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直盛の決断|井伊直虎の生涯 前編(8)

だぶんやぶんこ


約 3659

直盛は、(なお)(ちか)を井伊谷に戻らせ「ようやく取り戻した」と心弾んでいた。

井伊家の為に、今川勢の一角を担い戦い続け、多くの資金と兵力を投じ、義元の信頼を得ている。

義元はこの頃、快進撃を続けており、井伊家の力を高く評価しており、井伊氏への強い干渉はなかった。

そんな時の(なお)(ちか)の井伊谷入りであり、義元は多少の難色を示すかもしれないが、直盛の願い、直虎と(なお)(ちか)の結婚・(なお)(ちか)への家督継承を許すだろうと思う。

義元に「井伊家は今まで通り忠誠を誓います。(直虎と(なお)(ちか)の)結婚と家督の引き継ぎを認めて欲しい」と懇願するつもりだ。

小野政直死後、小野氏に近い家臣を一掃し家中の再編を終え、一息ついており、義元への井伊家の忠誠心・貢献度に自信があり、直の方の推挙もある。

(なお)(ちか)を義元に引き合わせ許しを得て、直虎との結婚が実現する手はずを整え、万全の体制が出来たと確信していた。

こうして、余裕で、直親に会うつもりだった。

ところが、肝心の(なお)(ちか)が裏切った。

命令に背き、別の女人と結婚してしまったのだ。

(なお)(ちか)を、即刻、追放処分にすると怒りに震えたが、後継に一番ふさわしい人物であるのは確かでどうすることもできない。

思えば、(なお)(ちか)と歯車がかみ合わないことばかりだった。

(なお)(ちか)と井伊家の為に良かれと考えたことが全く通じず、いつも予想外の結果となるのだ。

(なお)(ちか)は、直盛を信じ待つことができないのだ、どこかに不信感があったのだと、事態の変遷に愕然とする。

当初、(なお)(ちか)はどうにでもなると強がりを言っていた直盛だった。

ところが、どんどん予想に反してしまった。

(なお)(ちか)は、井伊家宗家ではなく、分家の奥山家との縁を大切に、結婚し、後ろ盾とした。

明らかに宗家に対する謀反だったが、直盛は事前に止めることが出来なかった。

直虎にこれまでの経緯を説明し、運命の皮肉を呪いながら「直親はもう駄目だ。後継は姫しかいない」とため息をつくことが増えていく。

直虎も父の期待に応えたいとのこみ上げる思いがあるが口には出せない。

出家しても自由を束縛されることはなく、再々井伊谷城に戻って父母との時間を過ごし、家中の様子、重臣のそれぞれをよく見ている。

当主としての任を果たせる自信がある。

それでも、今は静かに、父、直盛の決断に従うと決めている。

(なお)(ちか)が戻る前のことだが、父は、松源寺での(なお)(ちか)の行状を聞き「(なお)(ちか)はあきらめた。義兄(新野親矩(にいのちかのり))の嫡男を後継にする」と話したことがあった。

今川氏に縁のある直虎のいとこであり、義元が納得できる婿になるはずだった。

だが新野親矩(にいのちかのり)には姫ばかり生まれ、嫡男はなかなか生まれなかった。

ようやく生まれた嫡男、甚五郎は(なお)(とら)より一〇歳も年下で、婿養子には不適だった。

そこで、父は、新野親矩(にいのちかのり)に「相応の養子を迎えて欲しい。(直虎の)婿にする」と打ち明けていた。

主君筋の養子であれば、実子を差し置いて嫡男とすることはよくある事であり、直虎の婿となるにふさわしく、義元も納得するはずだ。

新野親矩(にいのちかのり)も喜んで合意し義元に養子を願ってくれたが、義元は動かなかった。

義元は「(直虎を)早く、駿府に連れてくるように」言うのみだった。

自分の目で「どのような姫か」と確認したく何度も催促した。

だが、義元の動きに先手を打って直虎は、仏門に入り動かなかった。

 義元は、直虎の出家を強く追及しなかった。

直盛と新野親矩(にいのちかのり)は力を合わせ義元に忠誠を尽くしており、義元に当面の不満はなく、井伊家後継を急ぐ必要はなかったからだ。

万が一、直盛が亡くなっても城代を派遣し治めればいいのだ。

それから当主を決めても遅くはない。

井伊家を直轄領にしたい思いが強まっており、当主を決める必要がなかった。

直盛は、新野親矩(にいのちかのり)の縁から直虎の婿を迎えたかったが、暗礁に乗り上げた。

やむなく、問題のある(なお)(ちか)だが、(なお)(ちか)と直虎との結婚で後継とすることが、井伊家中の皆が望むことだと、振り出しに戻す。

その思いを推しはかったように、義元は、後継者の決定を先延ばしとした。

慎重に練った(なお)(ちか)の井伊谷入りであり、予想通りに進んでいたが、(なお)(ちか)は裏切った。

許せず後継から外そうとする。

かって、一門、中野直由の嫡男、直之と直虎を結婚させたいと思った時もあった。

あの時、義元に願っていれば、実現できたかもしれない。

(なお)(ちか)にこだわりすぎたのが、大きな失敗だったと、情けなくなる。

中野直之は、すでに結婚していた。

(なお)(ちか)の離縁が、難しいことを確認すると、再び、新野親矩(にいのちかのり)に養子を迎えさせて、その子と直虎の結婚で後継とするしかない。

今度は、直盛が直々に義元に井伊家の内情を話し「(なお)(ちか)を離縁し、(還俗した直虎)娘と新野親矩(にいのちかのり)の子との結婚」を願った。

義元は、(なお)(ちか)を隠していた不満はあったが自明のことであり、(なお)(ちか)が後継から外れることには納得した。

だが、また、井伊家後継を急いで決める必要がないと、答えはなかった。

直盛は、義元が動かないことにいらいらしつつ、時間がたつ。

直虎は次第に結婚適齢期を過ぎ、子を産むには遅い年になっていく。

どうしても直虎に婿養子を迎えさせたくて、新野親矩(にいのちかのり)に養子を急ぐように強く言う。

家中には(なお)(ちか)を後継とするとは言わず、(なお)(ちか)を直虎の婿養子とすると表明したままの状態が続く。

(なお)(ちか)の結婚は公にはなっていない。

直盛が認めていないからだ。

直虎は、無関心で余裕だった。

(なお)(ちか)が直虎を裏切ったのは、侮辱であり、許せないが、(なお)(ちか)との結婚が井伊家に必要とは思えなくなっていた。

(なお)(ちか)とは結ばれないと、どこかでいつも思っていたような気がする。

これで良いのだ。

僧として生きるもよし、還俗して義元の推める結婚をするのもよしだった。

南渓瑞聞(なんけいたんぶん)のすべてを学びつくすと、悠々と修行を続けた。

中野直由の妻や娘らが常に側におり、父母との連絡は絶やさず、再々会いに行く暮らしは変わらない。

直盛と(なお)(ちか)に緊張感が続いたまま、五年が過ぎる。

義元は動かなかった。

直虎に井伊家を継がそうとはしなかったのだ。

直盛は苛立ちながらも、義元の信頼の厚さを感じており、必ず、事態は好転する、直虎が認められると信じた。

そんな中、一五六〇年、桶狭間の戦いが起きた。

直盛は、今川義元に従い、先鋒の大将となり出陣した。

義元は直盛を信頼し、重要な役割を任せた、井伊勢の強さゆえだ。

だが、義元は織田信長勢により殺される。

今川勢はちりじりになり一目散に逃げた。

その時、直盛は生きていた。

従う家臣は「逃げ切れる可能性に賭けるべきです。すぐに、国元に戻りましよう」と口々に進言した。

だが、義元の信頼を得て今川勢の重要な一翼を担っての戦いであり、義元が討ち死にしたからと見捨てることは出来ない。

逃げるのは恥だと覚悟を決めた。

織田勢に囲まれており、与えられた役目を全うする責務を捨てきれなかった。

信長勢に戦いを挑み戦死だ。

その前、中野直由に井伊谷城を守るように言い残した。

小野政次の弟、朝直も奥山朝利の嫡男、朝宗(ともむね)も共に討ち死にした。

兵力が少なく勝てる見込みがなかった信長勢が、大軍を擁した今川勢を討ち破った画期的な戦いが、桶狭間の戦いだ。

信長が、天下人への道を歩むきっかけとなった戦いでもある。

だが、井伊家は、当主以下、重臣一六名が直盛と共に戦死し屋台骨が崩れた。

以後、井伊氏は弱体化していく。 直盛が亡くなり、直虎と新野親矩(にいのちかのり)の養子との結婚は、消えた