有難うの反対は何でしょう?
亀山佳子
約 1078
三カ月前の父の葬儀の際に、住職からのお話しがあった。「有難うの反対は何だと思いますか?」との質問から始まった。いつも父方の法事の時はお坊さんがお経の後に説法を唱えてくれる。「有難う」の反対は「当たり前」
「有難う」は漢字で書くと「有難う」と書き、「有難(ありがた)し」と言う意味だ。いつも何気なく使っているその言葉がその日からとても気になるようになった。「有る事が難しい」「まれである」「めったにない事にめぐりあう」そんな奇跡的な意味があったのかと凄く興味が湧いた。説法を聞いても理解力の乏しい私には直ぐには意味が分からなかった。調べると奇跡の反対も「当然」や「当たり前」だった。今年は私にとって悲しい出来事が起こった。姑との別れと父との別れ。両方の別れを経験し心の底から有難うの意味を追求したくなった。
姑は生前からよく「有難う」と言ってくれていた。長年一緒に暮らしている中で、あまりにも何度も言うので時々煩わしいと思うこともあった。そんな時は「はい、はいどう致しまして」とだけは返していた。そして父の介護には毎月実家に通ってはいたが、まだ元気で一人暮らしが大丈夫だった頃は、元々口調がきついので、ついつい喧嘩になることもあった。そんな時は『もう来ないよ』とも思った。でもその後は必ず、寂しそうに背中を丸めながら、「ありがと、ありがと」と言っていた。私自身も二人の介護が必要になって来た頃に、「有難う」の言葉に段々『そんなの当たり前だよ』と思える様になった。
姑は息を引き取る寸前までも「有難う」と言ってくれているように見えた。私も姑には心から「有難う」と「当たり前」を繰り返した。父の場合は、遠く離れた施設に入っていたので、最後に会った時は「また来るからね」と言うと、口癖の「ありがと、ありがと」を言ってくれた。もう会えるか分からないと思っていたのかも知れない。そんな時でも、社交辞令を忘れなかった父は、「皆さんに宜しくお伝えくだちゃい」「良いお年をお迎えくだちゃい」と呂律の回らない口調で言った言葉は今も鮮明に残っている。こんなことならもっと早く、「当たり前のことよ」と優しく言って上げれば良かったな~と後悔する。本当に言葉って大事だなと心から思う。
今は、嬉しい事があれば必ず「有難う」を言うようにしているが……でも何か、一番側にいる人には照れ臭くてなかなか言えないんだ。これからはなるべく忘れないように心掛けて暮らしたい。そして今あるこの時を「当たり前」に過ごせていられることに有難き幸せだという事も。