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直親、井伊家当主に|井伊直虎の生涯 前編(9)

だぶんやぶんこ


約 8868

直虎は、父、直盛五四歳を失った。

なぜ必死で逃げなかったのか、わからない。

義元との親密な関係をよく知っていたが、何よりも直虎のために生きなければならなかったはずだ。

武将の生き様を直虎に教えていると思うが、許せない。

この時、(なお)(ちか)は、二四歳、当主を引き継いでもおかしくない年齢だった。

だが、直盛は、(なお)(ちか)を支えるようにとは遺命せず、井伊谷城を中野直由に託した。

中野直由は、主君の遺命だと井伊谷城代となり、井伊家を率いる。

直盛は後継を指名せずに亡くなっており、後継当主を誰とするか紛糾する。

それまで、出家した直虎のいる龍潭寺(りょうたんじ)に、中野直之・小野朝直がよく来ていた。

一族が直虎に仕えているからだが、世の情勢・義元の近況を話し、井伊家の戦いぶりを自慢した。

彼らとの話は面白く、直虎も楽しみにしていた。

ときには剣術の立ち会いも行い、幼いときのままの主従関係が続いていた。

小野朝直の死は辛い。

ただ小野氏との関係が薄れていくのは間違いないと思え、何かの暗示だとも思う。

彼らの義兄でもある奥山朝宗(ともむね)も直虎に会いに来ていた。

朝宗(ともむね)は「(直盛が)(なお)(ちか)を正式に養子にするように口添えして欲しい」と再々頼むが、直虎は何も答えなかった。

父、直盛は、直虎に婿を迎える気持ちが変わっていないことをよく知っていたからだ。

中野直之・小野朝直は、直虎を裏切った(なお)(ちか)に許せない思いを持っており、知らん顔だ。

(なお)(ちか)は、早く、直盛の養子になり井伊城屋敷に入り、後継として力を奮いたかった。

家中に後継だと表明し、家中を率いるべく準備を始めたかった。

だが、直盛からの連絡はない。

時が経ち焦り、朝宗(ともむね)ではらちが明かないと自ら龍潭寺(りょうたんじ)にいる直虎を訪ねるようになっていく。

直虎には(なお)(ちか)を当主に推す気はなく世間話しかしない。

静かに父の決定を待つだけだ。

(なお)(ちか)に「思いがあれば、父、直盛にまっすぐに、素直に願えばいい」と答えた。

(なお)(ちか)は、直盛に素直に接することはできず、不安定な身のまま、いらいらと時を過ごす。

 そんなときの直盛の死だった。

直虎には、父の死は受け入れられないほどつらく、悲しかった。

「私を一人残して、あんまりだ」と胸が張り裂けるようで、父に恨み言を言った。

だが、悲しんでばかりはいられない。

父は、直親ではなく、直虎に井伊家を託したのだ。

中野直由に後見人となることを命じたことがその証だと。

父の遺命、井伊家を守らなければならない責任の重さを、辛いが、受け止めるしかない。

直盛の偉大さがよく分かるその後の家中の紛糾ぶりだった。

直虎の存在が大きく比重を占めており、直虎の決断を皆が待っている。

今川家も混乱しており、今なら、還俗し、婿養子を迎える事ができるかもしれない。

だが、そんな悠長なことでは、井伊家は立ち直れない。

今、求められるのは、井伊家をまとめられる大義のある後継者だ。

残念ながら、直虎ではない。

父の思いではなく、家中の大勢を冷静に見つめる。

そして、井伊家当主への道を断ち、けじめをつけるべく、発言する。

(なお)(ちか)が当主になるべきだと強く推した。

二四歳で人生最大の別れを経験し、世の無常を知り、信仰への思いを深くする。

出家していてよかったと思う。

ここで、直盛の意向がどうであれ後継は、(なお)(ちか)だと家中は一致した。

(なお)(ちか)は「ついに天は味方した」と興奮、涙をにじませた。

井伊谷に戻っても、直盛の養子と認められることはなく不安定なまま捨て置かれた。

ひよがいればこそ耐えたが、あまりにつらすぎた。

ようやく、長い忍従の暮らしが終わった。

奥山氏・鈴木氏・新野親矩(にいのちかのり)らが、すでに二四歳になっている(なお)(ちか)を早く当主とし、井伊城屋敷に迎えるべきだと言い、すぐに迎え入れられた。

こうして、(なお)(ちか)は井伊家当主となり、井伊城屋敷入りをする。

いつかこの日が来ると信じてはいたが、あまりに急な展開で信じられない思いだった。

一番信頼していた朝宗(ともむね)を亡くしたことはつらかったが、朝宗(ともむね)が死と引き換えに(なお)(ちか)を当主としたのだと心する。

こうして、今川家中が混乱している最中、(なお)(ちか)が井伊家当主となり既成事実を作った。

直虎は、父が悩んだこの五年間を不思議な思いで見つめる。

(なお)(ちか)がなぜひよと結婚したのか、今もはっきりとはわからない。

(なお)(とら)との結婚に息苦しさを感じ、結婚しなくても当主になれると確信したのだろうが、井伊家の為に父の意向を大切にすべきだった。

直盛の意向に沿い家中の総意を得て当主となることが、目指す名君の第一歩のはずなのに、直虎の推挙でようやく当主になったのが、現実だ。

マイナスからの出発になったことを肝に銘じて欲しい。

 そして、奥山朝利の底知れない野心があちこちに垣間見えて、戦慄を覚える。

朝利は縦横無尽に見事な結婚を実現し、井伊家中の大半に影響力を及ぼす力を持っていた。

井伊家中で今、重要な位置にいる叔父(母の兄)新野親矩(にいのちかのり)の妻は朝利の妹。

筆頭家老の弟、小野朝直の妻は娘。

父が婿養子としたいと考えた中野直之の妻も娘。

彼らの結婚は、直虎が出家してからだが、父、直盛は、事後承認しただけだ。

この頃、直盛は直虎を(なお)(ちか)と結婚させようと考えており、朝利のあまりの手回しの良さに驚くことはあっても、別段、井伊家に不利益はないと結婚を認めた。

いずれ、直虎・(なお)(ちか)の家老となる二人であり、井伊家一門として結束を強めることになると疑いを持たなかった。

ところが、(なお)(ちか)は直虎と結婚せず、朝利の娘、ひよと結婚した。

直盛は怒り(なお)(ちか)に別れるよう命じたが応じなかった。

その時、父は、朝利の野心を見た。

朝利が、(なお)(ちか)を取り込み、勝利の笑顔を振りまいているのが、腹立たしく、無念だと悔いた。

そんなこともあり、(なお)(ちか)に家督を譲らなかったが、父、直盛は討ち死にした。

(なお)(ちか)も悩み苦しみながら日を過ごした。

ひよと結婚し落ち着きは得たが、結婚すべきでなかったとの思いを捨て去ることはなかったのだ。

直虎と結婚すべきだったとの思いが消えない。

日が経ち、直盛からの音沙汰がなくなると、誠意を尽くして直盛の指示に従うしかないとの思いが、増していた。

結局、直盛に思いの丈を訴えることがないまま、別れてしまった。

そんなこともあり、(なお)(ちか)ひよとの間に冷たい風が吹くときも多かった。

(なお)(ちか)は早熟で精力は旺盛だった。

松源寺で謹慎中も、一時の女人との逢瀬は盛んで、貴人として風雅を楽しんだ。

見かねて、守役、今村正実が、塩沢氏の娘、千代を迎えた。

千代が仕えるようになると、すぐに二人の子が生まれ、我が子と認めた。

他にも子が生まれた可能性も高いが、謹慎の身であり認めていない。

つまり、(なお)(ちか)には、子種が多いのだ。

だが、祝田の屋敷ではストレスがたまるばかりで、ひよといつも褥を共にするまでにはならず、共に暮らしていても、なかなか、子は生まれなかった。

二人は、不仲ではなく、ただ不安定な心情の中におり、仲睦まじく過ごすことが少なく子が授からなかった。

子の出産を期待していた奥山朝利は、二人の仲を心配し、龍潭寺(りょうたんじ)に参るように言う。

龍潭寺(りょうたんじ)に参ると二人共、心落ち着き、未来に希望が持てるようになっていく。

そして、子が授かるように祈願する。

次いで、直虎に面会を願い、二人の結婚と(なお)(ちか)の家督受け継ぎを、直盛に推して欲しいと直虎に話す事が増えた。

直虎は、対面を拒否することはないが、通り一遍のよもやま話で終始した。

それでも、直虎の野心のなさを確認し、二人の心は落ち着いた。

こうして、一五六〇年の正月、直親は、新年の挨拶に龍潭寺(りょうたんじ)を訪れ、ひよとともに子が授かるよう祈願した。

そしてまもなく、二人に幸運が訪れ、直政が授かったという話が残る。

井伊家の始まりと共通する微笑ましい夫婦愛を物語る奇跡のお話だ。

直政が生まれたのは一五六一年三月四日。

義元と共に直盛が亡くなったのは一五六〇年六月一二日。

子の受胎期間は二八〇日。

ちょうど、直盛の死を聞き感動し、思わず抱き合っての受胎としても、可能な妊娠出産だ。

しかも、結局、結婚生活七年で直政だけしか生まれていない。

精力絶倫の(なお)(ちか)にしては、あまりに少なく、家督を継ぐ前も、継いでも不安定な精神状態が続いた証でもある。

夫婦仲は悪くなくても、緊張と不信感があった。

(なお)(ちか)は、直盛から井伊家後継となり家中に公表されること。

直盛に従い共に井伊勢を率いて戦うこと。をずっと願っていた。

そして、家中の賛同を得て、井伊家を継ぐ夢を描き続けた。

だが、直盛の急死で、すべてを通り越して、当主になってしまった。

嬉しいが家中の総意とはなっていないことが身にしみている。

待ちくたびれた当主の座が転がり込んできた(なお)(ちか)

家中の総意ではなくても、描き続けた名君の姿があった。

そこで、時が来たと震えながら、矢継ぎ早に政策の実行を命じた。

だが、思いを汲んで指示に従う優秀な腹心はいなかった。

奥山氏や母の実家、鈴木家・直盛に付けられた松下清景などを中核に強力な家臣団を作り上げようとしたが、できなかった。

直虎の婿養子でなく、長年井伊家を離れており、重臣たちと緊密な主従関係を築けなかったのだ。

結果、命令を声高に叫んでも統率力は発揮できない。

とくに、義元・氏真から送られてきた今川系家臣が冷ややかだった。

(なお)(ちか)は、嫡流ではない出自であり周囲の顔色を窺い、和を重んじる性格が身についていた。

どこか引け目があり、積極的に主導権を発揮できなかった。

それでも、井伊家のあるべき姿を模索し、思いは膨らむが、力強く、率いる事はできない。

中野直由は支えてくれず、義父、奥山朝利を頼りとするしかないが、朝利は、(なお)(ちか)の指示には従わない。

結局、小野政次が政務を取り仕切っていくのを、どうすることもできない。

自力で道を切り開けないもどかしさを引きずる井伊家当主としての毎日だった。

義元は、小野政直の死後、嫡男、政次を井伊家筆頭家老とし強力に支えた。

だが、直盛は政直の死に乗じて、小野氏に従う側近を除いた。

その為、若き政次を支える人材が不足し、直盛に太刀打ちする政治力を持ちえなかった。

直盛は、政次を適当にあしらいながら当主としての力を奮い、しかも、義元の意に叶う働きをした。

義元の死で今川家は嫡男、氏真が継ぎ井伊家は(なお)(ちか)が当主となり、新しい世代となる。

すると、小野政次が息を吹き返した。

かっての側近を戻し、今川氏に近い家臣をまとめて率いた。

氏真は、承諾を得ることなく(なお)(ちか)を当主にした井伊家中を責め、政次の強力な後ろ盾となり、干渉を強めていく。

(なお)(ちか)と比べると、直盛とせめぎ合い力をつけた政次の政治的力量ははるか上だった。

政次は強力な指導力を発揮し、井伊家を率い、(なお)(ちか)に対抗するすべはない。

氏真は、その様子を知り、(なお)(ちか)を思うままに動かせると安堵する。

当主の交代よりも、このまま井伊氏の戦力を有効に使い、今川家を守るのが得策と頭を切り替える。

義元亡き今川家は凋落していくが、桶狭間の戦いの後しばらくは、まだ健在だった。

 だが今川氏と決別した家康が一五六二年、織田信長と正式に同盟を結ぶと事態は変わる。

信長・家康連合軍は、飛躍的に力を増し氏真は追い詰められていく。

(なお)(ちか)は、氏真に従いつつも、家中をまとめられず、政次の専横を防げずストレスが溜まるばかりだ。

その時、家康から臣従するようにとの申し出を受ける。

鈴木氏・松下氏は家康に従おうとしており、(なお)(ちか)にも薦める。

次第に、(なお)(ちか)も氏真と離れ家康に従うことは井伊家の安泰に通じ、当主としての権威を見せることになると考え始める。

こうして、家康方との接触が始まる。

だが、(なお)(ちか)の動きは、慎重さが足りなかった。

隠密裏に進めた交渉のはずが、入り組んだ親戚関係があり、情報が漏れ、すぐに、小野政次が感づく。

政次から氏真の耳に入り、氏真は、(なお)(ちか)の行状を詳しく調べるように命じる。

筆頭家老として井伊家中をまとめる政次は、詳細に調べ自信をもって「(なお)(ちか)殿は家康に内通している」と報告する。

家康への内通を確信した氏真は、(なお)(ちか)に「駿府城で身の潔白を示すよう」命じる。

より一層の覇権を狙う政次は、(なお)(ちか)に氏真との対面の必要性を説き、駿府に行くべきだと進言する。

新野親矩も氏真の命令を受け、(なお)(ちか)に井伊家当主としての対面は必要と勧めた。

人質としての駿府入を何度も迫られた直虎は、父、直盛の苦悩の表情を見ており、戻れなくなるかもしれないと「行くべきではない」と引き留める。

だが、(なお)(ちか)は「いまだ氏真殿に目通りしていない。井伊家当主として会う必要がある」と対面を決めた。

直虎は、今川家の凋落ぶりをよく知っており、尋常でない氏真の猜疑心を恐れたが、(なお)(ちか)は、井伊家の存在が今川氏の大きな支えになっているとの自信があり、聞き入れなかった。

家康の申し出を聞いただけであり、氏真を裏切ったわけでなく、家康の動きを氏真に知らせるのは、井伊家にとっても益があると楽観視していた。

氏真に対し誠意を持って答えれば、釈明が受け入れられると信じていた。

父の死が思い浮かぶが、氏真にとって重要な戦力、井伊氏の当主である直親を敵にしたくなく、信頼したいはずだと思う。

また、当主が氏真に殺されるようなことがあれば、井伊家中は黙っていない。

氏真がそんな危険を冒すはずはない、と決めたのだ。

次はどのような陣立てで駿府入りするかだった。

今川勢の主力となる井伊家当主としての威容を見せるため、多くの兵を引き連れるか、今川家に従う忠誠心を見せ少人数で、駿府入りするか、悩むところだった。

気の弱い(なお)(ちか)は、忠誠心を見せつつ氏真と信頼関係を築くべきだと決め、主従一九人の少人数で出立した。

ところが、配下の国人衆の離反に、頭を悩まし苛立っていた氏真は、ここで駿府の支配者、今川家を率いる当主として、存在感を見せつけようとする。

今川勢の結束と締め付けを図るためだ。

(なお)(ちか)に高圧的に釈明を求めつつ、友好な関係を続けたいと意思表示していた。

つまり、身軽に来るようにとの思いからだった。

(なお)(ちか)勢の少なさを確認すると、策が成功したと会心の笑みを浮かべた。

そして、今川家重臣、朝比奈泰朝に「(なお)(ちか)一行を駿府城に入れる必要はない。直ちに討つよう」と命令する。

(なお)(ちか)の裏切りを確信し、怒り心頭だった朝比奈泰朝は、(なお)(ちか)一行の動きを確認すると、兵を率い領地の掛川城下で取り囲んだ。

ここで「(なお)(ちか)を殺せ」との氏真の命令を実行した。

ほとんど無防備の(なお)(ちか)は一五六三年一月八日、満足に戦うことも出来ず無様(ぶざま)に殺された。

井伊家中は動揺したが、朝比奈泰朝・氏真を討てとの声は湧きあがらなかった。

井伊家当主、(なお)(ちか)の死は、軽かったのだ。

氏真の恐怖政策が、行き渡っていたこともあるが、(なお)(ちか)は、家中の尊厳をそれほど得ていなかった。

 家中の話題は次の当主がどうなるか、井伊家の行く末はどうなるのかで持ちきりになる。

この報を聞いた直虎は冷静だった。

(なお)(ちか)は、追い詰められると安易な道を選び、筋を通し先頭立って道を切り開くことなく、黙ってしまうのだ。

逃亡中、十分な教養を積み、天賦(てんぷ)の才にも恵まれ文人として誇りを持ち、名君になる自信を持っていたが、直盛の死から始まった井伊家存亡の危機に対峙する気概はなかった。

父、直盛は、義元に忠誠を誓い戦いながらも、井伊家の意地を見せつけた。

それゆえ、直虎を人質に出すことなく守ったのだ。

比べて、(なお)(ちか)は、家康との同盟を望み、緊張感なく家康の使者と会った。

それゆえ、秘していたつもりだったが、政次に筒抜けとなった。

家康方と接触するだけでも裏切り行為と見なされるのだとの緊迫感と責任がなかった。

義元の死後、井伊谷をめぐる状況は刻々と激しく動いており、いつ何が起きるかわからない状況だ。

直虎は、危機意識の少ない(なお)(ちか)に注意を促したが、(なお)(ちか)は奥山朝利を信頼し、直虎の言葉を軽く聞き、状況認識が甘かった。

そして、のこのこ出向き殺された。

氏真は、(なお)(ちか)の殺害だけでなく、謀反人の遺児、直政も同罪であり、殺せと小野政次に命じた。

(なお)(ちか)の駿府行きを心配し行方を見守っていた城代、中野直由は、(なお)(ちか)の死の知らせを受けるとすぐに、祝田に居るひよ・直政母子をひよの実家、奥山氏の屋敷(浜松市北区引佐町奥山)へ逃れさせた。

危機一髪だったが、逃げおおせた。

小野政次は、(なお)(ちか)の屋敷を、監視していた。

だが、軍勢で囲む前に逃げられた。

それでも行く先は、奥山氏屋敷だと確かめた。

すぐに追手を奥山氏屋敷に向かわせ、奥山朝利に直政を引き渡すよう命じた。

当主、奥山朝利は、娘婿、(なお)(ちか)が当主になり、嫡男、直政が生まれ、井伊家当主になるはずだと、得意絶頂だった。

そんな中で知った(なお)(ちか)の死。

氏真が(なお)(ちか)を殺すとまでは考えていなかったため、衝撃だった。

すべきことは直政を助けることと迎えを出し、中野直由と打ち合わせの後、すぐに、屋敷に引き取った。

ところが、戦いの準備が十分にできないうちに、小野政次の軍勢が来た。

追及は予想外に厳しかった。

しかも絶対に渡してならない大事な宝の子、直政の引き渡しの命令を、高飛車に伝え、迫った。

朝利は、覚悟を決め、絶対に渡さないと決意し、直政を逃がす。

そして、自ら奥山勢を率い先陣となり戦う。

だが、準備を整え、朝利に成り代わろうと必死な小野政次の軍勢は強く、戦いぶりも見事だった。

準備不足の朝利は、討たれて亡くなる。

 井伊家を率いる中枢の武将と婚姻網を築き上げ井伊家中に怖いものなしと、豪語した奥山朝利だが、あっけなく、一月一八日、(なお)(ちか)の後を追うように殺された。

小野政次には、直親と共にどうしても排除したい井伊一門衆であり、一歩進んだと安堵した。

だが、直政を逃してしまった。

夢見る直虎との結婚、井伊家を率いる道はまだまだ遠い。

(なお)(ちか)の死で井伊氏宗家は揺れる。

直虎は、父の死では責任を果たすべく、発言したが、その後は、僧としての修行に励んでいた。

直虎が動かないと、宗家を率いるに足る人物は、八四歳になる直平しかいない。

(なお)(ちか)の曽祖父だが、驚異的な知力・体力があり、衰えていない。

それでも、直親に対し不安に思っていたことが、現実のこととなり、慌てた。

じっと井伊家の将来を思い考え込む。

家中をまとめられるのは直虎しかいないと見定め、共に直政の成長を見守り、井伊家再編を始めようと直虎に申し出る。

直虎も、真摯に願われると断れない。