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 直虎の父、直盛|井伊直虎の生涯 前編(4)

だぶんやぶんこ


約 6486

直宗の死に唇をかみしめる直平、家中に緊張感が漂う中で、(なお)(とら)に代る嫡男が生まれないまま、直盛は井伊家当主となる。

それでも、直盛は、なぜか落ち着いていた。

(なお)(とら)の成長に満足し、きっと良い道が開くと思えたからだ。

(なお)(とら)のすべてがよく似て我が分身だと心の底から思え、(なお)(とら)がいればそれで良かった。

知力体力申し分なく、井伊家を託すに足る姫だと溺愛した。

直盛は持てるものすべてを(なお)(とら)に受け継がせたいと、四歳から武芸・兵法を教えた。

(なお)(とら)も嬉々として父の教えを受けた。

父が教えることは大好きなことばかりだった。

父の喜ぶ顔を見たくて、父に褒められたくて、武芸に励み、めきめき上達していた。

この頃は、誰が見ても所作は井伊家後継の嫡男だった。

ただ大きな声は出さず寡黙な男の子として数少ない侍女・小姓・近習に囲まれていた。

(なお)(とら)は、不可思議な育てられ方をしているとは思わず、細かく決められた日課を嬉々としてこなした。

毎日が充実しており、のびのびとたくましく育つ。

直盛が(なお)(とら)の小姓としたのが、同年齢の一門筆頭、中野(なかの)(なお)(よし)の子、直之。

直由の妻や娘も共に家族ぐるみで仕えた。

 直盛が家督を継いで、家中を率いる体制ができると、四〇歳に近づいた。

次の後継者を家中にも義元にもはっきり示さなくてはならない時が来た。

難題だが、乗り越えなくてはならないと気を確かにする。

千賀と相談、ついに結論をだす。

一五四三年、(なお)(とら)七歳は姫であり婿養子を迎えて家督を引き継がせると家中に伝える。

ここから、(なお)(とら)は男子ではなく姫となる。

嫡男として、男の子として育っていたのが、急に姫となり、学ぶべきことも変わり驚く。

適応できないとすねて抵抗すると、父母は笑って今まで通りで良いと言う。

側近く仕える直由一家に、直虎の望むことは何でも学べるよう手配することを命じる。

姫として学ぶべきことが増えたが、直虎の日々の暮らしは変わらなくなり、直虎に笑顔が戻る。

男であり女であることは、混乱するときもあるが、変化を楽しめ、面白い。

とても忙しい日々となるが、ニコニコとこなす。

それでも、井伊家後継の姫となり、公の場にも出るようになる。

そして、注目を浴びると、家中に褒められ、認められたい思いが募る。

ここから、自らの責任を自覚し、一生懸命に勉学も武術も学ぶ。

父、直盛を引き継ごうとする責任感はますます強くなる。

直由一家は献身的に仕え、直虎は与えられた課題を次々こなし、立ち居振る舞いは男女どちらでも使い分けができるほど、変幻自在に自分を操る姫となる。

直盛はその様子を喜び、引き続き自ら武芸を教えた。

(なお)(とら)は姫となり、行動範囲が狭められたようなもどかしい思いもあるが、男でも女でもどちらも興味深い。

井伊谷城の南東麓になる屋敷、井伊城で元気に育ち、時には井伊谷城の山頂部に登り、物見台から城下を見る。

井伊谷が大好きで、活発な武芸にも秀でた姫となっていく。

ここで、直盛は、(なお)(ちか)を養子とし(なお)(とら)の婿とすると公表し婚約させる。

義元に干渉される前に手を打ったのだ。

義元が今川家の家督を継ぐ以前に決まっていたこととした。

井伊家の血筋を守り、独立性を保つためだ。

(なお)(ちか)は、直盛の叔父(父の弟)(なお)(みつ)の嫡男であり、いとこになる。

直盛が井伊谷に戻ると、変わって駿府に入った人質が、直盛の母、浄心院。

浄心院は井伊氏一門、井平直郷の娘であり、直平の妻も直郷の父、井平安直の娘だ。

この頃、井伊氏一門筆頭は、井平氏だった。

直宗・井平直郷は、実の親子のように仲が良く、浄心院の自慢だった。

 井平氏は、直平の幼い頃、強大な軍事力を持ち名実ともに一門筆頭となった。

直宗や浄心院は伊平氏を頼りにし、伊平氏は井伊家の政務を主導した。

義元は、家督を直盛に譲ろうとしない直宗の今川氏への忠誠心を疑っていた。

そこには伊平氏の影響があると見抜き、伊平氏の力を削ぎ、直宗に家督を譲らそうと共に出陣するよう命じた。

義元の思い通り、直宗も直郷親子も戦死した。

直宗の死後、直盛が継ぐと、人質として、叔父(直平の子)直元を駿府城に送り義元に仕えさせた。

浄心院は、井伊城に戻った。

父と弟、夫を亡くし憔悴しきって戻った。

だが、最愛の息子、直盛は、形式的に迎えただけだった。

浄心院と直盛は、親子で接する時が少なかった。

直盛が幼い時、母と別れ駿府入りし、直盛と入れ違いに母、浄心院が駿府で人質となったためだ。

直盛は、母、浄心院が井伊谷に戻っても特別な感情は起きなかった。

浄心院は、駿府での不自由な暮らしをねぎらわれると思い戻ったが、なかった。

待っていたのは、義父、直平や我が子の無関心な目だった。

余りに直平や直盛は冷たいと、新たな涙にくれた。

人質となっても、今川家を嫌い、実家を頼り、井伊家の誇りを持ち続けた浄心院。

その態度を義元は嫌った。

そのため、井伊家と今川家を繋ぐ人質の役目を十分には果たせなかった。

それでも、井伊家の安泰を願い、人質の暮らしを耐えたのだ。

なのに、直盛の母を見る目に愛おしさがなく、寂しくつらかった。

井伊城には、居り場がないと、寂しく決意した。

そこで、直盛に、出家し夫や父・弟の菩提を弔いたいと願い、如意院を建立させた。

直盛も止めることはなく、同意した。

直平も、直宗への影響力があまりに強い井平氏に不満があった。

井平安直の娘を正室として重んじたが、仲睦まじい仲ではなかった。

次第に、華やかで美しい幾人もの女人との逢瀬を楽しむようになる。

南渓瑞聞や直種などの庶子が何人も生まれている。

だが、井平氏の力は動かし難く、嫡男、直宗と井平直郷の娘との結婚を認めることになった。

直宗の死は無念だったが、伊平氏が凋落するのは悪くはなかった。

直平は、伊平氏の軍事力を頼りつつも煙たく感じており、直郷親子の死でほっとした。

幼い井平直成を後継とする。

ここから、伊平氏は一門衆の一人となり、伊平家の軍事力をわが兵のごとく扱い、伊平氏は凋落する。

伊平一族には、浄心院が宝だった。

浄心院の今までの功に対しての井伊宗家の仕打ちに不満が残る。

一方、義元は、直元では満足せず「人質は当主、直盛の子とすべき」と、未婚の(なお)(とら)を駿府に送るよう命じた。

(なお)(とら)の将来は義元が決める考えだ。

そして、小野政直に結婚を成功させないよう画策させる。

直平は、嫡男、直宗が殺され、井伊家を守るために何をすべきか悩む。

まずは、一族一丸となって、直宗嫡男、直盛を守らねばと心を決める。

直平には子として認めた七人が居た。

一四九二年生まれの嫡男、直宗(1492-1542)。

一五〇〇年生まれの次男、直満(1500-1545)。

一五〇五年生まれの三男、直義(1505-1545)。

一五一〇年生まれの長女、直の方(1510-1562)。

一四九五年生まれの四男、南渓瑞聞(1495-1589)。

一五一二年生まれの五男、直元(1512-1546)。

一五二〇年生まれの六男、井平直種。

この子たちとともに、井伊家を守ろうとするが、直宗の死に続き、次々危機が襲ってくる。

次男、(なお)(みつ)は、直宗の死で、直盛を支える一門筆頭となった。

七人衆の一人、鈴木重勝の娘と結婚しており、今川家との関係も悪くはなかった。

(なお)(みつ)の子が、直親。

直親が、直虎の婿に決まり、家中で揺るぎない地位を築く。

井伊宗家後継に(なお)(ちか)が選ばれ、鈴木家と共に歓喜した。

(なお)(みつ)は、義元にひれ伏すのを良しとはしない、反義元の立場だった。

家中が次期当主の父だと畏敬の念で見つめると、有頂天になる。

兄、直宗の臣下として育てられたが「対等になった」と信じられないほどの喜びで、幸運に感謝した。

今川家と一定の距離を保ちたい思いと、井伊家の仕置を主導したいとの発言が目立ってくる。

小野政直は、脅威に感じる。

三男、直義は、井伊城と行き来しつつ、駿府に詰め義元に仕えていた。

人質として駿府に常駐するのではなく、取次役として井伊城(井伊宗家の居館がある)と行き来する。

井伊家を代表する取次役だと、役目の重さを自覚していた。

ところが、(なお)(みつ)の子、直親が婿と決まって以来、井伊谷に戻るたびに、(なお)(みつ)の変わりように驚く。

しかも、直義を家臣のように扱い始めた。

直義は、直宗・(なお)(みつ)・直元と同じく母は正室だ。井伊家嫡流の血が流れている誇りがあった。

兄、直宗を支えるようにと弟三人は、兄の家臣として差をつけられ育った。

三人とも同じ立場のはずだった。

ところが、同じように育った(なお)(みつ)が、急に大きな顔をするようになり、腹立たしく面白くない。

次第に、兄、(なお)(みつ)との間に緊張感が生まれてくる。

そのうち、(なお)(みつ)の直義を見下した態度に耐えられなくなる。

直平は、妻とは不仲になり、(なお)(みつ)と直義に愛情を持たず、家臣としての扱いで競い合わせた。

直義は、才ある井伊家一門だと自信があり、分家したかったが、(なお)(みつ)が我慢している以上やむを得ないと考えた。

だが、(なお)(みつ)は次期当主の父として威張りだし、鬱積した思いを抑えられない。

小野道高は、今川氏に忠実な直義と話が合い親しくしており、薄ら笑いを浮かべ、密かに支援し内紛をあおる。

そんな時、武田勢が、井伊氏の領地に侵攻してきたとの報が入る。

今川家と武田家は、義元が定恵院と結婚して以来、同盟関係にあったが、井伊家と武田家が同盟を結んでいるわけではない。

武田領と井伊領との国境が明確でないところもあり小規模な領地争いはあった。

直の方を追い出して武田信虎の娘、定恵院が嫁いでおり、多少のわだかまりもあった。

義元への忠誠心に温度差がある(なお)(みつ)・直義、それぞれが、力を見せると競い、領地を守る為、軍備を整え防備を固めた。

家中に緊張感が漂うのを確認すると、小野政直は、おもむろに「(なお)(みつ)・直義に謀反の疑いあり」と義元に報告する。

(なお)(みつ)・直義が武田家に通じ謀反を起こそうとしていると。

今川家と武田家は同盟関係にあり、直ちに謀反に繋がるわけではないが。

(なお)(みつ)・直義の領地争い、武田氏に侵攻されまいと自らの領地を守る為の防備、それが義元への謀反だとされたのだ。

義元は、直盛を糾弾する。

義元からの糾弾を受けた直盛は、(なお)(みつ)・直義との諍いが頭痛の種となっていた事もあり返答を延ばした。

(なお)(みつ)・直義は、当主、直盛の指示を仰ぎ、素直に従うべきはずが、万事、自分流の判断で動く。

腹立たしかったが黙認するしかない状況だった。

「これでは当主としての威厳が保てない」と腹立たしく想っていた時の騒動だ。

(なお)(みつ)・直義を懲らしめたかった。

小野政直は、義元の指示を井伊家中に伝えるのが役目だが、行政手腕もあった。

直盛は小野政直の行政能力を高く評価し、信頼していた。

政直から二人の行状の報告を受けると、了解した。

義元に告げた政直の報告は直盛の意志でもあった。

一五四四年末、苛立つ義元は、自ら裁くと二人を駿府に呼び出す。

二人とも三河攻めなど義元の命で戦い、井伊勢を率いる武将として秀でた力を見せ、忠誠心に自信があった。

直義は何度も対面しており評価されている自負もあった。

そこで、身の潔白を証明し、義元の評価を高めようと張り切って駿府城に入る。

 だが、義元は問答無用で「謀反を起こそうとしたのは間違いない」と一五四五年二月四日、(なお)(みつ)と直義に自害を命じる。

「直盛を助ける」との名目で内紛に介入したのだ。

二人とも、反論の機会を与えられることなく、無念の思いで死んだ。

続いて、謀反人の子、(なお)(ちか)殺害を命じる。

井伊家後継とされた(なお)(ちか)を殺すことが本来の目的だったからだ。

小野政直は、父、重正の功を評価され今川(うじ)(ちか)が決めた今川一門の女人を妻に迎え、嫡男、政次らが生まれている。

(なお)(ちか)殺害を命じられた時から、政次が(なお)(とら)の婿となる可能性もあると、かすかな期待を持った。

政次と新野親矩の娘との結婚を実現し、今川一門として後継者になってもおかしくない状況を作っていたからだ。

次男、朝直は奥山氏の娘と結婚している。

三男、正親は七人衆の一人、松下氏の娘と結婚した。

井伊家に根を張ろうとした小野政直は、家中の大勢を敵にするようなことをするはずがない。

 (なお)(とら)も父が当主になって以来、小野政直・政次・朝直と再々顔を合わせ、身近にいる忠実な家臣と思っていた。

(なお)(みつ)・直義の不和は聞いており、内紛は悲しかったが、父に従うべきだったが裏切ったのだ、と許せないと思う。

(なお)(とら)は、直盛の自慢の姫であり、直虎も直盛によく似た姫となったことが誇りだった。

以心伝心、直盛の考えが自然に直虎に乗り移っていく。

政争には、まだまだ無頓着だったが。

 四男、南渓瑞聞(1495-1589)は、庶子であり、井伊家菩提寺を守る僧となる。

非常に優秀で、直平が最も気に入っていた子だ。

直平の思いを引き継ぐ直盛も直虎も頼りにした。

井伊家の精神的支柱となり、直虎を見守る。

五男、直元(1512-1546)は、兄たちと同じく、義元に仕えた。

僧、南渓瑞聞以外の兄すべてが亡くなり、井伊家を背負う一門筆頭になると張り切った。

だが、まもなく、人質のままで、駿府で亡くなる。

井伊家嫡流の血を引く直元は、義元にとって役に立つ人材ではなかった。

六男、井平直種。

直平は、妻の実家、井平氏を受け継がせると決め、養子入りさせた。

ここから、伊平氏は、独立性を失い、宗家を支えるだけの井伊家一門となる。

 直平は、多くの優秀な子を持ち、井伊家を支え盤石とするはずだったが、四人の男子は皆亡くなった。

庶子の南渓瑞聞とともに、今川家に近い臣に囲まれた嫡孫、直盛を守り井伊家の安泰を図るしか道はないとため息をつく。