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芙美子と大震災、そして尾道に|林芙美子 「放浪記」を創る(6)

だぶんやぶんこ


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 残された芙美子は、ありえない結末を理解できない。毎日泣いた。

尾道ではこのようなぶざまな敗北をしたことがなかったからだ。

しかも、芙美子を頼って母と沢井が東京に来ている。

岡野と芙美子が結婚し、岡野が得る収入を当てにしているのだ。

プライドを傷つけられ、恥ずかしく情けなく、岡野に対する憤り、人生に対する絶望に打ちひしがれる。

同時に芙美子自身を客観視する余裕もあった。

幼少時より世間の表裏を見てきた芙美子だ。

岡野の裏切りも理解できなくはない。

次第に、報われない愛に賭けた芙美子が愛しくて、泣く芙美子となっていく。

そして、この切ない想いは素晴らしい詩になると、大笑いもする。

泣くのと笑うのは、芙美子にとって表裏一体でどうにでもなる。

この時から、放浪記の原型となる「歌日記」を書き始める。

ひとりで生きる、わびしく苦しい生活が始まったが、岡野を気にしない暮らしも、それはそれで楽しい。

居直った芙美子は食べるために、手っ取り早くお金になるカフェの仕事、女給を選ぶ。

カフェと言っても喫茶店のウエートレスからバー・クラブのホステスまでいろいろな店がある。

ただ、この頃の女給は無給が多く、客が出すチップを頼りにして稼ぐ。

力次第でいくらでも稼げたが、反面、不特定多数の接客では全然稼げず、身体で個人的に稼ぐ方向に進む女給も多い。

だが、芙美子にはピッタリの仕事だった。

お酒の席ではあるが話術によって多額のチップを得る接客は、得意だった。

芙美子は、初めて取り組んだ女給の仕事にどぎまぎしながら、次第に慣れ、得意の話術で客の心をつかみ、客はチップを弾み、収入も増える。

自分で稼ぎで、自分で思うように使えるお金ができた。

岡野の去った暮らしもなかなかいいもんだと、ほっと一息ついた、1923年9月、関東大震災が起きる。

本郷根津権現の下宿にたった一人で居た芙美子に大震災が襲ったのだ。

最初の大揺れに、この世の終わりが来たと思い、今まで世話になった人たちの顔を思い浮かべ、何も応える事のないまま死んでしまうのを許してと、しおらしく目を閉じた。

「もう死んでしまう。どうすることもできない。どうでもいい。死んでもいい」と覚悟した。

次々、余震が起きる。

そのたびに目を深く閉じ、手を握りしめ別れの言葉をいろいろ考えた。

だが、次第に収まり、五体満足で生き残っている事を感じ始める。

目を見開き、少しずつ周りの状況を凝視していく。

火の手が上がるのを、ぼーっと見ながら立ち上がり見渡すと、倒れている人々がはっきり見えた。

芙美子は耳元で「生きなさい。大丈夫」とささやく声が、聞こえた気がした。

しばらくぼんやりとなにがどうなったのか思い巡らす。

より冷静になってきた。

そうなると、勇気と好奇心がモクモクもたげる。

「二度と出来ないかもしれない経験だ、すべてを目に留め書き残していこう」と意欲が湧く。

岡野が去って6ヶ月、たった一人のわびしい生活に嫌気がさしていた時だった。

あまりに悲惨な状況だが、与えられた試練だと、受け止めることができた。

二度と帰らないかもしれないと、ぐちゃぐちゃになった住まいの整理を始める。

もう冷静だ、母と沢井が気になってきた。

一晩一人で明かし、必要なものすべてを身につけ母、キクと養父、沢井を探しに出発する。

「よし―」と気合を入れ歩き始めた。

そして、ただの物質と化した多くの人々を見、自分の身の回りに気を遣うこともなくただ生きることを願い我先にのたうち回る傷ついた人々をじっと見た。

見続けると笑えてきて愉快だった。

誰からも本当の自分を見透かされまいと、演技してきた自分がおかしかった。

吐き気を抑えつつ、涙があふれるあまりに悲しい状況だけれど、人は皆同じなのだと確信が持てた。

「明日を考えても何が起きるかわからない、今を生きるしかない」と余裕で悟る自分が頼もしかった。

疲れ、見るのが苦しくなっても、歩き続けた。

母も沢井も亡くなってしまった気がした、それもしょうがないと思いながらひたすら歩く。

母と沢井の住む西新宿十二社に着く。

すぐに、元気な二人を見つけることができた。

なぜか嬉し涙があふれてとまらない。

「会いたかった。よかった」と抱き合った。

母と沢井はまだ恐怖におびえていた。

芙美子20歳で、母は56歳。

立場が変わったことをひしひし感じた。

母と沢井の面倒を見なければならないのだ。

「受けて立とう。私なら出来る」と覚悟を決める。

すると、度胸が据わり、自分でも驚くほどの元気があふれ出る。

芙美子が動き始めると早い。

すぐに、避難船として用意された灘の酒運搬船を見つける。

大阪まで便乗を願うと、尾道から出て来た身寄りのない親子だと同情され、快く了解された。大阪に着く。

大阪には何気ない普通の日常があった。

「信じられない。今まで見てきたものは何だったのか」と3人で大笑いした。

生き残ったのだ。

母と沢井は、沢井の仲間を頼り四国高松に向かった。

芙美子が行くべきところは、尾道しかない。尾道にもどる。

岡野の住む、そして天使のいた尾道で、次の道を探すのだ。

この世のものとは思えない光景を見続け優しく抱きしめてほしかった。

まっさきに岡野に会いに行く。

岡野はやさしく迎えてはくれたが、もう縁のない人だった。

お金を借りて、食事を得て、別れた。

芙美子が予期していたとおりだった。

それでも、腹ごしらえをし、望みは達した。

「会いたかった」と言いたい人は他にも幾人もいた。

旧友や恩師に会い、世話になりつつ二ヶ月近く尾道にいた。

だが、どこにも居場所はなかった。

尾道の景色はいつも変わらず優しくて、落ち着きを取り戻すことができたが。

相談できる人は、今井先生しかいなかった。

芙美子は恩師に東京で綴った詩作を見せる。

今井は感銘し興奮して「きっと作家として成功する」と断言した。

先生の心のこもった情熱的な言葉で忘れていた自分を思い出す。

勇気がよみがえった。

先生は作家としての名前を林芙美子とするよう勧めた。

戸籍名は林フミコだったが「漢字の芙美子のほうが作家らしい」と言ってくれた。

最悪の情況の中で、作家、林芙美子が誕生する。

それでも、空気がぱんぱんに入り、軽やかに飛ぶように、四国高松にいる母のもとに行く。

母は東京での芙美子の八方ふさがりの状況を見ており、芙美子の顔をまともに見なかった。

芙美子の手配で、思いのほか早く高松に帰れたことは感謝したが、失敗続きの芙美子が何を話そうと真面目に聞かない。

芙美子は気にせず一方的に作家としてのバラ色の未来を話した。

芙美子が話し続けると、少しづつ母は納得し元気になっていく。

行商を頑張ると言い出した。

母と沢井を元気にさせると、しばらく居候する。

母は迷惑がったが、芙美子は母と共にいるとのんびり過ごせ、心穏やかになりいい気分なのだ。

母と沢井の面倒を見ると決意しながら母の厄介になるが「まだまだ初まったばかりだ。先がある」とうなづく。