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貞奴、国際女優に|女優、貞奴 幾重にも花を咲かせ、咲き乱れて生きた麗人。(9)

だぶんやぶんこ


約 6313

1899年4月30日、総勢19名の川上一座は神戸からゲーリック号に乗り込み、アメリカ巡業に出発する。

座員14名に、(さだ)(やっこ)の兄、小山倉吉と音二郎の弟、磯次郎14歳と姪のつる(シゲの妹)10歳が加わった。

音二郎と一座の面倒を見るのが精いっぱいの(さだ)(やっこ)は、信頼できる兄に、側で助けて欲しいと頼んだ。

兄は妻、冬を亡くし衣装方として同行する。

昔、養女に行くはずだった加納家を飛び出て、兄に迷惑をかけた。

以後、兄も加納家とは一線を引くようになってしまった。

兄に、アメリカを見せ、少し恩返しするつもりだ。

船上の人となった音二郎の目は、ギラギラ輝き、じっとしていない。

船内で、即席で、演芸会を開催し稼ぐ。

寄港地、ハワイホノルルで演説会を開き稼ぐ。

団員たちと走り回り、稼いでいた。

(さだ)(やっこ)は「我関せず」と船旅をゆっくり味わった。

こんなゆっくりした時を持つのは、久しぶりと、幸せを噛み締めた。

こうして一座は、練習を積みつつ船旅を楽しみ、自信満々で5月23日、サンフランシスコに到着する。

(さだ)(やっこ)は、初めての海外への旅を満喫しながら、良い気分で船を降りたが、びっくりすることが起きていた。

作られていた宣伝用ポスターの中心に大きく(さだ)(やっこ)が描かれていたのだ。

誰が見ても、川上一座一の俳優で、看板女優が(さだ)(やっこ)なのだ。

音二郎もおどろくが、躊躇することはない。

すぐに「いいだろう」と乗った。

(さだ)(やっこ)に歌舞伎の演目「娘道成寺」を主演してくれと頼む。

(さだ)(やっこ)は踊りには自信があり劇場公演の経験もあり了解したが、演技も要求される舞踊劇は、拒否した。

そこで音二郎は「娘道成寺」の筋書きを変える。

僧、安珍が清姫に恋をし結ばれる。

清姫は共に住みたい、と結婚を望む。

だが、安珍は、僧を目指して修行の身であり、寺を出ることはできないと、言う。

清姫は離れたくない、共に逃げようと迫る。

安珍は恐ろしくなり、鐘の中に逃げ込み、清姫と別れようとした。

清姫は逃さないと追いかけ、狂おしい情念が化身し大蛇となり、鐘を焼き尽くす。

鐘を焼かれた道成寺は怒り、女人禁制の寺とする。

ここで、鐘はなくなった。

時を経て、鐘が奉納され、安珍の供養が行われる。

そこに、美しい白拍子がやってきて、供養に舞わせてほしいと頭を下げた。

小僧たちはその美しさに目がくらみ、女人禁制なのに入山を許す。

ここで、白拍子は舞いながら鐘に近づく。

その様子で清姫の化身だと皆が気づく。

その時はすでに遅く、清姫の魔力に寺は翻弄される。

清姫は鐘の中に飛び込むと鐘の上に大蛇が現れて…と続く。

 芝居を極力なくし、怒り・喜びを情念の舞で表現した。

(さだ)(やっこ)はそれでも、踊りだけでは演じきれないと芝居に対する不安を言い、悩んだ。

音二郎は平気だった。

日本語のわからない観客が多く、適当なセリフを言っとけばいいと言うのだ。

逃げ道はない。

踊りと長唄でできる限り表現し問答は避けることで、上演を決意する。

得意の踊りで何とかなると腹をくくる。

桜の頃を背景に女の愛と情念を明るく躍動的に、また哀れにすさまじく表現した。

それ以外は、表現力はなく、適当だったが演じた。

自信のない始まりだったが、観客は、(さだ)(やっこ)に魅了され、興奮し、拍手喝さいだった。

日本では、まだ、出演者はすべて男性、女の役は男が女形(おやま)として演じるのが当然とされていた。

音次郎は納得していなかったが、現状ではやむを得ないと女形(おやま)役者が一座にいる。

ところが海外では当然のことだが、男の役は男、女の役は女が演じるのだ。

そんな考えでは、美貌の(さだ)(やっこ)が主人公になるのが自然だった。

(さだ)(やっこ)は、サンフランシスコのひとたちのとの考えの違いを知ると、納得するしかなく、舞台に立った。

(さだ)(やっこ)の繊細な表現力は抜群で、踊りは優美でありながらなまめかしい。

未知なる国、日本の美しさだと観客は深く感動する。

この時、(さだ)(やっこ)を海外に導いてくれた櫛引(くしびき)弓人(ゆみんど)が事業に失敗し、破産してしまう。

やむなく、興行から手を引き、他の興行主に引き渡した。

(さだ)(やっこ)たちは、何が何だか分からないまま、息があっていた櫛引(くしびき)弓人(ゆみんど)から、初めて会ったばかりの光瀬耕作に興行主が変わったことを知らされる。

光瀬耕作は、日本からの移民の手続き一切を扱う日系弁護士だった。

光瀬耕作は興行師として何をすべきか知らなかった。

しかも、彼もまた、破産はしていないが、借金を抱えていた。

櫛引(くしびき)弓人(ゆみんど)は、正直に話し興行から手を引いたが、光瀬耕作は川上一座の収益を自らの借金の返済に当てようと目論んでいた。

にこやかに通訳し興行を取り持ったが、興行収入が入るとすべて持ち逃げした。

音二郎・(さだ)(やっこ)への支払いがないのはもちろんだが、ホテル代・広告料なども支払っていなかった。

ホテルから請求された音二郎・(さだ)(やっこ)には支払う目途はなく、衣装道具などを担保に取られ追い出される。

川上一座は一文無しで路上に放置された。

また地獄だ。

食事にもありつけず、あまりの窮乏と心労で一座は、もはやこれまでと呆然と座り込んでしまった。

救いの主は、(さだ)(やっこ)の熱狂的ファンとなった日系人だった。

事の成り行き、事情を知ると、救いの手を差し伸べ住まいや食べ物を確保してくれた。

(さだ)(やっこ)の美しさに魅せられ望郷の思いを満たされ感動したファン達だ。

それだけではなく、精力的に募金を集め芝居道具を取り戻し、義援演劇の開催を申し出た。

川上一座は義援演劇を行うことが出来たのだ。

公演は、成功し、資金を集め、支払いを済ませた。

ようやく、当初の予定通り、サンフランシスコ公演を初め、続ける。

落ち着いて芝居に打ち込むことができ、予定通り公演を終える。

支援した日系人は口々に「慣れないアメリカでの興行は無理だ。日本に戻るように」と勧める。

だが、音二郎と(さだ)(やっこ)に帰るところはない。

「興行を続ける」と言うしかなかった。

すると「アメリカでは子供の出演は制限されている。せめて、子供たちを置いていくように」と熱心に話した。

誠心誠意、(さだ)(やっこ)らのために尽力してくれた人たちであり、彼らの言葉を信じ、理解する。

10歳の姪、つるを、画家、青木年雄の養女とする。

14歳の弟、磯二郎を英語と芝居の勉強をさせるためにアメリカ人に預ける。

あまりの急激な展開に、二人にとって良い決断だったか、不安もあるが、つるも磯二郎も養父母との縁を受け入れ、嬉しそうに「ここで暮らす。会いに来て」と話し、別れた。

日本から連れてくるべきではなかったとの後悔と、あっけない別れが来た虚しさで涙が止めなくあふれる。

だが、日系人は、アメリカで頑張っており、裕福な層も多い。

青木は、アメリカで成功している。

豊かな暮らしでつるの芸術家としての才能が開花するはずだ。

音次郎も「つるは立派な演劇人になる。青木氏も保証してくれた」と良い決断だと得意顔だ。

貞奴も、納得し、賛成するしかなかった。

思いを断ち切れず気持ちが吹っ切れないまま二人と別れて、次の興行先、シアトルに行く。

シアトルには日本人町もできており、安心して興行でき、歓迎され公演は成功だ。

資金的にも、体力的にも一息つく。

タコマ・ポートランドと次々興行し、大陸横断の旅費の一部ができる。

だが、音二郎は納得しない。

「今のような小規模な公演では、川上一座の大成功は難しい。演劇の盛んなパリで一旗上げよう」と言い出す。

パリで劇場を回った経験があり、成功する自信があったのだ。

座員は多少の取り分を得て満足しており日本に早く帰りたがったが、音次郎の拍手大喝采で成功する夢を聞き続けると根負けし、賛同する。

こうして、パリに向けて、西海岸から東海岸へアメリカ横断の興行が始まる。

まともな通訳もいない不安定な興行ながら食いつないで進む。

信頼する興行主を見つけることは出来なかったが、日系人の連絡網で、次々興行の予定を決めることが出来た。

それでも、思うような劇場での公演は少なく、条件も悪く、収益がでない。

ようやくシカゴにたどり着くが、資金が尽きる。

しかも皆がやせ細るほどの過酷な旅が続いた。

シカゴは大都市であり、劇場も大きい。

収益は大きいと力を振り絞って、日本通だと聞いていたライリック座の座主、ホットンに興行を申し込む。

特に娘が日本が大好きだと聞いており、便宜を図ってくれるはずだった。

ところが、ホットンの態度は大きく、厳しい目をしていた。

川上一座を信用していないのだ。

たった一日だけの興行契約しかしなかった。

興行を継続する条件は、初日の観客の大入りだった。

観客が少なければ興行は打ち切りだと冷たく言い放った。

公演までの日はわずかしかない。

事前の宣伝もなく、この地の人が川上一座を知らない状態での公演の許可だった。

このままでは最後の公演となると音二郎は危機感を持つ。

切羽詰まった音二郎が考え付いたのが、チンドン屋による宣伝だ。

舞台衣装を身に着けて皆で街を練り歩き、悲壮感を漂わせて公演を見に来てほしいと宣伝するのだ。

何も知らなかった町の人々は、異様な日本人の姿にびっくり、話題騒然となった。

チンドン屋の主人公は(さだ)(やっこ)

艶やかな着物姿で、笑顔を振りまいた。

その姿に、町の人々が注視し、その美しさに、(さだ)(やっこ)の舞台を見たくなる。

音二郎は、最後の公演だと覚悟を決め演目を考えた。

「思い切り派手にするぞ」と、(さだ)(やっこ)を取り合い争う武士のチャンバラそして腹切り(切腹)劇を思いつく。

清らかな愛の場面とハチャメチャなチャンバラ、メリハリの利いたドタバタの連続だ。

やせこけた団員の迫真の演技で、観客は拍手喝采。

そして、(さだ)(やっこ)が舞う「道成寺」。

素晴らしいと絶賛の嵐だ。

今までとは一転して満面の笑顔でホットンは、娘と共に、感激して楽屋に現れる。

(さだ)(やっこ)の美しさに魅せられたのだ。

再演が決まる。

一同、やっと贅沢な食事にありつけ、食べまくった。

皆生き返り、安どの表情で血の気がよみがえる。

ここで興行師、カムストックを紹介され、ようやく信頼できる興行師と出会い、安心して興行ができるようになる。

ただ、事情を聴いたカムストックは、川上一座と自分が儲けるために過密スケジュールを組む。

貞奴は「とても無理なスケジュールだ。もう少し余裕を持たせた」と言ったが、パリまでは遠い、少しでも、多くの資金を得たい音次郎は了解した。

東海岸に着くまで到着した日にすぐ公演、夜には次の興行先に旅立つという具合だ。

1か月ほどの興行を終えると一流演劇一座らしい体裁を整える収入を得た。

12月3日、ボストンに到着する。

北大西洋を見た。

海を渡ればパリに行き着くのだ。

嬉しさがこみ上げ、皆歓声を上げた。

すぐに興行を始め観客の入りはよく、成功。

だが、ほっとしたのか女形役者、丸山蔵人と三上繁が倒れた。

あわてて、入院させる。

おしろいに含まれる鉛毒の多用と体力の消耗が原因と思われた。

手当の甲斐もなく、間もなく亡くなる。

異郷の地で、食べ物も気候も違い言葉も通じない生活に疲れ果てながらも、ここまで頑張ってたどり着いたのだ。

家族でもあった二人の死は、(さだ)(やっこ)には、重すぎた。

川上一座にやりきれない沈痛な思いが広がり、(さだ)(やっこ)は、涙にくれた。

ボストン郊外のマウントホームに丁重に葬った。

(さだ)(やっこ)は「こんなことになるのなら来るんじゃなかった」と音二郎を責める。

音二郎にも返す言葉はなく、うなだれただけだ。

まもなく、苦痛にゆがむ顔となり、倒れた。

盲腸炎だった。

心労も重なり、体力の限界に達していたのだ。

(さだ)(やっこ)は「どんなことをしても、音次郎の命は守る」と医者を探し手術を受けさせる。音次郎は生死の間をさまよい続け、手術を受けた。

医者との意思の疎通がままならなく、いらいらしながら、必死の看護をし、お不動様のご加護を念じる。

音次郎は意識を取り戻したが、なかなか回復の兆しが見えない。

追い打ちをかけるように、予想外の高額の費用を請求される。

ここで、(さだ)(やっこ)は、たとえ音二郎亡き川上一座となっても守ると覚悟を決めた。

地獄の日々だが、一座は守らなければならない。

座長としての責任を持って、平静を装い興行を続ける。

(さだ)(やっこ)の出る舞台は、華やかで、観客に受ける。

音次郎にお金がいくら掛かるか予断を許さないが、まずまず成功した一座として、興行収入を得る。

すると、金子堅太郎から「駐米公使と連絡が付いた。安心してワシントンに行くように」との連絡が入る。

海外公演が決まるとすぐに金子堅太郎に連絡した。

以後も連絡を取り合い、日本大使館の公使が便宜を図る約束を取り付けた。

そして、万全の体制だと革新して、渡航した。

なのに、アメリカに着いても公使からの連絡はなく、その後もつながらず、何度も窮地に追い込まれたのだ。

「遅すぎるよ。今まで何してたの」と叫びたかったが、嬉しくて嬉しくて涙が溢れた。

その旨、一座の皆に話し、将来不安を解消させることができた。

皆の嬉しそうな顔を見て、お不動様の御加護だと思う。

皆それぞれ、仕送りや休養などなど、自由な自分の時間を持った。

横たわる音二郎にゆっくりと金子堅太郎から届いた知らせ、今の興行状況など話す。

すると、音次郎は俄然元気になった。

生気が戻り、体力も回復する。 「(音二郎は)ほんとに気分屋なのだから」と、(さだ)(やっこ)も笑顔が輝く。