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直親の裏切り|井伊直虎の生涯 前編(7)

だぶんやぶんこ


約 5789

(なお)(ちか)は、腹立たしい思いで東光院に入り、今までの暮らしを振り返る。

一五四五年、一〇歳から松岡貞利に庇護され、松源寺に入り、成長した。

下伊奈の国人、松岡貞利は、信濃守護、小笠原氏に属したが、強い主従関係ではなく、独立性を保っていた。

下伊奈の国人衆をまとめ、小笠原氏に一目置かれる存在だった。

そのため、貞利は、自信にあふれており、領地も豊かで、(なお)(ちか)を将来の井伊家当主と見なし、大歓迎で迎えた。

当初、緊張し恐怖に震える(なお)(ちか)だったが、松岡貞利の気づかいに触れ、落ち着いていく。

篤くもてなされ、心落ち着く暮らしが始まる。

恐れていた、今川方の追手が来ることはなく、生き延びたと気持ちが和らいだ。

こうして、本来の気の小さい、繊細な優しい性格のままに、成長する。

今村正実が立てる計画に基づき学びながら、好きな芸事や武芸を磨く充実した日々だった。

それでも、父の夢を実現したい思いは忘れることなく強まるばかりだ。

思い描くのは井伊家当主になった自分の姿だ。

井伊家当主になりたいし、なるべきだとの思いが募る。

だが故郷を離れてしまった寂しさに耐えられないときもある。

将来に向けての井伊家の情報や重臣との繋がりを築けず、井伊家を率いる事が出来るかどうか不安に襲われ、落ち込む。

しかも、(なお)(とら)からの便りはなく、直盛からも温かい励ましや学ぶべきこと、これから起こりうることを何も知らされない。

直盛の眼鏡に叶っていない養子でしかなかったのだ。

見放され、追い出されたのかもしれないと、胸騒ぎもある。

頼みとした鈴木家に居る母からも、便りはあっても具体的に当主への道筋を知らせてくることはない。

反対に、鈴木氏は、筆頭家老、小野氏の専横を防げず、追い込められているようだった。

やるせない思いでいらだつ(なお)(ちか)を慰めるのは「青葉の笛」。

芸術的素質があり、夢中で修練する(なお)(ちか)の上達は早かった。

笛を奏でると、待つ事の恐怖心が薄れる。

日々の暮らしが続き、時が過ぎ、真面目な(なお)(ちか)は、文武両道を備えた武将に成長し、従う近習に安堵の表情が浮かぶ。

今村正実は「立派に成長されました。当主となることが約束されています。きっと名君になられるでしょう。もう少しの辛抱です」と励ます。

「時が解決する」と揺れ動きながらも信じ、生きるよりどころとする。

それでも、松源寺内での閉じ込められた住まいに、首が絞められるような、苦しさを時には感じる。

広範囲には動けないが、自由はある暮らしであり、おおらかに待てばよかったが、繊細な神経が耐えられなくなる。

「囚われの身でしかない」と、自暴自棄に陥り、周囲に当たり散らす。

その様子に心痛めた今村正実は、心を癒す女人が必要だと考えた。

貞利に、(なお)(ちか)には心を癒す女人が必要だと願う。

ここで、松岡氏は、島田村(長野県飯田市松尾)代官、塩沢氏の娘、千代を推す。

千代は、井伊家当主の妻には、不釣り合いだが、隠棲の身の(なお)(ちか)には似合いだった。

(なお)(ちか)は、それまでも仕える女人や酒宴の席で接待する女人とのかりそめの愛は、いくどかあった。

高貴な御曹司として、人気があったのだ。

身分も教養もある千代だが、井伊家、次期当主、直親におとなしく控えめに仕えた。

正室としての待遇は期待していない。

両親からもそのように言われ嫁いだ。

(なお)(ちか)には、話が通じ、価値観を共有できる初めて理想的な女人だった。

とても愛しく、千代と過ごすことが増える。

ここから、気持ちが安定しやる気が出てくる。

吉道と高瀬姫の一男一女を儲ける。

(なお)(ちか)が、命が長らえたとホッとした頃から、松岡氏を取り巻く状況は刻々と変わっていった。

信玄は、一五四一年、家督を継いで以来、信濃侵攻を本格化した。

この頃、松岡貞利は、信玄の出現をそれほどの脅威とは感じなかった。

それより、信濃守護、小笠原長時が内紛もあり力をなくしており、出来うるなら長時に代わろうと画策しており、長時の脅威となる信玄の存在は、有利に働くとさえ感じた。

周辺の国人衆を配下に置き、下伊那の有力国人として小笠原氏に対峙するまでに勢力を広げていく。

そんな、得意絶頂の時、直親を引き取った。

だが、信玄は、一五五〇年、信玄と同族の信濃守護、小笠原長時を追い払い、新たな支配者となってしまった。

貞利の軍事力は、信玄に比べようもなく、臣従を求められた下伊那の国人衆とともに戦わずして信玄に従う。

それでも当初は、まだ信玄の支配は緩かった。

その後、信玄の武力が轟き、野望も広がり、敵が増えると、領地からの収益を強化しようとし、圧政を敷く。

耐えられなくなった伊那衆が、一五五四年、信玄に反抗し、決起した。

貞利も共に戦うも、信玄勢に完敗し降伏した。

この後は、貞利は、独立性をなくし、より厳しく信玄の監視下に置かれることになった。

同時期、一五五四年、信玄は武田氏、今川氏、北条氏の間で平和協定、三国同盟を結んだ。

ここで、武田氏と今川氏は、固く結ばれた。

以来、今川氏に属する井伊氏の謀反人の子、(なお)(ちか)を庇護するのは、信玄への忠誠心を疑われることになった。

一五五五年、(なお)(ちか)は、一九歳。

松岡氏の変遷をよく見ている。貞利が置かれた状況がよくわかった。

義元から追われる(なお)(ちか)は歓迎されない客人だ。

松岡氏には大恩があり、迷惑をかけたくなく早く自立したいと焦り始める。

 そんな時、父の仇、井伊家筆頭家老、小野政直が亡くなったと伝わる。

執拗に(なお)(ちか)を捉えようと苦しめた小野政直の死は、明るい光となって、(なお)(ちか)を笑顔とする。

追われる身ではなくなったのだ、きっと、井伊家を継げると、希望が出た。

そして、直盛による(なお)(ちか)を井伊谷に戻す計画が進んでいる、とのうれしい知らせが届く。

(なお)(ちか)は、忘れられてはいなかったのだ。

信じられない展開だった。

期待と不安で、居ても立っても居られない、浮足立った状態になる。

こんな時、頼りになるのが何でも気楽に話せる奥山朝宗だった。

朝宗は「必ず当主になれます」と励まし「まもなく井伊家に戻れます。今しばらく辛抱されるように」と言い続けた。

朝宗の言葉は、暖かく響き、胸にしみた。

「井伊家に戻りたい。必ず戻る」と自身に言い聞かせ、騒ぐ心を押さえる。

ついに、直盛の許可を得て松源寺を出る日が来た。一〇年の逃避行は終わった。

まず、向かったのは、直盛が待つようにと言った東光院

二宮屋敷に入ると思っていた直親は、不安に思いながら東光院に入る。

そこで、待っていたのは朝宗の末の妹、ひよだった。

塩沢氏の娘、千代とは時期が来たら井伊谷に呼ぶと伝えて別れた。

その言葉は、偽りで二度と会うことはないとよくわかっていたが、千代は頷いた。

ひよは、千代とよく似た清楚な美しさがあり、じっと静かに控えていた。

朝宗は、直盛が(なお)(ちか)を娘婿養子にすると公にしたのは、養子にする表明だと考えた。

(なお)(とら)は、義元の人質となることを嫌い、仏門に入っている。

それは、還俗(げんぞく)前の現段階では井伊家の家督相続から外れ、独身を貫く事を意味している。

臨済宗僧は、結婚しないと決められていた。

つまり、(なお)(ちか)(なお)(とら)と許嫁だが今現在は、結婚は不可能であり兄妹という関係だ。

それは、(なお)(ちか)は、直盛の養子であり(なお)(とら)の兄でもあるということなのだ。

とすれば、妹、ひよと結婚しても、後継になる可能性に変わりはないということになる。

朝宗の父、朝利は、新野親矩が井伊家の目付として井伊谷城入りをした時、積極的に近づき、共に井伊家を支えようと持ち掛け、妹との結婚を実現した。

続いて、娘たちを縦横無尽に縁付かせ、井伊家中最大の力を持つ。

小野氏のライバルだ。

長女(朝宗の姉)は、(なお)(ちか)の母の弟、鈴木重時に嫁いだ。

当時、鈴木家は小野家に匹敵する井伊家家老だった。

次女は、中野直由、嫡男の直之に嫁いだ。

中野氏は井伊家一門筆頭。

直虎が最も信頼した一族だ。

三女は、小野政直次男、朝直に嫁いだ。

小野家は、義元が命じた井伊氏筆頭家老。

きっちりと縁をつないだ。

四女は、橋本四方助に嫁ぐ。

井伊氏と縁ある国人だ。

五女は、菅沼忠久に嫁ぐ。

井伊谷七人衆の一人で、家康に臣従していくが、奥山氏も家康に従うも良しと考えていた。

六女、於徳は、平田森重に嫁ぐ。

奥山氏家老だ。

こうして、朝利は、縁戚網を広げ井伊家の中枢を押さえた。

後は、(なお)(ちか)と娘、ひよが結婚すれば完璧だった。

ひよは、塩沢氏の娘、千代と直親の関係をよく知っている。

千代こそ直親と結婚すべきだと考えた。

だが、父は、千代は故郷を離れることは出来ないと説いた。

千代は、井伊谷に来ることはないのだ。

そして、ひよこそ奥山家の宝だと告げる。

出会った人すべてに爽やかな印象を与えるひよこそ、井伊家当主の妻にふさわしいと。

朝利の自慢の娘、ひよは、周囲を明るく照らし、皆の心に温かい心を降り注ぐ娘だった。

東光院に落ち着いた(なお)(ちか)に、朝宗の父である奥山家当主、朝利は自信にあふれた口調で「しばらくの辛抱。必ず時が来ます」と長期間の留守を埋めるように井伊家の置かれている状況を話す。

それから、当主として知っておくべき種々の情報を教えていく。

朝宗は「(なお)(とら)様は仏門に入り井伊家を継ぐ意志はない。とはっきり言われた」と告げる。

(なお)(ちか)は、隠棲中の直盛・直虎の対応を思い出し、朝宗の言葉を噛みしめる。

苦しい逃避行だったが、父や妻になる人からの励ましはなかった。

家臣も少なく力を奮う機会も与えられず悶々と過ごすしかなく、直盛・直虎に見捨てられたのだと寂しく思い続けた。

ようやく戻ったが、井伊城本丸屋敷に迎えられることはなく、東光院で待たされ、次の指示はない。

(なお)(ちか)は、ひよを見つめ、新しい道に踏み出そうと決める。

ひよを抱き深い契りを結ぶ。

ひよは、東光院での居候の身の心細さを癒し、井伊谷で生きる希望を与える大切な女人となる。

この報は、すぐに、直盛にもたらされた。

怒った直盛は、(なお)(ちか)にひよとの離縁、直虎との結婚を命じる。

だが、(なお)(ちか)は断わる。

「長年井伊家を離れていた私には当主の任は重すぎます。(直虎に)良き婿をお迎え下さい」と断わる。

(なお)(とら)の婿に選ばれた為に義元が怒り父、(なお)(みつ)が殺されたのだ。

そこには、直盛の影があると感じており精一杯の抵抗だった。

(なお)(ちか)は井伊谷城に入ることは、叶わなくなる。

井伊谷の南、山一つ向こうの(ほう)()(浜松市北区細江町)の屋敷に住まうことを命じられた。

しかも、直盛から松下清景を取次役家老として付けられ、監視される。

苦労を重ねて耐えて、ようやく戻った故郷でのこの仕打ちはひどすぎると、情けない。

必ず当主になる、直盛の思うがままにはならないと、意固地になる。

奥山朝利・朝宗(ともむね)に励まされ、精一杯の威厳をもって屋敷に入り、ひよとの結婚式を挙げた。

三万石とも言われる井伊家宗家を引き継ぐはずが、千石取りの井伊家一門家臣となり暮らす事になる。

(なお)(とら)一九歳にも、(なお)(ちか)の裏切りの報が届く。

父は(なお)(とら)との結婚は主君の命令であり、必ず(なお)(ちか)に守らせると話すが。

気色ばむ父をなだめるように、にこやかにうなずく(なお)(とら)だが、心中、義元・小野氏親子・奥山氏父子を思い、井伊家は難しい局面に入ったのだと覚悟する。

何があろうと父と共に生きる決意に変わりはないが。

 主君が命じた結婚を承諾しながら別の女人と結婚するなど、ありえない不思議があるのが、井伊家だ。

(なお)(ちか)は、奥山氏の言葉を信じ身の安全に気を配りつつ将来に希望を持ち、新婚生活を楽しもうとするが、心中は複雑で不安が募るばかりだ。

権謀(けんぼう)術数(じゅつすう)は苦手で花鳥(かちょう)風月(ふうげつ)()で笛など吹いて過ごすときが一番和む性格だ。

そして、文人として教養を積み、自分を活かした井伊家当主としてのあるべき姿を描いていた。

井伊家の現状にそぐわない当主像だが、それでも、早く当主になりたかった。

千代・ひよとの関係は、主君、直盛を裏切ったことに通じ、許されないことをしたとの後悔の念を消すことはできない。

心の奥底に直虎への申し訳なさも持ち続ける。

ただ、こういう生き方をさせたのは、直盛であり、直虎だと許しがたい思いも持ち続ける。