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音二郎との出会い|女優、貞奴 幾重にも花を咲かせ、咲き乱れて生きた麗人。(5)

だぶんやぶんこ


約 4894

1891年(明治二四年)(さだ)(やっこ)は流行歌「オッペケペー節」の評判を知る。

何かに付けて先進的な(さだ)(やっこ)だが、演劇への関心は特に高い。

評判の舞台だ。見ておかなくてはとの思いが募り、可免(かめ)を誘い、共に見に行く。

川上音二郎の世情を風刺した舞台「オッペケペー節」を初めて聞き見た。

面白かった。

大いに笑った後、歌舞伎と同じように、祝儀をはずもうと楽屋に立ち寄る。

目の前に川上音二郎をじっくり見た瞬間、この人だと閃光(せんこう)が走った。

貞奴20歳。

「感動しました」と芝居の感想を熱く語り褒めた。

音二郎は、雲の上の人、超人気者で芸者随一の稼ぎを誇る(さだ)(やっこ)の登場に、浮足立つ。

驚きながらも胸躍り、丁寧に、お礼を言う。

落ちついてくると「この機を逃しては機会がない。何としてもひいきにされて後援者にする」と、ふと(ひらめ)いた。

ここから、精一杯のお世辞で(さだ)(やっこ)を褒めあげる。

(さだ)(やっこ)は、演劇の品位向上・新しい脚本の創作・新劇場の建設を目指す「演劇改良会」を理解している。

伊藤博文の側近で演劇に関心がある金子堅太郎とも、とても親しい仲だ。

そこで、金子堅太郎から、同郷の書生芝居(壮士芝居)を演じる音二郎について、人となりも含めて、色んな情報を仕入れていた。

そのとおりの人物だった。

 音次郎も、金子堅太郎と親しい。

共通の友人が多く、話が弾む。

それからは、演劇が終わるのを待ちかね、楽屋に訪ねる。

「(音二郎の)上質の演劇を作るとの熱い思いに共感している。その思いをみんなに伝えたい」と音二郎が上層階級・外交官・軍部の支援が得られるよう心掛けていく。

音二郎は、懸命の褒め上げ作戦が成功したとニヤける。

後援者が増えるのは大歓迎だ。

以後、音二郎は、(さだ)(やっこ)が楽屋を訪ねると、新しい演劇への熱い夢を語り、経済支援を求める。

(さだ)(やっこ)は、にっこりと金を出す。

荒けずりな演技ながら明快な思想を持つ音二郎と価値観が共有できた。

この人こそ共に生きる人と確信していく。

音二郎は、歌舞伎とは異なる新派を創造すると意気込み、舞台の外でも歌舞伎界の古いしきたりに批判の声をあげていた。

そして、歌舞伎に対抗して、にわか芝居「壮士芝居」を始め役者になったのでもある。

演劇といえば歌舞伎と思われて、役者の一族か特別のコネでも無いかぎり歌舞伎役者になれない時代だった。

音二郎は、それを一変し素人でも役者になりたければ一流の演劇人になれる時代が到来したと、身をもって証明しようとしたのだ。

歌舞伎とは違う風刺芝居「書生芝居(壮士芝居)」は、新鮮で、庶民の圧倒的支持を得た。

音二郎の試みは、大成功だった。

そして何よりも、(さだ)(やっこ)の関心を得て、支援者にすることが出来たのだ。

次第に、音二郎は、(さだ)(やっこ)にこれまでの生き様を話すようになる。

その中で、福沢諭吉の目に留まり、推挙を得て、書生となり慶応塾舎の用務員として働きながら講義を受けたことを話す。

慶応の聴講生だったのだ。

だが、自由民権論者の地が出て、諭吉に逆らう言動したために追い出されたと、懐かしそうに話す。

(さだ)(やっこ)は、そこかしこに出てくる福沢諭吉の名に嫌悪した。

あの初恋の人、岩崎桃介も、諭吉に見いだされ、アメリカで勉強し、立派になって結婚した。

諭吉は有望な若者に対しては暖かい配慮をするが、諭吉に服従するのが絶対条件で逆らうと厳しい人なのだ。

桃介が(さだ)(やっこ)を好きなことを知っていながら、引き離した憎むべき人だった。

(さだ)(やっこ)は、桃介を取り込まれた恨みがある。

諭吉には、絶対に負けたくないと対抗意識を持っている。

音二郎が諭吉に追いやられたと聞くと、めらめらと闘志を燃やす。

(さだ)(やっこ)には諭吉と対抗できる伊藤博文を始めとした政財界人とのつながりがある。

特に諭吉のライバル、福地桜痴(ふくちおうち)とは親しく、芸術・文化でなら勝てる相手だと思えるようになっていた。

一本気な義侠心をくすぐられ、近代的な演劇活動の実現に燃える音二郎を世に出すと決めた。

諭吉の鼻を明かしてやるのだ。

裏切った桃介に負けたくない意地もある。

ここから、(さだ)(やっこ)の活躍が始まる。

目的を見出すと信じられない力がわくのが、(さだ)(やっこ)だ。

音二郎の為に切符を売り、ひいきの客に紹介し、宣伝を兼ねてよく見物する。

話題作りは得意だ。

有名な(さだ)(やっこ)が入れあげる音二郎を見てみたいと観客がどんどん増える。

(さだ)(やっこ)の助けで、音二郎も自信がみなぎった「書生芝居(壮士芝居)」を演じる。

どの興行もますます盛況だ。

この成功に満足し、さらに音二郎を飛躍させるために、(さだ)(やっこ)は音二郎を伴侶とすると決める。

1592年、芸者をやめ、結婚すると決意する。

花街は伝統に縛られていると窮屈になっていた。

芸者に飽きた(さだ)(やっこ)は、稼ぎも名誉もすべて捨てて、音二郎と新しい演劇の世界を作ることに賭ける。

芸者として頂点を極め、実家に十分孝行し、養母にも借りは返している。

しがらみはない。

次々と新しいことに挑戦する喜びが、(さだ)(やっこ)の生きる支えだ。

繰り返しの判で押した暮らしだと、意欲がなえて、すべてどうでもよくなってしまうのだ。

音二郎の夢を何度も聞いて、具体的に何をすべきかわかっている。

音二郎を伴侶とし音二郎の夢を叶えると、可免(かめ)に堂々と決意を示す。

次に、最大の支援者、伊藤博文にも想いを話す。

そして、側近の金子堅太郎を通じ、音二郎を伊藤や教育や演劇への造詣の深い西園寺公望(1849-1940)や土方久元(1833-1918)に引き合わせ、文化先進国、フランスでの演劇視察の了解と支援を得た。

貞奴と金子堅太郎の連携は強く説得力があった。

駐フランス公使への紹介状も受け取る。

こうして、1893年、桃介に対抗して、音二郎をパリへの遊学の旅に送り出す。

その直前、貞奴は音二郎と仮祝言を上げた。

音二郎と相談の上で進めた計画だったが、喜んだ音二郎は、パリ遊学に飛びつき頭はいっぱいになり、それ以外は手につかない。

すべての準備が整うと、急きょ出発してしまう。

川上一座の座長でありながら、一座の者には何も言わないで。

後先構わず動くのは、(さだ)(やっこ)の比でない音二郎は、川上一座を忘れていた。

音二郎の人気で持っていた川上一座だ。

座長が急にいなくなり、火の消えたようになってしまった。

観客の入りは急減、座員の収入はわずかとなった。

一座の悲鳴を聞き、(さだ)(やっこ)が、川上一座全員の面倒を見るしかなくなる。

音二郎のいない4四か月間、芸者の稼ぎで彼らの生活費を出した。

(さだ)(やっこ)には大きな負担だったが、音二郎を世に出す決意はより強固になり、日本一の芸者としての本領発揮、良い気分だった。

音二郎は、元気にパリから戻った。

三か月近く航海にかかり視察は一か月余りだったが、多くを学んだと、新派の未来図を洋々と語る。

「川上座を私に丸投げしたままで、出発してしまい、どんなに苦労したことか」とあまりの無責任さを追求するが、応える様子は、微塵もない。

(さだ)(やっこ)もあきらめ、音次郎の話を聞きながら、パリに送った甲斐があったと嬉しそうにうなずいていく。

音次郎の帰国まで、棚上げしていた結婚の準備にかかる。

(さだ)(やっこ)は、桃介に対抗意識を燃やしている。

桃介と同じかそれ以上に華やかな結婚式にすると、創意工夫を凝らす。

資金援助を願うのは、長年の後援者、伊藤博文。

結婚することを伝えているが、諸手を挙げての賛成がなければ、芸者をやめることもできない。

伊藤は(さだ)(やっこ)を愛しており、簡単にこれで終わりとはいかない。

(さだ)(やっこ)には怖い物はなく「(伊藤は)私の幸せを願ってくれる、素晴らしい後援者だ。喜んで、最後に十分な祝儀を出すはず」と、結婚式を思い浮かべ、にこにこだ。

だが、伊藤との交渉は申し訳なく苦手だ。

可免(かめ)にも頼めない。

そこで、こういうときに頼りになる、金子堅太郎に、相談する。

「任せてくれ」と笑ってうなづいた金子堅太郎は、伊藤に「(さだ)(やっこ)はあまりにもお金がかかりすぎます。時局は大きく動いており、評判に響きます。そろそろ身を引かれては」と進言した。

中国、清の軍隊との衝突・朝鮮をめぐる主権の争いと難問が山積みし、日清戦争が起きる直前だった。

時局は(さだ)(やっこ)に幸運をもたらした。

伊藤も「いつまでも大金使いの(さだ)(やっこ)を囲っておけない」と、わかっており未練はあったがしぶしぶ納得する。

 1894年(明治二七年)貞奴23歳、あしかけ4年の付き合いにけじめをつけ、川上音二郎30歳と結婚する。

7歳の年の差があるが、二人並ぶと、年の差は感じさせない。

(さだ)(やっこ)の落ち着いた姉さんぶりと音二郎の若々しさがうまくかみ合っていた。

音二郎も結婚を待ち望んでいた。

感謝しきれないほどの恩があり、結婚できて幸せだった。

だが、(さだ)(やっこ)が芸者をやめるとは思いもしなかった。

(さだ)(やっこ)の芸者としての稼ぎに頼りながら川上一座は成り立っていた。

とても大切な後援者だった。

「金を稼がない(さだ)(やっこ)など、想像できない」と辞めないでほしいと頼んだ。

また、(さだ)(やっこ)が働いている間は、たっぷり小遣いをもらいながら、自由に遊ぶこともでき、好都合だった。

それでも、強固に(さだ)(やっこ)はやめると宣言した。

もう、止める事は無理だとよくわかっていたが、あきらめきれない。

「援助資金が減るのは困るなあ」と、ぶつぶつ不満を言う。

こうして、(さだ)(やっこ)主導で結婚式の段取りが進んでいく。

音二郎は大手を振ってついていくだけだが、それで十分幸せだった。

金子堅太郎を媒酌人に伊藤に祝われて、盛大な結婚式を執り行った。

(さだ)(やっこ)は、音次郎と結婚した喜びよりも、思い通りに結婚式を執り行った満足感でいっぱいだった。

以後、(さだ)(やっこ)の収入はなくなるのだ。

その不安は、貞奴にもあったが、なんとかなると笑えた。

新派を大きく内容のあるものにするために働くのだ。

それは、芸者を勤めながらでは出来ることではない。

音次郎と手を携えて進んでいくのだと、燃える決意に、新妻の顔は輝いた。

 結婚への祝儀を馴染みの客から受け取る。

そして、神田駿河台に、部屋数15、庭付きの家を借りて、門弟一同と同居することにした。

(さだ)(やっこ)は新婚時から、一座の面倒を見る姉御だった。