまったく違うということが判明しただけだった。

「たいへん失礼しました。ただ、昨日、あなたの顔を見た時、まったくの赤の他人だとは思えなかったのです」

と、浩明は正直に弁明した。

「いえ、構いませんことよ。人違いは、どなたにもあることですわ」

と言って、彼女は初めてにこっとほほ笑んだ。

素敵な人だった。ショートヘアーと目尻のほくろがチャーミングだった。やわらかな物腰、穏やかな口調、気品のある顔だち。

そして左手の薬指の指輪。彼女は、既婚者だったのである。

バスの中でも、二人は断続的な会話を続けた。浩明にしてみれば、昨日初めて会った女性とはいえ、以前から良く知っている人のような気がしていたので、自然に話しができた。

会社前の停留所で、浩明は、彼女にお辞儀をして下車した。

それきり、浩明は、彼女に会うことがなかった。彼はふたたび自動車通勤に戻ったからだ。たまにバスに乗っても、彼女に会うことはなかった。彼の脳裏からは、しだいに彼女の面影が消えていった。浩明はシンクタンクの有力メンバーとして、記憶力を活かしたビジネスを推進していった。

花は散り、木々の緑は変色し、木枯らしが舞って、月日は流れ、ふたたび春が訪れた。

そんなある日、浩明は、偶然にも再度彼女と出逢った。昨年と同じバス停だった。

「こんにちは、お久しぶりです」

と、浩明は快活に挨拶した。彼女はたおやかな微笑をたたえ、ゆっくり会釈した。一年ぶりに見る彼女は、どことなくもの静かで、寂し気な様子だった。原因はすぐに判った。左手の薬指にはめていた結婚指輪がなかった。夫に先立たれた彼女は、未亡人になっていたのである。

「ご愁傷様です。どうか、早く元気を取り戻して下さい」

浩明は喪心から悔やみの言葉を述べ、励ましの言葉も添えた。

その後、共に独りの浩明と彼女は、会話を重ね、時の流れの中で二人だけの時間を重ねていった。春の公園で、夏の海辺で、秋の喫茶店で、冬のレストランで…。

彼女と過ごす時間は、いつも充実していた。といっても、彼女は恋人でも、愛人でもなかった。幼い頃からずっと知っている、気心の知れた友人のような存在だった。

「前にも言ったとおり、私は昔からあなたを知っているような気がしてならないのです」

穏やかなバロック音楽の流れる喫茶店の中で、浩明は彼女に言った。

「不思議ですわね。でも、わたくしたちの出逢いは、昨年のバス停が初めてですわ。もしかしたら、わたくしに似ている女性がいたのでは…」

「いえ、それはありません。確信を持って言えます」

会話の最後は、いつもこの話しに戻っていた。浩明は、彼女を見ていると、どうしてもある種のノスタルジーを感じてしまうのだった。

そんなある日、浩明は、仕事で国立資料図書館に出かけた。記憶遺伝学の系譜を調べて、自分の仕事の参考にするためだった。

膨大な資料の揃った書棚から、あらかじめ目星を付けておいた書籍数冊を抜き取り、机の上に置いた。浩明は、必要な部分だけをピックアップしながら、どんどん読み進んだ。

三冊目の書物は、写真の多い学術書だった。浩明は、そのぶ厚い本をパラパラ捲ってみた。記憶遺伝学に関与した世界中の学者や識者が満載されていた。どんな分野にしろ、発見開発進歩には、こんなに多くの人材のリレーがあるのだ。浩明は、そんな感慨に浸りながらページを捲っていった。そして後半のあるページを一枚捲った時、彼の手は動かなくなり、顔が青ざめていった。

浩明は、そのページに載っている写真を凝視していた。まばたきも忘れ、写真を食い入るように見つめ続けた。写真には若い男と女が、肩を寄せ合うようにして写っていた。男の顔は、浩明にそっくりだったのだ。そして、女の顔も彼女に瓜二つだったのである。どちらもまるで生き写しだった。浩明は、鏡を見ているような錯覚に落ち込んだ。口が乾き、手が震えているのが自分でも良く判った。

『谷口広一郎。一九二十年生まれ。日本遺伝子学の発展に貢献し、臨床医学の立場から、数々の遺伝子上の謎を解明した人物。将来を嘱望されていたが、世に名声を確立する前、惜しくも交通事故で一九六十年五月九日、死去。傍らの女性、文子は当時恋人。のち広一郎の妻となる。良妻の誉れ高き女性だったが、一九六五年七月三日、若くして病死』

浩明は、写真の下の簡単な解説を読んで愕然とした。浩明に生き写しの広一郎の死去した日が、なんと浩明の誕生日。そして同じく文子の死んだ日が、彼女の誕生日だったのである。

生き写し…。生まれ変わり…。俺が広一郎…。彼女が文子…。前世…。輪廻転生…。

彼女とは、前世からの付き合いだったのだろうか。思い出せそうで、思い出せなかった彼女の謎が、ふっと解けたような気がした。いつも脳裏の片隅に絡んでいたおぼろな記憶のしこりが、氷解していくようだった。浩明は、静かに本を閉じると、深いため息をついた。

図書館を出ると、初夏の風が流れ、川の水面がキラキラ輝いていた。

「遠い恋人…か」

浩明は、果てしなく続く深い青空を見上げながら、一人呟いた。