幻冬舎グループの作品投稿サイト

読むCafe
 

直虎、出家する|井伊直虎の生涯 前編(6)

だぶんやぶんこ


約 8673

一五四三年、井伊家嫡流の一人娘、直虎は七歳で父のいとこ、同年齢の(なお)(ちか)を婿養子とする婚約をした。

父、直盛は、(なお)(ちか)を思うように育てたいと、まず養子とする。

その後、直虎の婿養子とするつもりだった。

婚約後、二年も経たない一五四五年、直虎は、九歳で(なお)(ちか)と離れ離れになってしまった。

(なお)(ちか)の父、直満が一五四五年二月四日、謀反の罪で殺され、謀反人の嫡男、(なお)(ちか)も同罪だと追手が迫ったからだ。

父、直盛は、今川氏・小野氏の動きをすべて把握し、秘密裏に(なお)(ちか)を逃がすよう命じた。

直虎には心配させないよう何も告げなかった。

(なお)(ちか)の逃亡の成功を知ると今川義元に「(なお)(ちか)の死」を報告する。

直虎は、詳しい話を知らされることはなかったが、家中のざわめきと近くの直満の屋敷の動きから何かあったとは分かった。

その後、直満・直義の葬儀が行われたことを知り、事件の概要を徐々に理解していく。

そして、(なお)(ちか)は生きていると確信した。

(なお)(ちか)と会うことがなくなっても、父、直盛は以前と変わらず武芸・兵法など武将として身に着けるべき事を教えてくれた。戦いに明け暮れ、駿府に居る時も多かったが、戻ると必ず、直虎を呼び、共に語り学び、武芸を競い合う。

とても楽しく、有意義な時間だ。

父がいないときは、学問に励むようにと識者が招かれ、井伊家を受け継ぐ姫として備えるべき教養を厳しく学ぶ。

母からは、女人としてのたしなみも教えられ、花嫁としての心構えも教えられた。

(なお)(ちか)がいなくなっても変わらない暮らしが続く。

(なお)(ちか)は死んだことになっており、生きていると知っていても、口に出すものはいない。

死んだも同然の扱いをされた。

近親が密やかに直盛の指示で(なお)(ちか)と連絡を取り動くだけだ。

 間もなく義元は、直虎を人質として駿府に送るように告げる。

かって井伊家は今川家と戦いを繰り返し、義元に対しても家督引継ぎの時・北条氏の河東侵攻の時・直満らの謀反と裏切ったと見られることがあった。

その為、父、直盛から直盛の母、浄心院へ、父の叔父たちへと代わりながら駿府に人質を出し忠誠を誓った。

ついに、直虎が望まれたのだ。

父、直盛は、祖父、直宗・曾祖父、直平と違い駿府での人質の暮らしが長く、義元の信頼を得ており高圧的ではなかったが。

直虎は、中野氏・小野氏の女人を守役側近としている。

特に中野(なお)(よし)の妻や娘は身近で家族のようだ。

直虎が(なお)(ちか)と婚約しても、皆、直虎側近として変わらず仕え、和気あいあいと良い雰囲気が続いている。

武芸の大好きな直虎は、おとなしく気取ったように見えた(なお)(ちか)とは違和感があり、話が合わなかった。

(なお)(ちか)が居なくなっても特別な感情は起きない。

それでも、なぜいなくなったのか、詳しい様子を知りたくてたまらない。

父、直盛に直接聞きたいが、父が話題にすることはなく聞くべきでないと感じ、胸にしまっておいた。

そこで、思いのままに話せる守役の中野(なお)(よし)の妻に(なお)(ちか)への不可解な思いをぶつける。

(なお)(よし)の妻は、渋々ながら、話し始める。

何度も何度も聞いているうち、次第に全貌がわかっていく。

直満・直義らが殺されたこと、直親が隠れていることなどなどだ。

ここから、直虎は、室町幕府末期の政治情勢、井伊家の置かれている立場を学び理解していく。

直虎なりに概要を掴むと、たまらなくなり、母、千賀に慌てて逃げた(なお)(ちか)の真摯な思いを聞きたいと迫った。

だが、母は答えなかった。

母、千賀は、兄、新野親矩(にいのちかのり)との仲が良く、今川氏よりの考え方をしている。

直虎が、今川氏一門と結婚することを望んでおり、(なお)(ちか)を好きではなかった。

そんなこともあり、詳しくは知らないようだった。

父、直盛も、母を悩ますようなことは伏しており、母は、相談相手にはならなかった。

だが、直虎は、探求心が旺盛で納得できない。

(なお)(ちか)に父、直満の死をどう受け止めているのか、井伊宗家に対する忠誠心はどうか、直虎に対する想いはどうか、などなど知りたくてたまらない。

(なお)(ちか)は、直盛の指示で逃げている。

直盛の養子であり、その指示に従って動くべきだと、分をわきまえた。

将来不安で、気がおかしくなりそうだったが、ひたすら指示を待った。

井伊家中は義元の意向を重んじる七人衆が仕切っており、直盛は、死んだはずの(なお)(ちか)の話はしない。

(なお)(ちか)を安全に守るよう命じたが、その先はまだ見通せず、謀反人の子となった(なお)(ちか)の処遇、井伊家の進むべき道をどうすべきか迷うばかりだ。

それ以上に、直虎を人質に出さない方法に頭を悩ました。

今川勢の一翼を占め果敢に戦い井伊家の力を見せることで、のらりくらり逃げるしかない。

こうして、直虎と(なお)(ちか)は、意思の疎通がないまま、時が過ぎる。

直虎は、後継に悩む父を見かねて「父上の跡継ぎは私しかいない。任せてください」と笑って力づけ、文武の修行に励む。

父は嬉しそうに、にっこりとうなづくが、義元の考えは変わらない。

度々、直虎を人質に連れてくるよう、義元から言われ、身を固くするばかりだ。

こうして日々が過ぎ、義元は躍進を続けた。

一五五〇年、直虎が(なお)(ちか)と離れ離れになって五年が過ぎた。

一四歳の大人となった直虎。

井伊家を引き継ぎたいが難しく、姫では「次郎」として生きる事さえ出来ないと悟る。

成長と共に父母や今川家・小野家・奥山家の考えを理解できるようになったのだ。

自分は女人であり、当主にはなれないことを、受け入れるしかなかった。

血縁の濃い男子、(なお)(ちか)が継ぐべきだと、悔しいが納得した。

 父、直盛も、後継は、井伊家の血筋を受け継ぐ者を選びたい、強い思いを持っているのを知っている。

父の思いを実現させたいし、実現すべきだ。

(なお)(ちか)は今でも、義元から見れば謀反人、直満の子だ。

直虎は、(なお)(ちか)の松源寺での暮らしの様子を密かに逐一知るようになっていたが、(なお)(ちか)が戻れるかどうかはわからない。

(なお)(ちか)から直接、近況を伝える便りもない。

義元からの追及の手は、以前ほどではなく、たちまちの命の安全は保証されている。

(なお)(ちか)は、忘れられた存在になっているのだ。

便りを出そうとすれば出せるはずなのに、届かない、許せないと、苛立つこともある。

直盛の庇護で(なお)(ちか)の暮らしが成り立って居るのだ。

直盛への感謝と、直虎への想いを便りにすべきで、きっと道はあるはずなのに、便りがない。

父母は、(なお)(ちか)について何も話さないので直虎から聞くことも動くこともできない。

それでも、(なお)(ちか)が動けば、どんなことをしても応えるつもりだった。

そんな時、(なお)(ちか)には伴侶同様の女人がいると知る。

直虎を大切に想っていないのだと、がっくり来る。

一途に結婚を決めていた(なお)(ちか)には、その女人の存在は許せない。

しかも、(なお)(ちか)は酒宴を催すのが大好きで、風雅の道を邁進していると聞き、違和感を感じてしまう。

直虎も、文芸の道を教養として学んでいるが、武将としての心構えを、修養の基本としている。

井伊家は義元とのせめぎあいを続けており、余裕がある状態ではない。

武家として生き残るために知恵を絞らざるを得ないのだ。

(なお)(ちか)の生き様は受け入れられない。

まだうら若き直虎には、男女の機敏な動きは理解できない。

ただ、(なお)(ちか)とは結婚できなくなったと、悲しい。

なぜどうしてこんな事になったのか、思いめぐらすがわからない。

(なお)(ちか)との結婚を自明のこととし、愛情を育み、結婚となる日を夢見るはずだった。

だが、そんな意識を持つまでにはならないままに、別れてしまった。

相手を理解し、井伊家の将来に果たすべき役割を話し合うには、幼すぎた。

今となっては、(なお)(ちか)には直虎への愛情がなかったのだとしか思えず、寂しく諦める。

相変わらず、今川義元は、直虎の駿府入りを迫っている。

父、直盛が義元の追及をかわす為に苦労しているのを肌で感じる。

何をすれば井伊家の為に、父母の為になるのか、悩む。

父母の力になりたい。

そこで、亡き人の供養に行くとの名目で井伊家の菩提寺、龍潭寺(りょうたんじ)に再々行く。

(なお)(ちか)をよく知る南渓瑞聞(なんけいたんぶん)住職に会いたいためだ。

(なお)(ちか)の近況を聞くのが楽しみだった。

南渓瑞聞(なんけいたんぶん)は、要領よく話してくれ、よく分かる。

南渓瑞聞(なんけいたんぶん)から(なお)(ちか)の近況を聞く日々が何年も続いていた。

南渓瑞聞(なんけいたんぶん)は、逃亡先から戻れない(なお)(ちか)主従の厳しく苦しい近況を話す。

すると、(なお)(ちか)が可愛そうでたまらなくなるが、日々の行状は何を聞いても理解できない。。

それでも、苦しい状況ゆえ、遊びで紛らわすのであり、直虎への愛情はあると南渓瑞聞(なんけいたんぶん)は何度も話す。

ただその愛を伝えられないだけなのだと。

直虎も、南渓瑞聞(なんけいたんぶん)が間違ったことを言うはずがないと自分に言い聞かす。

だが、時が過ぎ、直虎の進退を決めなければならない時が来る。

そこで、南渓瑞聞(なんけいたんぶん)に思いを込めて決意を言う。

「亡くなった(なお)(ちか)の菩提を弔うとの名目で出家させてください。駿府には行きません。和尚様のもとで出家します」とはっきりと。これが、一番良いと決めたのだ。

「いずれ、(なお)(ちか)殿が戻れる日が来るはずだし、(なお)(ちか)殿が家督を継ぐのが一番良いのです。このままでは、駿府に行かなくてはならないし、義元様から婿を決められる。それだけはどうしても避けたいのです」と必死に覚悟を話す。

南渓瑞聞(なんけいたんぶん)は、何度も話し合ったうえで直虎が出した結論に、大きくうなずき喜んで受け入れる。

ただ出家名は「次郎法師」とした。

「いつでも還俗(げんぞく)出来る名です。このことを忘れられないように」と念を押した。

父、直盛と母、千賀のたっての願いを、さり気なく、言い含めた。

直虎は、還俗(げんぞく)出来る男子名で僧となることを了承した。

南渓瑞聞(なんけいたんぶん)に同意された直虎は、張り切って、父母に井伊家の家督争いから身を引く決意を話す。

はっきりと「仏門に入りたいのです」と願った。

父母も当面は仏門に入ることが良いと考えており、頷いた。

南渓瑞聞(なんけいたんぶん)と打ち合わせて、直虎の決意が固まるのを待っていたのだ。

直虎は納得しないと、決して動かない頑固さがあり、一度決めれば、驚くほどの力を示して成し遂げる。

そんな性格を見抜いている父母は、直虎が自分で結論を出すことを望み待っていた。

自分自身で考え抜いて決めた結論だと自信を持っている直虎は「誰とも結婚しません。家督を継ぐ意志はありません」と父母に固い覚悟を話した。

出家を決めた大きな理由の一つが、(なお)(ちか)が結婚したことだ。

近しい人のいない暮らしは直虎には、考えられないほどつらいことであり、結婚もやむを得ないと許せるようになったのだ。

時が来れば、結婚した女人とともに、井伊谷に戻り、(なお)(ちか)が井伊家当主になるべきだと、踏ん切りをつけた。

「家督を継げないならば井伊家に居る必要はない。尼僧として(南渓瑞聞(なんけいたんぶん)のような)名僧になる」と潔く決意した。

決めてしまうと、さばさばして、とてもいい気分だった。

人生最初の大きな選択を成し遂げた。

がっくりしたのは、嫡男、政次と直虎の結婚を望んでいた義元の付家老、小野政直だ。

政直は義元から筆頭家老に抜擢され、今川家に絶対的忠誠を誓い井伊家のために懸命に働いた。

義元はその働きを評価し強力な後ろ盾となっていた。

 そんな義元を信じ、政次と直虎の結婚を願い出た。

だが、義元は、直虎と政次との結婚を後押しすることはなかった。

ついに、小野政直は心を決め、筆頭家老の地位を捨てても良いと不退転の決意で、義元に願い出ると決意した。

その時、直虎は出家してしまった。

それから二年が過ぎる。

政直は筆頭家老としての役目を果たしつつも、直虎は出家し、(なお)(ちか)を殺すことも出来ないままの状態にイライラが募る。

「いくら努力しても井伊家を率いることはできない」とため息をつくことも多くなっていた。

それでも役目を果たしていたが、一五五四年、あっけなく亡くなる。無念の死だった。

父の思いをよくよく知っていた二三歳の嫡男、政次が継ぐ。

 甲斐の虎、武田信玄が大きく飛躍する頃だった。

家督を継いだ信玄は、一五四二年から本格的に信濃侵攻を初めた。

そして、一五五四年、追い詰めていた信濃守護、小笠原氏を消滅させ、信濃の全域をほぼ統一した。

完全平定は間近だったが、上杉謙信との攻防戦が始まり、遠のくが。

信濃守護、小笠原氏に従う松岡貞利は、小笠原氏とともに、信玄と戦うが、敗北し降伏した。

今川氏と武田氏は固い同盟で結ばれていた時だった。

武田氏に刃向かい負けて従わざるを得ない松岡貞利には、今川氏に追われている(なお)(ちか)を匿うことは難しくなった。

時期を同じくして、気力に溢れていた壮年の筆頭家老、小野政直が亡くなった。

(なお)(ちか)から、井伊家に戻りたいとの必死の嘆願が届いていた。

直虎は、(なお)(ちか)を呼び戻す時が来たのだと感じた。

父、直盛に「呼び戻してほしい」と願う。

父、直盛は頷く。

井伊家によくある出来すぎた不思議な話だ。

後に、直虎は父の企てだったのかもしれないと思う。

直盛は、直虎と結婚させて(なお)(ちか)を後継にする、と決めた。

それが、井伊家のために、一番良い選択だと。やり遂げなければならない。

政直が亡くなり悲しむそぶりを見せつつも、武者震いし、前方を見つめた。

義元との対決となるかもしれないが、将来への展望をなんとしても切り開くと、自身を鼓舞する。

政直の行政力は認めたが、井伊家中への影響力を伸ばしていく様子を苦々しく感じていた。

また、直満・直義を殺したのは許せず、(なお)(ちか)を殺そうと追い詰めたのには怒った。

今川義元は直満・直義を謀反人とし罰し謀反人の子、(なお)(ちか)の処罰は命じたが、今川勢を派遣してまで捕えることはなかった。

政直が、(なお)(ちか)を捕え、殺そうとしたのだ。

政直の野望の表れだった。政直の先走った、行き過ぎた執念だった。

だが、井伊家中のほとんどが従うのをためらった。

直親を捕らえ殺す理由が見つからないためだ。

そのため、(なお)(ちか)は不安定な身分のままだったが、生き長らえた。

そして、時間が過ぎた。

政直が亡くなった今、家中に、表立って(なお)(ちか)の抹殺を願うものはいなくなった。

ここで、直盛は、当主としての地位を取り戻すべく、政直に従った家臣を排除し一掃していく。

そして、(なお)(ちか)の連れ戻しを命じた。

それでも、(なお)(ちか)の日ごろの行状も知っており、腹立たしい思いもしており、(なお)(ちか)が井伊家にふさわしいかどうか、じっくり確認するつもりだ。

小野氏の影響力を排除し当主としての落ち着きと余裕を持ち、(なお)(ちか)と直虎と結婚させ、井伊家らしい独立性のある治世を共に行い、引き継がせるとの意欲が湧いてきていた。

幼馴染の直虎と(なお)(ちか)だ。再び巡り合えば新たな愛が育まれるはずだ。

(なお)(ちか)は、まだ若い、やり直させる」と明るい希望が湧く。

一五五五年、(なお)(ちか)は近従を伴い、松源寺を出立し一〇年ぶりに故郷に向けて旅立つ。

直盛は、ひとまず、(なお)(ちか)を井伊谷の北方、渋川の地にある東光院に入るよう命じた。

そこで、(なお)(ちか)の人となりを確認した後、井伊城に迎えるつもりだ。

一門重臣たちと、(なお)(ちか)の扱いを協議し、義元への言い訳の根回しをしていく。

そして、早く、(なお)(ちか)に会いたい、出向いても良しと、戻ってくるのを待った。

東光院に入った(なお)(ちか)

東光院に良い思い出はなく、まっすぐ井伊城内の屋敷に戻りたかった。

次期当主としての待遇がされるはずが、そうではなかった。

父の死を聞かされ今村正美の言うままに逃げ込み、じっと隠れ、ただただ、恐怖と不安ばかりだった日々が蘇るばかりだ。

詳細は覚えていないが、楽しいところではなかった。

いらいらしながら、井伊城に呼ばれるのを待つ。

すぐに、かって住んだ二宮屋敷に入り、後継として家中に紹介されると信じて疑わなかった直親には、あまりに侮辱だった。

父、(なお)(みつ)が、義元・直盛への謀反など絶対にするはずがないと確信していたこともある。

直盛から、父、(なお)(みつ)の無実を、真相を聞きたかった。

直虎も(なお)(ちか)に期待し、戻ってくるのを待っていた。

いずれ還俗(げんぞく)することを考慮して、井伊城の住まいをそのまま移したような屋敷が龍潭寺内に建てられ、近習もそのまま従って直虎は暮らしていた。

境内には井伊家の息吹が満ちており身を置くだけで引き締まりまた安らぎを感じていた。

直虎は、出家してよかったと笑みがこぼれる日々だった。

一万坪を超える広大な龍潭寺を美しく飾る四季折々の花木の手入れをしながら、南渓瑞聞(なんけいたんぶん)の側近くで修養を重ねた。

将来、龍潭寺三世となっても良し、新たに井伊家菩提寺を建立し住職となっても良しと、将来像を描いた。

心は晴れやかだった。

直親が、戻れなければ、父の思いはどうであっても、義元の意向に沿い、できるだけ早く幼い養子を迎え、井伊家当主にすべく、父が教えるしかないと思っていた。

長年今川家に従い、今川家の良し悪しを知り尽くし、義元の厚い信頼を得ている父だ。

きっと井伊家らしい義元への従い方が、あるはずだと。

直親が義元に許されたら、それは素晴らしいことで、一番望むことだった。

直親が最良の後継者で、井伊家を継ぐべきだとの考えが変わることはなかった。

それでも、あまりに長く待って、諦めるようになっていた。

そんな時、状況が大きく変わり、直親が戻ってくる事になった。

直親との結婚を望んでいると、父から聞かされ、期待は膨らんでいた。

出家した直虎は自由だった。

警護は城内にいた頃より、はるかに減り、望むままに行動できた。

それは、自分の足で領内すべてを確認するようにとの教えだと感じ、くまなく回った。

井伊谷の豊かな自然、収穫される稲穂・農産物の一つ一つを手に取って確かめた。

天候も地理的条件も、周辺国との関わりも、学び習熟していった。

領内のあちこちで、お気に入りの場所が見つかる。

そこで、領民と心ゆくまで話せるのは素晴らしかった。

この地に生まれてよかったとしみじみ思う。