読み手と書き手の交流サイト

読むCafe
 

たーさんと利益のある関係

牛路田 獏


約 2050

先月ここで紹介した文庫本、拙著「ウィーンの天辺~第1楽章」。

ベートーヴェンの生涯を初小説化したものであるが、その道のりは簡単ではなかった。成立までに30年かかったし、残り3巻書くためにはこの第一楽章が飛ぶように売れなければならない。

さて、「読むカフェ」でこうして書かせてもらっているのは精進のためである。それができているのはミスドの常連「たーさん」という年配の変わり者がいてくれるからだ。

最初、エッセイ「たーさん」を読んだ編集部の方から個人的な意見で「何らかの利益を期待して人間関係を求める人が多いなかで、必要とされていることに感謝し、たーさんとの関係を続けられる牛路田様に、感慨深い気持ちになった」といわれて驚いた。

私はこの狭い世間体で、そんな利益を得られるような人脈に出会ったことは一度もない。Facebookやtwitterのフォロワーにも、たしかに出版社に勤めている人はいる。だが興味を持ってくれる人はゼロ。地方にいるのだ。周囲の人脈もなくて当たり前、と思っている。「ウィーンの天辺」の2巻目の出版の見通しは暗い。

誰か拾ってくれないかー、と探しても、今のところまったく利益のない、たーさんがいるくらい。彼は私にとって毒になることはあっても、得になることもない。ところがある日、たーさんが帰ったあと、ミラクルが起きた。たーさんが帰ったあと、その席についた女性Sさんが声を掛けてきたのだ。私はゲラに朱入れしている最中だった。

「あの、すみません。作家さんか編集者の方ですか?」

「はあ」

「私、今、締め切りすぎてるのに書けなくて困ってるんです! こういう時、どうしてますか!?」

ミラクル! この街に同業者がいたなんて! と、私は思わずときめいた。

「ありゃ~、一番難しい問題ですね(笑)起承転結の中のどれが書けてないんですか」

「うんとー、『承』です」

こういう時、私は、少しでも力になりたいと思ってしまうたちだ。そこで、ちょっと考えてから、こう答えた。

「私は、この間、たまたま読んだ本がきっかけで突然、書けたことがあったんですけど……本読むかぁ……。でも、そんなヒマ、ないんですよねー?」

「えっ! なに読んだんですか!?」

私は、ただ私の立場だったから、という条件を付けて、ある作家の本を教えた。それからお互いの境遇を話し合って盛り上がった。帰り際には私のほうから「とりあえず頑張って」と励まし、ミスドを去った。この時、26歳のSさんは「今度、食事しましょう」とか「温泉行きましょう」など随分誘ってきた。だが私はSさんがプロだからといって、出版社への紹介に取り入ろうとは思わなかったのだ。なぜならそのあと数回会ううち、Sさんがあまりに世間知らずで、失礼なことをたびたび平気で口にしたからである。Sさんは実家で暮らしていながら作家をやっている。彼女は恵まれている、と私は思った。だが、それ以上に世間知らずの彼女との会話はストレスになった。

「毎日、速度とリズムが、エブリデイ違うからね」

と、たーさんは言う。わかるようで、さっぱりわからないのが彼の真骨頂だ。

私にとって、たーさんの存在がストレスになるときも確かにある。ただ、毎日の速度とリズムが違うのを、身をもって知っているたーさんだから、私がたまにミスドに現れなくても、彼が私を心配することはないので気軽である。

そんな、たーさんに昨年末、早めのクリスマス・プレゼントをあげたら、ひどく喜んでいた。しかし、次の日、プレゼントの感想を訊こうとしたら、

「クリスマスに開けるから、神棚にお供えしてある」

と、きたもんだ。ずっこけた。宗教に境目がない。そして私はその昨年中に「ウィーンの天辺」を3巻目まで書き終わった。1巻が売れもしれないのに、書き続けている。

「一巻の終わり」となること。

正直、それが一番恐い。だから、誰かにすがりたい気持ちはいっぱいである。

私にとってSさんとの会話はストレスが何倍もしんどいものだった。会うと酷く力が奪われるので、ミスドでかち合わないようにまでした。そう、利益関係ができるかもしれないというのに。そしてSさんは出会って数ヶ月後、

「私は世間知らずだから、もっといろんな仕事をしたいんです」

と言って、都会に引っ越していった。世間知らずなのは知っていたらしい。私は大いにエールを送った。だが彼女が仕事に就いて二ヶ月ぐらいしてから、私のほうから元気でやっているかとメールを送ったのに、丸っきり梨の礫。……結局、彼女は世間知らずのままのようだ。もう、これも一巻の終わりかと、彼女との縁はなかったんだと思うことにした。

海水温を色分けするための10色のペンを、クリスマス・プレゼントとして私からもらい受けて狂喜していた、たーさんを見て、こっちのほうが幸せな気分になれた。

ベートーヴェンよ売れてくれー、とひとりごつも、たーさんと一緒になって脇道にそれるから、私の前に利益になる人は現れないのかなあ。